第九話 変装
三日後の夕刻、宿屋の一室。
フリッツ奪還作戦の一通りの説明を終え、ラクトスは話を締めくくる。
「……と、いうわけだ」
「いや、どういうわけよ! それに、どうしてあたし抜きで話が進んでんのよ!」
その返しは想定内だ。言ったそばから声を荒立てるルーウィンに、ラクトスはげんなりとした表情を浮かべる。
誰だって自分が不在の間に事が決まれば、この反応をせざるを得ない。ラクトスがちらと視線を向けると、ティアラは力なく微笑んだ。
なぜか見知らぬ貴族が協力を申し出、なぜか自分たちは彼女らに成り代わり城へ侵入し、フリッツを助け出す。
肝心な部分が全て割愛されたざっくばらんな説明に、ルーウィンが憤るのも無理はない。アーティが絡んでいることを伏せて説明すると、どうしても不自然な形になるのは否めなかった。
騒ぐルーウィンを無視して、ラクトスは強引に話を進める。
「それで、だ。これが城の大まかな見取り図。おそらくフリッツが囚われている牢が、ここなわけだが」
「待て待て待て! ちょっと待て!」
椅子から身を乗り出し声を張り上げるルーウィンに、ラクトスはうっとおしそうに舌打ちした。
「なんだよ、いちいち話を止めやがって。うるせえやつだな」
「おかしいでしょ! なんで突然城の見取り図が出てくるのよ! どうしてフリッツの居所がわかってるの!」
「あるんだから無いよりいいじゃねえか。見取り図なんか相当役に立つぞ」
「そりゃそうでしょうよ! 当たり前のこと言ってんじゃないわよ!」
ぎゃあぎゃあと始まった二人のやり取りに、ティアラはただ苦笑する。
さすがのルーウィンもこの都合の良すぎる展開に、はいそうですかとは納得しない。城の見取り図もフリッツの居所も、全てアーティが手配してきたものだ。ちょっとした伝手を使って調達したと言っていたが、アーティはそれ以上話してはくれなかった。
ラクトスから聞き出すのは無理だと悟ったルーウィンは、今度はティアラに詰め寄った。標的がこちらに移ったことを知り、ティアラはぴくりと肩を震わせる。
ルーウィンは半眼でティアラをじっとりと睨んだ。
「怪しい……」
「そうでしょうか?」
「なーんか隠してない?」
「いいえ、何も」
腕を組み、ルーウィンはティアラの顔を下から覗き込む。ティアラは内心はらはらしながら、しかし努めてにこやかに笑って見せた。
ルーウィンは唇を尖らせる。
「今日の夕食に誓って?」
「なんですの、それ?」
「嘘ついたら夕食貰うわよって意味」
「う……」
途端に、ティアラの瞳は弱気に揺らぐ。しかし、すぐに首を横にぶんぶんと振った。一食抜くぐらいなんのその、フリッツの為ならばと自分を奮い立たせる。
ルーウィンは様々な角度から、じろじろとティアラを眺めた。一方、ティアラの方は気が気でない。
「どこからの情報なの? 誰の差し金? あんたたちだけでこんなこと出来っこないわ、絶対裏に誰かいる。まさかマティオスじゃないでしょうね?」
「そんなことはありません! 第一、それはラクトスさんが許しません!」
必死になって否定するティアラを横目に、ラクトスは額に青筋を立てる。その発言はもはや、裏に誰かいると示唆しているようなものだ。
ルーウィンはしばしティアラの周りをぐるぐる歩いたり睨んだりして威嚇したが、ティアラは笑みを崩さない。しかしその表情は、明らかに何かを隠している。
だが、ついにルーウィンが足を止める。
観念したように、息を吐いた。
「まあいいわ。ティアラがフリッツの状況を悪くするようなことをするとは思えないし、どうせあんたも一枚噛んでるんでしょ? せいぜいあたしだけ蚊帳の外で、話を進めればいいじゃない。でも……」
ルーウィンはラクトスをキッと睨む。そして次に、ティアラに向き直った。
「何もかも終わったら、ちゃんと話しなさい」
「ルーウィンさん……」
ティアラの心が、ズキリと痛む。
何かの事情でルーウィンに全てを話せないことを、彼女はちゃんとわかっている。まさか荒野の診療所にいるはずのアーティがこの街にいるとは思っていないだろうが。
しかし状況もわからないまま、ルーウィンは二人を信じ、委ねると言っているのだ。情報の出所もわからず、身を危険に晒すことは一体どれだけ心細いことだろう。
罪悪感にティアラの良心は疼くが、これもルーウィンの為だ。今アーティの存在がわかれば、またややこしいことになってしまう。
ルーウィンの眼差しを受け止め、ティアラは頷いた。フリッツを無事に助け出したら、全て話そう。
ルーウィンとアーティを仲直りさせようと、ティアラは心に決めた。
そしてすかさず、用意された変装用の衣服を取り出す。
「では早速、この服をお召しになってくださいね。もうすぐ侍女のルイーザさんが手伝いに来てくれますから」
「だからなんでそうなるのよ! やっぱり説明しなさいよ、説明を!」
夕暮れ時の宿屋に、ルーウィンのけたたましい声が響いた。
数刻後、三人は早くも馬車の中で揺られていた。
潜入のための着替えを済ませ、夜になると人気のなくなる通りを選んで横付けされた馬車に乗った。馬車を手配したのも、いわずもがなアーティだ。
乗り込む際、ルーウィンはかなり腑に落ちない顔をしていた。だが一度やると決めた話だ、彼女はそれ以降食って掛かるようなことはしなかった。宿屋では散々甲高い声で騒いでいたが、さすがにこの辺りは潔い。
三人のいでたちは、普段とはすっかり異なるものとなっていた。
伯爵令嬢ソフィアに扮したティアラは、顔に薄く化粧を施し、艶やかな栗色の髪を優雅に纏め上げている。
ドレスは大胆にも肩口がざっくり開いたデザインだが、首元まで繊細なレースが施されており、ほどよく上品なものだった。淡い若草色を基調としたドレスは、清楚なティアラによく似合う。いつものサークレットは外し、耳には涙型のイヤリングが揺れていた。
グラッセルで女王の影武者として目を付けられただけのことはあり、やはりその雰囲気も所作にも無理がない。どこからどう見ても、完璧な貴族の令嬢だ。
しかし、中身はあくまでティアラそのもの。ラクトスは声を低くして言った。
「くれぐれも油断するなよ。今までのように、ただニコニコしてりゃいいってんじゃねえ。ソフィアって娘はこれが初めての招待で、まだ顔は知られていない。大勢が話しかけてくることはないだろうが、上手くやれよ。臨機応変にな」
「はい、わかっています」
正直、臨機応変というのはティアラがもっとも苦手とする事柄だ。しかし、こうなってしまった以上、四の五の言わずやるしかない。
アーティからも、ある程度の貴族の情報は叩き込まれている。付け焼刃にすぎないが無いよりはマシだろう。
「ところでラクトスさん。心なしか、いつもよりも目が優しいように思えます。普段はもっとこう、何か文句でも言いたげなお顔をしていらしゃるから」
「誰が文句言いたげな顔だ、あとで覚えてろよ。まあ、いつもは無意識に眉間に力入れちまうからな。邪魔くさいが、案外よく見えるもんだ」
ラクトスは正装に、丸いフレームの眼鏡をかけている。最初は掛けている方も見ている方も恐ろしく違和感があったが、慣れてしまえばどうということもない。
もともと吊った目尻である上に、視力低下から凝視する癖があり、それがさらにラクトスに悪い印象を与えていた。しかし今は眉間の力は抜け、さらにレンズ越しに目が大きく見えていることもあり、いつもより比較的柔らかな表情に思える。
眼鏡はまだまだ高級品で、もちろんこれは借り物だ。久々に端々までくっきりと見える視界を、ラクトスは満喫しているようだった。
ラクトスはお付の執事の設定だ。しかしアーティの話では、新参者のソフィアにはそう何人ものお付をつけることは難しく、執事は一緒に行動することはないと考えたほうがいいと言われている。
そしてルーウィンはというと、窓枠に頬杖をつき外に顔を向けていた。
馬車の中には明かりが灯り、外はすでに薄暗い。つまりは外の景色を眺めているのではなく、単に顔を背けているだけだ。
ティアラは困ったように視線を落とす。
「ルーウィンさん、すみません。お付の方の役をしていただいたのは、何かあった時にそちらの方がなにかと身軽かと思いまして」
「あのね、勘違いしないで。別に拗ねてるんじゃない」
「でも、さっきからこちらを向いてくださらないし」
「そこにいる胡散臭い眼鏡男の反応に、苛々するのよ」
ティアラが見ると、確かにラクトスは眼鏡越しにニヤニヤとからかうような笑いを浮かべている。
「でも、せっかくお似合いですのに」
「侍女の服似合ったって、なあ?」
「ラクトスさん! わたくしは、そういう意味で言ったのではありません。でも、本当にお似合いなのに……」
ティアラは心から残念そうに食い下がったが、ルーウィンは足を組み、窓の方へそっぽ向いたままだ。
ルーウィンの服はティアラに比べればかなり軽いもので、動きやすさは格段に違う。ティアラのドレスは何層にもなっていてかさばり動きづらいが、ルーウィンの方はそうではない。
しかし侍女とはいえど正式な招待、普段屋敷で働くような簡単なものでというわけにはいかなかった。そのためにある程度の服を着せられ、ある程度化粧をされ、ある程度髪型を整えられた。
「られた」というのは、令嬢ソフィアの侍女ルイーザによってである。
「あの女、絶対に自分が行けなくなったこと根に持ってるわ」
「そんなことはないと思いますよ。ソフィアさんに危害が及ばないよう、ルーウィンさんの正体がわからないように、しっかりお仕事をされたのだと思います」
ティアラは苦笑し、ルーウィンを宥めにかかる。ルーウィンの言うことは完全なる被害妄想で、実際ルイーザは良い仕事をしたものだ。
しかしそこで、プッと小さな声が漏れる。
「じゃあなんなのよ、その笑いは!」
苛立が最高潮に達し、ルーウィンは激しく馬車の窓枠を叩きつけた。
原因であるラクトスは、笑いをこらえるのに必死になっている。
「いや、悪ぃ。決してバカにしてるつもりは」
「してるわよ! あーもう、腹立つ!」
声を荒げるルーウィンに怒鳴り返すでもなく、ラクトスは笑いをかみ殺す。
「まあ落ち着けって、お前が思うほど酷くねえよ。フリッツに見せたら、どんな反応するかと思っただけだ。それより、そのでかい態度をなんとかしろよ。そんな使用人がどこにいるんだ。お前、極力喋んな」
「言われなくてもそうするわよ」
再びそっぽを向いたルーウィンはフンと鼻を鳴らす。
今回の作戦の一番の気がかりは、珍しくルーウィンであった。ラクトスとティアラはやれやれと顔を見合わせる。
そして三人が一悶着している間にも、馬車は着々と目的地へと近づいていった。
北大陸のディングリップ帝国。
手強いモンスターが跋扈する過酷な環境のもと、人の手によって築きあげられた、今ではこの大陸に唯一存在する国家。
その全てを掌握するのが、目の前に聳え立つディングリップ城である。
辺りはすっかり暗くなっているが、闇にうっすらとその姿を浮かび上がらせていた。白い塔を幾つもつないだような造りに、繊細なラインで造られた円錐の屋根。天に向かってすらりと聳え立つ威風堂々とした佇まいは、この国の権威の象徴だ。
そして部外者を、威嚇する。
城の内部は煌々と明かりが灯され、この日ばかりは開放的に開け放されている。そのため城の正面は夜でもかなり明るかった。すでにいくつもの馬車が集い、そこから着飾った人々が粛々と出て行くところだ。
完全なる、敵地。武器を振り回すのとでは、またわけが違う。
待ち受ける煌びやかな世界に表情を引き締め、三人は馬車を出た。




