第七話 楽しいお喋り
数刻も空けず、エドワード隊長に伴われフリッツは馬上で揺られていた。辺りには夕闇が迫り、暮れの明星が瞬きはじめる。
ドラゴンに半日乗り、シアとジンノの襲撃を回避し、墜落後ティアラを背負って歩いた。ここ最近にないハードな一日で、正直宿屋からもう一歩も出たくなかったが、そういうわけにもいかない。エドワード隊長の厚意を無下にすることも、漆黒竜団の動きを放っておくことも出来なかった。
溜まりに溜まった疲労がフリッツの手足に纏わりつき、馬の適度な揺れで瞼は重くなる。ついうとうとと、前のめりになって意識が薄れていく。額が広い背中に触れて、慌てて身をしゃんと起こした。
「すみません!」
「いや、疲れているところすまない。本当はすぐにでも休ませてやりたいんだが……」
「大丈夫です、全然平気です」
誰にでもわかる大嘘をついたフリッツに、エドワード隊長は申し訳なさそうに苦笑した。
馬に乗れるかと聞かれ、即座にはいと答えた時の隊長の顔はなかなか面白かった。ジベタリュウとドラゴンに乗って、馬に乗れないということはないだろう。とはいえ馬の余分が無く、もはや手綱を握る体力もないことから、なんとフリッツはエドワード隊長の後ろに乗っていた。
一時グラッセル王宮に滞在していたとはいえ、今回の兵の中にフリッツの顔を知っている者はいなかった。案内人だとついて来たはいいが、天下のグラッセル兵の隊長と、どこの馬の骨とも知れない冒険者が気兼ねなく話しているのはおかしな光景なのだろう。それは兵士たちの空気で痛いほど伝わってくる。
だがフリッツはそれを気に病むほどの余裕もなく、当のエドワードもさほど気にしていなかった。
「実をいうと、私はもう近衛隊長ではないんだよ。若いのに譲ってね。だから姫さまの傍を離れてここまでやってきているわけなんだが」
それを聞いて、引っかかっていたものがすとんと落ち着いた。近衛隊長が城を離れて大丈夫なのだろうかと思っていたのだ。
「そうだったんですか。あ、何てお呼びしたら……」
「今まで通り隊長で構わないよ。近衛隊長ではないが、小隊長であることに変わりはない」
エドワードは大きく口を開けて笑った。近衛隊長の任を解かれたことに未練や悔しさはないらしい。
「でも、あの、まだお若いじゃないですか。どうして」
「ああ、怪我をしてな。以前きみたちがグラッセルを訪れた時からそうだった、だから奴らの動きを掴むのに時間がかかってしまったんだ。治療は終わったんだが、どうにも前の切れまでは取り戻せなくてな、潮時だと受け入れることにした。とはいえ新しい近衛隊長はまだペーペーの青二才だ。普段は監督兼補佐として目を光らせているよ」
そこまで言って、エドワード隊長は息を吐いた。
「……実をいうと、私は次の近衛隊長にアーサーを推していたんだ」
一転してぽつりと呟かれた言葉に、フリッツはどきりとした。他の者に聞き取られないよう声をひそめただけではない。エドワードの表情は読み取れないものの、そこには確かな寂しさと失望とがあった。
「ああ、これは前に話したかな」
「……すみません。兄が隊長さんの期待を、裏切って」
あのアーサーにこの隊長だ、相当目をかけてくれていたのだろう。かつてのアーサーは剣の腕前が抜きんでていただけでなく、正義感もあり誰にでも優しく振る舞う、完璧な好青年だった。その青年に自分の後釜と、グラッセルの未来を託そうと、エドワード隊長は思い描いていたはずだ。
だがアーサーは突如姿を消した。落胆は小さくなかったに違いない。
「きみも辛かっただろう。兄さんがあんなことになって」
「いえ、そんな……」
フリッツはそう言葉を濁したが、何か違和感があった。
馬の蹄の音がやけに軽快に頭の中に響く。急かすように、追い立てるように。
フリッツは顔を上げた。
「隊長さん、今何て」
「前方、橋のようなものを発見! 海へと続いています!」
フリッツが尋ねようとしたちょうどその時、斥候が戻り隊長に報告した。
「よし、そのまま前進! 続け!」
エドワードの掛け声に、兵士たちが一斉に声を上げる。馬たちに鞭が当てられ、黄昏時を全力で駆け抜けた。
ほどなくして、暗い海へと果てしなく伸びる橋がその姿を現した。
「なるほど。そういう経緯があったんだね」
「なるほど。そういういきさつだったんですね」
飛び続けるドラゴンの背の上で、マティオスとミチルは暇を持て余していた。
お互いに虫の好かない相手だと知りつつも、成り行きで同じドラゴンに相乗りすることになってしまった。黙っているのも一つの手だが、それではあまりにも生産性がない。
よってお互い、フリッツたちと行動を共にするまでの経緯をかいつまんで話すことにしたのだ。得体の知れない人間と、冷えるお空の上で二人きりはさすがに心許ない。
「お互いのことを知れて良かったよ。なかなかに有意義な時間だったね」
「そうですね。こういう状況にでもならなければ、話さなかったでしょうから」
この場に第三者があれば、一見和やかに会話しているように思えるだろう。だがマティオスもミチルも、微笑んでこそいるがお互い目は笑っていない。会話は単なる情報収集に過ぎないのだ。
北大陸離陸後、しばらくしてから始まったお喋りは、南大陸を目の前にしたシアとジンノの急襲で一旦は中断せざるを得なかった。だが気づけば敵のブラックドラゴンの追跡を逃れ、グラッセルとは違う方向へ飛んでいる。
「フリッツさんたち、大丈夫でしょうか」
「今は無事でいてくれることを願うしかないね。ドラゴンの向かう先はおれたちにはどうこう出来るものではないし」
実は二人を追っていたブラックドラゴンが、フリッツたちを追うシアのドラゴンの加勢に向かったことで逃れることが出来たのだった。だが舞い戻ることも出来ず、ましてやグラン=ドラゴンの行き先を変える術など見当もつかない。フリッツたちの無事を信じ、ただ風に身を任せるしかなかった。
「ところであなたは仕事を放ってきて大丈夫なんですか? 親の爵位が返還されたといっても新参扱いなんでしょう?」
「おれが居なくても回っていくよ、みんな優秀だからね。きみこそ大事なチルルちゃんを置いてきてよかったのかい?」
「チルルはもう南大陸へ来る必要はありませんから。それにジベタリュウならまだしも、飛竜に乗せるなんてとんでもない話です」
マティオスの屋敷にティアラと三匹のドラゴンが降り立ち、ずいぶん慌ただしく出てきてしまった。だがこの両者はその異常事態にも慌てず、互いにやることはやってきていた。そして、ドラゴンに乗ったのだ。
マティオスはミチルに尋ねた。
「どうしてまたフリッツくんたちと行こうと思ったんだい?」
「ぼくは純粋に、フリッツさんのお役に立ちたいんです。あなたと違って」
「今まで利用した分?」
棘には棘で。互いに笑顔を張り付けたまま、程よい針を言葉に仕込む。
「あなたはモーネさんのことがあって、今後もまだフリッツさんたちを利用するつもりですよね」
「ずいぶん人聞きが悪いな」
「不甲斐ないでしょう。自分の手で救えないというのは」
「ああ、まったくね。きみと同じだ」
チクリチクリ。さすがに空気も張り詰め、しばしの沈黙が訪れる。地面から離れて冷戦を繰り広げられるのは、ある意味大したものだった。
ドラゴンは南大陸の豊かな森に影を写しながら飛んでいく。そもそも方向も違うが、グラッセルはとっくの昔に過ぎてしまったはずだ。追手がないのが幸いだが、ドラゴンがどこで着地するのかわからない。淡々と、時間だけが過ぎてゆく。
再び、先に口を開いたのはミチルだった。
「これは気づいたら負けだと思っていたので、自分から言いたくはなかったんですが。どことなく被ってませんか、ぼくたち」
「えっ、そうかい?」
マティオスは敢えてなにが、とは聞き返さない。ミチルは神妙な顔つきで続けた。
「フリッツさんたちを利用しようと近づいたこととか。一見すると人当たりは良いようで、実は性根がひん曲がっているところとか」
「きみ、そんなふうに思っていたのかい?」
悲しいかな、それは的外れではない。フリッツたちのやりとりを一歩引いた場所から見ているのも否めなかった。草原で初めて会った時から、お互いにどうも虫が好かないと思っていたのは、そういうことだったのだ。
「でも大丈夫。多少似ている点があったとしても、おれときみとはちゃんと色々違っているよ。そもそも年齢にこんなに差があるし」
「それもそうですね。ぼくはまだ若いので、まだまだこれからですから」
マティオスの言葉にミチルはしれっとした様子で返す。少しばかりの棘をつけるのも忘れない。
「あとほら。自分で言うのもなんだけど、おれは一応美形要員らしいんだ」
「あっ、そこ一緒です残念です。自分で言うのもなんですが、ぼくはけっこう将来有望らしいですよ」
「それに育った環境も背景も違う」
「確かに。そこは似ても似つきません」
「決定的なのは、きみはまだその手を汚していないだろう?」
微笑みながらの問いかけに、ミチルも同じように答えた。
「直接は」
「でもその違いは明白だよ」
ドラゴンが羽ばたき、空を滑る。何度かその音を聞いた後、再びマティオスは尋ねた。
「きみがチルルちゃんを護りたいと思いながら、武器を持たないのはどうしてだい?」
「力を手に入れれば、いずれはそれに足元をすくわれると思うからです。武器が無ければ身を守ることは出来ないけれど、中途半端な得物では逆にそれが災いすることもあります。力は力を、業は業を引き寄せますから」
ミチルは騎獣を扱う術こそ心得ていたが、武器は教えられずに育った。草原の神へ立ち向かうことが完全に放棄されていたため、必要がなかったのだ。放牧と酪農を営みながらも家ごとに役割は違っており、侵入者に備えて弓や槍などの武芸に励むのは一部の若者だったことも理由だった。
だからミチルには自分が得物を持つという発想がなかった。中途半端に武器を持てば、その分危険を引き寄せることは、草原の集落から逃げ出した後の経験で思い知った。下手に抵抗するよりも、無防備に見せかけたほうが助かる場合も多々あったのだ。
「なるほど、一理あるね」
一方マティオスは叔父に陥れられた後、皮肉にも護身術として父から教わった槍術で人を殺めた。自分が、父の形見である槍の道が、どんどん穢れて曇っていくのを一人きりで見つめていた。身を護る術があってよかったと心底思う夜もあれば、ない方がどんなにかマシだったかと震える夜もあった。
武器を、力を必要以上に振るわないことは、余計な厄介ごとを引き寄せない基本だ。危険の伴う旅であっても、力を持たないというミチルの選択はある意味では賢い方法かもしれなかった。
「でも自らの手を汚しているだけ、あなたの方がいくらかマシな人間なのでしょうね」
マティオスは何も言わなかった。
ミチルは微笑んだ。
「安心しました、ぼくとあなたとは似ても似つかない。あなたのような大人にはならないでしょう。あと、チルルに色目使うのやめてもらえませんか」
突然言葉に込められた殺伐とした気配に、思わずマティオスは目を瞬かせた。
「そんなことはしないよ。確かにチルルちゃんはかわいいけど」
「けど、何ですか? 眼中に入りもしませんか? それはそれで腹が立ちますね」
「いやいや、そうじゃないよ落ち着こう。そもそもおれがいつ彼女に色目を使ったんだい?」
「屋敷にグラン=ドラゴンが突っ込んで来たとき。助けてもらっただなんて思っていませんから」
言うだけ言って、ミチルはふいと顔を反らした。
マティオスはその微笑ましさに思わず笑いそうになってしまったが、なんとかこらえた。チルルの前では決して見せないだろうが、ミチルはこういうところは年相応だ。あの時自分で守れなかったことが悔しかったのだろう。フリッツたちの誰かならまた違っていたかもしれないが。
だが、マティオスの顔に浮かぶ微妙な表情をミチルは見逃さない。
「何ですか、その顔は」
「案外、きみとは仲良くやっていけるかもしれないと思ってさ」
そうこうしているうちに、ドラゴンは徐々に高度を下げていく。
森のはずれに街が迫っていた。




