第九話 ネズミたち
【第九話 ネズミたち】
閑散とした廊下を、足早に進む二つの影。どちらもやや小柄で、黒い服を身に着けている。だが、片方が片方を引っ張るようにして進んでいた。
まるで、無理矢理連れ出そうとしているかのように。
「……ちょっと! ねぇ、痛いってば!」
ルーウィンは声を上げた。
彼女がそこまで言って、フリッツは初めて足を止めた。
そしてルーウィンを振り返ると、ぱっと手を離す。ルーウィンは離して欲しいために嘘を言ったのではなく、フリッツが握っていた部分は赤く痕になっていた。ルーウィンは自由になった手を素早くひっこめ、もう片方の手で押さえる。
その様子を見ても、フリッツは何も言わない。いつものように謝ることもしなかった。ルーウィンは唇を噛む。
ここまでのフリッツの足どりは速かった。手を掴まれたルーウィンが追いつくのに苦労し、半ば引きずられる形になるほどに。
力づくで振り切ろうともしたが、どうしても出来なかった。フリッツごときに思うようにならない事態に、ルーウィンは苛立ちを隠せない。
ルーウィンは恨めしくフリッツを睨み上げる。しかしフリッツはそれにひるむ様子もなく、平然と口を開いた。
「放しても、ちゃんとついてくる?」
「そんなわけないじゃない! あたしはあのクソ野郎のところに行くんだから!」
「じゃあ、だめだ」
フリッツは再び手を伸ばし、ルーウィンの手首を掴もうとする。しかし今度は、ルーウィンも黙ってはいない。さっと身を引くと、捕まえられまいと両手を自分の胸に寄せた。
怒りのあまり瞳孔を縮め、今にも噛みつきそうなルーウィンは怒鳴る。
「何なのよ! こんなことしてる間に、あいつの周りのガードは固くなる。一刻を争うの」
「遠くから弓矢で射止めんじゃ満足しない。近くで苦しむ様を見たい。だからのこのこ標的の元まで行って、復讐するって? ばかばかしい。そんなこと、許せるはずないよ」
フリッツは至極まっとうな言葉をさらりと口にした。しかし、そこには毒が含まれている。
理路整然と放たれた言葉に、ルーウィンの頭に一気に血が上る。
「あんたの許しなんか要らない! あんたとはもう、なんの関係もないんだから!これ以上邪魔するなら」
「実力行使? そうしてもいいけど、それこそ時間の無駄だ。さあ、行くよ。ラクトスたちと合流しなきゃ」
フリッツは抑揚のない声音で、あっさりとルーウィンの手を掴んだ。あまりのことに、ルーウィンは驚きに目を見開く。
あのフリッツにいいようにされるなんて、自分はそこまで頭が鈍くなっているというのか。簡単に掴まれて、簡単に引きずられて。どんなに力を籠めても、フリッツの手は外れない。自分はこんなに非力だったというのか。
もう、時間は無いのに。
ルーウィンの中に、ひしひしと焦りが募る。
そんな彼女のことなどお構いなしに、フリッツは背を向けた。そして、進む。
「ちょっと待って! ねえ!」
「嫌だ」
「ねえ、フリッツ。待ってってば!」
しかし、フリッツは足を止めない。
物言わぬ背中を見つめ、ルーウィンは焦燥から目を細めた。
「……お願い」
俯き加減に零れ落ちた言葉に、フリッツは足を止める。
前を向いたままの背中に向かって、ルーウィンは続けた。
「チャンスなの。これを逃したら、もう無いの」
その声は、震えていた。
ルーウィンは空いている片手を、掴んだままのフリッツの手に添える。離してくれといわんばかりに。
しかしフリッツはまだ、何も言わない。
「お願い、見逃して。あたしを見なかったことにして、出て行って。あたしにはもう、これしかない……」
ルーウィンは、頭をフリッツの背にもたせかけた。
フリッツが後ろを振り向こうとした、その時。
「そこの二人! 演習はサボりだったか? 話を聞かせてもらうぞ!」
「おい、片方は弓使いだ。あいつらに違いねえ!」
どかどかと廊下を踏み鳴らしながら、黒服の男たちが何人も押し寄せて来た。もちろん、彼らは本物の漆黒竜団だ。彼らはもうフリッツたちが侵入者だと目星をつけている。捕まったら、その瞬間に突き出されてしまうだろう。
「……行こう!」
どちらともなく、フリッツとルーウィンは、元来た通路を駆け出した。
しかし、逃げる当てなどあるはずがない。通路を走りきると、突き当りは階段だった。先ほど下ってきた階段と同じものか、はたまた別のものか。どこも同じような造りになっているため、突然のこの状況では判断しかねた。
追い詰められた者の性で、二人はそのまま螺旋階段を駆けあがる。
このまま上り続けたところで追い詰められるのは目に見えている。階下では消えたフリッツたちを捜している様子だったが、すぐに追いつかれるだろう。
どこかに身を潜めるのが一番良いが、隠れられるような場所はどこにもない。しかしついに階段は尽き、とうとう最上階にまで上り詰めてしまった。
石造りの、薄暗い通路にはいくつか扉がある。フリッツは扉に手をかけるが、鍵がかかっていて開かない。その隣もだめだった。
そうしているうちにも、男たちの雄たけびと足音はどんどん近づいてくる。力任せに取っ手をガタガタと言わせても、まったくの無駄だった。
「フリッツ、こっち!」
別の扉に向かったルーウィンが声を上げた。扉が、空いている。
一目散に部屋の中に飛び込んだ。内側からすぐに鍵をかける。
扉に耳を当てた。幾つもの足音が近づいてくるのがわかる。
こんなことは時間稼ぎに過ぎない。自らこの部屋に自分たちを閉じ込めただけかもしれなかった。鍵が開いていたのは幸運だと思ったが、扉を破られてしまえば一巻の終わりだ。
かなり階段を上った。ここはおそらく、高い。窓があったとしても、飛び出すことは不可能だろう。
二人は互いに息を切らし、表情を硬くしたまま、扉にぴったりとついて外の気配を窺う。
しかしフリッツは、そこである事実に気がついた。
顔を扉に向けたまま、フリッツはルーウィンに呼びかける。
「ルーウィン。鍵のかかってない部屋って」
フリッツはそこで初めて、部屋の中を見回そうと首を回した。
「……中に誰か、いるかもしれない」
その返事は、ルーウィンのものではなかった。
背後に突如現れた人影に、フリッツとルーウィンは言葉を失くした。
「誰も居ませんわね」
高い天井と広い空間に、整然と幾つもの長机と椅子が並んでいる。
一見すると講堂のようにも見えるその場所には、ご親切にも看板がかかっていた。
―――食堂、と。
「居たら困るだろ。まあ、メシ時でもないし当然といえば当然か」
「わたくし思うのですけれど、ラクトスさんはルーウィンさんに対して少々考え方が偏っていないでしょうか?」
隣からティアラのじっとりとした視線を感じて、ラクトスは頭を掻いた。
「……悪かったな、ハズレで」
「いくらルーウィンさんだって、敵陣の中おひとりでご飯を召し上がろうとは思いません」
ティアラは腰に手を当て、少しだけ眉を吊り上げた。責められるのに嫌気が差して、ラクトスも反論する。
「そう言うお前だって、おれの意見に反対しなかったじゃねえか」
「だって、肝心の演習場の場所がわからないのですもの。仕方がありませんわ」
フリッツがどこかへ行ってしまい、しばらく辺りを捜しまわっていた二人だったが、埒が明かない為演習場とやらに向かっていた。
だがいつまでも同じような通路と角が続き、なかなか思うように目的地に辿り着けず、途中でラクトスが食堂らしき場所を見つけて立ち寄ったのだ。もちろん、そこには皿を山積みにし、食事を頬張るルーウィンなどどこにもいなかったのだが。
「しっかし、でかい食堂だな」
ラクトスは椅子の一つに腰掛けた。天井がやけに高いし、そこここに立っている柱も細工を施してある。
誰も居ないために余計に広く思えるのだろうが、それにしても立派なものだった。ラクトスは椅子の背もたれに両肘をひっかけ、首を反らして天井を見上げる。
「これだけの資金力、尋常じゃない。なんにせよロクなことはしてないはずだ。ヒトラスみたいに、どっかの金持ち強請ってるのかもな。スポンサーも居るかもしれねえ。しかしこんなでけぇ建物持ってるくせして、あのずさんな入退の管理はいかがなもんだろうな?」
一応疑いの目を向けられはしたが、それも口八丁で切り抜けられるようではとても堅固な守りとは言えない。まるで腕輪を持っていたら誰でもどうぞ、と言わんばかりの体制だ。
しかしそんな具合だったからこそ、今自分たちはこの場所に居るのだ。有難いことに違いは無いが、素人目にそれもどうかと思う。
「こんなところにやってくる人なんて、滅多にいません。わざわざ危険な場所へ潜入して、悪の組織を根絶させようと企てる勇敢なお方が、この大陸にいったい何人いるでしょう?」
「夢見がちなお前にしては現実的な発言だな」
ずいぶんと強かなものの言い方をするようになったものだと、ラクトスは笑った。
「こんなところにやって来る物好きなんていないとタカをくくってのザル警備なのか? 北の帝国の兵が、正義を掲げて自分たちを倒しに来るはずがないってか」
実際、漆黒竜団の実害がこの北の大地にどこまで及んでいるのかはわからない。なにしろ北大陸に着いてから、まともな街には足を踏み入れられずにいるのだ。ディングリップ入国を目前にした突然のこの潜入には、情報が少なすぎる。
漆黒竜団は、南大陸においてかなり危険な存在と認識されている。その最たるものが、グラッセルでの事件だった。ヒトラス商会への奇襲、クッグローフ村の壊滅など、彼らの南大陸での暴挙はエスカレートしている。
では、北大陸では? 彼らはいったい、どのような位置づけなのだろう?
ラクトスは高い天井を見上げたまま、不意に左手を掲げた。そこに嵌っているのは、黒い腕輪だ。
「逆に、だ。腕輪さえ持っていれば誰でもいい、とか……」
身内の誰が欠けても問題が無い。その腕輪さえ持っていれば誰でもいい。部外者が潜入しても意味が無い。くれてやる情報がないのか、外に持ち出させない自信があるのか。
ラクトスは浮かんだ考えを鼻で笑った。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
「なんてな。まあ単純に、行きはよいよい、帰りは怖いってパターンかもな」
掲げられたラクトスの腕に、ティアラはちらと視線を走らせる。袖口から、少しだけ覗く、青い刻印。グラッセルに仕える者の証だ。
ティアラは不意に、視線を落とした。
「……ラクトスさん、二人きりですね」
「ん、ああ。そうだな」
ティアラの様子の変化に気づかず、ラクトスは天井を見上げたまま適当に返事をした。
「ずっと気になっていたことがあるのですが、聞いてもいいでしょうか?」
「いいけど、あんまりしょうもないこと聞くなよ。今ここに人がいないとはいえ、敵地なんだからな」
「本当は、グラッセルから何を依頼されているのですか?」
ラクトスは目を見開き、天井から視線を戻すとティアラを見た。黒いフードを被った見慣れない姿の彼女は、思いつめたような表情をしている。
「だから言ったろ。クリーヴのやつが盗んだ禁書を」
「それが本当なら、その禁書は漆黒竜団の手の内にあるはずです。今は絶好のチャンスではないのですか。なぜ、捜そうとしないのです?」
問い詰めるようなティアラの言葉に、ラクトスはやれやれと息を吐いた。
「あのなあ、今はそんなこと考えてる場合じゃねえだろ。あいつらを捜しだすのが先決だ。だいたい、こんなだだっ広いところで他の探し物なんか」
「では、随分と無茶な依頼を受けられたのですね」
ラクトスに向けられたティアラの視線には、間違いなく疑いの色が滲み出ていた。ラクトスは頭を掻く。
「お前にゃわかんねえよ。目の前にグラッセル宮廷の魔法使いのイスがぶら下がってたら、貧乏人なら食いつく以外ねえだろ。じゃあ聞くが、あの時のおれに他にどんな選択肢があったっていうんだ」
居心地の悪い視線を向けられ、ラクトスは苛立ち混じりに言葉を吐いた。しかしティアラは、それに動じることはない。
「本当は、もっと違う依頼なのではありませんか? 例えば、もっと無理なくこなせる、それでいて……あなたにしか出来ないような」
その時、扉の向こう側でバタバタと慌ただしい気配がした。ラクトスは立ち上がり、ティアラとともに入口の壁際へと身を寄せた。
「ネズミだ! 捕まえろ!」
いきりたった男たちが口々に叫んでいる。何人もの団員が走っていく気配だ。ネズミ、と聞いてラクトスとティアラの表情は硬くなる。
「まさか、あいつらのどっちかか?」
「どうしましょう!」
「今出て行くわけにはいかねえ。しばらく様子を見るしか……って、おい!」
ラクトスは思わず声を上げる。気になっていてもたってもいられなくなったティアラが、少し扉を開けて外の様子を窺っているのだ。
しかし。
「……!」
「どうした!」
突然、ティアラは腰が砕けたように落ちしりもちをついた。扉の隙間が、閉まる。幸い扉は音を立てず、団員たちは食堂の前を一目散に駆けているようだ。
しかし扉一枚隔てた向こうには漆黒竜団がいる状況に変わりはない。にも拘わらず、ティアラは何故かへたりこんでしまっている。ラクトスはしゃがみ、床に手をついているティアラをゆさぶった。
「おい、どうした? しっかりしろ!」
「腕輪が……」
ティアラの顔色は蒼白だった。
小刻みに震える細い指で、ティアラはすがるようにラクトスの肩を掴む。
「腕輪が、おかしいんです。ラクトスさん……!」
漆黒竜団の人間が侵入者捜しに躍起になっている頃、一方でまったく別の動きをしている者もいた。
そこはとある人物の私室だった。
個人の私室にしては、かなりの広さがある。壁には小型ドラゴンやモンスターの頭部の剥製が数点飾られ、床にはこれまたモンスターの毛皮が敷かれていた。
他にもおかしな点があるとすれば、部屋の片隅にごろごろと斧やらウォーハンマーやらモーニングスターなどのいかつい武器が転がっていることだろう。若干赤黒く変色しており、実戦で使われていたことを物語っている。
そこに忍び込み、動き回る黒い影。
青銀の髪を掻き上げ、マティオスはやれやれとため息を吐いた。作業が思うようにはかどらず、その端正な口元は不満げに曲がっている。
しかし突如、マティオスは身を強張らせ、壁に立てかけていた槍を手にする。扉の向こうに人の気配を感じたのだ。
ゆっくりと扉が開き、僅かな隙間から身を滑らせてきたのは艶やかな黒髪、紅い唇の女性だった。戦闘態勢だったマティオスは、相手の正体を知って槍を下ろす。 しかし、得物は手放さず、携えたままだ。
「なんだ、きみか」
「なによ、それ。残念なの? それとも、ほっとしてる?」
「もちろん、ほっとしたさ。でもきみとここで逢引の約束はしていないはずだけど?」
現れたのはルビアスだった。紅い唇は、いたずらっぽく弧を描く。
「で、なにしてるの?」
「捜し物」
「見つかった?」
「いいや、ここにはないらしい。あると思ったんだが、残念だな」
マティオスはわざとらしく肩をすくめてみせる。ルビアスは腕を組み、部屋の奥の窓に向かってゆっくりと歩いた。
「なんだかネズミが入り込んだみたいよ。ネズミというより……ピンク色の仔猫、ってところかしら。心当たりがあるんじゃない?」
窓のカーテンを手で押しのけ、ルビアスは外を見やる。五階ほどの高さにあるこの部屋からは、外の動きがよく見えた。窓の外に目を向け、マティオスに背を見せたまま、ルビアスは言った。
「情にほだされて、復讐の手助けをしてあげたつもり? それとも、騒ぎを起こすのを承知で、その間にここを探るつもりだった? 少しの間でも一緒に旅したあの子をエサにするとは、相変わらずえげつないわね」
「失礼だな。彼女が連れてきて欲しいというから、望みを叶えてあげたまでだよ。それに良かったじゃないか、意中の相手の手によって最期を迎えるだなんて。目的を果たして死ねるなんて、おれなら本望だね」
悪びれもせずにマティオスは言った。
侵入者が現れ、幹部であるゴルヴィルの命を狙った。漆黒竜団本部は今、その事態の収拾に追われている。
しかし、その侵入者の正体に心当たりのある者が二人だけいた。それがルーウィンの侵入の手引きをした張本人であるマティオスと、それに気づいたルビアスだ。
「それにしても、あのクズ男の部屋に忍び込むなんて大した度胸ね。バレたら一瞬で頭潰されるわよ」
マティオスが忍び込んだこの部屋は、ゴルヴィルの私室だった。
まともな思考の持ち主ならば、まずこのような愚行はしない。マティオスはルビアスに微笑みかけた。
「ばれたりしないさ。きみが黙っていてくれさえすれば」
「あら。どうしてわたしが黙ってると思うのかしら?」
ルビアスは不敵な笑みを浮かべる。
「きみはおれを売ったりはしないだろう? 旧知の仲だ。この組織内、腹を割って本音で話せる相手はそうそう居ない。手を取り合って、協力することが大切なんじゃないかな。違うかい?」
「そうね。でも、わたしは一度でも、あんたに助けられた覚えはないけど?」
「つれないなあ。じゃあ、こうだ。使える便利な駒は手元に置いておくべきだ」
マティオスはおもむろにルビアスに近づき、彼女の頬に手を伸ばす。しかしルビアスは触れられる直前、その手を掴み、拒んだ。
そして鋭い視線を向ける。
「ゴルヴィルの私室に忍び込むのはやり過ぎよ。過ぎた探究心と好奇心は身を滅ぼすわ。あんたはその線引きが出来る男だと思っていたけど、違ったのね。残念だわ」
「その口ぶりだと、きみはおれの知りたいことを色々知っているみたいだね。なんだ、盲点だったな。きみも悪い女性だ。おれがコソコソと嗅ぎまわっているのを見て、ほくそ笑んでいたのかい?」
マティオスは哀しげに目を細める。
「お願いだ。知っていることを、教えてはくれないか?」
「それは出来ない相談ね。わたしは漆黒竜団幹部、アーサー直属の部下だから。裏切るようなマネは出来ない。わたしはこの黒い腕輪に囚われている。あんたと違って」
ルビアスはマティオスの手首を掴んだまま、その腕に嵌められた黒い腕輪に目を走らせた。マティオスは苦笑する。
「……知っていたんだね」
「ウチに視える娘がいてね。あなたの腕輪はよく出来た贋作だって、すぐに気づいた。ねえ、ディングリップのドルチェット伯爵も、さぞご満悦でしょう? あんたが命懸けで仕入れたウチの情報は、皇帝のお気に召したかしら?」
ルビアスは身を離すと、マティオスに背を向けた。
「これ以上、泳がせてはおけないわ。少し名残惜しいけど、さよなら」
「そうか……。おれも、残念だ」
マティオスは一瞬、目を閉じた。そして、瞼を開く。
槍が、宙を斬る。そのまま腕を伸ばせば、目標の腹部に一突き。
しかし、相手はそこまで甘くなかった。
素早い動き。細い腕に細身のレイピアで、ルビアスは背後からの一撃を凌いでみせた。
さすがに力負けは否めず、身体は震えている。しかし、その表情は凛としていた。
「下手な抵抗はやめなさい。扉の外に何人か待機させてる。わたし一人であんたを何とか出来ると思うほど自惚れちゃいないの」
「ルビィ……!」
マティオスは悔しげに目を細めた。槍の柄とレイピアの柄とがかち合い、両者の顔はひどく近い。苦々しい表情のマティオスを一瞥し、ルビアスは嗤った。
「残念。もうわたしは、ルビィじゃない」
扉が開かれ、数人の団員がなだれ込む。マティオスはすぐに槍を引き、再び構えを取った。完全に包囲され、マティオスは唇を噛む。
レイピアを鞘に納め、ルビアスは服の埃を払った。
「直接手を下さないのが、せめてもの情けよ。掟にのっとって、せいぜい処罰が下るのを待つのね。連れて行きなさい!」
マティオスは槍を捨て、両手を上げる。そして無抵抗のまま連行されていった。
「……やれやれ。一つ片付いた」
一人その場に残ったルビアスは、前髪を掻き上げテーブルに腰掛ける。
「この分だと弟くんも来てるわね。もう、どうしようかしら」
ルビアスは深くため息を吐くと、この場に居ない上司に思いを馳せた。




