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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第4章 中原の暗雲
91/186

第8話 ライザ(前編)






 1


 次に立ち寄った村では、少し妙なことになってしまった。


 タリコゲの木の樹液が特産品である村で、村役が商人と結託して職人たちを無実の罪で陥れ、樹液を独占しようとしていたのだ。

 バルドは、身分は名乗らないまま、穏便な方法で職人たちの無実だけを証明するつもりだった。

 ところがシャンティリオンは、バルドに王印の短剣を乞い、こちらにおられるかたは、とやり始めてしまった。

 仕方がないのでなるべく禍根の少ない言い方で村役と商人を諭したが、大騒ぎになってしまった。

 口止めはしたが、間違いなく噂は広がるだろう。

 どうもシャンティリオンは、大将軍の威光で悪人を懲らしめる快感に目覚めてしまったようだ。


 バルドはシャンティリオンに、わしの名を吹聴するのはやめよ、と言った。

 シャンティリオンは、明るい声で分かりましたと返事したが、本当に分かっているか不安だ。

 こやつはこんな性格じゃったかのう、とバルドは思った。

 まるでどこかの誰かのようだ。

 だがよく考えると、なるほどと思う面もあった。

 シャンティリオンは、真面目で素直で一生懸命な男なのだ。

 今はこの旅の中で自分にできる精一杯のことをしようとしている。

 その現れ方が、たまたまこうなっているのだろう。


 バルドの名が傷つくことはかまわなかった。

 どのみち王都に帰れば、あれやこれやの責任を押し付けられて免職されるのだ。

 不祥事などというものはどうしたって多少は起きるものだから、これ幸いと直轄軍の大掃除に利用されるだろう。

 だから、バルドの不名誉で済むことならかまわない。

 だが、王の名を傷つけるわけにはいかない。

 また、シャンティリオンの名にも傷は付けたくない。


 シャンティリオンは、噂というものの恐ろしさを分かっていない。

 例えばこういう噂が立つとする。

 ある村で、村役と商人が職人を苦しめたのを、バルド将軍が助けたらしいぞ。

 ところがそれにこう言う者がいたとする。

 俺はバルド将軍が村役を苦しめたと聞いたぞ。

 そのあと噂はどんどんゆがんでいく。

 しかも元の話が事実を含んでいるだけに伝わる話は説得力を持つ。

 噂の果てに、善人が悪人となり、加害者が被害者となることもあるのだ。


 だからバルドはシャンティリオンには身分を名乗らせないようにしている。

 実のところ、バルドの名などより、アーゴライド家の名のほうがよほど影響力があるだろう。

 ありすぎる。

 地方領主たちにとって、バルド大将軍などというものは、今だけ頭を下げておけばやがては消えてなくなる存在だ。

 だがアーゴライド家の機嫌をそこねたら、百年先の子孫までが報いを受けることになる。

 そう彼らは思うはずだ。

 バルドはこの国のことをまだよく知らないが、アーゴライド家がそういう家だということは分かる。


「ゴドン・ザルコス殿は常々、旅はよい、旅はよいとおっしゃっていたそうですが、本当にそうですね」


 何気なくシャンティリオンの口からもれたこの言葉を、バルドはいったん聞き流して考え事を続けていた。

 だがふと、気が付いた。

 今、シャンティリオンは何と言うた。

 こやつにゴドン・ザルコスのことを話したことはある。

 何度か話したはずじゃ。

 しかし、ゴドンのその口癖については話しておらんはずじゃ。

 こやつはそれをどこで聞いたのじゃ。

 バルドはそれをシャンティリオンに聞いた。


「え?

 それは、ほら、辺境競武会の最後の日に行われた宴です。

 私は寝床に横たわっておりましたが、わが家門に縁のある者が副審判をしておりまして、あの宴の模様をあとで詳しく話してくれたのです。

 ジュルチャガとかいうバルド殿の従者が、ゴリオラ皇国の皇宮でも語ったという旅語りを聞かせてくれたというではありませんか。

 あちらの皇宮の奥は相当な身分の者しか入れないそうで、何か特別な身分をもらっていたそうですね。

 周りの騎士たちから肉や酒をもらいながら、楽しそうに語っていたとか。

 バルド殿もおられたと聞いていますが」


 ジュ・ル・チャ・ガ!

 確かにやつの姿を見たような気もした。

 酔いで記憶が混乱していたのではなかったのだ。

 牛肉は騎士のために用意されたものでそれ以外の者は食べられない。

 その場に足を踏み入れることもできない雰囲気だった。

 だからあそこにジュルチャガが来るはずがないと思い込んでいたが、そういえばやつは準貴族とやらに叙せられていたのだった。

 いや、やつならそもそもどこにでもちゃっかり現れかねん。


 ほら話のような英雄譚も、ただの物語として聞いているうちはよい。

 しかしその主人公が自国の大将軍になったらどうか。

 噂というのは正しく伝わらないからこそ噂なのであり、場合によっては故意にねじまげられることもある。


 考えかけて、バルドは心配するのをやめた。

 どの道すぐにこの地位は去る。

 この国も去る。

 辺境騎士団の騎士は王都には縁が薄いだろうし、出場者たちも、シャンティリオンなどの例外を除いて地方で活躍している騎士たちだ。

 大した影響があるはずもない。


「私は感動し、その者に命じてバルド・ローエン卿の物語を覚えている限り書き記させました」


 いらんことをするな!

 と思わずどなりそうになったが、こらえた。

 今のバルドはシャンティリオンの上司だが、身分はあちらが遙かに上であり、個人的な行動に文句を付けられる立場ではない。

 そんなことをする人間がほかにもいるかもしれないということには思いが及ばなかった。





 2


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈踊る、踊る。踊り子は踊るよ〉

〈マウカリユナは美しい娘さ〉


 速いテンポの激しい曲調の歌だ。

 歌っているのはエイナの男だ。

 薪の明かりに照らされるその顔は若く美しい。

 しかしよく見れば年寄りのようにもみえる。

 高い音域で張り裂けそうな調子で歌っている。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈マウカリユナには恋人がいた〉

〈甘い肌をした優しい男さ〉

〈男はマウカリユナへの求婚の贈り物が欲しかった〉

〈だから男は騎士様について戦場へ行ったのさ〉


 一人の男が四弦のザルバッタを奏で、二人の男が小さな太鼓をたたいている。

 エイナの男たちだ。

 ほかにも十数人のエイナの男たちと、同じぐらいの数のエイナの女たちが、手拍子と掛け声で合いの手を入れている。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈マウカリユナは寂しくなった〉

〈寂しくなって我慢できなくなった〉

〈マウカリユナの欲しいものは贈り物じゃなかった〉

〈男の柔らかいくちびるだったのさ〉


 三つの村から集まったという観客は、思い思いの場所に陣取り、酒や果実汁を飲みながら、エイナの民の芸に酔いしれている。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈マウカリユナは戦場に行った〉

〈戦争はまだ続いていた〉

〈そして男は死んでいた〉

〈恋人に別れも告げず〉


 輪の中心では一人の女が踊っている。

 エイナの娘だ。

 振り乱した燃えるような赤い髪から汗を飛ばしながら、女は情熱的に踊っている。

 大きく手を足を振り、肉感的な胸を振るわせ腰をゆすりながら、女は激しく踊っている。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈男を村に連れて帰りたかったけれど〉

〈誰も男を運んではくれない〉

〈騎士様の馬は戦利品でいっぱいで〉

〈従者の死体を乗せる場所などなかったのさ〉


 バルドがこの女を見るのは二度目だ。

 最初に見たのは、ロードヴァン城から王都に向かう旅の途中だ。

 大雨に降られて逗留(とうりゆう)した地方騎士の館で見た。

 村の名も領主の名も、もう覚えていないが。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈だからマウカリユナは騎士様に頼んだのさ〉

〈この人の首を切って〉


 ひどく印象的な目をした女だ。

 あのときも、そう思った。

 どうしてこの女は、こんな目でわしを見るのか。

 それはまるで、命懸けの恋をした相手を見る目だ。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈騎士様の切った首をマウカリユナはうれしそうに見つめた〉

〈この女は狂っていると皆は言った〉

〈けれどマウカリユナは幸せだった〉

〈もう男のくちびるは彼女のものだったから〉


 隣では、ぽかんとした顔でシャンティリオンがみとれている。

 上級貴族なのだから、さまざまな芸能に親しんできているはずだが、こんな上品さからほど遠い歌や踊りは知らないのだろう。


〈ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ、ティエレレ〉

〈踊る、踊る。踊り子は踊るよ〉

〈マウカリユナは美しい娘さ〉

〈ティエレレ〜〜ティエ〜〜イエ〜〜〜〜ア〜〜〜〜〜〜〜!〉


 泣き叫ぶような高音が響きわたり、曲は終わった。

 大きな拍手が起きた。






 3


 村々では収穫祭が行われていた。

 この時期、エイナの民はどこの村でも引っ張りだこだ。

 歌や踊りや手妻や物語で楽しませ、革細工を直したり、ちょっと珍しい細工物を売ったりする。

 少しばかり〈旅隊(トラン)〉の(おさ)に祝儀をはずめば、気に入った娘や男と木陰で夢を見ることもできる。


 バルドたちは、村長(むらおさ)に勧められるまま、三日間続くこの宴に参加することにした。

 バルドは特大の酒樽を一つ買い取って、それを皆に提供した。

 村長は最初の乾杯をバルドに捧げ、このお大尽様に皆の拍手を集めた。

 そのあとは、文字通りの無礼講だ。


 曲が変わった。

 静かな甘い調子だ。

 エイナの名歌手がうぶな少女の恋を歌う。

 踊り子がそれにあわせて身をくねらせる。

 大きな身振りはないのだが、美しい肌膚(きふ)からは媚薬が噴き出しているかのように、人を()き付けて放さない。


 まただ。

 またわしのほうを見ておる。

 いや。

 誰にでもそう思わせておるのか。

 だとすれば、妖術にもひとしいわざじゃ。


 やがて女の踊りは終わった。

 続いてエイナの民の演奏に乗せて村人が踊り出した。

 しばらくするとシャンティリオンも引っ張り出され、その踊りの輪に加わった。

 村娘が何人か、熱っぽい視線をシャンティリオンに向けている。

 手を取って一緒に踊ろうとする者もいる。


 バルドは少し離れた場所に移って木に背を預けた。

 酔い加減の頬を夜の風がなでてゆく。

 目をとじてまどろんだ。


 半分夢の中で、バルドは刀匠ゼンダッタの話を思い返していた。

 あの話は、バリ・トードの話と補い合う部分もあり、食い違う部分もあった。

 バルドが伝え聞いていた古代の伝説と共通する部分もあり、違う部分もあった。

 いずれにしても、今まで知らなかったことを知ることができた。

 これまで見えなかったものが見えるようになってきた。


 だがそれが全体としてどんな意味を持っているのかは分からない。

 これから起きるであろう何事かと、それがどうつながるのかは分からない。

 ゼンダッタは、バルドは使命を帯びた人間なのだと言った。

 バルド自身にその実感はないが、ゼンダッタの言葉を軽んじることはしたくない。

 いつか意味を知る日まで、ゼンダッタの言葉を覚えておくほかない。


「もう、酔ったの?」


 もたれ掛かった木の後ろから声がした。

 顔を見なくても、踊りを踊っていたあの女だと分かった。

 森の中に人の気配は少なくないので近寄るのを気にしていなかったが、バルドに用があったらしい。


「あんたに会うの、二回目ね」


 そうじゃったかの、と振り返りもせずにバルドは返した。


「まあ。

 冷たいのね。

 あたしは一目あんたを見たときから、あんたのことだけを考えてたのに」


 あまりにもありきたりな言い回しなので、バルドは軽く笑った。


「笑うのね。

 でも、きっとあんたもそう。

 あたしのこと、忘れられなかったでしょ。

 だってあんたは私の男なんだから」


 どうもこの女は今夜の客はバルドだと決めたようだ。

 悪くない人選だ。

 今この村にいる人間の中で、バルドが一番金を持っていそうにみえるはずだ。

 それは、そう間違いというわけでもない。


 女が木の後ろから右側に出て、腰を下ろした気配がした。

 甘い香りがただよう。

 何かに似た甘い香りが。

 いったい何の香りだったか。

 そうだ。

 辺境に咲くテュルシネの花だ。


 手が伸びてきてバルドのひげを柔らかくなでた。

 それから女は両の手でバルドの頬を挟んで、ぐいとねじり、バルドの顔を自分のほうに向けさせた。

 踊っていたときの妖艶さは消え失せていた。

 驚くほど美しい顔だ。

 こんな薄暗い場所でも、赤い髪は燃え上がるようにまぶしい。

 かつてはバルドの髪も、これに劣らないほど赤かったのだ。

 くっきりした眉と少しつり上がった大きな目が、気の強さを感じさせる。

 赤くて少し大きめの口は、かすかなほほえみを浮かべているのに、悲しさを感じるのはなぜだろう。


「ライザよ」


 と女は言った。

 ライザ、とバルドは口にした。


「そうよ」


 とライザは笑みをみせ、顔を寄せてきた。

 テュルシネの花のような香りがバルドの鼻を満たした。

 それもよいかとバルドは思った。

 だが、そうはならなかった。

 馬だ。

 騎馬隊だ。

 おそらく二十騎ほどの。

 じゃらじゃらという、鎧や武器がぶつかりあうような音も聞こえる。

 誰かが祭りに乱入してきたようだ。






5月22日「ライザ(中編)」に続く

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