第九話 都合の良い転落
塔の探索を始めてから五日が経った。
収穫は無い。そもそもそんな見込みがあるのなら、塔の中での自由を与えたりはしないだろう。部屋に鍵はかけられなくなったが、それだけだ。
塔への入り口の扉は重い金属で出来ており、壊すのは無理だった。せめて木で出来ていたら火さえ手に入れれば燃やせたのに、などと物騒な発想が浮かぶ。鍵穴に物を詰めて壊し、扉の交換をさせるのはどうだろうか。取換え作業の隙をついて逃走、まで考えたが、武器も持っていない自分が突破できるとは思えない。却下だ。
その日も塔の下から上まで調べたが、何の成果も無い。武器もなければ、都合の良い抜け道も秘密の扉も見つからなかった。じわじわと焦燥が募る。
部屋に戻り、不貞腐れてソファに身を投げた。
「あらぁ、なんだかずいぶんと不機嫌ね。せっかく何日かぶりに顔を見に来たっていうのに。わたしが居なくてそんなに寂しかった?」
紅い唇は、どうして不機嫌なのか知っていながらそんなことを言う。
シアが居ないので部屋を出ていたが、今度はルビアスが戻って来ていた。今まで彼女に気が付かなかったのは、ルビアスが一階の出入口を使わなかったためだ。どうやら窓の横にドラゴンを横づけにして出入りしているようだった。高い部屋であるにも関わらず窓がやたら大きいのと格子もついていないのはこのためらしい。
ではドラゴンを手なずけて窓から逃げるのは。却下、無理だ。
「ずっと戻らずに、どこに行ってたんですか?」
悲しいかな、悪人に敬語など使いたくないが相手が年上ということもあり自然と出てしまう。やや棘のある調子の言葉にも、ルビアスは微笑みを絶やさない。
「気になる? まあ、お仕事よ」
「本拠地で? それともディングリップで?」
「あら質問攻め。そんなに興味ある?」
茶化すなよと思う。自分の心中など知っているくせに。
「安心して、あれ以来奇襲したりはしてないわ。情報収集には行ったけど。ねぇ、じゃあ今度はわたしから質問していい?」
仰向けになっていたフリッツの視界に、影が落ちる。ルビアスの瞳が映りこんだ。
「どうしてゴルヴィル殺しちゃったの?」
正直、今その質問が飛んでくるとは思っていなかった。名前を聞くだけで、肚の底が渦を巻く。反射的に、目の下に皺を寄せた。
「あんな人間、死んで当然だ」
ルビアスの瞳を睨んだまま、フリッツは吐き捨てた。
おや、という顔をしてルビアスはフリッツから身を離す。
「確かに、否定はしない。あいつ生きてたら周りがめちゃめちゃになるし。いっつもワガママばっかりでわたしたちも面倒だった。でも弟くんたちにはちょっと都合が悪かったんじゃないのぉ?」
含みのある言い方に、フリッツは身を起こした。
あいつが死んで都合の悪いことなんてあるもんか。そう顔に出ていたのだろう、ルビアスは楽し気に微笑む。
「仔猫ちゃんよ。あの子、ダンテ=ヘリオの敵討ちのために生きてたようなもんじゃない。わざわざここまで乗り込んで来たんだもの、よほどご執心なんだろうと思って。で、仇が死んでどう? 仔猫ちゃんはスカッとしたって?」
フリッツは奥歯を噛んだ。
この顔は全部知っている。ゴルヴィルとの戦いの顛末も、今ルーウィンがどうしているかも。
ルーウィン。今、どうしているだろう。
「殺したのは失敗だったわね。でもまあ、ゴルヴィルとサルマが消えて、こっちはやりやすくなったけど。その点ではお礼を言うわ」
最早自分の言葉など聞こえていないことを悟って、ルビアスは肩をすくめる。そしておもむろに窓を開け放ちピュウと口笛を吹くと、窓から身を投げた。迎えに来ていたドラゴンに飛び乗り、その場でしばし滞空する。
「じゃあね、もう行くわ弟くん。あ、窓閉めといて!」
そう言い残し、ルビアスはその場から消え失せた。
フリッツは開いたままの窓に向かってクッションを投げつけた。
失敗なわけない。
あいつが生きたままでは、ルーウィンの心はずっと怒りと復讐に支配されたままだ。そんなのは良くない。そんなものに身を焦がして、あいつに囚われたままでいるのが、良い状態なはずがない。しかしルビアスの問いかけは、フリッツが疑うことすらなかった事柄の枝葉を揺らした。
どうしてゴルヴィル殺しちゃったの?
それは邪悪だったから。存在していて害悪しか生み出さないからだ。そんなものはこの世にあってはならない。また新たな悲劇を繰り返す前に。
敵ながら、命が失われたことに、初めて何の感慨もない相手だった。清々したとさえ思う。あんな人間、死んで当然だった。この世に生まれ落ちたこと自体何かの手違いだったのだ。
しかし、復讐はルーウィンの原動力だった。ダンテ亡き後、彼女はそれを支えに生きてきた。それはここまでの道のりで重々承知だ。
生きる理由。それは希望だったのか。
執心していたのはダンテか、それともゴルヴィルか。
ルーウィンはゴルヴィルに殺された。あの光景を思い出しそうになっては、何度も怖くなる。はつらつとしたルーウィンが、生気の塊みたいな彼女が、地面の上に物言わぬ死体となって転がっているのを見た時の、あの喪失感。一瞬にして世界が崩れた。
虚ろな目、乾いた唇、傷んだ身体。
あんな想いは、二度としない。
フリッツは唇を噛んだ。一刻もここから脱出する。そしてルーウィンの元に帰る。それからどうするかは後だ。
もう二度と、失ってたまるか。
乱雑に立てかけてあった金属柱がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
慌てて受け止めたが、腕を回しきれずに何本か零れ落ちた。冷たい石床にガランガランと散らばるような音が響く。やってしまったと、フリッツは思わず肩をすくめた。
しばらく覚悟していたが、ジンノがやってくる気配は無かった。出かけているか寝ているかしているのだろうか。いずれにせよ、雷撃での気絶を回避できて胸を撫で下ろす。時間がない。悠長に気絶している暇はない。
ルビアスが行ってしまった後、性懲りもなく再び探索に出たフリッツだったが、相変わらず新たな発見は無かった。今は一階の物置を洗い直している。
思わず、ため息が出た。
抱えていた金属柱を片付け、落ちた一本に手を伸ばす。もちろん柄などない。これを振り回してジンノやルビアスに勝てる、はずもなかったが、思い付きで両手で構え振り下ろしてみた。やはり剣が空気を割くような子気味の良い音は出ない。
音。
ふとフリッツは石で出来た床に目を落とす。金属柱を落とした時、わずかに高さの違う音が混じっているような気がした。そんな馬鹿なことがあるはずないと思いながら、手にした金属柱で床を軽く叩く。なんの変哲もない、石を金属で叩いただけの音。
「そんな都合のいい話、あるわけないか……」
半ば投げやりに、手遊びに辺りの床を叩いた、その時。
フリッツは思わずその場に跪き、その床に飛びついた。そしてもう一度叩いてみる。
音が違う。この石床だけ、他とは鳴り方が異なる。
都合の良い期待に、胸が高鳴る。なにか、細くて尖ったもの。周りを掘り起こせるもの。気が付けば、手頃な金属片を掴んで、手が傷つくのも構わず石床の周囲を一心不乱に打ち付けていた。しかし石床同士が上手く噛合せてあり、掘れるような隙間もない。
何かもっと他の物は、とがらくたのほうへ身を向ける。不意に身体が傾いで、掘ろうとしていた石床に足が乗った、その時。
足元が崩れ、突如現れた縦穴にフリッツは消えた。
「痛たた……」
気を失いはしなかった。だが体中が痛い。細い縦穴を落ちたために、服が破れあちこちに擦り傷が出来た。受け身など取れず尻から着地して、骨が痺れるほど痛いがおそらく骨は折れていないだろう。脚も無事で幸いだ。
フリッツは落ちてきた穴を見上げた。ぼんやりとした光に見える。まだパラパラと土埃が顔の上に降ってきた。口の中が鉄臭いしジャリジャリする。
結構な高さを落ちてしまった。幅はフリッツが両腕を伸ばしたくらいもない。両手足を踏ん張って上っていけば上がれるかもしれない。今居るのは、適当に掘られたような小さな空洞だった。空気が淀んでいるようで息苦しい。
この穴はなんだ? 自分が塔の中をうろついていると知ったジンノが仕掛けたのだろうか。否、あの細腕にこんな深い穴が掘れるとは思えなかった。
シアやルビアスはこの穴の存在を知らないのだろうか。だから塔の中の行き来を許した? いや、罠かもしれない。
不意に、生温い風があった。吹いたというほどではない。しかし僅かに、空気の流れを感じる。上に穴が開いたことで通り道ができたのだろう。今いる横穴は、奥に続いているようだった。
落ちてきた穴から差すわずかな光以外に何もない。自分の鼓動と息遣いしか聞こえない、真っ暗な空間。
ルーウィンの姿がよぎる。彼女も今、真っ暗な闇の中に居る。
先があるなら、行き止まるまで進もうと思った。どこにも繋がっていないかもしれない。引き返せなくなるかもしれない。それでも。
身長のないフリッツさえ、立っては歩けない高さだった。しゃがんで前進するのがギリギリで、結果腕を地面に這わせながら先に進む。土が剥きだしのままで、時折固い石が皮膚を傷つける。
塔の建設時に掘ったものではなく、後付けで掘られたものなのだろうか。一体誰が何のために?
少し進んだだけで息が詰まりそうだ。地面の中に掘られた通路。強度も行先もわからないまま進むのは気持ちが悪い。もし運悪く崩落すれば、自分は誰にも知られないままここで生き埋めだ。そう思い、生暖かい地下の空気の中身震いする。
何も見えていなかった。真っ暗闇だ。まるで盲いたかのような錯覚に陥る。目が見えていないというのは、一体どれだけ心細いことなのかを思い知る。ルーウィンはこんな苦痛の中で平静を装っていたのかと思うと、どうしようもなく胸が傷んだ。
横穴は思いのほか長かった。どこまで続いているのか。あるいは続きなどないのかもしれない。
どこにも通じていなかったら。崩れてきたら。戻れなくなったら。
フリッツは考えるのをやめた。ただただ進んだ。
遠くにぼんやりとした明かりが見つけたときは、酸欠で幻覚を見ているのだと思った。
暗すぎて、暗闇の中に白い円が何度も浮かんだが目の錯覚だった。だが今回は、間違いなく灯りだ。炎に惹かれる蛾が飛び込むように、フリッツは朦朧とした頭でその光源を目指した。
しばらくすると、掘削された狭い横穴を抜けた。左右に迫る圧迫感が無くなり、長いこと縮めていた手足を投げ出す。身体が痺れて痛かったが、それ以上に伸びができる爽快感のほうが強い。しかし、まだ頭がぼうっとしていた。
地下通路に出たようだ。足元が岩質で、今まで通ってきた急ごしらえの通路とは違う。
すると、今まで自分の呼吸しか聞こえなかった耳に、別の音が飛び込んできた。
誰かがすすり泣いている。
ふらつきながら、フリッツはその声のほうへと歩いた。泣き声は灯りのほうからしている。
人が、居る。
床にうずくまって、泣いている。
その姿がルーウィンと重なった。彼女の涙は、まだ見たことがないけれど。
こんなに暗いところで、そんなに小さな身体で。
一人で泣かないでほしい。
そう思って、気が付けば言葉が出ていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
こんなところで泣いているのだから大丈夫という訊き方はないだろうと思いながらも、安心させる問いかけがそれ以外に見つからない。酸欠ぎみの回らない頭では、気の利いた言葉など思い浮かばなかった。
声をかけられた人物はビクリと身体を震わせる。そしてフリッツの存在を認めると驚き、飛び退った。松明から離れたので、顔が見えない。フリッツの目指していた光源は、この松明だったようだ。
線の細い身体。流れるような長い髪が暗闇に浮かび上がる。
「キミは……誰?」
小さな唇から、少年とも少女とも取れる声が、地下の空間に響いた。
この出会いがとてつもない意味を持つことなど、フリッツはまだ知る由もなかった。




