第八話 嗤う人々
以前『カルミウム』とした金属ですが、『カルマミウム』に名前を改めます。金属の名前の法則に則っていないかもしれませんが、ファンタジーですので何卒ご愛嬌でお願いいたします。
それに気づいたのはいつだろう。
神官の父と巫女の母を持ち、物心ついた頃には神に祈りを捧げていた。
女神様の教えを信じ、その恩恵に預かり、多くを望まずつつましく、光に満ち満ちた穏やかな暮らしを送る。女神様に祈りを捧げ敬虔に尽くしていれば、日々は美しく穏やかで、幸福に生きていけるのだと、そう思っていた。
だが母は病に倒れ若くしてあっけなく死に、父もまた教会内の計略によって病に伏した。父は神官長を追われ粗末な小屋に隔離され、ティアラ自身も長く幽閉の身となった。
その間、聖職者らしく祈りを捧げていたかといえば、そうではない。
なぜ母は死んだのか。なぜ父は陥れられたのか。なぜ自分は不当に囚われ、ただ日々が過ぎ、老いさらばえていくのを待たなければならないのか。
あんなに、あんなに、毎日女神様にお祈りしていたのに。子供ながらに教会の仕事に努め、精一杯頑張ったのに。
届かなかった。聞き入れてはもらえなかった。
祈りも。願いも。
「どうして……」
自分の利益しか頭にない、醜い人間を恨んだ。母を死に追いやり、父と自分を見放した神を憎んだ。
自分たちが、なにか悪いことをしただろうか。神を信じ、正しく生きてきたはずだ。神を冒涜しているのは、自分たちを捕らえた悪者の方だ。
光の届かぬ黴臭い地下室で、誰とも言葉を交わせず、身も清められず、鳥のエサのようなわずかな食事を与えられ、ただただ朽ちていくのを望まれていた、あの頃。
幼いティアラは、答えを弾きだす。
神様なんか、この世のどこにも存在しないのだ、と。
フリッツ、ルーウィン、ラクトスの三人は、ずらりと並べられた棺桶を次々と開けていった。傍目に見ればなんとも罰当たりな行為だが、何も好き好んでやっているわけではない。
突如意識を失い、気が付いたら棺桶の中に居た。自分たちがそうであったのだ、もしかすると、というのがフリッツの読みだった。
そしてそれは、見事に当たる。
「ねえ。ティアラが言ってたの、この子じゃない?」
「マリアちゃん!」
ルーウィンが開けた棺桶にフリッツは駆け寄った。
そこには先日、自分たちと言葉を交わした少女が眠っている。胸の上に手を組み、静かに横たえられていた。その顔は青ざめ、頬や唇にも血の気が無い。
「……大丈夫かな」
「脈はあるわ。でも、相当弱ってる」
フリッツはほっと胸を撫で下ろし、マリアをゆっくりと棺桶の外に出してやった。生きているとわかったのに、棺桶の中にそのままにしておくのは忍びない。
マリアの他にも、棺桶の中には集落から消えたと思われる人々が安置されていた。皆一様に顔色は悪いが、恐る恐る手を取ると脈はあり、弱々しいばがら呼吸もしている。
生きた人間を棺桶に入れ、蓋をする。タチの悪い悪戯にしては度が過ぎている。
「誰も気が付かないな。とりあえず棺桶から出すか」
「これ、全部?」
明らかに顔をしかめたルーウィンに、棺桶を見るようにラクトスは顎で示す。その表情から、ラクトスも面倒だと思っているのは同じようだ。
「見ろよ、この棺桶。おそらくこいつもカルマミウムってやつで出来てる。こいつは業とやらを効率良く集めるもんなんだろ? なんとなく、入れたまんまにしとくのはまずくねえか?」
「となると、やっぱり漆黒竜団が絡んでるわけ?」
「ここまで来て、そうじゃねえことを祈りたいが。でもいくらなんでも、消えた人間が勝手に棺桶に横たわって自ら蓋をしたとは考えられないだろ」
意識のない人間の体は予想以上に重く、思うように動いてはくれない。脇と胴と足とを持ち、結局三人がかりで作業をせざるを得なかった。
地味ながらにそれなりの肉体労働をこなしながら、フリッツはふと呟いた。
「業なんて……集めて、何がしたいんだろう」
「さあな。見えねえもんを言われるままに信じるしかないのが、また気持ち悪いが」
「実は盗賊団なんじゃなくて、カルト集団なんじゃないの?」
フリッツたちに、業は見えない。
しかしそれが視えるというティアラが嘘を吐くとは思えないし、何よりディングリップ城の上層の人間にはそれなりに根付いている思想であるようだった。でなければ、皇帝の前に引きずり出された際、あのような目で見られたことの説明がつかない。
それに漆黒竜団に潜入していたマティオスも同じように業の存在を証言している。
やがて、二十人ほどの人々を棺桶から出し終え、三人はふうと息を吐いた。
「にしても、この中にティアラはいなかったな」
「マティオスもね」
「そういえば、そんなやつもいたか」
頭を掻くラクトスに、フリッツは苦笑しながら付け加えた。わかっているくせに、相変わらずラクトスはマティオスに厳しい。
「もう少し中を捜して、一旦ここから出るか。おれたちだけじゃ、この人数を連れて帰るのは無理だ。せいぜい一人負ぶって出て行くのが限界だしな」
「そうするしかないわね」
二人が話している時、フリッツは足元にふとひっかかりを覚えた。
作業中にも何度か思ったのだが、この部屋の地面は平らに整えられてはいない。ブーツの底越しに、なにかごつごつとしたものが当たるのを感じていた。暗くて足元が見えず、ひっかからないように注意しながら作業していたのだが、状況が落ち着いた今、フリッツは改めて地面を見やる。
「木の根……?」
一見すると木の根のようなものが各々の棺桶から伸びているのだ。
おそらく、ここは地下。木の根があっても不思議ではないが、それならば相当根深いものだろう。だがそれにしては、やや黒すぎる気もした。陰のせいだと思って、あまり気には留めなかったが。
フリッツはその先を視線で辿る。棺桶から出ている木の根は、ずっと向こうに伸びているようだ。だがそれ以上は特に興味も起こらず、フリッツは再び視線を近くに戻す。
そして一瞬、黒い根が、ドクンと脈打ったように見えた。
思わず、目を擦る。
「フリッツ!」
ルーウィンの鋭い声が飛び、フリッツは顔を上げた。そこにはマリアが立っている。
「良かった、気が付いたんだね!」
フリッツは顔を明るくさせた。しかし、何か様子がおかしい。
マリアはうつろな目で、まるでそこにフリッツなど居ないかのように佇んでいる。暗くて狭い空間に閉じ込められていたのだ、子供心に相当なショックだったのだろう。
フリッツは同情し、マリアに視線を合わせるためにしゃがんでやった。
「助けに来るのに時間がかかってごめんね。この中にお父さんとお母さんがいるか確かめられるかな?」
だが話しかけても応答はない。この子も、集会所の片隅で震えていた男のようになってしまうのだろうか。
「フリッツ、離れなさい! その子、様子が変よ!」
「え?」
ルーウィンはすでに矢を引き絞っている。幼い子供相手になにをと、フリッツは目を見開く。
ケタケタケタと、気味の悪い声がした。
振り向くと、マリアの目は赤く光り、口元は大きく開かれて下卑た笑いを湛えている。笑い声を立てるたびに、身体が小刻みに揺れる。
その尋常でない様子に、状況は把握できずとも、さすがのフリッツも瞬時に身を引いた。
身体を繰り人形のように震わせ、ケタケタと続く笑い。しかしそれは、ぴたりと止んだ。
すると糸が切れてしまったかのように、マリアはその場にどさりと崩れ落ちる。
駆け寄るべきか迷うフリッツの腕を、ルーウィンが強く引いた。自然と、三人は背中合わせにそれぞれの武器を構える。
ルーウィンは目を光らせ、ラクトスは唇を噛み、フリッツはかなり腰の引けた状態で恐る恐る剣を抜く。
今度は倒れていた男がすくっと立ち上がり、マリアと同じようにケタケタと笑いだした。だがすぐにそれは収まり、男は倒れる。
すると今度は別の女が立ち上がり、笑い、倒れる。
立ち上がる、笑う、倒れる。立ち上がる、笑う、倒れる。
その繰り返し。まるで、何かに憑りつかれたかのように。
そのサイクルはだんだんと早くなり、三人を嘲笑うかのように次々と人々は笑いだした。その度に標的を変え、そしてまた変え、次第にフリッツたちの反応も鈍くなる。
左、右、後方、前方と、笑う標的は目まぐるしく移り変わっていく。焦りと緊張だけが高まり、だんだんと集中力が削がれていく。
狂気じみた恐怖はじわじわと、三人をいたぶるように迫り来る。
「あ……う、うぅ……」
今にも泣き出しそうなフリッツは、へっぴり腰のまま情けない声を漏らした。
「おい、変な声出すなよ! もうちょい気張れ!」
「さすがに気が狂いそう。頭と目がおかしくなってきたわ……」
ラクトスとルーウィンも、精神的に参ってきているようだ。暗い闇の中、この状況下に置かれて冷静で居られる人間はそう多くはないだろう。
目をらんらんと輝かせ、余裕のない声音でルーウィンは言う。
「いざとなったらこいつらの眉間、順にブチ抜いていいかしら」
「それ最終手段な。こいつら間違いなく集落の人間だから、全員殺ったらおれたちも殺されるぞ」
「もうやだぁ……帰りたいよ……」
「だからお前は泣くなよ! 泣きたいのはこっちだ、うっとおしい!」
三人の恐怖と苛立ちが絶頂を迎えた、その時。
倒れていた人々が、一斉に立ち上がる。赤く目を光らせ、人々は嗤った。
背筋に氷水が流されるような怖気が、一気に背中を駆け巡る。
その大合唱は部屋全体に反響した。
ケタケタという笑いが、耳に、鼓膜に、脳に、心に。
直接揺さぶりをかけるように響き渡る。
「ルーウィン! ラクトス!」
二人は気づけば地面に膝をついていた。戦意喪失こそしていないが、意思とは裏腹に身体がついていかないのは明らかだ。
「何よ……おばけって、人を怖がらせるだけなんじゃなかったの?」
「精神攪乱系の魔法に似てるな……くそ、頭が割れそうだ」
二人とも呼吸が浅く、血の気が無い。ルーウィンは悔しげに奥歯を噛み、ラクトスは頭を押さえている。
やがて、その笑いと反響もぴたりと止んだ。
だが油断は出来ない。フリッツは倒れた二人を不安げに見やる。体力が奪われているのが目に見えてわかる。体勢を立て直そうとはしているが、身体が思うようにいかないのだ。
今この瞬間、まともに立っていられるのはフリッツだけだ。
ごくりと、唾を飲む。
臆病者の自分に、果たしておばけの相手など務まるのだろうか。
そもそも、自分の剣は効くのか。人々の身体に憑りつかれては、攻撃すら出来ないのではないだろうか。
静まり返った闇が、じわじわと恐怖を煽る。忍び寄る気配はフリッツの心を縛り、足元を重くし、身体の動きを鈍らせる。
人々が赤い目を輝かせ、一斉に飛びかかってくるのではないかという恐怖。勢いよく首を振って、フリッツはそれを打ち消す。
想像してはいけない、気持ちで負けたらお終いだ。
「だ、大丈夫。二人とも、ぼくに任せて」
歯の根が噛みあわないままそう言い、自分の背後に崩れ落ちたルーウィンとラクトスを見やる。せめて二人が体勢を整えるまでは、自分が頑張らなくては。
例え相手が、得体が知れなく、どんなに恐ろしいものでも。
フリッツは目の端で、何か動くものを捕えた。瞬時に身体をそちらに向け、剣を構える。
かなり遠くの方で、闇に飲まれてしまって対象はよく見えない。だがだんだんと近づいてくる相手を見、フリッツは声を上げた。
白い法衣。手には錫杖。
「ティアラ! 良かった、心配してたんだよ!」
見知った彼女の小首が、カクンと傾ぐ。返事をしてくれたのだと、フリッツの表情はにわかに明るくなった。
駆け寄りそうになったフリッツは、ズボンの裾を掴まれ、制止する。振り向くと息も絶え絶えのルーウィンが、ゆっくりと横に首を振った。
ティアラの足は、宙に浮いている。
フリッツの表情は凍りつく。
まさかという思いで、恐る恐る顔を上げた。
おかしな角度に首を曲げたままのティアラは、その顔に似合わぬ不気味な笑みを浮かべている。
そして宙高く浮き上がると、ケタケタと笑い始めた。




