第二話 思わぬ再会
「ミチル! ミチルじゃないか! 久しぶりだね!」
拘束されていることも忘れ、思わずフリッツは声を大にした。
草原の民の集落にいたのは、ずいぶん前に南大陸で別れたミチルだった。
利発そうな面立ちは相変わらずだ。亜麻色の切り揃えられた前髪が風に揺れ、今は草原の民たちと同じような簡素なシャツに、青色で染められた腰巻とゆったりとしたズボンを穿いている。
だがミチルがフリッツの言葉に応えるよりも先に、草原の民の一人がミチルに問うた。
「……知り合いか?」
「ちょっと前に連れてきた商人の残りだよ。荒野の途中でモンスターに襲われて、はぐれたんだって言っていたでしょ。さすがに積荷はやられちゃったみたいだけど、みなさんが無事でなによりです」
ミチルはそう言って微笑んだ。
最後の言葉はフリッツたちに向けてのものだが、フリッツは目を瞬かせる。話が噛み合わない。ミチルに会ったのは北大陸ではこの日が初めてだが、さも数日前に別れたかのような物言いだ。
草原の民は顔をしかめた。
「五人もか? そんな話は聞いていなかったが」
「荒野で仲間を無残に失って、命からがらモンスターから逃げ遂せた話なんて、詳しくするものじゃないよ。ねえ、彼らをここで休ませてあげてもいいよね? このままじゃ、草原の民は野蛮人だって思われるよ。どうせここまで有無を言わさず連行してきたんでしょ?」
草原の民たちは相変わらず訝しげな表情だが、対してミチルの顔には笑みが浮かび、話す内容にもまったく淀みが無い。
「ここは話を合わせたほうが良さそうだよ」
小さな声でマティオスに囁かれ、フリッツは口元を引き締めた。困惑しているのを悟られてはいけない。ルーウィンとラクトスもすでにそれを察し、何食わぬ顔をしている。ここはミチルに委ねる他ない。
「ミチル、ちょっと来なさい」
ミチルは大人たちに連れられ、しばらくの間やりとりがなされた。祈るような気持ちでそれを見守る。
やがて遠目からミチルが片目を瞑ってみせた。
ようやくフリッツたちの拘束は解かれ、一行は息を吐いた。
「びっくりしたなあ! まさかこんなところにミチルがいるなんて!」
遠目で草原の民が見張っているのを感じたが、しかしフリッツは驚きと興奮を隠せなかった。ミチルは相も変わらず落ち着いた態度でにっこりと笑う。
「お久しぶりです。ずいぶん長いことお会いしていなかったように思えます。皆さんお変わりなく……というわけじゃないようですね」
ミチルは一行の面々をぐるりと見回した。
「ティアラとはつい最近別れたんだ。とはいっても、一時的なものでまた迎えに行くけどね」
「迎えに、というとまさかティーラミストですか? よくあの集落の人たちが中に入れてくれましたね、さすがは皆さんです。ティアラさんがいないのは残念ですけど……」
そしてフリッツの後ろにちらりと視線を向けた。それに気が付き、マティオスが歩み寄る。
「初めまして、おれはマティオス。こっちはモーネ、よろしくね」
「ミチルといいます、お初にお目にかかります。こちらこそ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、ミチルは礼儀正しく挨拶した。
そこで腕を組み、訝しげにしているルーウィンが口を開く。
「で、なんだってあんたがここにいるわけ?」
「だってここは、ぼくとチルルの故郷ですから」
なんということもなく発せられた答えに、フリッツは目を丸くした。
予想通りだったらしいラクトスはやれやれと頭を掻く。
「まあ、さっきのやりとりで察しはついたが。お前らこんな北大陸のど真ん中の出身だったのか」
「ここから南大陸まで旅してたの! ミチルには本当に驚かされるよ」
大の大人でも難しい荒野越えをミチルはすでに経験していたというのだ。もちろん自分たちだけの力ではないだろうが、それでも十分に驚くに値する。
「大したことないですよ。パタ坊あっての旅ですしね」
「チルルは元気? パタ坊はどうしてる?」
ミチルといえば妹のチルルと、その騎獣であるパタ坊がいつも一緒にいる。ルーウィンに懐いているチルルは彼女がいると飛んでくるものだったのだが、この日はまだ姿を見せてはいなかった。
「……ええ、元気ですよ」
ミチルは一行に向かって微笑みかけた。
「今皆さんの休む先を融通しているところです。その間、よかったら村を案内しますよ。武器は持ち込みが許可されていないので、お返しすることが出来なくて申し訳ないですが」
拘束は解かれたが、フリッツをはじめ皆武器を取り上げられている状態だ。見知らぬ旅人が武器を持って集落をうろついていては、草原の民も気が気ではないだろう。なによりモーネの大鎌は目立ちすぎる。
「おい、さっきの商人がどうとかって話はなんなんだ」
「あ、やっぱり気になりますよね」
ラクトスに問われ、ミチルは肩をすくめてみせた。
「皆さんは先日ぼくが連れてきた商隊のはぐれた一員ということにしてあります。ご覧のとおり、草原の民はよそ者に警戒心が強くて。その商人たちもすでに帰路についているので、今ここに滞在しているのは皆さんだけになりますけれど。口裏、合わせておいてくださいね」
青い草の中に、一定間隔をあけ点々と白い天幕が張られていた。天幕とはいってもかなりがっしりとした造りで、家族単位で暮らせそうなほどの大きさはある。
その周囲には民族衣装に身を包んだ人々がせっせと働いていた。もちろん、槍や弓を背負った男たちはいまだにこちらに目を光らせているが。
そして少し離れた場所には、先ほどの奇妙な騎獣たちがゆっくりと草を食んでいる。
「この集落って移動してるんでしょ? なんでわざわざそんな面倒くさいことすんのよ」
「そりゃ騎獣のエサのためだろ?」
「あんたには聞いてないわよ」
ルーウィンの問いにラクトスが答え、それを見たミチルはくすりと笑った。
「その通りです。一所に止まると、騎獣たちが辺りの草を根こそぎ食べ尽くしてしまうので」
「じゃあ、あの騎獣たち中心の生活をしているってこと?」
「そういうことになりますね。でも彼らは大事な家族で、財産ですから。集落を移動させるくらい安いものですよ」
ミチルにそう言われ、フリッツは騎獣たちに目を遣った。
近くで見たときはなかなか恐ろしげな姿をしていると思ったが、こうして距離を置き、大人しく食事をしている様子は家畜とさほど変わらないのかもしれなかった。とはいっても、彼らのために草原の民は移動を繰り返しており、その点では家畜とは決定的な違いがある。
「随分変わった姿をしていたけど、でもなぜか初めて見た気がしないんだよね……」
「それはそうですよ。だってフリッツさんは、もうパタ坊に乗っていますから」
「ええ!」
さらりと言ってのけられた言葉に、フリッツは声を大にした。
「パタ坊って、あんなのだったの?」
「今までの恰好は世を忍ぶ仮の姿ですよ。そのままで南大陸をうろうろしてちゃ、物珍しくて捕まってしまいますから馬の変装をさせていたんです。その様子だと全く気が付かれていなかったみたいですね」
よほど嬉しかったのか、したり顔でミチルは笑った。
パタ坊は一見馬に見えないことも無いが、近くで見れば別の生き物であることは一目瞭然だった。ただ、何故かそこに触れてはいけないような気がして、フリッツたちも道行く人々も誰も何も言えなかったのだ。今思えば、本来駆けるのに使う必要のない前脚のはりぼてを装着させられていたのだから、恐るべき違和感があって当然だった。
ミチルはしっかりしているが、どうしてかパタ坊の変装に関しては完璧だと思い込んでいるらしい。えっへんと言わんばかりの表情だ。それが意外でもあり、年相応な一面を見て微笑ましく思えたが。
「道理で馬よりずいぶん早いわけだね」
「もちろんですよ。フリッツさんたちが南大陸をまっすぐ北上されている間、ぼくたちは街道を何度も行ったり来たりしていましたから」
「ちょっといいかな?」
二人の会話に、マティオスが微笑みながら入ってきた。
「この草原に、モンスターは出ないのかい?」
至極当然なその問いに、ミチルはわずかに反応した。
朗らかな様子でマティオスは続けた。
「比較的安全な土地を探し、家屋を築いて囲いを設ける。モンスターの多い北大陸でなくとも、人々の営みとしては基本的なやり方だ。けれどそれをせず、騎獣たちを放牧して暮らしていけるからには、この土地は安全だということだろう?」
マティオスは屈託なく、ミチルの瞳を覗き込んだ。
「でもこの草原は、特に守護鉱石の地層が多いわけではない。ずっと不思議に思っていたんだ、どうして草原の民たちのこの生活がまかり通るのか。なにか特別な秘密があるのかい?」
その問いに、ミチルは目を細めて答えた。
「確かにこの草原には、人を害すほどの大したモンスターは出ません。本当に、なぜなんでしょうね。ぼくたちも知りたいくらいです」
横で見ていたフリッツは、やや困惑した。
二人の間に、互いに探るような、微妙な空気が流れたように思えたのだ。
「ミチルー! 一旦戻りなさい! 旅の方も一緒に!」
だが突然の声で、そのやりとりは終わりを迎える。
気が付けばミチルもマティオスもいつも通りの表情でそこに居た。見間違いか、あるいは自分の考えすぎだったろうかとフリッツは首を傾げる。
「ぼくの叔母です。どうやら皆さんのお世話を任されたようですね。行きましょう」
ミチルはにこりと微笑んで、踵を返した。




