第三話 悪意の炎
キャルーメル修練所は、良家の子息が大半を占める場であった。
意気消沈したフリッツに、クリーヴが修練所内の案内を買って出る。
【第三話 悪意の炎】
ルーウィンは先ほどの講義の様子ですっかり興味がさめてしまったらしく、すでに別行動に走っていた。彼女は食堂へ向かうと言って、さっさと行ってしまった。
ガラの悪い門下生に運悪く睨まれてしまったフリッツを気遣って、クリーヴは次の場所へと案内した。先ほどの講堂とは反対側に面する資料室だ。
すっかり意気消沈していたフリッツだったが、扉を開けるなり目に飛び込んできた光景に思わず声を上げた。
「すごい! これ、ドラゴンの骨の標本だよね」
大きな部屋でフリッツを待っていたのはドラゴンの標本だった。
天井から細いワイヤーで吊るされ、いかにも空を舞っているかのように展示されている。広げた羽はゆうにフリッツの身長の三、四倍ほどはある。この骨の持ち主にまだ肉体があった頃、その喉の奥から凶悪な炎を吐き散らし、膜状の羽を広げ羽ばたき、実際に空を駆けていたと思うと、フリッツは高揚した。まるでこの部屋だけ時間が止まり、別の時間の流れの中にいるようだった。
そんなフリッツを見て、クリーヴは満足げに笑った。
「そう、全部本物だよ。この大きいのがブラックドラゴン。あっちの小さいのはヘキガンマダラドラゴン。むこうの丁度乗れそうなやつは、ジベタリュウだね。別名、蒼穹に焦がれる者っていうんだ」
クリーヴの解説を聞きながら、フリッツは興味深げに次々と眺めていった。ドラゴンの牙や爪、鱗の標本もあった。立派なレザーの防具が出来るだろうと想像できる皮質のものや、蒼く透き通って宝石かと見間違えるくらい美しいものもある。
「ぼくは何度もここの入所希望者を案内してきたけど、男の子はみんなここにくると気分が上がるんだよね」
フリッツは何度も首を縦に振って激しく同意した。
「これは上げずにはいられないよ。すごいなあ。でも、魔法修練所にどうしてドラゴンなの?」
「ドラゴンは全ての生き物の頂点といわれるほど生命力が強く、謎に満ち溢れている生き物だ。それを解き明かすことで魔法のなにかに役立てられればと、以前から研究が続けられている。魔法使いたるもの、なんにでも興味や探究心を持ち、常に向上心を持っていなければならないんだよ」
「魔法使いってすごいね。なんでも勉強しなきゃならないんだ」
フリッツは感嘆のため息をついた。
「これは余談だけど、最近都のほうに行くと、本物の生きたブラックドラゴンに乗って移動する盗賊団がいるらしいよ。ぼくにはとても考えられないけどね」
「ドラゴンを手なづける盗賊なんかがいるの。世の中物騒だなあ」
フリッツが気の抜けた感想を言うと、クリーヴはおどけて言った。
「フリッツくんはこれから北へ向かうんだから、そんな人事みたいに言っていられないよ。万が一にも遭遇してしまったら大変だ。さあ、そろそろ次へ行こう」
クリーヴは次にフリッツを温室へ案内した。講義を行っていたため、隅のほうでこっそりとその様子を見学した。明らかに食べられないようなメルヘンな色のきのこが並び、門下生たちは熱心に先に綿の付いた棒でつついている。棘から謎の液体を垂れ流している茨や、絶えず左右に頭をゆらゆらさせている花など、見たことのない植物がたくさんあった。
次に案内されたのは用具室だった。昔から行われている古代魔法に使う道具を置いている部屋だ。謎の拷問道具やガイコツの標本など、少しばかり変なものがあったような気もしたが、フリッツは見て見ぬ振りをした。離れた場所の様子を見るのに使われていた大きな水晶玉や、見事な細工の施された鏡などもあった。
ひとしきり修練所内を歩き回り、最後にクリーヴはフリッツを外へと連れ出した。
「最後にとっておきのがあるよ。きみはまだ、この街に着いてから一度も魔法を見ていないだろう? 残念ながら、所長もあんな調子だし」
クリーヴの言うとおり、確かに所長のガルシェは本当に魔法が使えるのか疑わしくなるほど、魔法使いらしさを感じさせない人物だった。ルーウィンはあの場で色々とはっきり言っていたが、正直フリッツも期待していたところがあったので、ガルシェを見て拍子抜けしていた。あれならよっぽど自分の師匠のほうが魔法使いらしいと、思わずルーウィンの意見に同意しそうになったのだ。
しかしここにきてやっと魔法が見られると聞いて、フリッツは目を輝かせた。
「本当に見られるの?」
その言葉に、クリーヴは自信たっぷりに笑った。
「もちろん。ここはキャルーメル高等魔法修練所だよ?」
屋外の演習場には門下生が三十人ほどずらりと並び、それぞれが杖を手にしていた。杖はまちまちだが、大体各々の脚の長さほどだ。万が一魔法にあたっては危ないということで、フリッツとクリーヴは少し離れたところからその様子を見ていた。
魔法使いの杖を見るのは初めてで、ここに来て自分は魔法修練所にいるのだと、やっとのことで実感が湧いてきた。
講師が合図をすると、みな一斉に杖を構えた。呪文を唱えているようで、門下生たちの口元がもごもごと動いているのがわかる。
すると、一番に呪文を完成させた門下生の杖の先から、勢い良く炎が発射された。ただ炎が燃えるのではなく、目の前の標的に目掛けて飛ぶように放たれた。他の門下生たちも次々と呪文を完成させ、火花がたくさん飛んでいくのをフリッツは見ていた。
離れているせいもあり、正直思ったほど迫力はなかったが、それでも充分興味深かった。
「すごいね。あんなので攻撃されたらひとたまりもないよ」
「今のはフレイムダガーっていう技なんだ。中級くらいの技だね。他にもたくさん技はあって、有名どころだと水のアクアヴェール、風のウインドアーム、雷のサンダーランスってところかな」
フリッツは、普段なかなか目にすることの出来ない光景を食い入るように見つめる。
「みんな杖に火が灯ってるよ、だけど杖は燃えないんだね。あ、あっちは光の玉がたくさん出てる!」
クリーヴはそんなフリッツを見て、何か思いついたようにぽんと手をたたいた。
「ぼくはなんて気が利かないんだろう! ごめんね、修練中以外は勝手に魔法を使わないことになってるから、地味で小さいものになるけど」
クリーヴはおもむろに持っていた杖を掲げた。目を瞑って、唇で小さく呪文を唱えている。集中しているのだ。
囁くよりも小さな声で、知らない言葉であったのでフリッツにはなんと言っているかまるでわからなかった。しかし、歌のような、心地よい旋律だった。
やがて杖の先に、小さな光が生まれた。くるくる回るようにして大きくなって、拳大の大きさに成長する。その白い光は、薄く色づいたかと思ったら淡いピンク色になり、彩度が落ちたと思ったらバラの花びらのような真紅になった。そうして橙、黄色、萌黄、緑と色は回転しながら変化していき、やがてまた最初のように真っ白になった。
丸く穏やかだった光は、今度はだんだん眩しくなり、それはやがてダイヤのような、一等星のような輝きを放つ。眩しくて見ていられなくなったフリッツは目を細めた。刹那、爆発が起こったかと錯覚するような光を放ち、光は消えた。
フリッツはその光の強さに立ち眩んだ。
しかし、間近で見られた初めての魔法に、フリッツは言葉を失った。突然始まり、突然終わってしまったため、魔法を目前で見たという実感はすぐには湧かなかった。
だがしばらくすると、じわじわと先ほどの光景が頭に蘇ってきた。
「すごい! 本物の魔法だ。こんな間近で見られるなんて」
「大したことないよ。これくらい、練習すればフリッツくんにも出来る。きみならざっと二十年くらいかな」
「それはさすがに無理だよ。おじさんになっちゃうよ」
フリッツもクリーヴも笑った。
「色々見せてもらって、すごく興味深かった! 本当にありがとうございました」
フリッツは声を弾ませて言った。それを聞いてクリーヴは微笑む。
「満足してもらえたみたいで嬉しいよ。それじゃあ、ぼくはこれで。そろそろ次の講義が始まるんだ。魔法使いが見つかるまで、この街に留まるんだよね。もし良かったら、また遊びに来てよ」
「はい、ぜひそうします」
社交辞令かもしれなかったが、そう言ってもらえるだけでフリッツは嬉しくなった。クリーヴはフリッツに手を振りながら修練所の講堂へと向かっていった。
クリーヴを見送り、フリッツはふうとため息をつく。名残惜しさと、そして気持ちを落ち着けるための一呼吸だった。そしてルーウィンと合流しようと、フリッツは歩き始めた。
生まれて初めて目の前で魔法を見ることができ、また案内してくれたクリーヴも良い青年だったことで、フリッツの気持ちはすっかり高揚していた。正直なところはじめは、性格の面でろくな魔法使いがいないと落胆していた。しかしクリーヴを見ていると、彼のようないい魔法使いが見つかるかもしれないと、つい期待してしまう。
そんなフリッツは自分の背後に忍び寄る影に気がつかず、これから修練所で起こる騒動に巻き込まれることも予測できていなかった。
構えられた杖の先。その焦点は、うきうきとした足取りのフリッツの背中。
何者かが、建物の影に隠れて旋律を口ずさむ。それは歌ではなく、呪文であった。杖の先に、妖しい光が灯る。魔力が宿る。
刹那、光は杖の先から糸のように線を描き、静かにフリッツの背中目掛けて放たれた。
一瞬、フリッツの体は全ての動きを止める。フリッツは呻くこともせず、その場にゆっくりと崩れ落ちた。
ところで、学び舎というのは、いつの時代も二面性を持っている。
そこは活力に満ち溢れた若者が己を磨き、互いに成長しあう場である。弾けるような若さ、みずみずしいエネルギーに満ち満ちた学びの楽園。友と手を取り、時に競い合うことで、彼らは励ましあって己の道を切り拓いていくのだ。
しかしその一方で、他者と競うことで浮き彫りになる自分と向き合わなければならない場でもある。 そして時折、勉学や修練の中で己を見失う。横行する脱落、蹴落とし、裏切り。またその未熟さゆえ、あまりある力を持て余し、その方向性を誤ることも少なくはない。
妬みや嫉み。行き場をなくした、渦巻く負の感情たち。
ここキャルーメル高等魔術修練所も、例にも漏れずそういったものを抱える学び舎の一つであった。
そして今、魔法に関して何の免疫もないある剣士に、その悪意は向けられようとしていた。
フリッツは目を覚ますと、ゆっくりと体を起こした。
「あれ? ……ぼく、どうしたんだっけ」
修練所の建物の正面に、フリッツはなぜか座り込んでいた。ルーウィンを探しに行く途中だったことを思い出す。フリッツは首を傾げて、頭を掻いた。
「寝ちゃったのかな? まあ、いいや」
白昼堂々、往来で眠りに落ちるなどということは、健康な人間には滅多にないことである。しかしその時、それを不思議にも思わなかった。
フリッツは立ち上がって、ズボンについた土ぼこりを払った。辺りは静かなもので、木立の向こうに行き交う門下生たちが点のように見えるだけだった。おそらく講義の時間帯なのだろう。こんなところで倒れているのを誰にも見られていなくて良かったと、フリッツはほっと胸を撫で下ろす。
そしてルーウィンがまだ食堂に居ることを願いながら、フリッツは歩き出そうとした。
その時だった。
遠くのほうが突如騒がしくなった。フリッツは不審に思って、騒ぎのするほうへ向かった。修練所の建物の方とは逆の方向だった。騒ぎが収まる気配はなく、人はますます増えていくばかりだ。
走って辿り着いたフリッツは、その光景をただ見上げるしかなかった。
門下生たちが口々に叫んでいる。
「修練中の事故か? フレイムダガーが飛び火したのか?」
「ばかな! あの魔法は、こんなふうになる魔法じゃない」
「明らかに悪意のある魔法だ!」
朝通ってきた木立が、燃えていた。
それも一本どころではない。門から修練所の建物まで、まっすぐに伸びた道を縁取るかのように、途沿いの木立が全て炎に包まれている。しかし、ただの炎ではない。それはフリッツにもすぐにわかった。
その炎はあまりにも禍々しい色をしていたのだ。
紫、そして揺らめけば黒。
炎で辺りは熱くなっているはずなのに、その色を見ていると背筋に悪寒が走る。紫と黒の炎に包まれた木立がずらりと続くさまは、なんとも言えず恐ろしい光景だった。
まるで悪意を持っているかのような不気味な色に、フリッツは息を呑んだ。耐えられなくなった女生徒が悲鳴を上げる。立ち上った煙を見て、続々と門下生たちが駆けつけてきた。
「魔法の炎だ! 水じゃ消えない!」
「退いて。ぼくがやろう」
聞き覚えのある声がし、フリッツがそちらを見ると、そこにはクリーヴがいた。
クリーヴは素早く杖を構えた。そして杖の先から小さな水滴が生まれる。クリーヴが杖を木立の一つに向けると、勢い良く水の魔法が放たれた。あっけにとられていた他の門下生たちも、やがてはっとしたように、クリーヴに習い同じ魔法を次々と唱え始める。
クリーヴがこの場に現れ、対策を示すと、他の門下生たちもやや落ち着きを取り戻した。クリーヴの主席の称号は、伊達ではないようだ。門下生たちの水の魔法による消火が始まった。しかし炎の勢いはまだ衰えず、状況は拮抗している。
炎が、木々を舐めるように這う。その様子は、若者たちの酷く心を不安にさせた。
炎の色で門下生たちの顔が紫に照らされる中、フリッツはふと、ある人物に目が留った。すぐ近くのベンチに、座ったままの門下生がいる。皆がこんなに必死になっている中、彼だけが動かないのはどこか不自然であった。フリッツは目を細めてその人物を見極める。どこかで見覚えがある。
そしてフリッツは、世にも奇妙な、不思議な感覚に襲われた。
まるで世界がぼやけていくようだった。水中に居る時のように、音が遠くなる。門下生たちが口々に何か叫んでいるが、それもなにを言っているのかわからなくなった。耳に膜が張ってしまったかのようだ。
それは視界も同様だった。周りの景色がどんどん削り取られていく。白く霞がかって、ある一つのものしか見えなくなる。それだけがくっきりと、窓ガラスの曇りを拭き取った部分のように鮮明に見える。
それは正確には、ある『人物』だった。
どうにもおかしい、煙をたくさん吸ってしまったのだろうか。しかしそう思考することすら、出来なくなってしまった。
何か強い命令に、突き動かされている感覚。
フリッツは、自分の腕がゆっくりと上がっていくのを感じていた。そしてフリッツの人差し指は、ある人物を示して止まった。
「ぼく、みました。あのひとです」
ぱくぱくと、自分の口が動いたのがわかった。言っていることがおかしいとは、思わなかった。
辺りの人間の視線が、一気に集まる。消火作業にあたっていたクリーヴも、手元はそのままだが、つい目を離す。皆の視線は、最初はフリッツに。そして次に、フリッツの指す人物へと移される。
「あのひとがまほうで、火をつけたんです」
指された人物は、ベンチに座ったままの、ある門下生だった。切れ長の鋭い目が、見開かれる。
彼は少し驚いた表情を浮かべ、そして口元を歪ませた。




