第十話 真夜中の決闘 後半戦
【第十話 真夜中の決闘 後半戦】
ラクトスはクリーヴから放たれる炎の塊をなんとか相殺していた。
攻撃力の高い術として好まれるのが、やはり炎の魔法だ。つい先日、火事があったばかりの木立の間では、その瞬間も火の塊が攻防戦を繰り広げていた。
闇夜の中を、ぎらつく炎が縦横無尽に飛び交う。
「予想していたよりは持ちこたえるね!」
「そう簡単に丸焼きにされてたまるかよ!」
クリーヴの、あるいはラクトスの唱えた呪文から、次々と凶悪な炎たちが生まれ、相手に向かって夜を切り裂く。それは幻想的などというものとは程遠く、どちらかを倒すためだけに繰り出される、凶器だった。
炎と炎とが、ぶつかる。爆発が起こって、消える。
一瞬でも対応が遅れれば、待っているのは死だった。相手のことなど鼻から頭に無い。
ラクトスには、余裕がなかった。
勝負と言い出したのは、確かに自分だ。しかしクリーヴがなんの躊躇いもないことを知ると同時に、手加減を止めた。そんなことをしていれば、今頃はもう消炭になっていただろう。
クリーヴは壊れてしまった。それが、ラクトスにもわかっていた。
ラクトスが呪文を唱えると杖の先に小さな水の塊が揺らめき、フレイムダガーがやってくるとともにその水はラクトスの前に薄い水の盾を作る。ジュッと大きな音と豪快な水蒸気をあげ、ラクトスを目前にして炎は消えた。
「どうした! 消費の多い炎じゃ耐え切れなくなったのかい?」
最低限というのは意外に力の調節が難しく、ラクトスは力を節約してうまく対応していた。しかしその攻防は持久戦になり、ラクトスは魔法をやめて木の幹に身体を隠さなければならないところまで追い詰められていた。
陰に隠れながら、攻撃をやり過ごす。高揚状態に陥っているクリーヴの力は危ういものだが、その技術も力も並外れて強い。召喚魔法を使い、これだけの魔法を使いながらもまだ戦っていられるクリーヴにラクトスは畏敬の念さえ抱いた。
力の消費は激しく、疲労も溜まるはずだが、目の前の彼の力は底なしのように感じられた。
クリーヴの消耗を待つほど、ラクトスに力は残されていなかった。このままこの闘い方が続けば、負けるのは確実に自分の方だ。
ラクトスは、口の端を歪めた。
「なあ、もうやめにしないか」
血まみれになり這い這いやってきたフリッツは、怜悧な声が闇に響き渡るのを聞いた。フリッツは片足を引きずりながら、剣を杖代わりに身体を支えているのがやっとだった。
ラクトスが木の陰から現れた。かなり消耗しているのが見て取れる。明らかに勝負はクリーヴに軍配が上がっていた。
ラクトスが言葉を続けた。
「お互いの詠唱時間気にして、ちまちまダサい魔術使うのもうんざりだろ? あんただって、ちょこまか逃げ回るおれを追い掛け回すのも飽き飽きしてきたんじゃないか」
「きみにしては、なかなか面白い提案だね。いいよ、乗ってあげよう」
対してクリーヴにはまだまだ余裕があるようだった。
しかし、彼はラクトスの提案に敢えて乗った。
「決めようぜ、この一発で」
二人は黙り込んだ。
おもむろに杖を掲げる。その滑らかで隙の無い動きは、遠目から見ているフリッツにもよくわかる。
二人とも、まったく同時だ。
何の術をかけようとしているかは、フリッツには分からない。しかし互いに言葉の通り、これで最後にしようと考えているのは予想がついた。
選ぶ術の種類で、詠唱時間と発動時間は変化する。簡単な初級魔法なら術は早く完成するが、威力はまちまちだ。一方、中級の魔法ならそれなりに威力はある。しかし詠唱に時間がかかり、その間に倒されてしまうことも有りうるのだ。
何を重視し、何を選んだか。それが二人の分かれ道になる。
一足先に、クリーヴの周りに光が収束し始めた。足元には徐々に魔法陣が浮かび上がる。ラクトスも光を纏いはじめ、足元にぼんやりと幾何学模様が現れる。うっすらと発光するその光景は、どこか幻想的でさえあった。
フリッツは重い身体に鞭打って、その様子を眺めていた。フェンリルとの戦いで死ぬほど疲れていたが、この二人の戦いを見届ける義務のようなものを感じたのだ。
一方の詠唱が終わり、閉じられた唇がにやりと弧を描く。
紅く膨れ上がった炎は術者の頭上で収束した。刃物のような鋭いきらめきを見せ、小さな火の粉が幾つも相手を切り裂いていく。孕んだ炎が我が子を吐き出しているようだ。
果たして先に攻撃をしたのはどちらなのか。
ラクトスが崩れ落ちたのを見、フリッツは思わず息を呑んだ。
「やった! 勝った! やっぱりぼくが一番じゃないか!」
クリーヴは何かに取り付かれたかのように喚きながら大声で笑った。
目は見開かれ、体を仰け反らせるほどに全身で歓喜を表している。
静かな林にその声は響き渡った。
「どうだ、思い知ったか! きみなんかが、ぼくに敵うわけがないんだ」
クリーヴは勝利に酔いしれ、片手で顔を覆いながら笑い続けた。
「ラクトス!」
脚の痛みなど忘れて、フリッツは剣を杖にしながらラクトスに駆け寄った。木の根につまずきながらも、フリッツは懸命に進む。やっとのことでラクトスのもとに辿り着いた。
服がところどころ焼け焦げて、痛々しい傷が覗いている。
重度の火傷だ。
「しっかりして!」
水ぶくれが痛々しくて、フリッツは目を細めた。ラクトスは苦々しげに呻き、悪態をついた。死んではいないようで、フリッツは束の間ほっとする。しかし、動く様子はなかった。
このまま彼をここへ置いたままにするわけにはいかない、助けを呼ばなければとフリッツの頭の中は混乱していた。呼ぶにしても、自分の脚はもはや使い物にならないし、ラクトスを引きずっていくこともできない。
「さあ、どうする? ぼくはまだまだ元気だよ。もう一発お見舞いしようか?」
目の前で笑みを浮かべているクリーヴの表情は、残った炎に照らされて歪んでいるように見える。
こちらは満身創痍だが、クリーヴはほぼ無傷である。目前にした勝利に酔いしれてはいるが、さすがに逃げるだけの隙を見せたりはしないだろう。そして狂気に取り付かれている彼は、何をしでかすかわからない。
いや、ラクトスをここまで躊躇いなく痛めつけたのだ。クリーヴの自制心はすでに壊れている。
完全に追い詰められた。
フリッツは倒れたラクトスを見た。どうしたらいい。どうしたらこの状況を切り抜けられる?
そして、フリッツは気がついた。ラクトスの口元が動いている。
なにか言いたいことがあるのかもしれない。そう思い、かがんで耳を近づけた。しかし、弱々しく小さな声ではなにを言っているかわからない。
ラクトスは一旦、口を閉じた。そして。
「……最後まで、油断するなよ」
ラクトスの口から発せられたその言葉に、クリーヴは顔色をなくした。
まさかと叫んで顔を上げれば、そこには赤々とした炎の塊が浮かんでいる。熱の真紅と炎の影の黒とで構成されたその物体は、人を滅さんとする凶悪な太陽のようだ。恐ろしい速さで回転しだしたその球は、小さな火の刃を無数に吐き出した。鮮やかな刃は、熱を伴いクリーヴに襲い掛かる。
飛んでくるいくつもの火の刃にクリーヴは両腕で顔をかばったが、攻撃は直撃した。
杖や魔法で防ぐことは出来なかった。しばらくの間、炎の球体からの攻撃は止むことなく続いた。
熱い。フリッツは球体と刃の発する熱に顔をしかめる。
そして炎の攻撃が、終わった。
「おれの勝ち、だな」
ラクトスは、浅い息を吐き出しながら、苦しそうに言った。
クリーヴはふらつくと、がくんと地面に膝をついた。両手を地面につけて、背中は苦しそうに上下している。
「……ばかな。あんな攻撃を受けておいて……術が、消えないなんて」
消え入りそうな声で、クリーヴは低く呻く。ラクトスは横たえていた身体を起こし、杖を地面に突き刺して身体を支える。
「普通なら、おじゃんになってた。だがあんたが逸る気持ちを抑えられなかったおかげで、おれは助かったわけだ。少し早かったな、一節抜かしちまったんじゃねえの? 土壇場でのニアミス、ありがとさん」
クリーヴはラクトスを睨みつけた。フリッツは固唾を呑んでその様子を見守る。
「あとは、根性の違い。だな」
倒れたクリーヴはラクトスの言葉を聴いていたが、やがてゆっくりと口を開けた。
「……きみはまだ、この術は習い始めたばかりの、はずだ」
「生憎、予習と小遣い稼ぎが趣味なもんでな」
ラクトスは浅い息をしながらも、脚を動かしてあぐらをかいた。
「あと、遠隔魔法ができるって言ったあれな、ハッタリだ」
「な……!」
クリーヴが驚いて目を見開いた。
それを見て、ラクトスは満足げに意地悪い笑みを浮かべる。
「あんたはおれより何枚も上手だよ。今も、昔も。でも、これからは違う。
おれに勝てない理由がわかるか?」
酷く傲慢なセリフだ。
フリッツは思ったが、それはラクトスも承知の上だろう。勝者だけが口にすることの出来る言葉だった。
クリーヴからの返事はなく、動かなくなってしまった。気を失ったのだ。おそらく魔力と体力とを使い果たしてしまったのだろう。
「宿題だ、考えとけよ。もう会うことなんかないだろうから、答えは教えられないけどな」
もう会うことはない。そう、勝負はついてしまった。
クリーヴが街を出て行き、ラクトスは再び修練所に籍を置く。ラクトスが勝ったということは、そういうことだ。
しかし、なにか後味が悪い。ぼうっとした頭でフリッツは考えていた。
「なにぼっとしてるんだ。お前も早く帰れよ」
座ったままのラクトスがわき腹をこづいてきた。そんなに強くはないはずなのだが、疲れているフリッツはその一発でぐらりと揺らいだ。
「いや、帰りたいのは山々なんだけど。なんだか疲れちゃった。それに脚がいうこと、きかないんだ……」
フリッツは大きなあくびをした。つい先ほどまでフェンリルとの戦闘で命の危険にさらされていたのだ。緊張の糸は緩み、安堵が心を満たしていく。それと同時にどっと疲れと睡魔が襲い掛かってきた。
「……なんだ。お前もか」
ラクトスは相変わらずぶっきらぼうに言った。そして口元を笑みの形に歪めたまま、ゆっくりと地面に倒れた。
フリッツの瞼もほどなく、閉じられた。
暗闇の中。再び、虫たちが静かに鳴き始める。
そこには負傷し、深い眠りに落ちた三人の青少年が地面に転がっていた。
まるで何事もなかったかのように、魔法修練所の校庭の木立は静まり返った。
こうして名門キャルーメル高等魔術修練所の一角で、彼らの戦いはひっそりと幕を閉じた。
しかしその一部始終を、こっそりと覗いていた者たちがいた。一人はくつろいだ様子で茶を飲んでおり、もう一人は窓際に張り付いている。
カーテンの隙間から外の様子を垣間見ていた所長ガルシェは、ほっとため息をついた。彼はかけている眼鏡の上から、さらに筒にレンズを取り付けたようなものをかけている。
「遠メガネなんかで見ないで、水晶に様子を映したりできないの? 魔法使いのおばあさんがよくやるようなやつ」
「きみはなかなか古風な趣味をしているね。今はこれ、この遠メガネはキャルーメルの街の中くらいならどこでも見渡せるし、なんと夜目が利くようになる」
「ああ、なるほど。真っ暗なのにさっきから外ばっかり見て、頭悪いんじゃないかと心配してたのよね」
「きみはいちいち言うことがきついねえ」
所長は力なく苦笑いを浮かべた。
「さて、どうしよう。わたしは事なかれ主義なんだけどなあ」
「ここまで見ちゃって無視するつもり? さすがに魔法での対決になるとまでは思ってなかったけど。召喚魔法使ってるって聞いたときはヒヤヒヤしたわ」
もう一人の観客、ルーウィンはカップを口から離す。菓子皿がすっかり空になって屑しか残っていないのを見ると、勝手に戸棚を開けて中を漁り始めた。
「そのわりには、ずいぶんと落ち着いていたよねえ」
頭を戸棚に突っ込んだまま、ルーウィンは答えた。
「ことナントカ主義なんでしょ。危なくなったら、あんたが直々に出て行くと思って。でも、本当はけっこうやばかったんじゃないの?」
「やれやれ。へんなところで頭の回る子だな」
所長は自分の椅子にどさりと腰掛けた。すっかり冷め切ったコーヒーに目を落とす。ルーウィンは新しいクッキーの封を切り、いそいそと次の紅茶を注ぐ準備をしていた。もちろん、自分で飲むためだ。
ルーウィンはクッキーを口に放り込み、答えなかった。やれやれとガルシェは呟く。
「しかし、どうしてクリーヴが犯人だとわかったんだい? ぼくに対してはいい子だから、あまり信じたくはなかったんだけど」
「フリッツが出て行った後に、門下生の女の子が証言しに来てね。クリーヴがフリッツにこっそり魔法をかけて気を失わせ、そのまま放置するところを見たんですって。最初は信じられなかったみたいで、何かの見間違いじゃないかと自分を疑ってたらしいわよ」
実はルーウィンは、クリーヴのあまりにも親切な行動に胡散臭さを感じていた。そのため、彼が犯人だという事実をすんなりと受け入れ、すぐに所長の元へと走ったのだ。
「あの目つき悪いやつの退学、どうにかなんないかな。じゃないと連れがめんどくさいのよね」
「そうだねえ」
所長は手をあごに持っていって考え込んでいる。ルーウィンはカップを持ち、息を吹きかけて紅茶を冷ました。
すっかりくつろいで長居しているルーウィンに視線をやり、所長は尋ねた。
「……ところで。きみはいつになったら帰るつもりなんだい。戦いに決着はついたようだけど」
「もう少し。これ食べきるまでね」
彼女の人差し指はしばらく缶の上をさ迷い、真っ赤に輝くドレンチェリーのついたものをつまんだ。ガルシェは彼女がてこでも動かないと悟る。
「ことが片付いたから、明日にでも出発だろう? 早めに寝ておいたほうがいいんじゃないのかい」
「そうなんだけど。あのバカども、一人で運んでおいてくれるの?」
ルーウィンはなんでもないように紅茶を一口すすった。
所長はそれを見、彼女には気づかれないように苦笑した。




