第三話 申込
「女王陛下とティアラちゃん、きみはどっちが好きなんだい?」
問われた瞬間、口に麦酒を含んでいたラクトスは盛大に吹き出した。
客が自分たちしか居ないのが幸いだった。げほげほと何度かむせたラクトスは口元を袖で拭い、殺気じみたものを込めてマティオスを睨みつける。
「……おい、それはどういう意味だ」
「そのままの意味さ。あ、マスターごめんね。拭くものくれたら自分たちでやるから。というか、前から思っていたけれどラクトスくんってよくむせるよね。まだ若いのに大丈夫かい? 一度医者に診てもらいなよ、将来誤嚥で肺炎とかになったら嫌だろう?」
「今のは明らかにお前が悪い!」
怒り心頭のラクトスに、何のことやらといった顔でマティオスは肩をすくめる。
「今日の会談で確信したね。グラッセルのきみの扱いはどうにも腑に落ちないと思っていたけど、よくわかったよ。現時点では公式な立場じゃないのに、それにしては守られすぎていると思っていたんだ。直接の雇い主が国ではなく女王陛下なら納得がいく。女王様はきみを思った以上に信頼しているね。そして、多分それだけじゃない」
マティオスがグラスを揺らし、氷がカランと涼やかな音を立てる。
「モーネと同じくらいかな、きみより三つ四つ上か。年上で、美しくて芯も強くて、なにより女王陛下だ。いいじゃないか、ものすごい玉の輿だよ」
「自分が何を言ってるのかわかってるのか? お前頭おかしいぞ、もう酒が回ったか?」
「おれは本気さ。それに酒は弱くない」
ラクトスは呆れ果てた。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
「相手は女王サマだ。間違っても、おれみたいなド平民を気にかけることは無い。お前もヤキが回ったな、盛大な勘違いだ」
「じゃあそれはおれの勘違いだということで。きみ自身はどうなんだい、ラクトスくん? きみは彼女のこと、どう思ってるの?」
「ただの雇い主で国家元首だろ。それ以上でも以下でも」
「違うね。護ってあげたい、支えてやりたい。あの細い肩にのしかかるものはあまりにも大きすぎて、彼女の力になりたいと思ってる」
その瞬間、叩きつけるようにジョッキが置かれた。
鋭い瞳の奥に物言わぬ怒りがふつふつと煮え始める。
「そんなくだらない話をするために呼んだなら、おれはもう帰る」
「まあまあ落ち着いて。本題はここからだよ。きみ、ティアラちゃんのことはどう思ってるの?」
この流れからの、この問い。
酷く低い声で、ラクトスは口を開く。
「……何が言いたい」
「ティアラちゃんを、どうするつもりなのかって聞いてるんだ。こればっかりは、二兎を追うわけにはいかないからね」
マティオスはグラスを揺らす。ラクトスは我知らず両方の拳を握りしめた。
「どうするもこうするもねえよ。これからも治癒術かけて、なるべく早いうちにあの傷を」
「そういうことじゃない。おれの言いたいこと、わかっているくせに」
意地悪く微笑み、マティオスは酒を一口含んだ。
「ティアラちゃんは、本当にきみのことをよく見ているよ。きみとグラッセルのやり取りや、フリッツくんに同行する本当の目的に気が付くほどにね。きみだって彼女のことはまんざらでもないだろう」
「それもお前の思い違いだ。おれはあいつをそんなふうに思ったことはないし、あいつもそうだ。おれを見てたとしたら、単に怪しい動きを警戒してたんだろうよ」
「ふうん」
つまらなそうに言って、マティオスは頬杖をつく。
「ティアラちゃんはきっと、まだ本当の恋を知らないよね。いつか彼女にも好きな人が出来て、その人と添い遂げたいと思う日が来るだろう。その時、あの傷が彼女を苦しめるかもしれない。想いを伝えるのにためらったり、邪魔になったりするかも。ティアラちゃんのような女性に、あんな傷は不似合いだからね。首元に広がる火傷を見れば、相当な不幸を連想せざるをえない」
「傷が似合う女なんていねえよ」
「それはもちろん。でも彼女の場合は特にさ」
言いながらも、ラクトスは思い知らされていた。
百戦錬磨の女戦士に傷がついているのとではわけが違う。ティアラは争いごとからはほど遠い、あまりにもかけ離れた存在だ。それに大きな傷や怪我というのは、傍にいる人間でさえも見慣れるまでに時間がかかる。直視するのも痛々しいほどのものなら、なおのこと。そこには常に悲劇や不幸の記憶がつきまとう。
傷をその人間の一部として受け入れるには、時間がかかる。本人も、赤の他人も。
「考えたことがあるかい? これから先、ティアラちゃんは一生首の詰まった服を着ることになる。首筋やデコルテを隠して、他人に見られないよう生きていくんだ。そしてそれはいずれ、彼女の女性としての自信を間接的に奪っていくよ。今は若いから平気でも、歳を取ればそうはいかない」
「あいつがそんなことで」
「きみは女性じゃないから、わからないだろう」
そう一蹴され、ラクトスは黙り込んだ。
怪我の程度を軽く見ていたわけでは、決してない。だがあの火傷の及ぼす影響をそこまで深く考えていたかというと、どうだろうか。自分がティアラを傷つけたという罪悪感にばかり囚われ、本当の意味で彼女が傷を負うことの意味を理解していただろうか。真にティアラの気持ちになって考えたことがあっただろうか。自分には想像力が足りなかったのだと思い知らされる。
ティアラの怪我は服で隠せるものだが、すこし首の空いたものを着れば見えてしまう。胸元や肩の出た服などもってのほかだ。傷を見られるのもいい気分ではないし、それより周囲に気を使い、人に見えるような服は着ないだろう。
この先ずっと胸を張れず、申し訳なさそうに背中を丸めて生きていく。
そんな姿は、想像するだけで耐えられなかった。
苦々しい表情のラクトスに、マティオスがさらに畳みかける。
「今は彼女も若いからね。当事者のきみもいるし、気丈に振舞ってはいるけれど。旅が終わって、彼女が女性としての人生を模索することになった時、あの火傷は色んな面で大いに邪魔をするだろうね。傷を抱えて一人で老いていく、そんな人生にしていいのかい?」
ラクトスの表情がだんだんと沈んでいく。その様子をしばらく見ていたマティオスだったが、不意にグラスの残りを一気にあおった。
そして身体ごとラクトスのほうに向き直る。
「違うんだ、別にきみを落ち込ませたかったわけじゃない。というかね、こんな重たい話をするつもりはなかったんだ。ラクトスくんの物分かりが悪いせい、というかいつまでもとぼけているのが悪いんだよ。はっきり聞くよ。きみはティアラちゃんのこと、どう思っているんだい? 好きなの? 嫌いなの?」
そう問いかける瞳は真剣だった。どうやらラクトスを落ち込ませるのは本当に本意ではなかったらしい。いつも飄々としているマティオスがこうして息巻くのは珍しかった。
前を向いたまま、低い声でラクトスは答える。
「嫌いだったら旅してねえよ」
「そういう答え方しか出来ない男はもてないよ。あとそれ、おれにも当てはまるけどいいのかい?」
「良くねえ」
心底嫌そうな顔でラクトスは答えた。
「もしティアラちゃんがどこかの馬の骨にかっさらわれたらどうするんだい? きみはそれでいいのかい?」
「いいだろ。あいつが幸せになるなら、それで。そうしてやれるのはおれじゃない」
「あぁ、もう! 素直じゃないなあ」
マティオスは呆れたように声をあげた。
もともと煩わしかったマティオスだが、今日は特にそうだった。いちいち確信を突いているせいなのだが、自分でもそれがわかっていないラクトスにしてみれば妙に苛々する。マティオスから繰り出される問いは考えるのも答えを出すのもただただ億劫なものばかりだった。
ただ、いつも涼しい顔をしてるマティオスが今はやけに必死になっている。その意味も分からないし、やはりそれを考えるのも煩わしい。
腹立たしさにラクトスは再びジョッキに口をつけ、飲み干した。
「よし。お互い空になったね」
マティオスは思うところがあったようで、常の落ち着きを取り戻した。
「ラクトスくん、勝負しないかい? おれが勝ったらきみはティアラちゃんに気持ちを伝える」
「くだらねえな。で、おれが勝ったら?」
「今後こんな話はしない、もう二度と」
青い瞳が、端正な口元が、ラクトスに笑いかける。
煩わしさから解放されたい一心で、ラクトスは不敵に口元を吊り上げた。
「乗った」
何度もノックされ、何事かとティアラは横になっていただけの寝台から身を起こした。
もう夜半を回った頃だ。以前ならこの時間にはすっかり眠りについていたものだったが、最近では物思いに耽っていると寝付けずにいることもしばしばだった。
寝ているルーウィンとモーネを起こさないよう、灯りはつけず、静かに扉へと向かう。
「まあ、こんな時間にどうされたんです?」
この時間は宿屋の廊下の灯りもほとんど落ちていて、眩しさに顔をしかめることはなかったが、それでも目は瞬いた。
そこにはラクトスが立っていた。
不思議に思いながらも、ティアラは廊下へと身を滑らせる。
向き直ろうとして、ティアラは驚いて動きを止めた。鼻先に何か突きつけられている。
それは一本の赤い薔薇だった。
「おれと一緒なんかじゃ、逆にろくな目に遭わないかもしれない。でも、お前を一人にさせておくよりはマシなように努力する。お前は何が何でも幸せにならなきゃならない人間だ」
視線は横に反れていて、正面を見据えようとはしない。いつもは鋭い視線は、彼にしては珍しく揺らいでいた。そこにあるのは恥じらいか、それとも躊躇いか。
「今すぐにとは言わない。お前の気が済んで、気が向いたらでいい。そうなったら……おれと一緒にならないか」
この状況で、その言葉が示す意味は。
他の解釈で誤魔化すほどティアラは愚かでも残酷でもなかった。こんなに真面目な様子で、しかもあのラクトスに花を捧げられてしらを切れるはずがない。
ふざけてこんなことをするような人ではない。色んなものを覚悟のうえで、こうしてここに居るのは明らかだ。
掲げられた情熱と、捧げられた誠意と。
胸の奥に熱いものが込み上げる。
そして。
「ごめんなさい」
ティアラは腰を折って頭を下げた。
一瞬の、間。
「……は?」
「ですから、ごめんなさい。お断りします」
階下から慌てて駆け上る足音がし、ほどなくしてマティオスが姿を現した。
「なんでなんで? どうしてティアラちゃん! ラクトスくんだよ? あのラクトスくんが真摯にプロポーズしてるんだよ?」
マティオスがやって来たことにさして驚きもせず、ティアラはふぅと息を吐いた。
「そんな責任感だらけの顔でプロポーズされて嬉しい女性がどこにいるんです? マティオスさんがついていながら、ずいぶんと下手を打ったものですね。そもそもこんな夜遅くに、しかも宿屋の廊下でというのはどうなんでしょう? わたくし、寝間着ですよ?」
痛いところを突かれ、マティオスは珍しくたじたじとする。
「だって勢いで今すぐ行かなきゃラクトスくん金輪際言ってくれないだろうし」
「だから、それが下手を打ったと言っているんです」
ティアラは動かないままのラクトスを見やった。
「火傷の責任をとるつもりでしたら、そんなのはお断りです。それにこんな傷ごときでわたくしの価値は下がりませんし、この傷が理由でわたくしを受け入れられない殿方なら、その方とはそれまでのご縁だったというだけの話。そんな器の小さい方はわたくしから願い下げです。わたくしの将来を勝手に悲観されているのでしたら、それはとんでもなく余計なお世話ですわ。そもそも」
ティアラはにっこりと微笑んだ。
「わたくしにも、選ぶ権利がありますから」
その場が、凍り付く。
マティオスには、氷漬けになったラクトスが派手な音を立てて粉々になったように見えた。もちろん、幻覚だが。
そんなことにはお構いなしに、ティアラはラクトスの方へそっと手を伸ばす。
「でも、これは頂いておきますね。お花に罪はありませんもの」
そして紅い薔薇を手に取ると嬉しそうに微笑んだ。
「ちょっとぉ、今何時だと思ってるのよ」
あくびをし頭を掻きながら、寝ぼけ眼でルーウィンが部屋から出てきた。
そこには花を一輪持つティアラと、氷のように固まっているラクトスと、ばつが悪そうにしているマティオス。頭がはっきりしないが、なにやら気まずい空気が流れているのは肌で感じられる。
「え、なに? なによこの空気」
そこへ階段を上ってくる一人分の足音が響いた。
「もー、二人とも歩くの早いよー。置いていかないでよー」
変に間延びした声がしたと思えば、階下から現れたのはフリッツだった。どうやらラクトスとマティオスの二人に先を行かれてしまったらしい。しかし台詞のわりには腹が立っている様子もなく、その間の抜けた様子が眠りを邪魔されたルーウィンのカンに障った。
彼女の矛先はフリッツへと向いたが、フリッツはお構いなしにとことこと寄っていく。
「あー、ルーウィンだぁ」
「あんたねえ! こんな遅くに」
ちゅ。
「おやすみー」
フリッツはにこにこしながら自分たちの部屋に戻っていった。
パタンと、扉が閉まる。
後には目を丸くする一同と、頬に手を当てて硬直したルーウィンが取り残された。
翌朝。
「フリッツさん、昨日は帰ってすぐに寝ちゃいましたね。ちゃんと歯磨きました?」
「恥ずかしながら……。だからさっきちゃんと磨いてきたよ。寝てたのにごめんね、夜遅くに帰ってきて」
「いいですよ、起きたの一瞬ですし。ぼくは遠慮しましたが、どうでしたか? 男三人水入らずで楽しめましたか?」
「よく覚えてないけど、なんだかふわふわして愉快な気分だったよ」
「今日はやけにご機嫌ですね。もしかしていい夢でも見ました?」
「えへへ。よく覚えてないけど、そんな気がする」
朝の支度を終えて階下の食堂で待つティアラの耳に入って来たのは、階段を降りながらのミチルとフリッツの会話だった。隣にはモーネもちょこんと腰かけている。
「おはよう」
「おはよう」
フリッツが言うと、オウム返しのようにモーネから挨拶があった。ここ数日はこんな調子で、フリッツからは自然に笑みが零れる。モーネは相変わらずの無表情だが。
「お二人とも、おはようございます。あの、ラクトスさんとマティオスさんは」
「ラクトスは色んな意味で頭痛いって言って布団被ったままだし、マティオスは揺らしても叩いても起きないから置いてきたよ。二日酔いかなあ」
それを聞いたティアラは苦笑した。朝食の席につきながらミチルが言う。
「翌朝こんなに眠りこけるんじゃとてもザルとは言えませんねえ。マティオスさんも言うほど大したことなさそうですよ。もちろんフリッツさんは飲まなかったんですよね?」
「うん、だってぼくまだ未成年だもん。それにお酒って苦いんでしょ、そんなものわざわざ飲まないし間違えて飲むこともないよ」
「お酒の勢いでしかものが言えなかったり、したいことが出来ない大人にはなりたくないですよね」
「ほんとにね」
ミチルとフリッツは声を上げて笑い合った。それを見て、ティアラは内心こっそりと苦笑いする。ミチルはいったいどこまで知っているのだろうかと勘繰りたくなった。
はたと気づいたフリッツがティアラに訊ねる。
「ルーウィンはまだ? 珍しいね、朝ごはんに遅れるなんて」
「……もう少し時間が欲しいんじゃないでしょうか」
「朝の支度? そんなに時間かかってたっけ?」
「ルーウィンさんも女の子ですから」
ティアラはそれとなく言葉を濁した。ルーウィンが目覚めているのは知っているが、布団にくるまってイモムシみたいにベッドに転がっていたのでそっとしておいたのだ。フリッツにどんな顔をして会えばいいのかわからないのだろう。だが案の定、当の本人は覚えていない。ルーウィンもそこまで女々しくはないので、いつも通りに戻るのは時間の問題だとは思うが。
「さあ、先に頂いてしまいましょう。わたくしもうお腹がぺこぺこです。では、いただきます」
「いただきます」
ティアラが手を合わせると、モーネも同じように手を合わせる。それを見た三人は小さく微笑んで、それぞれの食事に取り掛かった。
丸パンにホットミルクにハムと目玉焼き。いつもと変わらない、どこの宿屋にもある朝食の定番メニュー。こうしてテーブルを目の前にし、椅子に腰かけ、ゆっくりと湯気の立つ食事ができるというのは、本当に幸福なことだった。
一口運んでゆっくりと咀嚼するティアラを見て、フリッツは明るい声で言った。
「今日はなんだか嬉しそうだね。なにかいいことでもあったの?」
ティアラは目を瞬かせる。
どういう経緯で昨晩ああいうことになったのか、なんとなく予想は着く。同情からの申し込みなどお断りだ。ラクトスに悪いと思いながらも、清々した気持ちも否めなかった。どちらかというと、マティオスに対してのしてやったり感なのだが、後でラクトスには謝らなければならない。
喧嘩両成敗、というわけではないが。傷つけられたから傷つけ返した、というわけでももちろんないが。それでもこれでまた対等な関係に戻れればと、少し思ったりもした。
これは自分の行動の選択の結果だ。責任など取る必要はない。けれど。
逸らされた視線の先の瞳の奥に、端的な飾らない言葉の中に、嘘はなかった。
たった一輪の花には込めきれない色々な想いを、貰った。
それらを口にすることなく、ティアラはふわりと表情をほころばせる。
「ええ。朝ごはんが、おいしくて」
それはフリッツたちが久々に見る、ティアラの満開の笑みだった。
※未成年の飲酒は法律で禁止されています。(ラクトスは合法)
※間違ってお酒を飲んでしまったという理由で気になるあの子のほっぺにチューをしてはいけません。(あなたが相当なイケメンであるか彼女と両思いであった場合にしか許されません)
※真面目か!
※真面目です。この物語はフィクションです。
※書いてて恥ずかしかったけど楽しかったです。




