第8話 ライザ(中編)
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ライザとともに広場に戻った。
村人も旅隊の者も集まって来ている。
二つ目の月も昇ったので広場は明るい。
騎士たちは領主の家臣だった。
エイナの民たちはただちに領主の館に上がるようにと命じた。
領主の館でも収穫を祝う宴を行うのかもしれず、この命令自体に怪しい点はない。
だが、その命を伝えるのに、なぜ二十人もの家臣を派遣したのか。
二十人のうち、少なくとも半数が騎士にみえる。
館にはまだほかに騎士がいるだろう。
ここの領地は四つの村のはずだ。
どうやってこれほど多くの騎士を養っているのだろう。
旅隊の長が指示を出し、エイナの民たちは荷を馬車に放り込んで移動し始めた。
辺りを回っていた騎士が、バルドの後ろにいるライザを見つけた。
「女。
お前もエイナの娘だな。
来い」
差し出された手をよけて、ライザはさらにバルドの後ろに隠れ、
「いやだ。
あたしは今夜、この旦那に買われたんだ」
と言った。
騎士は不快げな目つきをして、ライザを捕まえようとした。
自分の体でその動きを封じてバルドが、
騎士殿、確かにこの者たちは金を払えば一夜の夢を与えてくれる。
しかしそれは金さえ出せばいつでもどこでも自由にできるということではない。
この者たちにもこれはしたいこれはしたくないという気持ちはあるのだ。
と言うと、
「来なければ長を殺す」
と言ってきた。
ライザは悲しそうな目をしてバルドのひげをなでて、馬車とともに歩き出した。
いよいよおかしい、とバルドは思った。
やり方が強引すぎるし、なぜあそこまでの殺気を込めなくてはならないのか。
エイナの民に芸をさせるために呼んでいるという雰囲気ではない。
そのとき、シャンティリオンの声がした。
「では、私たちもご領主の館に招待していただきましょうか」
見ればシャンティリオンは隊長とおぼしき騎士と向き合っている。
「ほう。
領主様の館に宿をご所望か」
暗がりであっても近くでよく見れば、シャンティリオンからあふれ出る気品は分かる者には分かる。
身なりは放浪の貧乏騎士なのだが。
「ええ。
私たちを招いたことを、ご領主は後悔なさらないでしょう」
これは暗に自分たちがそれなりに身分の高い騎士であることを告げている。
隊長の騎士は、
「では、ご同行願おうか」
と言った。
バルドとシャンティリオンは馬に乗った。
落ちぶれたこじき騎士か、強大な戦闘力を持ち誇りを失っていない騎士であるかは、馬に乗った姿をみれば見当がつくものだ。
バルドとシャンティリオンから武威を感じたのか、隊長の騎士はひどくきつい視線を送ってきた。
これから殺し合う敵に向けるようなきつい視線を。
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それは館というより砦だった。
たぶん昔は砦だったのではあるまいか。
大きく頑丈な岩壁でぐるりを覆っている。
中の様子は外からは見えない。
旅隊に続き、最後に防壁の中に入ったバルドは、ぎょっとした。
広場のあちこちに、人がつながれている。
逃げ出せないよう縛られて。
その者たちは平民だ。
農民なのか、旅人なのか。
絶望を目に浮かべている。
人狩じゃ!
まさか領主が率先して人狩をするとは。
いくらなんでも自領の民は狩るまいし、ごく近くの村も襲いはしないだろう。
しかし足がつきにくい場所に部下を派遣し、村人をさらい、街道に網を張って旅人をさらう。
そして奴隷に売り払う。
それは収入の底上げをするには手軽な方法だ。
もちろん、まともな奴隷契約書は作れないから、正規の奴隷としては売れない。
だが使いつぶしの奴隷を欲しがる相手は必ずいるのであり、そうした相手は正規の相場より高い値段をつける。
女たちは、むろん最底辺の奴隷娼婦となる。
見目がよくて若ければ、男奴隷の数倍で売れるだろう。
娼館には大きな出費となるが、何しろ給料を払わなくて済む娼婦なのだから、元を取るのはたやすい。
今すぐシャンティリオンと二人でなら逃げられる。
だが馬を下りて建物の中に入れば、生きて出られないかもしれない。
シャンティリオンを死なせるわけにはいかない。
どうするか。
隊長の指示のもと、兵士たちは連れてきたエイナの民を拘束し始めた。
手を縛り、動けないよう壁や石に結わえ付けるのだ。
それを見てシャンティリオンが抗議の声を上げたが、
「お二人は、こちらへ」
と隊長の騎士に案内され、二人は建物の中に入って行くことになった。
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領主は若かった。
まだ二十歳をいくらも越えていないだろう。
笑いを貼り付けたような目をしていて、顔全体が青白くのっぺりしている。
「旅の騎士殿。
名前をお聞きしてもよろしいかな」
と領主が言った。
シャンティリオンはうなずくと、バルドに向かい、うやうやしく両手を差し出した。
王印が刻まれた短剣を要求しているのだ。
それは悪手じゃ、とバルドは思い、首を横に振った。
こちらの正体を知ったら、絶対に生きて帰してはならない相手だと思うだろう。
うまく言いくるめれば仲間にできそうな相手と思わせたほうがよい。
しかしシャンティリオンは重ねて短剣を求めた。
やむを得ず、バルドは短剣を渡した。
シャンティリオンから短剣を受け取った若い領主は、しばらくそれを検分し、やがて驚愕を顔に浮かべた。
シャンティリオンは、たたみかけるように、
「領主殿。
こちらにおられるおかたは、恐れ多くも国王陛下より中軍正将の印璽を託されたバルド・ローエン卿閣下である。
閣下はお忍びの旅の途中であり、事を荒立てるおつもりはないので安心されよ。
収穫の祝いにエイナの民を求めるお気持ちは分かるが、手段が乱暴すぎる。
民をじゅうぶん楽しませたあとで館に招いてもよかったのではないかな。
われらはこれで立ち去るが、エイナの民には褒賞をはずんでやってもらいたい」
と言った。
領主の家来たちはざわめいた。
いきなり国王直轄軍の大将軍が目の前に現れたと言われれば、驚くのも無理はない。
バルドも驚いた。
シャンティリオンは、先ほど見た光景の意味を分かっていない。
人狩りを知らないはずもないだろうが、知識と目で見た光景がうまく結びつかないのだ。
「嘘だな」
という領主の声が、部屋のざわつきを静めた。
「バルド・ローエン、などという騎士は聞いたこともない。
この短剣も真っ赤な偽物だ。
国軍の柱石たる大将軍の名をかたるとは、許されざる大罪。
者ども、このふらち者どもを斬り捨てよ!」
シャンティリオンは、慌てた様子でさらに領主に話し掛けようとした。
領主の命令があまりに唐突だったので、家臣たちもすぐには動けなかった。
このわずかな時間をバルドは無駄にしなかった。
スタボロスの名を心で呼びながら古代剣を抜き、振り向きざまに金属鎧の騎士に斬りつけたのである。
部屋の中には領主以外に八人の敵がいた。
全員が剣を腰に吊っている。
比較的腕の立つ者がこの部屋に集まったようだ。
そのうち二人が金属鎧をつけており、兜も着けている。
この兜の二人さえ何とかすれば活路は開けると踏んだのだ。
名工の手によって研ぎ直された古代の魔剣は、人には見えない青緑の光を放ちながら、兜ごとその頭を断ち割った。
領主の家臣たちが剣を抜いて襲い掛かってくる。
バルドは他の敵には目もくれず右前に一歩踏み込み、もう一人の兜の敵の首をめざして左から右に古代剣を振った。
兜を着けたままの首が宙に舞った。
一本の剣が脇腹に当たった。
一本の剣は左手で受けた。
間合いを取るため、後ろに跳んだ。
跳びながらシャンティリオンの様子を見た。
うまく領主を取り押さえてくれれば、事態は一気に有利になる。
シャンティリオンは、剣も抜かず棒立ちになっていた。
領主は剣を振り上げ前から、騎士隊長が剣を突き出して後ろからシャンティリオンに襲い掛かろうとしている。
バルドの背中が壁に当たった。
正面から二人の敵が剣を振り上げ迫ってくる。
左の敵の剣を左腕で受け止め、右の敵には古代剣を突き出した。
右の敵は大きく後ろに吹っ飛んだ。
バルドは右足で後ろの壁を蹴ると、大きく前に飛び出した。
左の敵の顔を左手でつかみ、そのまま前に押し出していって放り投げた。
後ろにいた敵を巻き込んで転がった。
転倒をまぬがれた敵は二人いて、すぐにバルドに斬り掛かってきた。
バルドはちらりと右を見た。
領主は右手を斬り裂かれて剣を取り落としている。
騎士隊長は腹を真横に斬り裂かれて臓物をあふれ出させている。
さすがはシャンティリオンだ。
動転していても、磨き抜いた技は生きている。
だがやはり様子はおかしい。
剣を持ってはいるものの、まるで自分のしでかしたことにおびえるかのように、わなないている。
こうした様子を目の端に捉えながら、バルドは素早く左側に走り込んだ。
二人を同時に相手取らずにすむ位置取りをしたのだ。
斬り掛かって剣を左腕で受け止め、すかさず相手の首筋に古代剣を打ち込んだ。
首から激しく血を噴き出させ始めたその敵を右足で蹴り飛ばした。
その後ろで起き上がっていた敵に当たった。
態勢を崩したところに素早く駆け寄り、首筋に切り付けた。
見回すと、最初に腹を突いた敵が起き上がろうとしていたので背中から肩口に一撃を浴びせた。
最後に右手を押さえてわめき回っていた領主の頭を断ち割った。
振り返ると、扉が開けられていて、領主の家臣たちが青ざめた顔で部屋の中をのぞき込んでいた。
バルドは彼らに、国法を犯した領主は成敗した、手向かいする者は斬る、と告げた。
彼らは逃げ散って行った。
シャンティリオンは、自分が殺した騎士隊長を見下ろして、呆然としている。
この青年は実戦経験があるはずだが、これはどうしたことか。
いや。
実戦経験といっても、騎士隊を率いて盗賊を討伐したり、獣を追ったりするのと、今日のこれは違う。
バルド自身、初めて人を斬ったときは、剣が相手の肉に食い込む感触が何日も何日も思い出されて苦しんだ。
人間の血と内臓の噴き出した匂いは強烈だ。
しかも相手は自国の騎士なのだ。
が、今はゆっくりしていられる時ではない。
シャンティリオンを急き立てて外に出た。
つながれている者たちを早く解放するのだ、と命じた。
悲鳴が聞こえた。
女の声だ。
逃げる騎士が馬に女を担ぎ上げようとしている。
バルドは走り始めた。
その横を抜いてシャンティリオンが走った。
バルドは足を緩めて、辺りを見回した。
悲鳴を上げている女のことは、もうシャンティリオンに任せておけばよい。
幸い、ほかには狼藉をしている者は見当たらない。
シャンティリオンに目線を戻すと、不埒者を打ち据えて女を解放していた。
エイナの娘だがライザではない。
もう少し若く、黒い髪の娘だ。
バルドは女をさらおうとした騎士のもとにより、どこに行くつもりか尋ねた。
知らない騎士の名前を答えたので、それは誰だと訊くと、ここの少し南に領地を持つ騎士だという。
バルドはシャンティリオンに命じて、その男を解放した。
どうせもう何人かは先に逃げたはずだ。
急がなくてはならない。
縛られている者たちを解放し、バルドは告げた。
人狩りをして奴隷に売ろうとしていた領主は成敗した。
領主の仲間が駆けつけるかもしれないから、すぐに逃げたほうがよい。
数日分の食料程度なら、この館の物をもらっても目をつぶると。
エイナの民たちの行動は早かった。
長の命を待つまでもなく、館に飛び込んだのである。
入れ違いに館の者が出てきて逃げて行く。
それぞれ荷物を持って。
捕らわれていた者たちのうちある者は館の中に入っていき、ある者は礼を言ってそのまま出て行った。
シャンティリオンはわけが分からず混乱している。
バルドはシャンティリオンに説明した。
この領主が討たれたことは、すぐに近隣に伝わる。
どういう系統の騎士であるかは知らないが、親族や係累、あるいは派閥の者など関係者があるだろう。
ここの領主の犯罪を知ってうまい汁を吸っていた者は、わしらを殺して復讐しようとするだろう。
ここの領主のことを身内の恥と思っていた者は、わしらを殺して口封じをしようとするだろう。
いずれにしてもここで迎え撃つわけにはいかん。
バルドもシャンティリオンを連れて、もう一度館に入った。
悲鳴が聞こえる。
部屋に入ってみると、領主の家族であろう女たちがいて、数人の男が襲っている。
近づいてみたところ、首輪を奪おうとしていた。
首輪の持ち主は領主の奥方だろうか。
奪おうとしているのは、先ほどまで家臣だった男だ。
バルドは男たちを追い払い、この部屋に手をつけることは許さん、と宣言して部屋を出た。
エイナの長がやって来て、救ってくれた礼を言い、これからどちらに行かれますか、と訊いてきた。
バルドは、北か西の方角にある街か村に行きたい、と答えた。
長は、三刻里西に村があり、さらに二刻里北に進むと大きな街がある、と言った。
ではわしらはそこに向かうと、バルドが言うと、ご一緒できませんかと長が訊いてきた。
護衛をしてくれないかと頼んでいるのである。
エイナの民は馬車に荷物を積んで歩くのだから、早くは進めない。
バルドは、小さく笑って、抜け目ないやつじゃのう、と相手を褒め、よし一緒に行ってやろう、と答えた。
長は深々と頭を下げた。
エイナの者たちが館から出てきた。
手に手に食器や調度などを持っている。
要するに盗んだのである。
口を開きかけたシャンティリオンをバルドがとめた。
この者たちにも旅の資金が要る。
あの村では結局ただ働きになってしまったのだ。
バルドは長に荷造りを急がせ、シャンティリオンに説明した。
先ほど女をさらって南の領主に届けようとした者がいた。
その領主は、さらった女を土産として喜んで受け取る人間であるということだ。
これを聞いてシャンティリオンも理解したようだ。
バルドは井戸に行き水筒に水をくむと、鎧に付いた血を洗い流した。
シャンティリオンも同じようにした。
そして旅隊とともに館をあとにした。
5月25日「ライザ(後編)」に続く




