表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第4章 中原の暗雲
94/186

第9話 恋歌(前編)



 1


「おもしろいことになっておりますぞ」


 それがバルドを迎えたバリ・トードの第一声であった。

 王都の空気が明るいのには気付いていた。

 ジュールラントの戦勝に沸いているのだ。

 ジュールラントが敵の策を見抜いて裏をかいたという(うわさ)が流れている。

 ファーゴ、エジテ両都市は屈服し、反乱以前よりさらに王家に有利な条件で契約がなされた。

 それは王都に富が流れ込んでくるということなのだから、王都の民が大いにこの武人王太子をたたえるのも当然である。

 ジュールラントは、まだ王都に帰り着いていない。

 大きな都市二つを制圧したのだから、その後始末に時間がかかるのは無理もない。


「それはそうなのですがな。

 戦勝には違いないのですが、こちらの損害も大きく、将軍を二人も失っております。

 今王都に明るい空気を呼び込んでくださっているのは、ドリアテッサ殿なのですよ」


 ドリアテッサは、二週間前にパルザムの王都に到着した。

 シェルネリアへの結婚申し込みに合わせてドリアテッサの派遣を依頼する特使が帰着した二日後だというから、その早さたるや尋常ではない。


 しかも随行がすごかった。

 マノウスト伯爵ファルケンバーン・ファファーレン外務卿。

 ゴリオラ皇国の外交を担当する閣僚の中で席次二位の人物である。

 外交の生き字引といわれ、その威名はあまり交流のないパルザムの宮廷にも(とどろ)いている。

 ドリアテッサの父侯爵の実弟である。


 騎士一人を派遣する随行としては異常である。

 だが、マノウスト伯は単に随行として来たのではない。

 これからはパルザムとの国交を重んじるという皇王の意思表示なのである。

 また、正式の返事はあとになるが、今回の婚姻に事実上の応諾を与えたもの、と受け止めることができる。


 中原の二大強国が手を携える。

 王太子が妃を迎える。

 なるほど、王都の空気が明るいのも無理はない。


「ドリアテッサ殿がおいでになってからの騒ぎといったら」


 王が病床にあり王太子が遠征中であるから、できる応対は限られている。

 この特別な客をもてなすべくパルザムは舞踏会を開いた。

 夜会の席は何よりの交流の場である。

 有力貴族たちは、マノウスト伯の知己を得、少しでも情報を引き出そうと動いた。

 無論あちらも少なからぬ情報を得ていくだろう。

 また、ゴリオラ皇国でも有数の名家の美姫の来訪である。

 しかもドリアテッサ姫は自身子爵領を有する資産家でもある。

 王都中の若い独身貴族がいろめきたったといってよい。


 それだけに、夜会の席に現れたドリアテッサを見たときの衝撃は、言葉にしがたいほどのものがあった。

 男装だったのである。

 いや、男を装ったというより、それが正式の服装なのである。

 つまり、ゴリオラ皇国では女性武官の正式の装いは鎧姿であるし、夜会に出るときには身分職責に応じた武官の式服を着る。

 男性用の式服を女性用に調整した服なのだから、当然、男装になる。

 しかもドリアテッサは、武官にして騎士、侯爵家令嬢にして子爵なのであるから、式服の格式は最上位のものである。

 深い紺色の服地に金銀の飾り紐をあしらい、袖の折り返しは気品に満ちた輝きを放ち、ブーツの立てる音さえ小粋であったという。


 このゴリオラ皇国の慣例については、パルザムの王宮でも知ってはいた。

 知ってはいたが、あまりになじみない風習であるため、この場合にも適用されるとは考えなかった。

 高貴の姫が男装して夜会に現れるかもしれないなどということを、誰も思いつかなかったのである。

 ダンス申し込みの順番をめぐって牽制(けんせい)し合っていた青年貴族たちは、ただ呆然(ぼうぜん)とした。


 ドリアテッサがマノウスト伯を従えて入場したあと、主催者である第一側妃が入場した。

 アイドラの死を知ったウェンデルラント王は、以後一年間はその喪に服し妃は迎えないと宣言した。

 一年が過ぎた昨年十月、有力貴族家から三人の側妃を迎えることになった。

 この中の一人から正妃を選ぶことになるだろうといわれている。


 第一側妃の短いあいさつのあと、ドリアテッサは誘導に従い、まず主催者に、そして高位の貴族たちにあいさつしていった。

 本来ドリアテッサは女性武官の指導役に過ぎないのだからこの扱いは丁寧すぎるのだが、実質皇王の名代であるマノウスト伯がドリアテッサの随行という立場を崩さない以上、こうするしかないのである。


 そして、ダンスの時間となった。


 ドリアテッサはこの舞踏会の主賓であるから、最初に踊らなくてはならない。

 マノウスト伯が如才なさを発揮し、あたりさわりのない相手を選んで、こちらの姫に踊りを申し込んではどうか、とドリアテッサに勧めた。

 ドリアテッサは完璧な作法でダンスを申し込んだ。

 相手の姫はとまどいながらも承諾のしるしに右手を差し出した。

 その手にくちづけを与え、ドリアテッサは姫を中央に(いざな)った。

 ドリアテッサは女性としては身長が高い。

 一度切り詰めた髪は、少しは伸びたものの長く垂らすことも結い上げることもできず、どちらかというと男性の髪型にみえる。

 武人の式服をまとってすくっと立つその麗容は、どんな貴公子にもまさる美しさと力強さがあった。


 楽人たちが仕事を始め、ホールが音楽の調べに満たされると、ゆっくりと滑り出すように、ドリアテッサは姫をリードして踊った。

 もともと武の道に精進を重ねた人なのだから、ドリアテッサは身のこなしもリズム感も悪くない。

 その踊り方は、技巧を凝らした派手なものではなく、誠実で素直な人柄そのままの丁寧なものだ。

 それでいて、何ともいえない華がある。

 遠慮なくステップをリードしながらも、相手の姫をじゅうぶんに気遣う踊りぶりである。

 踊りが終わったときに周囲から起きた拍手は、心からのものだったろう。


 ファーストダンスが終わったのであるから、皆は自由に踊ればよい。

 ところが誰も踊ろうとしなかった。

 ドリアテッサが次に誰と踊るかが気になったからである。

 少なからぬ時間が過ぎたあと、一人の姫がドリアテッサの前に進み出て名を名乗り、腰を軽く落としてみせた。

 わたくしにダンスを申し込んでくださいませんか、という意思表示である。

 この国では、女性のほうからモーションを起こすのは、ややはしたないこととされる。

 まして夜会は始まったばかりで、相手はホール中の注目を集める男装の女性なのである。

 この姫はバリ・トードも以前から知っているが、どちらかといえば内気な気性だと思っていた。

 なけなしの勇気を総動員したのだろう。

 何が彼女にそこまでさせたかは分からない。

 ドリアテッサは、少し困ったような表情をしたが、姫にダンスを申し込んだ。


 この瞬間から大騒ぎが始まった。

 周りで見ていた姫たちが次々とドリアテッサの所にやってきて、アピールを始めたのである。

 ドリアテッサは美姫たちにすっかり取り囲まれてしまった。

 マノウスト伯は安全な場所に避難して、にこやかに愛しい姪を見守っていたという。


 この夜、ドリアテッサはパルザムの姫たちの心をかっさらっていった。






 2


「ドリアテッサ殿には、各貴族家から夜会のお誘いが引きも切らないとのことです。

 マノウスト伯はといえば、外交活動に精を出すかと思いきや、連日王都の観光名所をめぐり歩いておられます」


 新設される女性武官の指南役がゴリオラ皇国から派遣されるらしいことは取りざたされていた。

 その指南役は辺境競武会で総合優勝した女騎士だというから、さぞかし怪物的な女性なのだろうと(うわさ)する者もあった。

 いずれにしても両大国の王家同士の婚姻の、いわば添え物であると認識されていた。

 華やかな王都での武闘大会や有力都市でのそれと違い、辺境競武会への注目度は低い。


 ただ今回の辺境競武会は、あのシャンティリオンが負けた、という事実により注目されていた。

 なにしろ、弱冠十八歳で騎士叙任を受けて以来、七つの武闘大会の細剣部門で優勝し、天才の名をほしいままにする貴公子である。

 もっとも本当にシャンティリオンが負けたと思っている人はいない。

 負けた相手が女性騎士と聞いて、それではシャンティリオンが相手を打つことができなかったのはもっともだ、と誰もが思ったのである。


「ああ、申し遅れました。

 クーリ助祭とシマー助祭から、くれぐれもよろしくお伝えくださいとのことです。

 頂いたお金で、古くなった備品をだいぶ新しい物に交換できたとか。

 子どもたちの文具もたくさん買えました」


 クーリ助祭とシマー助祭は、バリ・トードが預かる〈下街(ユーエ)〉の神殿に勤める神官である。

 ともに、神殿が営む孤児院の面倒もみている。

 バルドは王都に来て以来、この孤児院にはたびたび足を運んでいる。

 子どもたちとも仲良くなった。

 そのたびに何かと寄付などをしているのだが、今回は支度金として王宮から下賜された金子のほとんどを寄贈してから遠征に出た。

 バルドには養う家族も維持する屋敷もないのだから、特に大金は必要ないのである。


 バリ・トードと話しているところにシャンティリオンが訪ねてきた。

 一昨日王都に到着すると、関係部署への報告はシャンティリオンに任せて、バルドはトード家で旅の(あか)を落としたのである。

 ジュールラントのいない王宮に用はなかった。

 笑顔でシャンティリオンを迎えたバリ・トードは、とびっきりの菓子と茶を用意させた。


 トード家はバリ・トードの預かりとなっている。

 ゼンブルジ伯爵の取り調べは一応終わり、あとはジュールラントの裁定待ちである。

 処遇がはっきりするまではこの屋敷の主立った者は軟禁状態である。

 母屋は閉鎖されており、伯爵の家族は付属舎で静かに生活している。

 使用人の中でも上のほうの者は、なかば容疑者の扱いであり、館から出ることを禁じられている。

 下級の使用人は、ずいぶん数を減らした。

 家の存続が許されたとしても、領地財産のおおかたは国に没収されるだろう。

 今は余分な出費はできないのである。


 ただし客棟は別である。

 バルドは国王の賓客であり、その滞在費は国庫から支払われるからだ。

 使用人たちとしては、バルドにどんどん客を呼んでほしいだろう。

 そうすれば仕事も増え、活気も出るし、賄いに回る食材も豊かになるからである。


 バリ・トードとシャンティリオンは、二年前ともに辺境に旅した仲であり、ごくくつろいで話し合える関係である。

 三人での歓談ははずんだ。


 ややあって、茶と菓子が出てきた。

 この家の茶は、実に種類豊富である。

 通常の茶葉だけでも、南方から仕入れた何種類もの味がある。

 穀物の実や木の実を()って()れる茶もまた変化に富んでいる。

 今日の茶は黒い。

 真っ黒である。

 非常に芳醇な香りが立ち上る。

 癖は強いが一度慣れたらやめられない味なのだ。

 あつあつの茶をちびりと飲めば、まるで長年熟成された蒸留酒のようなこくが口に広がる。


 さて、菓子はどうか。

 おお!

 カムラーめ。

 奮発しおったな。


 菓子は、柔らかなケーキ地に三層のスポンジを重ね、そのあいだに生クリームと砕いた木の実を詰めたものであり、美しく飾り立てられた最上部には、豊富な果物が色味も美しく盛りつけられている。

 あんないかめしい顔で、どうしてこんなにかわいらしい盛りつけを思いつくのか、実に不思議である。

 しかし菓子に罪はない。

 バルドは存分にその味を楽しんだ。


 バルドはシャンティリオンにわざわざ訪ねてくれた礼を言った。

 忙しいはずであり、自分にかまっている暇は、本当はないはずなのだ。

 バルドはといえば、ジュールラントが帰国すればすぐに将軍の座を降りて、この国も去る。

 病気で弱ったウェンデルラント王になど会う気はなかった。

 取りあえずは屋台めぐりでもして日々を過ごすつもりだった。

 ところが、そう告げてもシャンティリオンは帰ろうとしない。

 王都に友人もいないバルドのことを気遣ってくれているようだ。

 こんなじじいに付き合う必要はないのに、まったく義理堅い男である。

 バリ・トードは王宮に用があるとかで、二人にわびを言いながら屋敷を出た。


 出がけに、カムラーの奉公先について訊いてみた。

 難しいようだ。

 使用人たちはたぶん罪に問われない。

 しかし、王太子暗殺未遂犯の屋敷で上級使用人だった者を雇えば、謀反人の仲間扱いされかねない。

 好んでカムラーを迎える貴族はないだろう。

 しかもここに雇われるまで、いくつもの屋敷でカムラーは雇い主を怒らせている。

 かといってカムラーの知識と技術は、貴族の家でなければ生かせない。


 他の上級使用人のように悠々自適の隠退生活に入れればよいのだが、それができない。

 なぜならカムラーは、給料はすべて食材の研究につぎ込んできたからだ。

 馬鹿だ。

 大馬鹿者だ。

 シャンティリオンに頼んでみようかと、ふと思い、少し考えてやめた。

 アーゴライド本家に移ったばかりで立場は微妙であるはずだ。

 無理をさせるわけにはいかない。

 シャンティリオンといえば、先ほどから妙にそわそわしている。

 用事があるならいつでも帰ってくれればいいのだが、水を向けてもいっこうに帰ろうとはしない。


 そうしていたところ、来客があった。

 ドリアテッサだった。











6月1日「恋歌(中編)」に続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ