第三話 休養(※)
あけましておめでとうございます!
2013年は、読者の皆様方、執筆仲間の皆様方、大変お世話になりました。おかげさまで、大変充実した一年を過ごすことができました。
2014年も『不揃いな勇者』たちを何卒よろしくお願い申し上げます。
皆様に素敵な一年が訪れますように。
2014.1.1 としよし
【第三話 休養】
「幸せだあ!」
フリッツは糊のよく効いた真っ白なシーツに顔をうずめる。
荒野を越えてきた後のベッドは、何にも代えがたい幸福だった。そんなフリッツの様子を見、アーティは可笑しそうに微笑む。
「ふふふ、良かったわ。でもごめんなさいね、こんな大部屋しか用意できなくって」
「突然大勢で押しかけたんですから、当然です。むしろこんな居心地の良い部屋を用意して頂いて恐縮だな」
マティオスが言うように、アーティが用意した部屋は宿屋以上に居心地の良いものだった。あくまでも診療所であるため、大部屋といえば病室のような部屋をあてがわれると思っていたが、応接間と同じく落ち着いた色彩と調度品が置かれている。
そんな中、ラクトスは腕を組んで眉根を寄せた。
「こんな辺鄙な場所で、よくもまあ客人のためにこれだけ揃えたな」
「ラクトスはどうして素直に喜べないの? 本当は嬉しいくせに」
腑に落ちない顔をしているラクトスに、フリッツは笑いかける。アーティもくすりと微笑むと、抱えていた洗濯物を椅子の上に置いた。
「では、洗った着替えはここにありますから。荒野をやってきて疲れたでしょう、今日はゆっくりお休みなさいね」
「はい、ありがとうございます! おやすみなさい」
フリッツは元気よく返事した。
アーティがドアの向こうに行ってしまうと、フリッツは再びベッドへと身を沈めた。
「……天国だあ」
「本当にね」
全身で心地良さを堪能しているフリッツを見、マティオスは笑った。
「こんなところで死ねたら、さぞかし幸せだろうな」
「先生」
暗い廊下で呼び止められ、アーティは足を止めた。廊下の窓から、おぼろげな月明かりがふわりと降りている。
そこには装備を解き髪を下ろし、楽な格好をした、あとは休むだけのルーウィンがいた。アーティの中で、その姿は数年前のルーウィンの姿と重った。
ルーウィンははにかんだように口を開く。
「突然来ちゃって、ごめんね。あたしたちを休ませてくれてありがとう。またあたしを受け入れてくれて、ありがとう」
「ルーウィン……」
アーティはルーウィンを抱きしめた。
ルーウィンは驚いたように目を見開いたが、やがて背の高いアーティの肩に頭を預けた。ルーウィンをこうして抱きしめるのは、今は亡きダンテか、そしてアーティくらいのものだ。
しばらくして、アーティはルーウィンの両肩に手を置き、彼女の瞳を見つめる。喉の奥から絞り出した声で、アーティは言った。
「本当にやめることは出来ないの? 復讐なんてやめて、行くところがないのならここでしばらく暮らしてもいい。街がいいなら、なんとか伝手を当たって」
「ごめん、先生。いろいろ考えたんだけどさ、やっぱりやめられないや」
ルーウィンの答えに、アーティは目を伏せた。けれども、それは一瞬だった。そうした返事であることはわかっていたのだろう。
アーティは強い視線で、再びルーウィンの瞳の奥を探った。険しさの中に憂いを含むアーティの表情を、ルーウィンは受け止める。
「それは、あなたのお師匠が望んでいないことだとしても?」
「うん、そんなことはとっくの昔にわかってる。あたしの話を聞いて、それは先生だって知ってることでしょ?」
アーティは一つため息をついた。それを申し訳なく思い、思わずルーウィンも眉が下がる。だが、自分の主張を変える気は毛頭ない。
そしてそう思うと同時に、ルーウィンの中には別の感情もあった。
「心配してくれて、ありがとう。こんなお転婆でごめんね。でも、ちょっと嬉しいの」
ルーウィンは微笑んだ。
月明かりが、彼女を優しく照らし出す。そこには熟練の弓使いではなく、ただの少女が立っていた。普段は警戒を怠らず、吊り上っていることの多い眉尻はすっかり下がり、安心しきって年相応の無邪気さを滲ませる。
「ここへまた戻ってこられて良かった。突然出て行ったから、正直先生には合わせる顔がないって思ってたけど、元気な顔も見られたし」
アーティの不安を振り払うかのように、ルーウィンは歯を見せて笑った。
「夕飯おいしかったわ。明日の朝も楽しみにしてる。おやすみなさい!」
そう言って、ルーウィンは踵を返すとティアラの待つ部屋へと駆けて行った。
その場に残されたアーティは、深く息をつく。しかし、ルーウィンの笑顔を思い返して柔らかく微笑んだ。
「……まったく、大変なお転婆娘ですこと」
そしてまんざらでもない様子で、自室へと足を運んだ。
窓から朝の光が差し、小鳥のさえずりが聞こえる。小鳥の鳴く声など、久々に耳にした。診療所を囲む緑の中に巣を作っているのだろう。
空気はひんやりとしているが、夜にとことん冷え込んだ凍てつく外気とは比べ物にならない。
フリッツは伸びをし、寝ぼけ眼でベッドから身を起こした。陽が昇っている。大変な寝坊というわけではないが、それでもいつもの鍛練の刻よりは幾分か遅い。つい安心しきって深く眠ってしまったようだ。
そして目覚めたラクトスとマティオスとともに食堂へ向かい、フリッツは声を上げた。
「すごいご馳走だね!」
テーブルには朝から豪勢な食事が所狭しと並べられていた。
焼きたてのパンの香ばしい香りが鼻をくすぐる。鮮やかな緑のサラダと、見るからにおいしそうな卵料理の数々、湯気を立てるじゃがいものスープ。テーブルにずらりと並べられたそれを見て、フリッツの目は一気に覚めた。
後からやってきたルーウィンが、食堂に入るなり唖然とした表情を浮かべる。跳んで喜ぶかと思いきや、意外なことに彼女は眉をひそめた。
「……ちょっとこれはやりすぎよ。先生、ここまで奮発しなくてもいいじゃない」
やっと一仕事終え、エプロンを外そうとしているアーティは目を瞬かせる。
「あら、あなたが言ったのよ? 朝食楽しみにしているって」
「そうだけど。とにかく、朝っぱらからこんなのはだめよ! こんなに大盤振る舞いしてちゃ、あたしたちが発った後先生が食べる分がなくなっちゃう。明日からは普通にして。いい?」
「はいはい。勝手な娘ですこと」
アーティはくすりと笑って、自分も朝食の席に着いた。フリッツはその場に立ったまま、思わずルーウィンを見やる。
「なによ?」
「ううん、なんにも」
その視線に気づいたルーウィンに軽く睨まれたが、フリッツは笑った。
ルーウィンが大人に甘えている。そしてアーティのことを思いやっている。
その光景は、わが子のためにせっせと支度をしてやる母親と、それをやりすぎだと諌める娘のやりとりのように思えた。ルーウィンにもこんな一面があるのだと思って、微笑ましかったのだ。
全員が席に着き、なんとも充実した朝食の時間が始まった。昨日の晩もなかなかだったが、突然の来客だったこともあってか、時間の余裕のあった今朝の食卓の方がより豪勢だ。
食事も終わりに近づいた頃、アーティがフリッツに尋ねた。
「しばらくここで休んだ後、あなたたちはどこへ向かうの?」
「とりあえずは、ディングリップを目指します。人のいるところへ」
「そうよね。北大陸は西側くらいしか人の生活圏でないものね」
フリッツはまだ忙しそうにパンを齧っていたが、アーティは一度湧いた興味が抑えられなくなったようだ。
「そういえば、あなたたちはどうして旅をしているのかしら」
「えっと、ぼくは兄を訪ねて」
「あら、お兄様はディングリップにいらっしゃるの?」
「うーん、そういうわけでも……」
フリッツは言葉を濁す。まさか自分の探している兄は漆黒竜団の幹部で、説得するためにどこにいるのかもわからない兄を追っているのだとは言えない。
隣のラクトスが助け舟を出した。
「とりあえずだ。人の多いところに行かなけりゃ、装備も何もないしな」
「あなたは何をしに北へ?」
「おれは物探しだ。そっちはただの物見遊山」
「あら、そうなのね」
アーティはにこにこと話を聞いている。詮索する気などさらさらなく、久々に人に会ったこともあり、ただ興味のままに訊ねているといった様子だ。
「みなさん健全な目的でいいわねえ。ねえ、ルーウィン?」
「はいはい。もう耳ダコよ」
ルーウィンはスープを掬う手を休めずに言った。彼女の手が止まらずに動いているのを見て、アーティは満足そうに微笑む。
しかしふと、アーティは首を傾げた。
「ティアラさん、お口に合わない? 無理しなくても大丈夫ですよ。それとも、具合でも悪いのかしら?」
その言葉に、フリッツはティアラの皿を見る。パンは少ししか手を付けられておらず、大皿に手を伸ばした様子もなかった。
マティオスがティアラの表情を窺った。
「疲れが溜まっているんだよね。ここ最近は保存食とモンスターの肉で凌いできたから、無理もない。急に美味しい食事が出てきて、お腹が驚いているのかな」
「え、ええ……」
ティアラは軽く頷いたが、その表情は曇っている。申し訳なく思っているのか、アーティと目を合わせようとはしなかった。それはひどく彼女らしくないものだ。
それを咎めるでもなく、アーティは表情を和らげた。
「ティアラさん、後でわたしの部屋にいらっしゃい。わたしは医者だけど、治癒師でもあるの。あなたのお役に立てるかもしれないわ」
「医者と治癒師を兼ねているのか? そりゃまた物好きだな。治癒術が使えりゃ、医学や薬学には興味なんかないだろ?」
嫌味ではなく、ラクトスは素直に驚いているようだった。
治癒師は魔力を癒しの力に変え、人体に働きかける。それは限られた人間に与えられた力であり、望めば誰もが手に入るものではない。
治癒師は数が少ないため、その恩恵を受けられる人物も限られており、貴重な存在だ。彼らは宗教に携わる者が多く、あるいは金持ちお抱えの治癒師として生計を立てる。
魔力を使わず、治療や薬で怪我や病を治していく医者とでは、両者は相容れないものだった。手をかざし力を込めるだけで癒すことの出来る力は、医者たちの地道な努力とは次元の違うものであり、基本的に医者は治癒師を嫌う。治癒師の方は力があるために、細かな医療の知識を持とうとはしないのだ。
しかしアーティは、その両方を兼ねているという。
「まあ、どちらも知っていれば困ることはありませんからね。あなたの相談事にも、微力ながら力になれると思うわ」
「良かったねティアラ。せっかくだし、アーティ先生に色々と聞いておいでよ」
アーティの言葉にフリッツはティアラに笑いかる。ティアラは控え目に微笑み返した。
アーティの自室を前に、ティアラはしばし立ちすくむ。ノックしようと、手をドアの前にかざしてはいるが、なかなか叩く勇気が出ない。
そうこうしていると、中から声がかかってしまった。
「いらっしゃい。どうぞ、こちらへ」
「……失礼致します」
アーティは扉を開け、ティアラを中へと促した。ティアラはアーティの姿を見て、身を固くする。それを察して、アーティは少し寂しげに微笑んだ。
「あなたは治癒師と召喚士も兼ねているとルーウィンから聞いたわ。浮かない顔をしているのは、召喚士であることに迷いでも生じたのかしら」
ティアラはその言葉に目を見開いた。アーティは自分の椅子に腰かけ、ティアラにも椅子を勧める。
「心優しいあなたのような人には、本来は向かないものなのかもしれませんね。残念ながら、わたしの知っている召喚士たちはことごとくそういったことには無関心でした。使役する召喚対象が傷ついても、気にも留めない人ばかりだったわ」
使役、という言葉にティアラは引っかかるものを覚え、形の良い眉をひそめた。
「それとも治癒師という立ち位置に困惑しているのかしら? 自分は手を汚すことなく、敵に飛び込む仲間を見送るだけの自分は、このままでいいのかと。あら、こちらのほうは未経験だったかしら?」
「全部お見通しなんですね」
後者のことはティアラ自身まだ思い悩んだことは無い。しかしパーティの治癒師として、誰もが当たる壁だという話は知っていた。
もしかすると、アーティは過去に冒険者だったのだろうかという疑問がティアラの頭をよぎる。
「でもあなたには、もう一つ表情を曇らせているものがありますね。違うかしら」
アーティはティアラの瞳を見つめた。その奥に潜んでいる感情を読み取って、アーティはため息をつく。
「わたしを見て怯えているということは、視えるのですね? わたしの背後に蠢くものが。昨日は疲れていて曖昧だったけれど、一晩休んで鮮明になったというところかしら」
その言葉に、ティアラは視線を下げたまま一つ頷いた。
ティアラは測りかねていた。目の前に座る女性は、果たして心の内を打ち明けて良い人物かどうか。
ティアラの抱える問題を知っているというだけで、藁にもすがりたい思いに駆られる。しかしそれを、アーティの背後に蠢く『それ』が邪魔をする。
この問題を共有できる存在、それはとても魅力的だ。しかし、シアという前例もある。自分と同じように『視える』からといって、警戒を解き、飛びついてしまってはいけない。
そう考え、ティアラが慎重に答えを出そうとしているのを、目の前のアーティも承知の上だろう。
「いつからですか?」
アーティの問いかけに、ティアラは重い口を開いた。
「幼い頃、視えていた時もありました。でもあるきっかけから、しばらく視えずにいたのです。でも北大陸に来て、また……」
「あなた自身は、何が原因だと思いますか?」
「北大陸は南大陸とは、何かが違う。強いて言えば、空気とでもいうのでしょうか。その空気が原因かもしれません」
アーティの問いかけは、やはり医者が患者に問いかけるようなものだった。それが逆に、ティアラを話そうという気にさせた。
アーティは続けた。
「こちらに来てから、『それ』を多く背負った人間に出会ったのですか? ならず者?」
「ならず者と言えばそうかもしれませんが……少なくとも、人の命を奪うことに抵抗のない方々でした」
「なるほど。話は大体わかりました」
アーティは、軽く両腕を広げた。
「どうしてわたしがこんなにがんじがらめになっているのか、気になるでしょう」
ティアラは目を細めた。
アーティの背後には相変わらず、黒い何かが渦巻いている。黒い何か、としか言いようがない『それ』は、北大陸にやって来てからティアラを悩ませ続けていた。
フリッツやルーウィン、ラクトスの背後にも視える『それ』だが、マティオスはそれよりもやや広い。
さらにアーティなどは身体をすっぽりと覆うほどの黒いものが渦巻き、シアやジンノではその規模は桁外れだった。彼らの背後が何も見えないほどに、『それ』がとぐろを巻き、今にも当人たちが飲み込まれてしまいそうなほどだった。
ティアラには『それ』の正体がはっきりとはわからない。しかし、何か良くないものであることは直感的に知っていた。そして『それ』が多く、濃いほど、その人物が危険であると認識している。
だからこそ、ティアラはいかにも人畜無害な様子を装ったシアに対して、最初から警戒していたのだ。そしてそれは、目の前のアーティに対しても同様だった。
「わたしは殺意をもって、人を殺めたことはありません。けれど、救える命を敢えて見捨てたことや、罪人を助けたことはあります」
「……それが、答えなのですね」
ティアラは相変わらず、神妙な顔つきのままだ。
「ここに居る間、あなたに『それ』が視えなくなる術を授けましょう。あなたにも休養は必要ですが、こちらを優先すべきだとわたしは思います。『それ』を一人で見つめ続けることは、心の負担になりかねない。もっとも、あなたがわたしを信用してくれれば、ですが」
その言葉に少しの寂しさを感じ取り、ティアラは慌てて顔を上げた。
「信じますわ。ルーウィンさんが信じている方ですもの」
アーティは微笑んだ。
「あなたもルーウィンを大切に思ってくれているのね。こんなに嬉しいことは無いわ」
その笑顔を見て、ティアラは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。ルーウィンを想うアーティは、娘を想う母のようだ。そんな善良な人物を自分は警戒しているのかと思うと、まるでティアラ自身が悪者のように思えた。
「あの、どうしてわたくしに教えを授けてくださるのですか?」
「あの子の大切なお仲間ですもの。それくらいのことは、させてもらいますよ。それにあなた方には、あの子をこちら側に繋ぎ止めておいて欲しいの」
「こちら側? いったい、何の」
ティアラが訊ねようとすると、アーティはするりと立ち上がった。
「さあ、ではさっそく始めましょうか。わたしは、すこし厳しいですよ」
アーティは教師の顔になって、不敵に微笑んだ。




