第十三話 宝探し
「明朝で決まりだそうだ」
執務室にて。
マティオスにそう言われ、手遊びに弄んでいたペンをラクトスは取り落した。
「追い風が吹いていると。皇帝も考えなしに反撃を考えていたわけじゃないらしい。だが、ここでやりきらないと」
「中途半端は許されない、ってか」
あまりのタイミングの悪さに、互いにばつの悪い顔になる。なにせ問題が山積みだ。フリッツのこと、ルーウィンのこと。どこから手を付けていいかわからない。
「なんてこった……」
「よりにもよってこのタイミングとはね。本当に参ったな……」
男二人、テーブルを挟んで腰かけしばし無言になる。
両手で顔を覆ったラクトスが、深く深くため息を吐いた。
「ハゲそう」
「おれもだよ」
地下通路への行き来を禁止され、フリッツの気持ちは再び腐っていた。
せっかく見つけた脱出への希望が失われた。マナが通路を案内してくれたというのに、それも今となっては無意味だ。自分が来なくなれば、マナは安否を心配するに違いない。昨日は待ち合わせに遅れてかなり心配させてしまった。その翌日にこれだ、なんという不甲斐なさだろう。
あの暗い通路で心細くフリッツを待ちわびる彼を思うと胸が痛いが、せめてマナは無事であって欲しいと思う。見取り図を持ち出したり、自分と接触があったことを見咎めなければ良いが。
ソファに身を横たえ、天井を見詰める。いつまでここに居ればいいのだろう。
下が駄目ならやはり上から。フリッツは誘われるように立ち上がり、窓にふらふらと寄って行った。分厚いガラス戸を押し開けると、びゅうと風が吹き込む。下を覗くと、だんだん地面が近づいてくるような錯覚に陥る。
もうこの際、カーテンを手足に縛って落ちたら、風で浮き上がってなんとかなるかもしれない。
上手いこと近くの木なんかに落下して。枝の擦り傷だけで案外なんとかなったりして、すこし先に見える高くて頑丈そうな壁をなんとかよじ上って荒野に出たりなんちゃったりして。このまま武器も持たず丸腰で荒野を渡り切って無事にディングリップ帝国の門をくぐっちゃったり。
「……するわけないよなあ」
少し冷静になれば、この窓の下でぐちゃぐちゃになった自分の姿が容易に想像出来る。
窓枠に顎を乗せぼうっと空を見ていると、なにやら言い合う声が近づいてきた。ほどなくしてブラックドラゴンがやってきて、背中からルビアスとシアが降り立った。フリッツが飛びつく暇など与えずに、ドラゴンは窓からさっと居なくなる。
あっというまに遠ざかっていく影を恨めしそうに目で追うことしか出来なかった。
「ねえ弟くん、宝探ししましょ?」
ルビアスは楽し気に唇を上げる。が、もちろんフリッツはそんな気になどなれない。
「……何ですか、唐突に。それより早くここから」
「探すのはこの塔の出入り口の鍵。実はもう隠してあるの、下のアーサーとジンノの部屋には無いわ。あと地下通路のあった一階の物置もナシ。どこを探してもいいけど、探したら元に戻しておくこと。どう? やる?」
目の前にぶら下げられた餌があまりにも唐突だと、何を言っているのかわからなくなる。フリッツがその意味を噛み砕いてる間に、シアは珍しくルビアスに怒っていた。
「嫌だってばルビアス! ちょっと、人の話聞いてる?」
「なによー、シアだって苛々してる弟くんと一緒に居るの限界だって言ってたでしょ? 弟くんはここから出ていく、シアは元の暮らしに戻る。それでいいじゃない」
「勝手にそんなことして。アーサーはどうするの!」
「あんなボンクラもう知らない。こっちはこっちで勝手にやるわよ。で、どう? やるの? やらないの?」
突然提示された謎のゲーム。思惑も趣旨もまったくわからない。
わからないが。
「やる」
「そうこなくっちゃ」
二つ返事でフリッツが答え、ルビアスは満足げに微笑んだ。と同時に、シアはわなわなと肩を震わせる。
「弟くん!」
シアはつかつか歩くと、繊細な装飾を施された、見事な調度品の扉をバンと叩いた。
「このクローゼットはわたしのだから! 特に、絶対! この引き出しは開けないで! 開けたらミケのおやつにするからね!」
「はいはい、そこには絶対に隠してないから。わかったわね弟くん」
シアの剣幕に押され、フリッツはこくこくと頷いた。
「そうだ、ヒントをあげるわ。鍵の在処はね、弟くんには絶対に開けられないところ、よ! じゃあね!」
「待ってよルビアス! まだ話は終わってない! ちょっと!」
口笛を吹くと再びブラックドラゴンが姿を現し、ルビアスに続きシアもその背に飛び乗った。そして賑やかな声はだんだんと離れていく。
開け放たれたままの窓と、その場に取り残されたフリッツ。
まるで嵐が去った後のようだった。
「……なんだったんだ」
しかし、希望はあった。否、これは希望なのか。
わからない。わからないが、他に選択肢は残されていなかった。
「ところでさあ、あの抜け道どう思う?」
本拠地上空を旋回しながら、ルビアスはシアに尋ねた。
フリッツが行き来していたらしい、地下に続く通路。
詳細は確かめていない。どこに繋がっているかはだいたい想像がつくし、そうしたところで何にもならない。
それよりもルビアスは、あの地下に近づきたくなかった。それはシアも同じだろう。今回のことの対策だって、フリッツが行き来しないよう一階の物置に鍵をかけただけだ。通路を埋めたわけではない。
地下通路自体は元々あったものだろう。だがそこから塔への縦穴はわりと最近通されたものだ。少し覗いたが、あれは完全に後付けの粗さだった。
寝首を搔くために作らせたか。もちろん、フリッツの首などではない。
「話をすり替えないで! ……でも、あの穴は早いところ塞いじゃおうよ。怖い。いつあれが入って来るかと思うと」
入って来るとすれば、おそらくそれは人ではない。シアは珍しく青ざめた顔で自らの両肩を抱えた。それに気づいたミケはシアに頬ずりをする。
「もうそのままよ、今塞いでも意味がない。それよりも、アーサーに伝令のドラゴン飛ばせる?」
「それはいいけど……。良くないことが起きるのね」
「状況が変わった、もう悠長に待ってられないのよね。黒煙上ってるの見りゃ、さすがにすっ飛んでくるとは思うけど」
シアはしばし黙り込んだ。上空の風に煽られ、金色の髪がたなびく。
「弟くん、あれでいいの?」
「どうせなら、最後まで精一杯あがいた気になって死にたいじゃない」
「じゃなくて。そんな回りくどいことせずに……もう用がないなら逃がしてあげればいいのに」
悼むような声音のシアに、ルビアスは紅い唇を尖らせた。
「嫌ぁよ。あの子に用があるのはわたしじゃない。用があるかどうかを決めるのもね」
情など持たない。自分の目的のためならば、使えるものは全て使う。それがどうなろうと知ったことではない。
なぜなら。
「わたしは悪者だからね」
ガラス戸を叩く音で、ルーウィンは目を覚ました。
覚ました、というのも正しいかわからない。昼も夜も関係なく横になっているので、いつ何時も眠りは浅い。起きているのか眠っているのか、生きているのか死んでいるのかも曖昧な境界線。
おそらく夜半を過ぎた頃、かと思われた。目を開けても何も見えないが、瞼に差すような光を感じないためだ。
「ルーウィン」
か細い声。閉められたガラス戸越し、さらにくぐもって聞こえる。何枚ものドアの向こうからのような、海中で呼ばれているような。頭にすっと入ってこない。呼ばれているのはわかるが、頭も身体も反応しない。否、したくない。
呼ばないでほしい。自分はもう、ルーウィンなんていう人間ではない。
もう、その名で呼ばないで。
「フリッツが攫われた」
その言葉は、なんの隔たりもなく入ってきた。
全てを遮断したはずなのに。幾重にも築き上げた無感覚という名の障壁は、なんの役にも立たなかった。
声の主はそのまま続けた。
「数日前、ディングリップ城に漆黒竜団の奇襲があった。その時居合わせたフリッツが攫われた。マティオスとラクトスはこのことを知っている。二人は本拠地に向かうけど、それはフリッツ救出のためじゃない。自由には動けない。ディングリップは漆黒竜団を壊滅させる気でいる。双方大きな被害が出る、このままではフリッツも巻き込まれる」
思考の鈍った頭に容赦なく叩きつけられる現実。矢継ぎ早に伝えられたそれを理解するほど、頭は明快には動いてくれない。
断片的に、朧げに、部分部分をゆっくりと拾い上げるか、否か。
淀んだ沼が突如搔き混ぜられるような荒々しさ。
うるさい、辛い、動きたくない。
もうそっとしておいてほしい。
「あなたは生きる意味を失ったかもしれない。今ここに居るのは、辛くて面倒で億劫なことだと思う。でも、本当にそれでいいの」
うるさい、うるさい、うるさい。
なにもかんがえたくない。なにもかもがめんどうでおっくうだ。
それでわかっているつもりか。わかっていないからそんなことをいっている。
「私にはわからない。人の気持ちは、わからない。あなたが今何を思っているのか、何を抱えているのか、わからない。けれど、一つだけわかる」
ぬるい夜風が雲を流す。隠されていた月が顔を出す。
月光は窓の外に佇むモーネの姿を白々と浮かび上がらせた。
薄い唇が開かれる。
「このままだと、後悔する」




