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不揃いな勇者たち  作者: としよし
第9章(後半) 北の大地
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第十九話 戦闘不能

【第十九話 戦闘不能】



「フリッツさん!」


 ティアラはフリッツに駆け寄った。

 フリッツの身体はぐったりと力なく、髪や衣服のところどころが焦げ付き、目を剥いたまま倒れている。時折痙攣したように手足がピクリと動き、小さな稲妻が走る。魔法による雷に打たれ、感電していた。

 ティアラは涙を飲み込むと、唇を引き結び、両手をかざした。暖かな光が生まれ、フリッツの身体に染み込んで行く。


 しかしティアラに、二つの影はゆっくりと近づいてきた。


 このまま距離を詰められてはいけない。そう直感する。彼らを追い払わなければ。

 自分には、何もない。剣も弓も。あるのは、召喚魔法だけ。

 本来の召喚方法である笛を吹く時間など無い。この場で悠長に楽器を奏でる自分を、相手は待ってくれないだろう。


 残された途は、召喚方法の省略。

 普段何気なく呼び出すときのように、笛を使わず、たた念じればいい。しかしそうしてロートルを呼びだしたところで、大したことは出来ない。簡易召喚のまま、呼ばれた者が魔方を行使することは、召喚者の力を劇的に磨耗させる。

 ロートルを呼び、自分を無理やりこじ開けて魔力を使ってもらう。そんなことをすれば術者である自分に一体どれだけの負担と副作用があるかはわからない。以前パーリア教皇就任の儀でそうした時は、数日間寝込んでしまった。我ながら無茶をしたと、自分でも思ったものだ。

 

 だが、今の自分にはこれしかない。

 ティアラはその場に膝をつき、両手を組んだ。念じる。ロートルの姿を、強く思い描く。


 呼応は早かった。祈るような姿のティアラの前には、小さな水の塊が渦巻き始める。

 乳白色のしっとりとした身体に、尾びれと背びれ。水の塊は、間も無くロートルの姿へと変わった。ティアラは我知らず、ほっとする。


 光が閃く。


 ティアラの目の前で、たった今呼び出したばかりのロートルは、容赦なく雷に打たれた。


「ロートル……ちゃん?」


 ティアラはうわ言のように呟いた。

 頭がぐるぐると回る。混乱する。


 たった今、出てきたばかりだ。まだこちらにしっかりとその姿を形成する直前だった。

 あんな状態でダメージを受けたら、どうなるのだろう。ちゃんと戻れただろうか。無事でいるのだろうか。悲鳴を上げる間もなかった。

 目の前で希望を、いとも容易く奪われた。


 ジンノとシアが、目前に迫ってきている。

 ジンノの持つ杖の先に、ピリピリと小さな光の蛇が迸る。あの強烈な痛みと苦しみが、自分の身にも降りかかる。そう思うと、ティアラの顔にはありありと恐怖の色が浮かんだ。


「あなただけになっちゃったね。どうして欲しい? 北の荒野の中、一人ぼっちでここに置き去りにされたい? それともみんなと一緒に逝きたい?」


 シアが一歩、また一歩とティアラに近づく。


「……来ないで……来ないでください」


 ティアラは身じろぎ、地面に尻をつけたまま後ずさる。しかし、ティアラはそこで動きを止めた。足元には、負傷したフリッツが転がったままだ。自分だけ逃げることなど、出来ない。

 

 一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動に襲われながらも、ティアラは涙を垂れ流しながら、フリッツの身体に手を伸ばす。バチッと小さな火花が散って、ティアラは小さく悲鳴を上げた。しかし覚悟を決めると、フリッツの腕をやや乱暴に掴み、そのまま一緒に引き寄せた。

 フリッツを置いていくまいとするティアラの姿を見て、何を思ったかシアは微笑む。


「健気だね。でも同じだよ。弟くんをそこに置いて行っても、あなただけ逃げても」


 ティアラは気を失ったままのフリッツに視線を落とす。相変わらず力尽きた人間の、閉りのない表情のままだ。それを見て、ティアラの頬を、また涙が伝う。

 さっきまでは確かに、動いていたのに。

 

 振り返れば、少し離れた場所にルーウィンとラクトスが倒れている。あれからどちらも動いた気配はなかった。いや、そもそも動かせる状態なのだろうか。動かそうとする意思すら、倒れている三人にはもう宿ることがないのではないか。

 

 ティアラは絶望した。

 北の地にたった一人。最も無力な自分だけが取り残された。


「……どうして」


 自分の故郷のパーリアから、共に南大陸を旅してきた仲間。人間としても冒険者としても未熟な自分は、いつも彼らを頼ってきた。彼らに護られてここまで来た。

 その彼らは、仲間は、今では力なく地面に臥せっている。

 

 自分たちが、何か悪いことをしただろうか。咎められるようなことを、したのだろうか。

 人としての情もなく、ただの標的として三人を攻撃した、黒衣の魔法使い。そしてそれを、薄笑いを浮かべて見ている少女。

 大した詠唱をするでもなく、まるで呼吸をするかのように。世界に少し目配せすれば、勝手に魔力が応え、そして脅威がやってくる。


 ティアラの小さな肩が、唇が、小刻みに震える。

 敵わない。

 ―――怖い。


 これが同じ、人間の所業なのか。

 やっとの思いでパーリアから出て、ここまでやって来たのに。自分の人生はここで終わるのか。

 共に旅した仲間も、救えずに?


 泣いている場合ではない、そんなことはわかっている。でもこの絶望的な状況で、自分は一体どうすれば良いのだろう。いつもは激を飛ばし指示をくれるルーウィンも、ラクトスもいない。涙を流す以外に、自分に何が出来る?

 目の前の二人に、命乞いが通用するとは到底思えなかった。叶うことなら、とっくの昔にやっている。矜持プライドがなくなっても、地に額をつけてでも。

 しかしこの二人の場合、その行為が裏目に出る可能性がある。


 自分の無力さを、痛切に感じた。

 まただ。

 白い塔に囚われ、パーリアが腐っていく様をただ眺めることしか出来なかった、あの時と同じだ。自分は何一つとして成長してはいない。無力なティアラのままだ。


 どうしたらいい? どうしたら……。

 不意に、ティアラは右手に違和感を覚えた。弾かれたように顔をそちらに向ける。


 フリッツの手が、ティアラの右手を握っている。

 ティアラは目を見開いて、フリッツの顔を見る。

 

 フリッツの唇はかすかに動いている。胸が上下する。まだ、生きているのだ。

 そこにあったティアラの手を、ただ反射で握っただけなのかもしれない。しかし、ティアラにはフリッツが自分を励ましてくれているかのように思えた。フリッツの指先から、かすかな温もりが伝わる。

 まだ生きているのだと、わかる。


 ここで自分が諦めれば、自分たちは終わってしまう。

 諦めるわけにはいかない。

 右手でフリッツの腕を、そして左手で自分の胸元をぎゅっと掴む。一つ、深呼吸する。


 ティアラは詠唱を始めた。ティアラの身体が、ぼんやりと発光する。周囲の魔力が高まっていく。

 ティアラが動いたのを見て、すかさずジンノが杖を掲げた。だがシアはそれを手で制した。


「やらせてあげようよ。すごく怖くてしょうがないはずなのに、逃げ出さずに頑張っているんだから。せめてあの子くらい、力を出し切らせてあげようよ」

「……どうせ殺すのに?」


 ティアラと倒れたフリッツを中心に、ゆっくりと光の半円が広がっていく。それはじわりじわりと広がり、少し離れた場所にいるルーウィンとラクトスも包み込んだ。広範囲による防御魔法は、その面積によって力を消費する。恐怖に浸食されて集中力が途絶えないよう、ティアラは目を瞑って詠唱を続けた。

 仲間を護りたい。その想いだけを握り締めて。

 

 額には嫌な汗が流れる。わかっている、完全な過重発動オーバーワークだ。広範囲の盾を展開させながらも、その盾の強度にも手を抜かない。自分の力が磨り減っていくのを感じながら、少しずつ、少しずつ、壁を厚くしていく。


「ジンノくん、ここはわたしに行かせて」


 シアは二言三言呟くと、即座にシールドを発動させた。それも、ティアラが今展開させているものとほぼ変わらない大きさのものだ。

 ティアラが離れた場所にいる三人を護る為、じわじわと広範囲に展開させていった盾を、シアはものの数秒で同じ規模のものを展開させてみせた。


 シアはシールドを張るのに特に構えている様子もなく、ただ凛としてその場に立っているだけだ。彼女には大きな盾を展開させる必要はない。これはただ、自分に張り合っているのだと、盾の中でティアラは思った。

 いや、張り合っているなどおこがましい。ティアラはこれで限界だったが、シアにはまだまだ余裕がある。

 見せ付けているのだ。歴然とした、力の差を。

 

 自分は、自分たちは、負けてしまう。

 そんな考えが頭をよぎる。今ここでティアラが力尽きれば、フリッツたちは完全な無防備になる。

 そうなれば目の前の二人はなにをするかわからない。猫が獲物をいたぶってから口に入れるように、その強大な力で弄ばれ、殺されるのかもしれないのだ。


 その時、シアが一歩を踏み出した。

 ぐっと強い力がティアラのシールドを押す。ティアラは焦りから目を見開いた。

 シアが歩くとともに、彼女の展開するシールドもティアラの方へと押し寄せる。感じたことのない圧迫感と、押し寄せる力の波とにティアラは食いしばって耐えた。


 そしてティアラは気がついた。自分は後方へと追いやられている。

 足元の地面に跡がついていた。シアが歩いた分だけ、ティアラが後ろへと退かされていたのだ。今までにない広範囲の防御魔法、明らかに自分の容量を超えた魔法に、身体は悲鳴を上げている。

 意識が飛びそうになるのを、三人を護るためだと言い聞かせて、ぐっとこらえる。


「あなたはわたしには勝てないよ」


 シアがゆっくり、大きく一歩踏み出した。

 力の波がどっと押し寄せる。


 パン、と子気味良い音があたりに響く。

 それと同時に、ティアラの身体は地面に崩れ落ちた。


 ティアラのシールドは、壊された。同時に彼女は、あっけなく力尽きたのだ。

 シアは、盾の展開を止めた。そして荒涼とした景色を見やる。曇天の元に、倒れている四体の人間。どれも地面に這いつくばって、ぴくりとも動かない。


 死屍累々。まったく、清々する光景だった。


「さあ、ジンノくん。仕上げを」


 言いかけて、シアは目を見張った。

 少し目を離した隙に、身を起こした者がいた。足元はおぼつかなく、まるで老人が杖にすがっているようだ。


 剣を支えに、フリッツは立った。

 背中は丸まり、膝は笑って、今にも倒れてしまいそうだ。

 

 ジンノは苦々しげに目を細め、シアはくすりと声を漏らす。


「もうあなたたちに勝ち目はない。立ち上がったところで、あなたは戦えない。なにもできないよ」


 聞こえているのかいないのか、フリッツはゆらりと剣を構えた。

 顔は汚れて目はうつろだ。それでもその目は、まっすぐ二人の方へ向けられている。そこに宿っているのは意思ではない。そんな目的のはっきりとしたものではない。


 執着。


 ジンノはつかつかとフリッツに向かう。目の前でぴたりと止まると、素手でフリッツを突き飛ばした。

 何の抵抗も出来ないまま、フリッツは後ろへと飛ばされる。手から剣が離れて、カランと虚しい音を立てる。フリッツは再び地面へと崩れ落ちた。

 浅い呼吸と、小刻みに震える掌。

 しかしまた、立ち上がろうとする。


 這いつくばって、剣を探る。柄を握って、引き寄せる。脚に上手く力が入らないのか、剣を地面に突きたてカタカタと揺らす。

 それでもなお、体を起こそうと試みる。


「……無様だ。……こんなやつが、アーサーの」


 ジンノが苦々しく呟いた。そしてまだ腰を浮かせただけのフリッツの肩に足をかけると、強く蹴り飛ばす。フリッツはいとも簡単に倒れた。

 しかしまた、起き上がろうとする。


 壊れた繰り人形のように、フリッツは同じ動作を繰り返した。空ろな目で、震えながら立ち上がろうとし、ジンノに杖で突かれ、地面に堕ちる。

 起き上がる。突く。倒れる。

 起き上がる。蹴る。倒れる。

 起き上がろうとする。杖で殴り飛ばす。倒れ込む。

 それを何回、繰り返しただろう。


 ジンノがそうしているのを、シアはその横で黙って見つめていた。咎めるでもなく、促すでもなく。フリッツが起き上がろうとし、ジンノがそれを容易く突き飛ばすのを、ただただ、淡々と見ていた。

 ジンノは仰向けに倒れているフリッツの肩を足で強く踏んだ。その痛みに反応して体が動くこともない。やっと動かなくなったかと、シアは小さく息を吐いた。


「そろそろ片付けよう。あんまり長く散歩してると、ルビアスに怒られちゃう」


 シアは自分の左肩を優しい手つきで撫でた。美しい金髪が揺れ、そこに鎮座していた生き物があらわになる。首を逸らし、小さく折りたたんでいた羽を伸ばし、仔猫のように背筋を伸ばす。

 地面に倒れ、うつろな瞳のままのフリッツを覗き込み、シアは微笑んだ。


「一応紹介するね。わたしのかわいいお友達、ヘキガンマダラドラゴンのミケ。結局、村を出たこのあたりにふらふらしていたの」


 それは少女の肩に乗ってしまうほど小柄なモンスターだった。

 ぼってりとした胴体から生える細い腕とその先の鋭い鍵爪、優美な曲線を描く尾。骨組みの間に膜の張ったような翼。青い目玉に、縦に細く見開かれた瞳。

 体をびっしりと覆う鱗は、ところどころ色が違い、白、茶、黒の三色が交じり合う。彼がミケと呼ばれる所以だ。実際には、猫のように三毛、とはいかないが。

 小さくとも、その姿はドラゴンだった。


 ミケが、シアの肩から、翼を広げて滑空するように大地に降りる。そして小さな足でトコトコと歩くと、倒れているフリッツの目の前で止まり、小首を傾げる。その仕草は、かわいらしい小鳥がしてみせるものと同じ類だ。


 しかし突如、グワっと顎が開かれた。どういう仕組みでか、部分的に口だけが恐ろしく肥大する。

 赤黒くぬめる口内が、黄味がかった鋭い牙が、フリッツの頭に迫る。無感動な瞳のまま、フリッツは動けない。

 そしてミケの口がフリッツの頭部をぱっくりと覆い尽くした。


 瞼越しの視界が暗くなる。フリッツの頭蓋骨は、今まさに噛み砕かれようとしていた。

 ミケの瞳が獰猛に輝く。


 シアがくすりと笑った。


「やだミケったら、お腹が空いてるのね。でもダメよ、これ以上は身体の毒。人間なんてたくさん食べるものじゃない、スナック菓子みたいなものだもの。それに、最近太ってきたんじゃないの?」


 シアが厳しい視線を向けると、ミケは大きく開いた口をすぼめた。フリッツの頭は、まだ砕かれてはいない。


「ジンノくん、迎えを呼ぶね。そうしたらその子に食べてもらおう。おやつを与えて、腹ごなしにわたしたちを連れて行ってもらえばいいでしょ?」


 シアはミケの口元に唇を寄せた。母親が子供の頬にそうするようにシアが口付けると、ミケは目を細めて高らかに啼いた。笛の音のような高い声が、暗い空に響き渡る。

 

 空からなにかが、来る。曇天に浮かぶ黒点。それはみるみるうちに近づき、形を成した。

 フリッツの空ろな瞳が、その影を捉えた。

 見たことはない。けれど、この生き物が何なのか、自分は知っている。


 厚い雲の渦巻く曇天を割って、それはやって来た。

 ミケと同じ身体の造り。それでも、その風体は明らかに違う。ずっしりとした質量を持つ胴と、黒子に覆われた逞しい手足。空を舞うための骨組みに、風を掻く翼。獲物を打ちのめす鞭のようにしなる尾。噛み砕く牙と顎。ガラスのような黄色の瞳に、縦に細い瞳孔が走る。


 美しく、そして恐ろしかった。

 

 この美しい生き物に比べたら、自分たち人間はなんて歪な造りをしているのだろう。その風情ときたら、神が作り出したこの世の造形物の中で、最も逞しく、そして美しいものに違いない。

 その翼で力強く風を切り、天を裂くようにして舞う。時には咽から炎を吐いて大地を焦がす。

 そして人間など、地を這うムシケラと大して違いはないのだ。


 フリッツの顔の上に、影が落ちる。ぼうっとした頭で思う。自分は覗き込まれている。

 獣臭い息がかかる。大きな生き物が、近寄る気配。

 鼻面を寄せられる。黄色の大きな目玉が、自分を見ている。


 ああ、これは。

―――漆黒のブラックドラゴンだ。

 

 フリッツの身体は、動かなかった。


「さよなら。弟くん」


 シアの花色の唇が、艶やかに弧を描く。

 ブラックドラゴンの口が、ゆっくりと開かれた。







 負けた。守れなかった。みんな。


 フリッツの意識は、そこで途切れた。






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少女とギルド潰し
   ルーウィンとダンテの昔話、番外編です。第5章と一緒にお読みいただくと、本編が少し面白くなるかもしれません。
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