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不揃いな勇者たち  作者: としよし
第13章 霧の中の亡霊
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第四話 茨の森と黒い霧

 

 早朝、不意に目が覚めた。

 まだいびきをかいている祖母を起こすまいとしばらくベッドに横たわっていたが、一度目が冴えてしまうと再び眠りにつくのは難しい。

 カーテンの隙間から窓の外を見やる。辺りはまだまだ薄暗いが、それでも真っ暗ということもない。


 少女はふと、花壇の花の様子を見に行こうと思い立った。昨日今日の話だ、花が咲いているなどということはないが、子供ならではの期待感はすぐには鎮まらない。

 ベッド下の靴を探り履き、抜き足差し足で床が軋まぬように歩く。祖母のいびきがいっそう大きくなり、少女は苦笑する。

 そして、ゆっくりとドアを開けた。今朝はずいぶんと、霧が多いなあと思いながら。


 当然、視界は悪い。朝の鳥たちもどういうわけか、この日はまだ鳴かない。

 肌寒さに身を震わせる。やはりもう少し後にしようと踵を返し、家へと戻ろうとした。だが、そこにあったのは見慣れた薄い木の扉ではなかった。

 目の前に、何か大きなものがそそり立っている。黒い影の全体を見定めようと、少女は数歩下がって、息を呑む。

 それは、あの聖堂だった。


「なんで? わたし、お花の様子を見ようと思って……」


 家の外へ出た。ただそれだけのはずだった。歩いたのもほんの数歩のことで、どう考えても少女がその場に居るのは不可思議だ。

 茨の森と霧とに覆われ、立ち入ることの叶わなかった場所。

 そこへいとも簡単に、自分は辿り着いた。どうやって来たかは、まったくわからないが。

 自分はまだ、夢の中なのだろうか。それにしては、辺りは酷く冷え込む。

 不意に、何者かの気配を感じた。


「誰!」


 少女は声を上げた。

 返事はない。しかし、何かいる。確実に。

 少女の目には見えないものが。


「いやよ、あっちに行って! 来ないで!」


 小さくなって、自らを抱きしめる。歯の根がかち合わず、カチカチと音がする。それは寒さのためだけではなかった。

 何か、聞こえる。何か、言っている。

 聞きたくない。聞いてしまえば、きっと向こう側に連れて行かれる。

 本能的にそれを察知し、少女はきつく目を閉じ、耳を塞いだ。


 しばらくして、何者かの気配は消え失せた。

 恐る恐る瞳を開け、しゃがんだままで辺りを見回す。誰もいない。

 少女はほっと胸をなでおろし、ゆっくりと立ち上がった。

 その背後に、黒く蠢く何かが、存在しているとも知らずに。


『おいで』


 耳元で、囁かれた言葉。

 そして、少女は。

 マリアは居なくなった。







 一行は惰眠を貪っていたところを、まるで親の仇のように叩き起こされた。

 見張り付きで集会所に毛布を敷いて雑魚寝をしていたのだが、まだ大して陽も昇らぬうちに長老が飛び込んできたのだ。

 少女が一人、姿を消したことを告げられる。それが昨日のマリアだと知って、フリッツとティアラは驚きに顔を見合わせた。


「もう悠長なことは言っていられない。おぬしら、行くのか? 行かないのか?」


 そう選択を突き付けられ、フリッツたちは慌ただしく準備をし、追い立てられるように集落の中心部を飛び出した。


「……で、今に至る。と」

「誰に言ってんだよ、気持ち悪ぃ」


 唐突に言葉を発したマティオスを、ラクトスは冷やかな目で睨み上げる。

 舗装されず地面が剥き出しのままの道を進み、一行は集落の外れにある聖堂を目指していた。だが今は、茨の壁の前で立ち止まっている。

 というのも、聖堂があるのはこの奥のはずだが、茨に覆われて向こう側が見えないのだ。

 建物の屋根すら見えない。この不気味な茨の群生地の、どのあたりに聖堂が存在するのか見当もつかない有様だ。


「それにしてもマリアさん、心配です。お一人でお父様とお母様を捜しに行ったのでしょうか?」

「そうも考えられる。そしてそれが一番いい結果ではあるんだけれど」


 物憂げに瞳を揺らすティアラに、マティオスが答えた。朝に大変弱いティアラだが、さすがにこの事態では彼女もすっかり目を覚ましたようだ。

 マリアが何者かに攫われたのではなく、自ら聖堂に赴き、一人では中に入れず外で立ち往生している、というのが最もましといえる顛末だ。


 しかし五人の目の前に聳える茨の森は、とても少女が一人で進めるようなものではなかった。蔓は太く、腕程の太さのものもある。小さな無数の棘が生え、生身の人間が進めばたちまち素肌を切り裂かれてしまうだろう。

 複雑に絡み合ったそれらはまるで編み込まれているかのように、外からの侵入者を拒んでいる。

 この先に消えた人々がいるなどとは、とても思えない。


「フリッツさん、この茨を斬って進めますか?」

「出来ないことはないけど……」


 ティアラの提案に、フリッツは真剣を抜いた。

 一振りすると、シュッと小気味良い音がしてばらばらと枝が落ちる。だがすぐに道が開けるわけもなく、これを切り拓いて進むのは相当骨の折れる作業になる。


「うーん、けっこう硬いな。刃こぼれしそう」


 茨の切り口から赤い液体が出ているのに気づき、ラクトスは落ちた小枝を拾い上げた。


「樹液にしちゃ大袈裟だな。普通こんなに流れ出るか?」

「なんだか血みたいね」


 こともなげにルーウィンが言って、フリッツは小さく身震いした。

 様子を見ていたマティオスが口を開く。


「刃物で切り拓くのは賛成しかねるな。手間もかかるし、武器にも良くない。どうだろう、ここは一つラクトスくんの魔法で」

「……お前に言われてからやるのは、気分悪ぃな」

「ラクトスさん、そうおっしゃらずに。わたくしからもお願いします」


 ティアラが宥めて、ラクトスは舌打ちをする。

 ラクトスは小さく呪文を唱えると、無造作に杖を振って見せる。杖の先からフレイムダガーが飛び出し、飛び散り、茨に燃え移る。いかにも気だるそうに放った魔法だが、炎はみるみるうちに燃え広がった。

 しばらくして、目の前の茨の壁にぽっかりと焼け焦げた穴が開く。

 フリッツ、ティアラは小さく歓声を上げた。

 だが一人、ルーウィンは気に食わないような顔をしている。


「全部焼けば? 森まで火事にしなきゃ別に問題ないでしょ」

「いや、そのつもりだったが、焼けねえ。案外面倒だな」


 自分でも結果が不本意だったようで、ラクトスは眉間に皺を寄せている。

 しかしこれを繰り返せば、道は拓ける。根気強い作業だが、もっとも有効な手段であることに違いない。ティアラは声を弾ませた。


「これで先に進めますね」

「でもここから先は守護鉱石ガーディアナイト持ってないと進めないんでしょ? マリアちゃんはこの先、どうやって進んだんだろう?」


 茨は切り落としたり、焼けばなんとかなる。だが加えて、辺りに立ち込めている黒い霧が人々の侵入を拒んでいた。

 集落にも朝夕は霧が出ていたが、明らかに質が違う。この辺りの霧は目に見えて黒い。より視界が悪いのだ。


「確かめてみるか。お前ら、全員ちょっとそれ外せ」


 ラクトスが言い、他の四人は首から下げていた守護鉱石を外した。ラクトスの右手に、五つの守護鉱石が集められる。続いてラクトスは四人をその場に残し、ゆっくりと後ろに下がっていく。


 すると心なしか、周りの霧がぐっと四人に近づいたような妙な圧迫感があった。

 途端に肌寒くなったような気がして、フリッツは腕をさすった。背筋がざわざわと落ち着かない。

 守護鉱石ガーディアナイトが遠ざかり、ラクトスが炎で開けた茨の穴が徐々に黒い霧に飲まれて見えなくなる。

 だが徐々に、フリッツは息苦しさと、肌にピリピリとした痛みとを感じ始めた。三人を見ても、同じように不快に感じているようだ。守護鉱石を持っているラクトスだけが平気な顔をしている。


「こいつで霧が晴れるのは本当らしい。となると、この黒い霧はいったいどういう……」

「ちょっと!」


 突然ルーウィンがラクトスに詰め寄り、右手から守護鉱石を乱暴に奪い取った。衝撃と驚きに、ラクトスは守護鉱石を取り落す。

 ルーウィンは自分の分を一つ手に取ると、残りの三つをフリッツたちに投げて寄越した。

 何が起こったのかと、怒るのも忘れてラクトスは目を瞬かせる。


「おい、どうした?」

「どうしたもこうしたも! あんたもこれ、手放してみなさいよ。すっごく気分が悪い」

「そんなにか?」


 ラクトスが眉根を寄せて、それぞれ四人の顔を見比べた。

 フリッツは頷く。


「なんていうか、すごく心細くなる。この霧の中にいちゃいけないって、思う」

「そう、その感覚だね。この霧が身体によくないと、本能的に判るんだよ」


 フリッツは受け取った守護鉱石ガーディアナイトをいそいそと首に下げ直す。普段は余裕のあるマティオスでさえ、冷や汗をかいているようだ。

 今までに味わったことのない感覚だった。

 周りから絶えず見られているような、何かにじわじわと侵食されていくような。

 ラクトスは顎に手を遣り考える。


「もしかすると霧に毒が含まれているのかもしれないな。この茨と霧とは関連があるだろう。茨から霧が発生しているのか、霧が発生したから茨が肥大したかはわからねえが。守護鉱石で霧が晴れるってことは……」

「そんなのどうでもいいわよ! とりあえず、これがなきゃ進めないってことはわかったし。ちゃっちゃと終わらせて、こんな気味の悪い場所からはずらかるわよ!」


 ルーウィンが我慢ならないと言うように叫び、ラクトスの思考を遮った。

 霧のためにやや青ざめたティアラが、物憂げに呟く。


「でもこうなると、マリアさんが一人でこの先に行ったとは考えにくくなりますね。ならず者が聖堂に潜んでいるかもしれません」

「こんな場所で人攫ってなんになるんだ?」


 ラクトスの問いはもっともだ。

 身を隠し人を脅し、食料を定期的に運ばせているならまだしも、そうではない。人々は行ったきりで、誰も帰っては来ないのだ。

 ルーウィンは息を吐く。


「となるとやっぱりモンスターね。どっちにしたって今更消えた人間を助けられるとは思わないけど」

「いずれにせよ、行って確かめるしかないだろうね」


 マティオスが言い、フリッツは肩を落とした。あからさまに落ち込んだフリッツを見、ラクトスは口元を面白そうに歪め、軽く肩を叩いてやる。


「ああ……やっぱり、行かなきゃいけないんだね」

「そういうことだ。とっとと行くぞ」


 ラクトスは再び、フレイムダガーの呪文を唱え始めた。





 ラクトスが先頭に立って茨を焼き、その焦げた残骸をフリッツとマティオスとが切り払う。

 そうしてしばらく作業に没頭していると、マティオスがフリッツに話しかけた。


「それにしても、いかにも出てきそうな雰囲気だね」

「そのわりにはまだ一匹も見当たらないね。こんなに静かなら、気配はすぐにわかりそうなものだけど」


 それを聞き、マティオスは人の悪い笑みを浮かべた。


「違うよフリッツくん。モンスターじゃなくて、ほら。おばけだよ」

「お、おばけ!?」


 思わずぎょっと目を見開き声まで裏返ったフリッツに、マティオスは笑い、ラクトスは呆れたようにため息をつく。


「いままで散々異形のモンスターと闘ってきて、言う台詞がそれかよ」

「でも、恐いものは恐いよ! だってモンスターとおばけじゃ別物でしょ?」


 フリッツにしては食い下がり、負けじと反論する。


「そうか?」

「だって、おばけは斬れない!」

「ああ、なるほどな」


 確かに、正論ではある。倒すことが出来ないのだから、フリッツにとっておばけはモンスターよりもたちが悪いのかもしれなかった。

 その話声を聞きつけ、一番後ろを歩くルーウィンが声を上げる。


「はいはい、無駄口叩かないでさっさと歩く! おばけなんているわけないじゃない、バカバカしい」


 元も子も無い発言に、男性陣は再び黙々と作業に取り掛かった。

 だがしばらくしてトントンと背中を叩かれ、フリッツはびくりと肩を震わせた。ルーウィンの目を盗んで、マティオスがまたちょっかいをかけてきたのだ。

 自分を驚かせるのがそんなに面白いのかと、さすがのフリッツも不愉快になる。


「もう、脅かさないでよ」

「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。ねえ、ルーウィンちゃんみたいな娘が、実はおばけが苦手だったらいいと思わないかい?」

「はい?」


 改まって何を言い出すかと思えば、そんなことだった。こんな不気味な場所でどうでもいい話がよくできるなと、フリッツは変に感心する。


「そんなわけないよ。だって、あのルーウィンだよ?」

「どうかな。どんなに肝が据わっているといっても、彼女だって女の子だし。それに最初、ここに来るのをずいぶん渋ってたじゃないか」

「それは単に面倒くさかっただけだと思うけど……」


 基本的に人助けに興味がなく、厄介ごとに自ら首を突っ込みたがる彼女ではない。フリッツはさらりと受け流したが、マティオスは相変わらず愉快でたまらないという顔だ。


「何かあった時は、ちゃんと守ってあげなきゃだめだよ」


 目から音が出そうなウインクを飛ばして、マティオスは爽やかに微笑んだ。その様子を後ろで見ていたティアラがくすくすと小さく笑う。


「マティオスさん、ずいぶん楽しそうですね」

「ああ。なんといっても、おれはこの二人の仲を進展させるためについてきたようなものだからね」


 あまりにも堂々とした答えっぷりに、聞いていたラクトスがげんなりとする。


「それが本当なら、頼むからとっととディングリップに戻ってくれ」


 嫌味というよりは本音だろう、ラクトスは心底疲れた顔をしている。そんなくだらない理由で旅に同行されては迷惑というものだ。

 まあまあとティアラが宥めながらも、一行は茨の中を進んだ。


 切り拓いたはずの茨が恐ろしい速さで復元し、来た道が無くなっていることにも気づかずに。



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少女とギルド潰し
   ルーウィンとダンテの昔話、番外編です。第5章と一緒にお読みいただくと、本編が少し面白くなるかもしれません。
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