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不揃いな勇者たち  作者: としよし
第12章 帝都の罠
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第十三話 きれいなきみと、汚いぼくと

 警備が手薄になっているのだろうか。幸い辺りに他の兵士はいなかった。


 フリッツは駆けた。たった今見たものを、自分自身を振り切るように。

 考えていてはだめだ。とにかく、この好機を生かすことだけに集中する。

 そう、言い聞かせた。


 暗い廊下を走る。絨毯がひかれているために、フリッツの足音は響かない。

 しばらく走ってバルコニーへと通じる窓を見つけ、フリッツは足を止める。そこから外へと出られそうだ。

 

 腰を折り、膝に手をついて乱れた息を整えた。それまで休むことなく目指す当てもなく、ただ駆けてきた。走った距離はそう大したことはないが、数日間拘束されていた疲労と、警戒からくる極度の緊張状態とが身体を重くする。

 噴き出す汗。荒い息。フリッツは口元を拭って顔を上げた。


 そして身を強張らせた。

 人の、気配がする。

 辺りを見回す暇もなく、刹那、背後から腕が伸びた。


 すぐに口をふさがれ、叫びは喉の奥へと押し戻される。肩を乱暴に掴まれ、カーテンの裏に引きずり込まれた。突然のことに、フリッツは目を見開く。

 まさか、こんなに早く捕まってしまうとは。

 自分は、剣を持っていない。手の拘束もそのままだ。


 どうする? どうやって倒す?


「黙って。人が来る」


 囁くように降ってきた声は、女性のものだった。

 確かに、人が廊下をやって来る気配がする。おそらく、警備兵だ。

 カシャンカシャンと、剣と鎧が掠れる音が近づく。


 ここで見つかれば、フリッツは牢へと逆戻りだ。そればかりか、牢を破る際に警備兵を殺した罪にも問われる。やったのはルビアスだが、そんな言い分が通用するとは思えない。

 フリッツの鼓動は、次第に早くなっていった。心臓の音が、荒い呼吸が、隠れたカーテン越しに聞こえやしないだろうか。


 もう、捕まるのは嫌だ。


 怯えと緊張から、フリッツの肩に力が入る。それを察したのか、女性はフリッツの肩に置いた手にそっと力を込めた。

 だが警備兵は、すぐそこまで近づいている。

 フリッツは目を強く瞑った。


 カシャン。カシャン。カシャン。


 警備兵は足を止めることなく、気配はそのまま遠ざかって行った。

 しかしまだ油断はできない。フリッツたちに気付けば、引き返してくる可能性は十分にある距離だ。

 

 そこで初めて、自分を捕えた人物を見極めようと、フリッツは目だけを動かす。

 だがすぐに、それを後悔した。

 気付けばフリッツは彼女に抱きかかえられるようにして、窓枠の隅に押しやられていたのだ。

 生まれてこの方、ここまで異性と身体が密着したことなどあるはずもない。

 だが彼女は廊下の様子を窺って、フリッツには目もくれなかった。


 窓越しの月明かりが、彼女を照らし出す。

 艶やかな唇は花色、長い睫が滑らかな頬に影を落とす。かすかな甘い香りが、フリッツの鼻をくすぐった。

 髪は品よく纏め上げており、白いうなじが露わになっている。やけに色っぽく感じられ、しばらく無意識に眺めていたが、我に返ってフリッツは視線を外した。


 カーテン越しに向こうを見つめる、その凛とした面立ち。

 その美しい横顔に、宙をさまよいながらも、フリッツの視線は再び彼女に吸い寄せられる。

 とても、きれいだ。


 心臓がばくばくと忙しないのは、警備兵に見つかる危険のためだけではない。

 こんな状況にも関わらず、至近距離で、こんな女性と密着しているのはフリッツにとって毒以外の何物でもなかった。


 しばらくすると彼女はカーテンから首を出し、完全に警備兵が行ってしまったのを見届けた。そこでようやく彼女から解放され、フリッツは安心から深く息を吐く。

 少しばかり、残念でもあったが。


「その様子だと、自力で逃げてきたみたいね。なによ、やればできるじゃない」


 その言葉に、フリッツはぎくりとする。初対面の女性に、もう素性がばれてしまったのだ。

 だが女性はフリッツを見て微笑んだ。

 にこり、というよりは、にやり。

 

 どういうわけで、自分は助けてもらったのだろうか。それとも彼女も、警備兵に見つかってはまずい理由があったのだろうか。

 彼女は簡素ながら仕立ての良いワンピースを着ていた。深いネイビーのドレスは首元まで襟のあるもので、スカートは滑らかなラインを描いて足首まで広がっている。地味だが仕立ての良い、上品な装いだ。


 それに引き替え、フリッツは明らかに城には不釣り合いな格好をしている。着せられているのは薄汚れた目の粗いシャツだ。

 こんな囚人候の服では、すぐにばれてしまっても仕方のないことかもしれない。なにより両手に黒光りする手枷が、その身分を象徴していた。


 情けなさと恥ずかしさから、フリッツは視線を伏せた。


「あの……このこと、誰にも言わないでください。ぼくは確かに牢から逃げ出してきましたけど、あなたに危害は加えない。だから」

「はぁ? あんた何言ってるの」


 聞き覚えのある、そのフレーズ。

 フリッツはぱちぱちと目を瞬かせる。

 女性の眉が寄せられ、美しい顔は一瞬にして怪訝な表情に変わる。


 どこか、見覚えがある。

 いやしかし。そんなまさか。


 フリッツは意を決し、恐る恐るながらも訊ねた。


「……もしかして。ルーウィン、なの」

「はぁ? あたし以外の誰だってのよ」

「えっと……生き別れたお姉さん、とか?」

「あんた、バカじゃないの?」


 呆れたような視線を投げつけられる。

 フリッツはそこで、ようやく彼女が紛れもなくルーウィンであることを理解した。

 しかしその後には、別の困惑が待っている。


「だって、いつもと違う! なんか違う!」

「知るか! あんた探すために、こんなガラにもないことしてまでわざわざ来てやったの。ありがたく思いなさい!」


 本当に、ルーウィンだ。

 フリッツの顔は徐々に真っ赤になっていった。

 先ほどと同じくらいじわじわと汗が出て、くるりと後ろを向く。その様子を不審に思ったルーウィンは、フリッツの染まった首元を見て言った。


「なによ、まさか風邪ひいた? よく見たら真っ赤じゃないの。ちょっと、こっち向いて」


 ぐいと強い力で腕を引かれ、お約束のように額に手を当てられる。同時に彼女の顔も、フリッツの顔のすぐ近くに寄せられた。

 艶やかな唇が、否応なく視界に飛び込む。

 フリッツは身をよじって逃げ出した。


「大丈夫、平気平気! だからこれ以上近寄らないで!」


 フリッツは手をぶんぶんと振って誤魔化した。

 ルーウィンは腑に落ちないような顔をしたが、やがて眉間から力を抜くと微笑んだ。


「変なやつ。まあ、でも上出来よ。ここもいつ人が来るかわからない、とっとと行くわよ」

「う、うん!」


 フリッツに、久々の笑みが浮かぶ。

 仲間がいる。ルーウィンがいる。これ以上心強いことはない。

 これで大丈夫、もとに戻れる。自分はもう、捕えられることも責められることもない。

 当たり前にみんなと笑いあえる、陽の当たる世界へ帰るのだ。


 ついさっきまで、人には言えないような後ろ暗いことを考えていた。だが今はこんなにも気分がいい。

 ルーウィンの存在が、きな臭い先の一件を忘れさせたのだろうか? 

 それとも自分は、どこかおかしくなってしまったのだろうか?


 そんな疑問が頭を一瞬よぎったが、そんなことはどうでもいいように思えた。

 フリッツはルーウィンと連れだって、窓から外への脱出を試みた。










 ようやく人々の視線から逃れ、ティアラはほっと一息つく。

 しかし同じ空間に居るのは、今回の事件の発端であり諸悪の根源であるマティオスである。さすがのティアラも、すっかり警戒を解くわけにはいかなかった。

 だが当のマティオスは、優雅にシャンパンを傾けている。それが少し、腹立たしくもあった。


 ティアラがマティオスに案内された個室は、例にも漏れず豪華な造りだった。だが意外にもこぢんまりとしており、入り口正面の壁はビロードのカーテンで覆われている。


「ああ、そこが気になるかい?」


 マティオスが垂れ下がっている紐を引くと、カーテンは真ん中からするすると割れていく。手招きされ、ティアラはそろそろと進み出た。

 カーテンの向こうは、円形の劇場だった。個室の観客席がぐるりと周りを囲っている。それだけでなく、ティアラが居る場所はかなり高い位置で、数えてみると四層目だった。上にはあと二層ほどある。


 中心に円形の吹き抜けの空間があり、その一番下にステージが用意され、観客は上から様子を眺めることが出来るようだ。

 クーヘンバウムの闘技場に似た造りだが、建物の中に作られている分こちらの方が閉鎖的な印象だ。だが天井や柱には装飾が為され、特別な雰囲気を醸し出すのに一役買っている。


「これは劇場でしょうか」

「そうさ。役者を招いて演劇をしたり、歌手や楽団を招いてコンサートも催される。王が貴族たちの働きを労うために、城に造った夜会会場なんだ」

「この街は、驚くほど豊かなのですね」


 殺伐とした荒野の広がる北大陸に、唯一国家の形を成して存在するディングリップ。しかしそれにも関わらず、建物は整然と立ち並び、道路や水道といったインフラも充実し、広場や道角に家を持たない人々の姿も見えなかった。


 それに加えて上流階級の人々の、贅を尽くしたこの暮らしぶり。険しい環境の中にあってもここまでの文化を築き上げるのは、並大抵のことではない。

 だがマティオスは、ティアラの言葉に苦笑した。


「さて。それはどうかな」

「どういうことです?」


 ティアラは首を傾げる。

 鳴り響いていた音楽が終わった。どうやら、ダンスの時間は終わったようだ。

 するとステージを囲む各個室に、ぞくぞくと人々が入って来るのが見えた。閉められていたカーテンが開けられ、着飾った彼らはステージ際へと集まっていく。


「今度はこちらで、何か催し物でも?」

「大人の時間の始まりだ。ここからは、アーティ先生も想定外だと思うよ」


 マティオスはティアラをステージの見える椅子へと促した。ティアラは不思議に思いながらも、促されるままに大人しく腰掛ける。

 マティオスは手すりに腰掛け、微笑んだ。


「きみには少々刺激が強いと思うけど……せっかくだから見ていくかい?」









 バルコニーから外へと脱出し、フリッツとルーウィンは月明かりの下、生垣の影に沿って進んでいた。出来ればティアラと合流したいところだったが、まずはフリッツを外へと逃がすのが先決だ。

 ラクトスの待っている馬車までフリッツを送り届けてしまえばこっちのもの。後は夜の闇に紛れて逃げてしまえばいい。


 逸る気持ちを抑え、兵に見つからないよう二人は慎重に歩みを進める。

 身の丈以上の石垣が現れ、ルーウィンが軽々と積まれた石に足をかけ上り、両手の自由が利かないフリッツを引き上げた。落ちないように背後に気をつけながら、上がった先の生垣に身を隠す。


「フリッツ、待って」


 ルーウィンの制止が入り、フリッツは足を止めた。

 人の気配。それも、大勢だ。


 生垣に身を潜め、二人は向こう側の様子を窺う。そこには奇妙な光景があった。

 人が何人も繋がれ、列を為している。頭を垂れた生気のない人々は、槍を構えた兵士たちに睨まれ、時折せっつかれながら進む。

 彼らが何者であるか。それは疎いフリッツにもすぐにわかった。おそらく、囚人だ。

 だがここは曲がりなりにも城の中。この様子は、明らかにおかしい。


 しかしこの状況で詮索は出来ないし、するつもりもなかった。それよりもこの場から抜け出せないことが問題だ。ルーウィンの目配せを感じ、フリッツは頷く。ここはじっとしているより他ない。

 人々が順に建物に飲み込まれ、列が終わろうとしていた。彼らが行ってしまい次第、二人はすぐにでも立ち去ろうと体勢を整える。


 だが、予期せぬ事態が起こった。


「おい、逃げたぞ! 捕まえろ!」


 闇夜にけたたましく響く兵士の声。それと同時に、ガサガサと茂みを掻き分ける物音。

 そしてすぐに悟る。繋がれていたうちの一人が逃げ、こちらへやって来ているのだ。

 このままでは、まずい。

 フリッツはごくりと唾を飲み下す。ルーウィンも身を固くする。


「バカなやつめ! 逃げられると思ったのか!」

「うぐっ……! や、やめてくれ!」


 逃走者はすぐに捕えられ、駆け付けた兵に殴られた。嫌な鈍い音を聞きながら、二人はその場にじっと隠れる。

 フリッツとルーウィンの潜む生垣の、すぐ手前での出来事だった。枝の隙間から、暗いながらもその様子が垣間見える。


「た、助けてくれ! おれは盗みもしていないし、人も殺しちゃいない。それなのに」

「関係ないな。罪人は罪人だ。浮浪者も殺人犯も、この国じゃ同じだよ」

「そんな……!」


 否が応でも、耳に飛び込んでくる会話。すぐそこで繰り広げられる、一方的な暴力。

 フリッツは苦い顔をし、奥歯を噛みしめる。ルーウィンは身じろぎ一つしなかった。


「おい、それ位にしておけ。お前、ストレスが溜まってるんじゃないか。奥方とうまくいっていないのか?」


 別の兵士が駆けつけ、冗談交じりに笑いあった。


「こいつらは囚人だろ? 人権もなにもあったもんじゃない、もはや人ですらないしな。罪人は人間の底辺だ、なにをしたって構わない」

「だが、ここでおれたちが殺しちゃまずい。こいつらにはこいつらで、使い道があるんだ」

「まったく、お城ってのは怖いところだぜ。おいお前、感謝しろよ。ひとまず私刑は免れたな。おら、立てよ」


 兵士は槍の柄で倒れた囚人の腹を突き、仲間と共にまた笑った。咽こんだ囚人はゆらりと立ち上がり、涙を流しながら身体を引きずるように歩き出す。兵士たちも踵を返し、茂みを掻き分けながら戻っていく。


 これで事態は収束した。

 ―――はずだった。


「まだそこに誰かいるのか!」


 フリッツとルーウィンに、緊張が走る。

 気配に、気づかれた。兵士が再びこちらへとやってくる。


 ルーウィンがおもむろにスカートの中を探り出した。おそらく小ぶりのナイフでも隠し持っているのだろう。彼女の得手である弓はこの場になく、フリッツは手枷をつけて武器すら持っていない有様だ。

 

 このままでは、二人ともが確実に見つかる。

 向こうで待機する仲間を呼ばれる前に、一瞬でカタを付ける必要がある。武器を持ち、こちらを警戒している相手に、短刀だけでどこまでやれるか。


 ふと、闇の中でルーウィンの目が光った気がした。それはまるで、獲物を狩る猫のようだ。 

 彼女の瞳の中で、覚悟と殺意とが妖しく煌めく。

 緊張に研ぎ澄まされた、その横顔。


「……ルーウィン」

「なによ」


 フリッツの呼びかけに、ルーウィンは生垣の間から前を向いたままで答える。彼女は今にもやって来る兵士に集中し、それ以外はまったく目に入っていない。

 手には構えた小ぶりのナイフ。その時が来れば、いつでも飛び出す用意は出来ている。


 その時、フリッツは思った。

 彼女の瞳から光が消え、誰かの命を奪う瞬間を、見たくはない。


「最後にきみに会えて、良かった」


 その言葉に、ルーウィンは振り向く。

 フリッツは彼女の肩に手を掛けた。


「ごめん」


 次の瞬間、ルーウィンの体は宙に浮いた。後ろに突き飛ばされた感覚を残したまま、ルーウィンは驚いた表情のまま落ちていく。

 フリッツはゆっくりと立ち上がり、遠ざかる彼女に微笑んだ。


 大丈夫だと伝えたかったのだが、果たして上手く笑えただろうか。いや、暗くて見えなかったかもしれない。

 どちらでもいい。これはフリッツの、完全なる自己満足だ。


 どさりと物音がし、それと同時に兵士たちが駆けつける。兵士たちは持っていた槍を構え、立ち尽くすフリッツを威嚇した。

 簡素な服に身を包み、ご丁寧にも手枷まで嵌めている。誰がどう見ても列から逃げ出した囚人の一人だった。

 フリッツは目を閉じた。

 一つ息を吐くと、ゆっくりと兵士の方へ顔を向ける。


「すみません、怖くなって逃げました。捕まえてください」


 淡々と言うフリッツに、先ほどの兵士は声を荒げた。


「この! 手間かけさせやがって!」

「よせ。もう時間が無い」


 兵士の振り上げられた拳は、もう一人によって抑えられた。兵士は舌打ちをすると、乱暴にフリッツの首を掴んで連行していく。


 そう、これでいい。

 フリッツは再び、捕えられた。


 後には茂みに突き落とされ、すぐには身動きの取れないルーウィンだけが取り残された。

 






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少女とギルド潰し
   ルーウィンとダンテの昔話、番外編です。第5章と一緒にお読みいただくと、本編が少し面白くなるかもしれません。
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