第十話 年貢の納め時
【第十話 年貢の納め時】
男たちが後から後から押し寄せる。階段を駆けあがってきた団員たちは、息を切らして最後の一段を上り詰めた。
「やつら、確かにここまで上ってきたはずだ」
「この階を隅々まで探せ!」
扉はそう幾つもない。一つ一つ洗っていけば、確実にネズミは姿を現す。ここは最上階、もはや逃げ場などないのだから。
団員たちは一斉にそれぞれの扉に飛びつく。しかし、どこも鍵がかかっているようだ。
「おい、開かないぞ」
「そんなの、無理に押し破れ!」
団員たちは一丸になり、扉を押し破ろうと体当たりを始めた。
しかし突然、扉が内側から開け放たれる。彼らは勢い余って無様に部屋の中へと豪快に雪崩れ込んだ。床に強か膝をぶつけ、それぞれ呻き声を上げる。
そこに居たのは、扉に手をかけたままの少年だった。少年は悪びれる様子も無ければ驚くこともなく、ただ無表情な顔でそこに立っている。
「……何か」
ぼそりと呟かれた言葉に、団員たちは怪訝な表情を浮かべて少年を見上げた。
「なんだ、このガキ。おい、おれたちが追っかけてたのってこんなのだったか?」
少年はずいぶんと小柄だった。
上から下まですらりとした黒い服を身に着け、襟元や袖口には魔術めいた金刺繍が施されている。そして腕に嵌る、黒い腕輪。
間違いなく漆黒竜団の人間のようだが、線が細く、かなり幼い印象を与える。それにも拘らず、黒い髪の中には早くも白いものが一筋混じっていた。
団員のうちの一人が何かに気がつき、はっとした様子で顔を上げる。
「こいつ、いや、この方は」
「はあ? 一体このガキが誰だっていうんだよ」
「お前バカか! 鬼神のところのガキだよ、知らねえのか」
這いつくばったまま、団員達たちは小さな声で囁き合った。そのやりとりを気に留めず、少年は口を開く。
「……用が無ければ、また寝る。それとも」
少年は傍らに置いてあった杖をおもむろに取り上げた。杖の先、丸く磨き抜かれた宝珠から、小さな火花のようなものがちらちらと走る。
それは、小さな小さな雷。
少年の、底の抜けた夜空のような真っ黒い瞳が、意味ありげに歪んだ。
「……ビリビリしていく?」
「し、失礼致しました!」
数名の者が反応し、すぐさま立ち上がって敬礼をする。状況を飲み込めていない者は引きずられ、団員達はばたばたと部屋から出て行った。
悪態をつきながら階下へと降りて行く彼らを見届けて、少年はぱたんと扉を閉める。
そして誰にともなく呟いた。
「……もう、行った」
その呼びかけに、カーテンの両サイドから、それぞれフリッツとルーウィンが姿を見せた。
窓枠から軽い身のこなしで飛び降り、腕を組んだルーウィンはつかつかと歩み寄る。
「どうして庇ったの? あたしたちは、あんたの敵でしょ」
「ルーウィン、庇ってもらったのにそんな言い方はないよ」
高圧的なルーウィンの物言いに、フリッツは静かに釘を刺す。漆黒の髪に同じ色の服をまとった少年は、冷めた目で二人を見返した。
目の前にいるのは、ジンノだった。
一行が北大陸に足を踏み入れたばかりの頃酷い目に遭わされた、あのジンノだ。 ジンノとシアによって、フリッツたちは北大陸上陸後間もなく、初めての全滅、そして完全なる敗北を味わった。今まで出会ったどの魔術師よりも高度な技を展開し、フリッツたちを窮地に追い込んだ張本人である。
しかし今のジンノからは、あの時のような禍々しい殺意を感じることは無かった。それどころか、団員たちが行ってしまった後は杖すら床に放ってしまい、明らかに攻撃する意思はない。
フリッツは柄に置いていた手を下げた。それでも、警戒を解いたわけではなかったが。
ジンノはぼそりと呟いた。
「……庇ってない。あいつらは、鬱陶しい」
「ぼくらを襲わないの?」
「……ここでは、使えない。倒壊するから、仕方ない」
フリッツとルーウィンは一瞬顔をしかめたが、少し考え、彼の言葉の意味するところを理解した。ジンノの魔法はあまりに強力すぎるため、周りに大きな損害を与える恐れがある。そのため屋内では魔法が使えない、ということなのだろう。なにせあの雷だ、落ちれば建物の火事は免れられない。
「主語をはっきり言いなさいよ、主語を!」
ルーウィンは眉間に皺を寄せる。相手が攻撃に出ないとわかり、いつもの横柄なさが滲み出る。ただ単にはっきりとしない物言いに腹が立つのと、思うようにならないフリッツへの苛立ちをぶつけているのだ。
一方、フリッツは居心地の悪さを感じていた。それは言い合いになったルーウィンにではなく、ジンノに対してだ。
前回のような身の毛もよだつ程の殺気は無いとはいえ、ジンノは機嫌が悪そうに目細めて、じっとフリッツを見ている。害虫でも見ているかのような眼差しだ。
最初に会った時もそうだった。ジンノは特にフリッツに、言いようのない殺気をぶつけてきた。
今はただ不快でしかないが、ジンノの視線から逃れるため、フリッツは辺りを見回す。
部屋の中はなかなか上等にしつらえられていた。
中央にはテーブルやクッションが据えてあり、窓枠やカーテンも洒落たものだ。窓側には執務机がどんと置かれているが、その上には何もなく、きちんと片づいている。他にも棚にしろ絨毯にしろ、素人が一見しただけでも業物だとわかる調度品が置かれていた。グラッセル王宮以来お目にかかることはなかった天蓋ベッドまである。
部屋の二隅に置かれたそれらを見て、相部屋なのだろうかと訝しむ。
フリッツはそこで、ルーウィンに向かって口を開いた。
「さっきの人たちの気配が消えたら、すぐ出よう。その間、少し話がしたい」
ルーウィンは答えなかったが、黙って部屋の扉に腕を組んでもたれかかった。
言われなくとも、外の様子を窺う用意は出来ているという表情だった。明らかに不満の色が浮かんでいるが、今この状況で外に出られないのはルーウィンもわかっている。
そしてフリッツは、ジンノに向き直った。
フリッツが話したいと言ったのは、ルーウィンではなく、ジンノだった。向けられる刺々しい視線はさておき、フリッツはジンノに訊ねる。
「きみは兄さんの、アーサー=ロズベラーの直属の部下だと言っていた。本当にそうなの?」
ジンノは答えず、首を振りもしない。
今回は、ルーウィンを連れ戻すことが目的だった。捜しているアーサーの本拠地に乗り込むということは、頭の端にも置いていなかった。
しかし目の前にアーサーに近しいはずであるジンノが、しかも自分たちに害を加えない状態でそこに居るのに、それをみすみす逃すことはない。
これはフリッツにとっても、好機だった。
「兄さんはなぜこんなところにいるのか。何をしたいのか。きみは知らない?」
だがジンノは、答えない。相変わらずの嫌な視線をフリッツに送り続けているだけだ。
「教えてほしいんだ。ぼくにはどうしても、兄さんがこんな場所に居る理由がわからない。何か理由があると信じたいんだ」
フリッツは知らず拳を強く握った。
炎の中の、黒いマントを纏った背中。振り返ったあの時の表情を、フリッツは忘れられない。
悲しんでもいない、狂気じみてもいない。そこにあったのはただの虚無。
アーサーはあの場に居て、何も感じてはいなかった。罪もない酒場の客を殺し、興奮し、フリッツをあざ笑った男たちよりも、フリッツは兄に恐怖を感じたのだ。
しかしどうしてか、そんな兄を自分はこうして追っている。
そしてその手がかりが目の前にあるというのに、当のジンノはだんまりだ。
「答えてはくれないんだね」
フリッツはため息とともに言葉を吐き出す。
自分が答えればフリッツの利になることをジンノは十分に承知していた。そしてこれだけの嫌悪感を丸出しにしている彼が、そうそう重い口を開くことがあるはずがない。
フリッツは、これ以上は全くの無駄だと悟った。そして、諦めた。
気持ちを切り替える。あれもこれもと、手を出していいことはない。ラクトスたちと無事合流し、ルーウィンを外に連れ出す。その一つに集中しなければならない。
「最後に一つだけ。聞いてもいいかな」
フリッツは苦笑して、ジンノに問うた。
「兄さんは、元気?」
「……」
相変わらずの沈黙だった。フリッツは深く、息を吐く。
「じゃあ、行くね。ルーウィンがもう出ようとしているし」
目敏くその気配を察知したフリッツに、ルーウィンは一つ舌打ちをする。あわよくばここから飛び出し、フリッツを播こうとでも考えていたのだろう。
フリッツも扉に近づき、耳を澄ませた。
「ルーウィン、行こう」
フリッツは静かにそう言い、まだ納得のいかない顔をしているルーウィンと共に扉から滑り出ていった。
「……あんな……やつが」
ジンノは、声になるかならないかほど小さな音で呟いた。
突然の来客が居なくなってからも、しばしその場に立ち尽くしたままだった。
「あっ、やだ。開いちゃった」
軽やかな声とともに、ジンノの私室の扉が開かれた。腰に手を当て、寝台に横になっているジンノの顔を覗き込む。
「起きてたのね。もう、また鍵開けっ放しにして。ルビアスに注意されたばかりでしょ。世の中物騒なんだから、気を抜いたらだめだよ」
「……ごめん」
ジンノは表情一つ変えないが、それでも一応は答えてみせる。
ふわりとした素材の服に身を包み、黄金色の美しい髪を揺らしてひょっこりと現れたのはシアだった。この漆黒竜団本部という場所にあって、彼女の異質さはより際立つ。
根暗なジンノはともかく、どこからどう見ても可憐でかわいらしい少女でしかないシアは、この漆黒竜団本部においてかなり浮いた存在であった。だからこそ、彼女は滅多に人前に姿を現すことは無い。
その点はジンノも同様で、しかし彼の場合の理由は極度の出不精というだけの話だった。皮肉なことにそれが、二人が鬼神アーサーの切り札であると囁かれる所以にもなっている。
相変わらず、肩には小型の竜、ヘキガンマダラドラゴンのミケがちょこんと鎮座していた。
ミケの喉元を優しく掻いてやりながら、シアは小首を傾げる。
「そういえばさっき部屋の前が騒がしかったみたいだけど、何かあった? 下で機嫌の悪い人たちと入れ違いになったの」
ジンノは静かに肯く。大丈夫、という肯定だ。
それを見たシアは安堵して微笑む。
「ところで、ちょっと不穏なことを耳にしたんだけど。さっきの男の人たち、なんだかその……ネのつく、あれを探しているらしくって。あんなに必死になっているなんて、一体どれだけ大きいのかな」
シアは一転して物憂げな表情をした。
この少女は、人を丸飲みするドラゴン肩に乗せて平気でいるというのに、ちょろちょろ地べたを這う灰色の哺乳類などが怖いと言う。
団員たちが血眼になって捜しているネズミはあくまで例えで、本当は侵入者を指しているのだが、シアはそれに気づいていない。
しかしジンノはその誤解を解かずに口を開いた。
「……そのネズミなら、さっきまでここに」
「……ぃいやぁぁあああーーー!!」
突如、空間を切り裂くようなシアの悲鳴が響き渡る。
ジンノの耳はキーンと鼓膜が震え、近くで叫ばれたミケなどたまったものではない。小さな翼でへなへなと羽ばたき、ついにはぽとりと床に落ちてしまった。
顔を真っ赤にして叫んだシアは、足元に天敵がいないかと怯え、涙目で土足のまま寝台に飛び上がる。
「おい、何だ! 今の悲鳴は!」
シアの尋常でない悲鳴を聞きつけ、階下から男たちが再び駆け上ってくる気配がした。
「……あ」
ジンノは間の抜けた声を出す。
先ほどこの部屋から逃げて行った大ネズミ二匹と、団員たちが再び顔を合わせてしまうのは、そう先のことではなかった。
一方、閑散とした食堂。
扉の向こうでは、ばたばたと騒がしい足音が遠ざかっていく。ラクトスは壁際に身を寄せ、その気配を感じ取ろうとしていた。
誰かがこの扉を開けて入ってきた時の言い訳を考えていたが、食堂にまっすぐ飛び込んでくるおめでたい人間はいなかった。隈なく捜してはいないことを考えると、侵入者の逃走経路はすでにわかっているということなのか。
一通り足音が過ぎ去り、ラクトスは息を吐き出す。そしてティアラに視線をやった。
「おい、落ち着いたか」
「……ええ。取り乱してすみませんでした」
ティアラは壁にもたれかかり、その場にしゃがみ込んでいた。具合が悪いわけではないが、その顔色は優れない。
「で、腕輪がなんだって?」
「……話せば長くなります。今ここでは」
「あのな、そんな反応されて気にするなって方が無理だろ」
ラクトスが苦々しくと言うと、ティアラはゆっくりと立ち上がる。
「腕輪が、黒い靄をまとっているんです」
「靄? なんだ、そりゃ」
ラクトスは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「誰もが持っているものです。生きている限り、付き纏うもの。でもそれが、凝縮されるなんて……この腕輪、もしかするととんでもない物かもしれません」
ティアラは自分の手首に嵌った腕輪を、ぎゅっと抑える。ラクトスは彼女の言う意味が分からず、渋い顔をするばかりだった。
ティアラは首を横に振った。
「その話は後にしましょう。漆黒竜団の方々は侵入者だと言って走って行きました。もしかすると、フリッツさんかルーウィンさんが見つかってしまったのかもしれません」
「……だよなあ。どっちが見つかったかわかんねえが、とにかく行くぞ」
ラクトスは舌打ちをし、ゆっくりと扉を開ける。
左右を見回すと、今のところ人はいない。しかし、団員を避けて通るわけにはいかなかった。
こうしている今にも、フリッツかルーウィンのどちらかが見つかって、漆黒竜団に追い回されているかもしれないのだ。自分たちの正体が見破られていないと信じて、人がいる方へ行くしかないだろう。
「気が進まねえが、団員が向かった方向に行くか」
黒服を身に纏ったラクトスとティアラは走り出した。
足を動かしながら、ラクトスは最悪の場面を想定する。
フリッツが捕まったか、あるいはルーウィンか。いずれにしろ、この敵地で捕まれば最後に待っているのは、間違いなくむごたらしい死だ。
すでに追い詰められていた場合、どう助けるか。ラクトスは考えを巡らせる。自分とティアラで魔法を使って、逃げ切れるのか。雑魚を蹴散らせたとしても、ここでは援軍がぞくぞくと湧いてくるだろう。
術者二人、どちらも詠唱時間を稼ぐ術のないこの二人で、どこまで出来るのか。下手をすれば四人のうち誰一人、ここから出られないかもしれない。
その時ふと、ラクトスの頭の中にある考えがよぎる。
助けることが不可能なら、逃げられる自分たちだけでも脱出するべきではないか。
しかし残念ながら、その選択肢に即座に飛びつくほどラクトスは冷酷ではなかった。自分から飛び込んだルーウィンならまだしも、フリッツを見捨ててここを出て行くことは出来ない。
そもそも、自分たちは間に合うのか。団員が騒ぎ始めて、もうある程度時間が経つ。すでに捕まってしまい、今まさに吊るし上げられている真っ最中なのではないか。
やはり、来るべきではなかったのだ。これでは皆、やられてしまう。軽率な判断だった。
ラクトスは奥歯を噛みしめる。
そのラクトスの焦燥を隣で感じ取り、ティアラは走りながらも表情を曇らせた。
しかし、ある曲がり角に差し掛かり、突如ラクトスはティアラの腕を掴んだ。腕を引っ張られたティアラはそのまま角に引きとどめられる形となる。ティアラはわけがわからず目を見開き、困惑した表情をラクトスに向けた。
「どうしましたか? 怖い顔をされて」
「……誰かが連行されてるらしい。一人捕まって、何人かが連れてきている」
ラクトスは壁に張り付き、耳を澄ませる。事態を把握したティアラもそれに倣った。
「まさか、もう? どうしましょう……!」
不安に揺らぐ声を出すティアラに、ラクトスは目だけで黙るよう合図した。
その時、向こうからバタバタと別の足音がやってきた。ラクトスとティアラの二人は身を強張らせる。しかし、その足音は途中で止まった。
「おい、お前等そんな奴にかまっている場合かよ! 聞いたか、侵入者だ! 捕まえてゴルヴィルに差し出せば褒美が出るらしい」
これはやってきた団員の言葉だろうか。こちらに来ないことを祈りつつも、二人はその会話に耳を澄ませた。
「本当か! こういう時のあの人は気前がいいからな。しかし、こいつをブチ込まないことには。一応見張っとくようにも言われてるんだ」
「そんな奴は後にして、鍵かけときゃ問題ねえよ! どうせ逃げれやしねぇんだから」
「まあ、そうするか。おい、後でたっぷりいたぶってやるよ。その涼しい面を見れねえほど不細工にしてやる。じゃあな」
「おれも混ぜろよ。日頃の鬱憤が溜まってんだ。久々に演習じゃなく、ただの暴力が振るいてえ。一方的にな!」
ひとしきり話すと団員たちは行ってしまった。
廊下に残った下卑た笑いも消え、すっかり彼らが居なくなったのを確認すると、ラクトスとティアラは顔を見合わせる。誰が捕まっている、それは確かだ。
しかしまだ、侵入者はいるという。
「今の会話だけじゃわかんねえな。どっちかが捕まって、まだどっちかは逃げてるのかもしれない」
「確かめましょう」
二人は角から出て、先ほど団員たちが居た場所へと向かった。
そこにはぽっかりと暗闇が口を開けている。地下へと続く階段だ。奥がぼんやりと光っている。
見張りが残っていることも考えて、ラクトスは杖を構え、階段を先に降りた。その後をティアラが恐る恐る続く。
足元がおぼつかない中、一歩一歩を踏みしめる。階段を下りきると、そこは真っ暗な空間だった。ラクトスはすぐ傍の壁に立てかけられていた松明を持つ。見張りはいない。
かび臭く、淀んだ空気。とても気分良く進める場所ではない。
足元をクモらしきものが横切って、ティアラが驚きに悲鳴を上げかけたのを、ラクトスはなんとか黙らせた。
ラクトスは松明を掲げた。右側に壁、左側に牢。
地下牢だ。
一つ目の牢は、空。大きなクモの巣が張っている。
二つ目の牢も、空。しかし、先客の名残があった。腕の骨らしきものが転がっている。
また後ろでティアラが息を呑むのを察し、ラクトスは素早く彼女の口を手で塞いだ。軽くティアラを睨んでやると、大きな瞳で申し訳なさそうに見返される。
そして、三つ目。松明に照らされて、ぼんやりと中の様子が浮かび上がる。
そこには、壁に背中を預けている男の姿。
ラクトスは目を見開き、ティアラは今度こそ悲鳴を上げかけた。
「おい、フリッツ!」
「フリッツさん!」
ラクトスは思わず松明を手から落とし、両手で牢に掴みかかった。ティアラも泣きそうな声で、膝を落として牢にすがりつく。
床に落とされた松明は消えることなく、炎は牢の中を照らす。
中の人物は首を下に向けたままだ。手を拘束されており、衣服は多少乱れ、ぐったりとした様子から乱暴に連れて来られたのだと窺い知れた。
「おい、何とか言えよ!」
ラクトスが焦りを滲ませ、錆の浮かんだ牢を強く揺する。
しばらくして、その人物は低く呻いた。そして難儀そうに身じろぎし、ゆっくりと顔を上げる。
端正な口元に僅かに血が滲み、唇はゆっくりと弧を描いた。
「……やあ。また会ったね」
ラクトスとティアラは、息を呑む。
そこに囚われていたのは、マティオスだった。




