第八話 魔法のタネと仕掛け
【第八話 魔法のタネと仕掛け】
夜の修練所はどこか物悲しい。昼には若者で溢れ、笑い声が飛び交うこの中庭も例外ではなかった。
空は雲ひとつなく、月は満ちていた。街は煌々と照らされていたが、さすがにこの木々の中では月光の進入も遮られる。
地面から伸びた根に足を取られながら歩き、フリッツは手紙で指定された場所で待っていた。キャルーメル高等魔法修練所の建物へとまっすぐに伸びる道の脇の、並木林の中だった。
「こんばんは。ちゃんと来てくれたんだね。突然のことだったのに、こんな遅くにありがとう」
どこからともなく、クリーヴが現れた。
夜の林の中に一人は心細かったので、フリッツは顔を明るくした。
「ううん。お礼を言うのはこっちだよ。ぼくがおかしなことをしちゃったばっかりに、クリーヴさんまで一生懸命になってくれて」
「ぼくだって、無実の彼があんな処分になるのはいたたまれない。良心に従って、こうして行動しているだけだよ」
「クリーヴさんってほんとうにいい人だよね。魔法使いの鑑です」
フリッツがそう言うと、クリーヴは微笑んだ。
「そうかな。そういうフリッツくんだって、本当に人が良い」
言葉に少しひっかかるものがあったが、フリッツはそのまま受け流した。
「ねえ、ちょっとお願い聞いてくれるかな。その剣、よく見てみたいんだ。ぼくは杖ばっかりだから、あんまり剣って見たことなくて」
「いいけど、こんな暗いところで?」
「大丈夫。ぼくが明かりをつけるから」
なるほど、魔法ならいつどこでも明かりをつけられる。便利だなあと思いながら、フリッツは剣を二本とも渡した。
「はいどうぞ。こっちは木刀。こっちは真剣だよ、ちょっと錆付いてるけどね」
「うん、ありがとう。ごめんね」
クリーヴは二本の剣を受け取るや否や、それを地面に放り投げた。
フリッツがそのことに疑問を感じる暇もなかった。
クリーヴは突然、魔法の光をフリッツの目に押し付けた。目潰しされたフリッツは、その光の鋭さに思わず声を上げる。
しかし、次いで腹部に強い痛みが走る。杖で思い切り叩きつけられたのだ。背を樹の幹に打ち付けたフリッツは、そのまま押さえつけられた。腹部に再び痛みが走る。膝で強く蹴りを入れられた。数回容赦のない蹴りと打撃が繰り返され、フリッツはぐったりとして地面に崩れ落ちる。
頭が混乱して、一体何が起こったのかわからなかった。
いつもとは違う、低く悪意のこもったクリーヴの声が降ってきた。
「きみは本当に人が良い。お人よしだね、バカがつくほどの」
地面にうつ伏せに転がって咽こむフリッツを、クリーヴは足で蹴飛ばして仰向けにさせた。フリッツの目はまだ治っておらず、視界はちかちかしている。
クリーヴは再び杖の先に魔法の明かりを灯した。
「ちょっと痛むけど、少しの辛抱だから。また魔法にかかってくれれば、それでいい」
「いったい……どういう……」
フリッツは何とか口を動かした。ピリリとした痛みが走った。口の端を切ったのだ。
「正直、きみがここまで粘るとは思わなかったよ。きみの頑張りに感化されて、目撃者が出てきてしまいそうでね。見たところ、あの娘には告発する勇気がないだろう。まあ、彼女には時間をかけて、ゆっくり忘れてもらうとするさ。同じ敷地内に居る限り、ぼくは彼女をどうにでも出来る。
それよりも、問題はきみだ。これ以上下らない犯人探しを続けられると、迷惑なんだ」
フリッツの視力はだんだん戻りつつあった。ぼやけた視界に、クリーヴの顔が映り込む。杖の先には光の玉が渦を巻き、彼の顔を照らしている。本当にこれがクリーヴなのかと、フリッツは目を疑った。
昼間とは全く違う表情。あの思慮深く優しい好青年はどこにもおらず、悪意に満ち満ちた魔法使いが、そこに居た。
「またちょっとだけ、ぼくのお人形になってくれればいいんだ。もう下手な嘘はつかなくていい。今度はこれ以上何も詮索せず、黙ってこの街を出て行ってくれればいいんだよ。ね、簡単だろう?」
フリッツは顎をつかまれ、無理やり向けられた杖に目線を合わせられた。フリッツは、そこで気がついた。数日前、門下生たちの魔法の演習が終わった後、クリーヴが見せてくれた魔法の中にこれと同じ光があった。
フリッツはその光を見つめた。目を逸らせない、抑えがたい衝動が沸き起こった。フリッツは吸い込まれるようにその光を見つめる。そして……。
その時、クリーヴが杖を取り落とした。
カラカラと虚しい音を立て、クリーヴの杖が地面に転がる。光が消え、フリッツははっとした。
クリーヴは手首を押さえ、その後取り落とした杖をすぐに拾った。同時にフリッツから少し距離をとった。
フリッツは何が起こったのかわからなかったが、なぜか鼻腔に焦げ臭さを感じた。
「こんな遅くに出歩いたらいけないだろ。先生に言いつけるぜ、優等生」
その声と物言いには聞き覚えがあった。
木々の陰から現れたのは、魔法使いの杖を肩にひっかけたラクトスだった。
クリーヴは口の橋を歪ませる。
「それはお互い様だろ、ラクトスくん」
「おれはバイトの帰りに、たまたま通りかかっただけだ」
「謹慎処分中だろう? それに、火遊びはもうたくさんなんじゃないか」
二人のやり取りを聞きながら、まだ状況が飲み込めず、フリッツはぼうっとしたまま地面に転がっていた。
「おい」
「痛っ!」
ラクトスがフリッツの額を勢い良く指で弾いた。
「いつまでぼさっとしてるんだ、デコっぱち。危なくまたやられるところだったんだぜ」
「またやられる?」
やっとのことで、フリッツは鈍い痛みの残る身体を起こした。
「お前バカか。また魔法かけられるところだったんだぞ。助けてやったんだ、感謝しろ」
「助けるだなんて大げさな。結局のところ、きみは自分の身を護りにきただけだろう」
クリーヴが言い、ラクトスは口の端を歪めた。
「ああそうだ。別にこいつを助けに来たわけじゃねえ。おれは自分の身の潔白を証明するためにここに来た」
フリッツは徐々に状況が飲み込めつつあった。
突然フリッツを呼び出し、襲い掛かってきたクリーヴ。それを止めにきたラクトス。
二人は優等生と不良で、大した面識もないと思っていた。しかしそれはどうやら勝手な思い込みだったようだ。二人は間違っても友達などではないが、この広い修練所で多くの門下生がいる中、お互いにその存在を認識している。
クリーヴはラクトスを目障りだと思い、ラクトスもそれに気がついていたのだ。
「あんたの考えてること、ここ数日でやってきたこと。全部当ててやるよ」
ラクトスはクリーヴを見据えた。
「このデコっぱちを呼び出したのは、話し合いをするためなんかじゃない。くぐつの魔法をかけ直すためだ。いつまでも犯人探しをやめないデコっぱちが目障りになって、人気のないところに呼び出し、この街を自ら出て行かせようとした。違うか?」
「そんなわけないじゃないか。ぼくはただ、フリッツくんときみが犯人じゃないってことを証明しようと、話し合うためにここに来たんだよ」
「けっ、白々しい。こんだけ殴る蹴るしてまだ言うか」
フリッツはそれを聞いて悲しくなった。あれだけ親切に接してくれたクリーヴが、自分にこんなことをするとは思ってもみなかった。しかし、これが現実だった。
「いったいなんのことを言っているんだい?」
「とぼけるなよ。犯人、あんただろ」
ラクトスのその言葉を、フリッツは信じたくなかった。
あれだけ丁寧に修練所を案内してくれ、あれだけ一生懸命聞き込みをしてくれたクリーヴが、実はラクトスに罪を被せようとした張本人だったとは。
クリーヴはぷっと吹き出すと、声を立てて笑った。それに構わず、ラクトスは続けた。
「まず、デコっぱちにくぐつの魔法をいつかけたかだ。魔法を見せてやるとかなんとか言って、堂々とさっきの光でも見せたんだろ。疑うことなく、光を見つめたデコっぱちは、自分でも知らないうちに魔法にかかる」
「やっぱり、あの光。前に見せてくれた魔法の、最後の光と一緒だったんだね」
小さな声で呟くフリッツに、ラクトスは一喝した。
「やっぱり、じゃねえだろ。魔法使いの杖の先見つめるなんて、お前頭どうかしてるぞ! 常識で考えろよ、子供でも知ってることだ。どんだけ危機感ないんだよお前は!」
唐突に怒られて、フリッツは思わず落ち込んだ。頭を垂れるフリッツをよそに、ラクトスはクリーヴに向き直る。
「あんたの狡いところは、その後だ。講義に出席する時間を身の潔白に利用するため、そこでわざわざデコっぱちを眠らせた。最初からあんたに魔法をかけられるなんて思ってもないデコっぱちは、自分が魔法をかけられたのはあんたと別れた後から事件が起こるまでだと考える。その間あんたは悠々と講義を受け、頃合を見計らって魔法で火をつけた。そんなところだろ」
ラクトスがそこまで話しても、クリーヴは余裕の笑みを浮かべていた。
「どうして僕なんだい? それにあの場にいなかった、講義を受けていたぼくに、どうやって遠くはなれた木立に火をつけることが出来るんだい? あの場に一番近く、誰からの証言もない、きみが火を放ったと考えるのが妥当だろう。なにか証拠でもあるのかな」
「証拠なんてない。でも、あんたなら出来るんだろ? 遠隔の発火魔法。この修練所の敷地内くらいなら、どこに居たって好きなところに炎くらい出せるよなあ」
ラクトスが大真面目に答えて、クリーヴは苦笑する。
「そんなこと、出来るわけないじゃないか。ぼくは所詮、ただの門下生だよ。与えられたカリキュラム以上をこなす力なんて」
「じゃあ、おれが出来ると言ったらどうだ」
その言葉に、クリーヴはぴくりと反応する。そしてその表情は静かに強張った。
ラクトスは口の端を歪める。かかったとばかりに彼がにやりと笑うのが、隣にいるフリッツに見えた。
「そんなの、ぼくにも出来るに決まっているじゃないか」
クリーヴはいたって静かに微笑んだ。その様子にラクトスは鼻を鳴らす。
「けっ、負けず嫌いが。あっさり認めやがって」
クリーヴの言葉は、自分が犯人であるという肯定だった。
そして二人は互いに、寸分違わぬ同じタイミングで、杖を構えた。
並々ならぬ圧力を感じ、フリッツは気持ちを切り替える。クリーヴが犯人であるという事実に落ち込んでいる場合ではない。危険な空気が、辺りに漂い始めていた。
「なんか言いたいことあるなら直接言えよ。回りくどいことしやがって」
「言ったら、きみはここに通うのをやめたかい?」
クリーヴは冷たい表情のままラクトスを見つめた。ラクトスは不敵な笑みを浮かべる。
「安心しろ。おれはもうここへ戻ってくる気なんかねえよ。ただ、汚名は返上したい。所長にちゃんとおれじゃないって身の潔白を証明して、まあそうだな、ついでに修了書貰えたらいいなとは思ってる。なんせ家計は火の車だからな」
ラクトスは、クリーヴに杖を突きつけた。
「勝負しようぜ。おれが勝ったら、あんたは所長に真実を話す」
「いいだろう。もしぼくが勝ったら、きみにはこの街から消えて貰う」
「そんな!」
二人のやり取りを黙って聞いていたフリッツが、思わず声を上げた。それをラクトスが睨む。
「黙ってろ」
ラクトスの気迫に押され、フリッツは黙った。
クリーヴは口を開いた。
「前々から目障りだったんだ、きみは。貧乏人のくせして、ぼくらと同じ空気を吸って。一丁前に魔法なんか使うんだもの。虫けらは虫けららしく、地面を這いずり回っていれば良かったのに」
クリーヴは再び声を立てて笑い始めた。フリッツは愕然とし、そして恐ろしくなった。
あの親切で優しかったクリーヴが、今は目の前で壊れたように笑っている。どこか狂ったような、毒されたような笑みだった。クリーヴは片手で顔を押さえてひとしきり笑った後、酷く傲慢な調子でラクトスに言った。
「きみは昔からぼくを買いかぶりすぎだよ。ガリ勉貧乏のラクトスくん」
「あんたは前からおれの前では素直だったよなあ。いいこぶりっこのクリーヴくん」
そして二人は、ほぼ同時に杖を構え直した。
魔法使い同士の決闘が、今まさに、火蓋を切って落とされた。




