第十話 迷い子
「ゴルヴィルを出せ! ダンデラを返せ!」
開口一番、ルーウィンは叫んだ。
「よりにもよってこの娘に匿われていたとは……なんの因果でしょうねえ」
薄暗い回廊の二階からサルマは一同を見下ろす。
ティアラはルーウィンに目配せした。
「お二人は先に行ってください。ここはわたくしとラクトスさんとで引き受けます」
ほぼ同時に、ラクトスが低い声を上げた。
「あぁ? この先にはゴルヴィルも居るかもしれねぇ。すぐ先走るバカが居るのに勝手に行かせられるか!」
「大丈夫ですよ、モーネさんもいらっしゃいますし。こちらもすぐに決着をつけてしまえばいいだけの話です。行かせてあげてください、お願いします」
ティアラはじっとラクトスを見据える。その瞳とルーウィンとを見、ラクトスは乱暴に頭を掻いた。
「おい穀潰し、おっさん見つけてもゴルヴィル見つけても絶対に無茶するな。おれたちを待て! それとモーネ、このバカから目を離すなよ! ちゃんと見張ってろ。いいな、頼んだからな! おい、わかったか!」
ルーウィンは頷き、モーネはきょとんとした。ティアラはモーネに微笑みかける。
「ルーウィンさんのこと、よろしくお願いします」
「わかった」
モーネはルーウィンの手を引き、暗い廊下を駆け去った。
それを見届け、ため息をつきながらラクトスは身構える。
「おう、待たせたな」
「構いませんよ。獲物は半分ずつにすると、ゴルヴィルと決めていましたから。こちらこそ指名する手間が省けました」
「奇遇だな。おれたちもお前と決着つけたいと思ってた。術士としてお前のやり方は気に食わねえ。今度こそ完膚なきまでに叩きのめしてやる」
「ほう、威勢のいい。では場所を変えましょう。ここでは建物が壊れてしまいます。外へ、ついて来てください」
サルマはとことこと階段を降り、不用心にも二人に背中を見せながら先を行く。
あまりにも物分かりが良く、ティアラは不気味に思った。
「罠、でしょうか」
「まあその時はその時だな」
「あら、いいんです?」
罠だと判っていながらかかりにいく馬鹿は居ない。ティアラはちらりと視線を上げてラクトスの様子を伺った。
「知るかよ。おれはここに鬱憤を晴らしに来たんだ。暴れられるならなんだっていい」
サルマと、ラクトスとティアラは外に出た。鼻にまとわりついていた陰湿な空気が、陽に温められた荒野の乾いたものに変わる。そこは岩壁で囲まれた開けた場所で、改めて隠れ家にはもってこいの場所なのだと思う。
サルマはピタリと足を止めた。
「で、どうでしたか? ダンテの具合は? なかなか良い出来だったでしょう?」
その言葉に、背筋がゾクリとする。今回のダンテの出現に、サルマが関与していることは明らかだ。
そして、手を加えてもいる。
ダンデラはやはりダンテだった。そして死んだと思われていた人間が、生きていてふらりと現れたわけではない、ということを意味した。
だがティアラは頭を振った。
「でもダンデラさんは確かに生きている人間でした。脈も呼吸も……。そんな、そんなこと」
「素晴らしい!」
サルマは声を大にした。
「ここに居る間は最後まで一言も発しませんでしたが、あれからどうだった? 何か喋りましたか? 意思疎通は? 一度完全に死んでしまった肉体をあそこまで元に戻すのは至難の業でしたよ。見たでしょう? 指の先まで滑らかに動き、脈打ち、体温もある! 髪も髭も伸び汗をかく。そう、代謝があるのだ! 死を生に変える、つまりは生き死にを御することが出来る。私はついに神の所業を成し遂げたのだ!」
サルマは興奮気味にまくしたてた。
目の前でサルマが豪語していても、ティアラには信じられなかった。ダンデラは確かに生きた人間だった。少し不思議なところはあったが、一度死んだ人間を蘇らせたようには到底思えない。
「亡くなったダンテさんを蘇生させたということなのですか?」
「馬鹿言え、化け物になることを蘇生とは言わねえよ。まあ、おれは実物見てないけどな」
ラクトスが鋭く言い放つ。それを聞き流すほどサルマは陶酔してはいなかった。
「化け物ですって?」
打って変わって、冷ややかな声。ぎょろりと目玉が二人を見下ろす。
「聞き捨てなりませんねぇ。あの素晴らしい生命体のどこが化け物なのです?」
「なるほど、あんたにはつくづく美的センスってもんが欠けてるんだな」
サルマは突如天に向かって両腕を突き上げた。
「あなた、私の偉業を理解しています? 生命を! 吹き込むことが出来るのですよ? あなたに同じことが出来ますか?」
「ま、あんたに出来るならおれにも出来るんだろ。けど、しねぇ。おれはあんたとは違う。やっていいことと悪いことの区別はついてる。あんたと違って賢いからな、おれは」
「き、貴様! やりもしないでしゃあしゃあと! 口先だけならなんとでも」
「その口先で負けてちゃ駄目だろうがよ」
サルマはガクリと頭を垂れた。ラクトスは眉をひそめ、ハラハラしながら成り行きを見ていたティアラも首を傾げる。
「……確かに」
二人に聞き取れるかどうかの小さな声でサルマは呟いた。地面を見詰めたまま、震える両手で自分の顔を覆った。
「私は昔から口が達者ではなかった。肝心な場面になると、どもってばかりで……。言いくるめられ、虐げられ、正当に評価されることなど無かった。だが、それも仕方のないことだと諦めた。本当に力のある者はいつだってそうだ。妬まれ、恐れられ、陥れられる。愚者どもは自らの安息を欲するあまり、いつだって才能ある者を歴史の闇に葬ってきた。魔導に通ずる秀でた者の運命は、いつだって他者に踏みにじられてきた」
「その才能ある者とか秀でた者ってのは、まさかと思うがあんたじゃないよな?」
サルマは黙った。
荒野を渡り、岩壁にぶつかって流れてくる風の音だけが、響く。
糸の切れた繰り人形のようだったサルマはようやく顔を上げた。その眼球にはギラギラと憎しみが滲み、怒りに血走っていた。
「お喋りはここまでだ。口は災いの元ですよ、若造」
「望むところだ、老害」
ラクトスが啖呵を切り、サルマが手を挙げると岩陰からわらわらと異形の化け物が姿を現した。
好戦的に杖を構えるラクトスを見、ティアラは珍しく肘で小突いた。
「ラクトスさん。言い過ぎです」
「……悪ぃ」
ティアラに睨まれ、ラクトスは肩をすくめた。
不意にルーウィンが脚を止め、モーネは振り返った。暗い回廊に響いていた音が止む。
「本当はわかってた」
俯いたルーウィンの呟きは、酷く小さかった。
「ダンテが死んだことも、生き返ったんじゃないってことも。ダンデラの身体がダンテで、でも中身は……違うかもしれないって」
モーネは黙ってそれを聞いた。
「これは普通じゃないって気づいてた。死んだ人間は生き返らない、絶対に。サルマが噛んでる確証はなかったけど、なんとなく嫌な予感はしてた。だからラクトスや先生に見つかりたくなくて、あんたたちにばれないように隠してた。他の人に見つかっちゃまずいのも、なんとなくわかってた。でも、結局どうにも出来なかった」
鳴り続ける警鐘に耳を塞いだ。違和感をなかったことにした。再び差し出された暖かい手を取らずにはいられなかった。失ったことは何かの間違いだったと、今までのことは悪い夢だったのだと、そう思いたかった。
そうして目を背けた結果が、この様だ。
「あんたたちを巻き込んで、ここに来た。後先考えずに。でもダンデラを見つけたら、あたしは」
「怖いの」
抑揚のない声音。それでも自分を気遣っているのだと知れる声。
モーネはルーウィンに歩み寄る。
「今のルーウィンはとても、小さく見える。いつもよりずっと」
言われてルーウィンは押し黙った。
再び奪われた怒りと憎しみに任せて、ここまで来た。しかし長く暗い回廊を進むうちに迷いが生まれた。時と闇に呑まれた。
ダンデラを見つけたらどうする? 元の姿に戻せるだろうか。仮に戻っていたとしても、また一緒に居られるのか。
真実は、すぐそこに転がっている。この先に。ダンデラと共に。
自分にとってろくでもない事実。知りたくないこと。都合の悪いこと。
耐えられるか、自分は。
「でも、行かなきゃ」
ここまで来たのも巻き込んだのも自分だ。
小さく息を吐いて、ルーウィンは再び走り出す。
モーネはその後を無表情のまま追った。
やがて回廊が終わり、唐突に外に出る。
荒野の岩壁に囲まれた場所だった。暗所が終わるのはわかっていたので、さすがに突然飛び出すような馬鹿はしなかった。目が順応する前に不意を突かれてはたまらない。
待ち構えていたかのように、あの不快な声が降って来た。
「よぉ、来ると思ってたぜ」
高さのある岩の塊の上に、声の主ゴルヴィルは居た。ルーウィンもモーネも身構える。
「サルマは遊び相手にありつけたみてぇだな。なんだ、見たことない姉ちゃんと一緒か。あいつはどうした、アーサー=ロズベラーの弟は」
「ダンデラを返せ」
ゴルヴィルはくつくつと喉で嗤った。
「そう怒るなって。言われなくてもそうしてやるつもりだったぜ」
足元が僅かに揺れた。大きな質量が動く気配。
岩陰から、ゆっくりと、何かがこちらへ向かってくる。
「どうしたァ? 返してやったぜ、なあ? ああ、明るい場所でちゃあんと見るのは初めてだったか?」
ルーウィンは奥歯を強く噛む。
かつてダンデラだったものが、そこに居た。




