第7話 剣匠ゼンダッタ(後編)
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さてと。
まずはよくご存じの魔剣の話からいたしましょうか。
今知られている魔剣は、剣匠たちが知恵と力を振り絞って長年のあいだにその製法を確立していったものでしてな。
アーゴライドの若様。
ちょうどあなたさまがお持ちの〈青ざめた貴婦人〉。
およそ二百年前のことになりますが、それを鍛えた剣匠グイードらのころが、魔剣の完成期といえましょう。
一本の魔剣は、戦争の勝敗を変えてしまうほどの力を持っておりました。
戦争は今ほど複雑で大規模ではありませんで、代表騎士の決闘で勝敗をつけることもしばしばでした。
優れた魔剣はどんな鎧も切り裂いて敵の騎士に傷を与えました。
一騎打ちにならないまでも、これと思った敵に必ず勝てる武器を持つということが、当時の戦争でどれほどの優位をもたらしたか、いうまでもございませんな。
また、魔獣に対抗できる武器は魔剣しかありませんでした。
魔獣から領民を守れる領主は、厚い敬意を勝ち取ることができました。
ゆえに魔剣は最高の恩賞になりました。
王は希少な原料と製法を独占し、手柄を立てた騎士に領地の代わりに魔剣を授けました。
魔剣は小さな領地などをもらうより、よほどうれしい恩賞だったのです。
けれど時代は変わりました。
戦争はどんどん大規模になり、複雑になりました。
鎧が発達してくると、さすがの魔剣も人相手の戦いでは無敵でなくなりました。
現代のような全身金属鎧は、魔剣でも斬り裂くことができませんからな。
今では騎士の剣は大きくて、ごつくて、相手を鎧ごと吹き飛ばすようなものになってしまいました。
あれは剣の形をしたハンマーなのであって、あんなものは注文されても作るのはごめんですがね。
や、これはいらんことを申しました。
そして魔獣が出なくなりました。
何よりこのことが大きかったかもしれません。
こうなってくると、魔剣の希少性より鋼の剣の通有性のほうが評価されるようになります。
何しろ、魔剣一本作る費用と手間で最高の鋼の剣が二十本は作れますからなあ。
さらに、魔剣に必要な材料のうち、もっとも希少なものが手に入らなくなりました。
これは今もメルカノ神殿自治領には産出するのです。
しかしあそこでは、武器より聖具のほうに聖硬銀を使いますからな。
私は若いころ、二十年も王から魔剣の注文がないことに憤慨しました。
しかしそれでよかったのです。
時代は変わったのです。
かつて魔剣を作ろうとした努力から、さまざまな冶金の技術が生まれました。
けれど魔剣自体は、もう過去の遺物なのです。
いえいえ。
魔剣が必要になるときはあるかもしれませんよ。
しかし無理をしてまで新たに作る必要はないのではありませんかな。
魔剣というのは非常に高価で重要なものでした。
それぞれに名が付いて、どこの家にどの剣があるか、ある程度の剣匠なら知っているほどです。
魔剣はめったに失われません。
欠ければ研ぎ直され、折れれば打ち直されます。
魔剣の本数は減らないのです。
古い貴族家の武器庫には何本もの魔剣が積まれているでしょう。
歴史始まって以来この国に現れた全部と同じ数の魔獣が現れても、じゅうぶん戦えるだけの魔剣がこの国にはあるはずです。
恩賞としての価値は失われてしまいました。
古い貴族家にとっては今さらだし、新しい貴族家にとっても実用的な価値があまりないからです。
王の側からしても、最近は領地でなく金品で恩賞を与えることに貴族たちの抵抗がなくなってきましたから、無理に魔剣を作る必要もなくなってきたのです。
私が王都を出ることができたという事実が、魔剣の時代が終わったことを証明しています。
かつては魔剣の製法を修めた剣匠は、決して王の元を離れることは許されなかったのです。
今日よく知られている魔剣についての話はここまでとしましょう。
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さて、では。
剣匠たちは、なぜ魔剣を作ろうとしたのでしょう。
魔獣を斬り裂くような剣が作れるのだと、なぜ思ったのでしょう。
ここから先は、伝説の話になります。
古い剣匠たちのあいだで語り継がれた伝説です。
私は少年の日に何人かの剣匠たちから話を聞くことができましてね。
時間をかけて、それを整理したのですよ。
かつて大地には精霊があふれていました。
精霊たちは、人とも亜人とも獣とも争わず、楽しく暮らしておりました。
精霊たちはまた、不思議な力の持ち主でもありました。
遠い所に一瞬で移動したり、遠い所の友達と話をしたり、強い敵を倒す不思議な力を持っていました。
そういう精霊たちの中に、特に強い力を持った者が現れてきました。
それは何百何千という精霊が一つに固まって生まれたのだという説を唱えた博識もおりましたな。
その強大な精霊は、神霊獣とか聖霊神とか呼ばれました。
神霊獣が何体いたのかは、はっきり分かりません。
たぶん六体か七体ぐらいだと思うのですがね。
やがて神々が二つの陣営に分かれて争いを始めました。
神々はそれぞれ精霊たちを味方につけて争いました。
人も亜人もそれぞれ神々に味方したともいいますし、そうでないともいいます。
山は斬り裂かれ大地は焼き尽くされ、やがて片方の陣営の勝利により戦争は終わりました。
長い時間のあと、神々が地上から去り人間が大地を支配するようになったころ、それは起こりました。
魔獣の出現です。
当時の人間の王は、魔獣の正体を正しく知っていたといいます。
そして、魔獣に対抗する力を得るため、神霊獣たちに助けを求めたのです。
神霊獣たちが神々の戦争のとき、いずれかに加担していたかいなかったか、それは分かりません。
とにかく、神々と精霊たちが去ったあとも、神霊獣はこの大地の上に残っていたのです。
神霊獣たちは、独特の形で人間の王の願いをかなえました。
彼らは、武器に身を変えたのです。
いや、そうではありませんな。
武器の中に入り込んだのです。
神霊獣の化身たる剣や槍は、魔獣の硬い皮や骨をたやすく斬り裂きました。
巨大な岩を砕き、大地を斬り裂いたともいいます。
使い方によっては何百匹の魔獣を一度に倒せる剣もあったのです。
こうして、人は魔獣に対抗し得る武器を得たのです。
そうです。
これが魔剣です。
これこそが本当の魔剣だったのです。
神話時代の事物が、およそ歴史の手が及ばない遠い過去にあるのに対して、この魔剣は、ほんの三百年前ぐらいまでさかのぼればその活躍の姿を見ることができます。
そうなのです。
各国各地の歴史に、魔剣が働きを現した痕跡を私たちはたどれるのです。
かつて魔剣を作ろうと志した剣匠たちは、本物の魔剣を見たことがあったのです。
魔剣があれば、どんなことができるか、それはどんな特性を持った剣なのか、それを彼らは弟子たちに伝えました。
ただし、具体的なことは秘匿されました。
比喩や伝説の形でしか伝えなかったのです。
それはそうするほかなかったのです。
魔剣の存在とその強大な力が知れ渡り、どこの誰が持っているか明らかになれば、何が起こるか言うまでもありません。
それを奪おうとして戦争が起きるでしょう。
また特徴と弱点が知れれば、持ち手に不幸が訪れるでしょう。
魔剣を持つ者もその国も、決して平和でいられなくなるでしょう。
それでは魔剣そのものが災いとなってしまいます。
だから魔剣の真実とその具体は秘されたのです。
それは、あなたさまが真の魔剣を持っているという事実を、私が誰にもしゃべらないのと同じです。
こうして古代の魔剣を知る者は死に絶え、あとには曖昧な口伝のみが残されたのです。
しかし口伝を受け継ぐ剣匠たちは、本当の魔剣は今もどこかにあると信じました。
私もです。
私の師も信じていました。
けれど師は本当の魔剣を目にすることなく死にました。
多くの先人たちと同じように。
こんな思いは私で終わりにしようと思って、当代には教えておりませんでした。
バルド大将軍の魔剣を拝見して私が涙するほど感動したわけが、お分かりいただけましたか。
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なんと老人、つまり先代ゼンダッタには、あの青緑の燐光がうっすらと見えたのだという。
むろんシャンティリオンにも当代のゼンダッタにもまったく見えない。
そしてまた、初めてこの鉈もどきの古代剣を見た瞬間に、この老人はそれが長年憧れ続けた本当の魔剣だと見抜いたのだ。
まるで奇跡のような洞察である。
バルドは二人の剣匠とシャンティリオンに、古代剣との出会いとその後を話して聞かせた。
剣匠はバルドに許しを得て、弟子三人にも同席させた。
バルドの話は長時間に及んだ。
古代剣にアイドラ姫の祈りとスタボロスの魂を感じるのだ、とバルドが話を締めくくったとき、目に涙を浮かべた者もいた。
先代ゼンダッタの推測によれば、バルドの持つ古代剣に宿っているのは、神霊獣の中でも特に強力な一柱〈神なる竜〉だろうという。
メギエリオン。
天空の支配者。
偉大なる蛇の王。
古代の英雄たちに加護を与えたという、誰もが知るおとぎ話の神霊である。
一同はあらためて畏怖の目で古代剣を見た。
魔剣の真実を知って、バルドは確信した。
やはりカーズの剣であるヴァン・フルールは、バルドの鉈剣と同じ古代剣なのだ。
神霊獣の力を宿す剣なのだ。
バルドは剣匠に、ケルデバジュ王の槍はどうだろうか、と訊いてみた。
すると先代ゼンダッタは、
「あれも本当の魔剣だったということは、大いにあり得ることですな。
しかし、詳しい言い伝えが残っておらず、その力の特色がよく分かりません。
もしあの槍が魔剣だったとすれば、ほんの八十年前に歴史の表舞台に上がった本当の魔剣があったということになりますな」
と意見を述べた。
バルドは次に、古代剣を使うと、最初は強い脱力感があり、命を吸って力を発揮する剣かと思った、と言った。
すると剣匠は、
「そんな話は聞いたことがありません。
ただ、剣に宿る神霊獣の巨大な力が体を通り抜けるのですからな。
慣れないうちは、ひどく疲れたり、苦痛を感じることもあるかもしれません。
とにかく伝承を総合してみると、本当の魔剣は使い手の疲れを癒し、強い生命力を与えてくれるはずなのです。
最近心身が若返ったようで、とても調子がよいとおっしゃったではありませんか。
それはまさしく魔剣の効果として伝えられているものと一致します」
と言って笑った。
話が一段落したあと、剣匠は、弟子である当代ゼンダッタに言った。
「当代殿。
わが一門では注文主の腰の物をまず改める。
それは持ち主の器量を見定めるためだといわれておる。
わしもお前もそのようにしてきた。
じゃがのう。
お前はその器量という言葉の意味を、身分、財産、剣の腕、戦いの場数や戦い方、手入れの仕方や持ち主の人となりのことじゃと思ってはおらんか。
それは違ってはおらんが、それだけでは肝心のものが抜けておるとわしは思うのじゃ」
「肝心なもの、ですか」
「運命。
というより、宿命かの。
役目といってもいいじゃろう。
自分の役目を知りそれを果たして死んでいける人生こそ喜ばしい。
バルド将軍を見よ。
本当の魔剣というものは神霊獣が宿っておるものじゃから、神霊獣からあるじとして認められねば真の力は出さぬ。
バルド将軍は、辺境の小さな村の雑貨屋でこの剣に出会われたという。
それだけでも腰を抜かすような話じゃ。
そのうえ、魔剣とは知らず使いこなし、宿る神霊獣からあるじと認められておる。
そんなことがあるものなのかと言いたくなるわい。
しかし、これが本当なのじゃ。
人間はその器量に応じた武器に出会うものなのじゃ。
とてつもない武器にめぐりあう騎士はまた、とてつもない宿命を背負っておる。
バルド将軍が、いつか必ずシャントラ・メギエリオンを必要とする場面がある。
それはおそらく、多くの国々の運命さえ変えてしまうような場面なのではあるまいか。
それに立ち会い手助けできる喜びこそ、剣匠の醍醐味よ」
と言って剣匠は愉快そうに笑った。
そして、
「こんな田舎に引っ越したかいがあったというものじゃて」
と言った。
シャンティリオンは剣匠に、ここの空気や水が剣を打つのによいから王都を出たのではないのか、と訊いた。
「若様。
そうではありませんわい。
わしは本当は賑やかで女と酒がある場所が好きですのじゃ。
しかし王都におると、ゼンダッタの名ばかりを求める客が多すぎましてのう。
こんな不便でくそつまらん田舎なら、何かのついでに尋ねて来る客もおりませんわい。
ここに来る客は、わざわざの客か、よほどの縁のある客というわけです。
もっとも弟子たちがついて来るとは思いませんでしたがなあ」
「師匠。
私はまだまだ師匠に教わることがあると思いお供したのです。
お供してよかった、と今あらためて思います。
私には新しい目標ができました」
当代ゼンダッタの言葉に先代はひどく面白そうな顔をした。
「目標とな」
「はい。
これです」
そう言って当代は、折れた剣を示した。
「最高の剣だと自負していました。
魔剣にも負けないほどの剣だと。
それがこんな折れ方をするとは。
バルド将軍の魔剣には、ほとんど傷がありません。
今回打ち付けた場所が分からないほどです。
私の剣はこの程度のものだったのです。
これから私は、バルド将軍の剣と同じように、この剣を簡単にたたき折れる剣を作ります。
魔剣ではありません。
聖硬銀も使いません。
鋼を基礎にした新しいより優れた製法を、きっと見つけてみせます。
ああ。
それは新しい魔剣になるのかもしれませんね。
そうです。
私は新しい魔剣を生み出したいのです」
そして姿勢を改め、先代に深々と礼を取ると、
「師匠。
領主様に差し上げる剣を打ち終えたら、私は王都に帰ります。
若くてやる気のある工学識士を探し、仲間を作って、新たな目標に人生をささげます。
今日までお世話になり、ありがとうございました」
と決意を述べた。
その弟子である三人も、当代とともに頭を下げた。
先代剣匠は、にこやかに愛弟子たちを見つめた。
バルドはなぜかしら愉快な気持ちで当代剣匠の言葉を聞いていた。
当代剣匠の言葉は筋が通っているとはいえない。
そうではないか。
バルドの剣は神霊獣あるいは聖霊神と呼ばれた不思議の存在が入り込んだ剣なのだ。
アイドラの祈りとスタボロスの魂も宿っている。
ただの鋼の剣を撃ち当てて折れたといっても、少しも恥じることはない。
まともに比べること自体がおかしい。
だがそれを悔しがるこの剣匠をバルドは快く感じた。
許せないのだ。
我慢できないのだ。
おのれが精魂込めて打ち上げた剣があっさりと折り砕かれてしまったことが。
たとえ相手が神霊の宿る剣であろうが関係ない。
それに負けない剣をいつか打ってみせる。
この男の心にはその決意の炎が今燃えさかっている。
その炎はこの男の中にあった技も知識も自尊心も焼き尽くしてしまった。
その焼け跡からこそ新しい何かは生まれるのだ。
ふと思った。
最初に魔剣を作ろうと思った剣匠も同じだったのではないか。
神霊獣の宿る剣におのれの鍛えた剣が打ち砕かれた一人の剣匠が昔いたのではなかろうか。
そうでなければおかしいのだ。
神霊獣の宿る剣のすさまじさをみたからといって、神霊獣抜きで同じような物が作れると思うその発想がおかしい。
だがたぶん、理屈ではないのだ。
剣を砕かれた一人の剣匠の心に、あれに負けない剣を作ってやるという炎がともった。
それが幾百幾千の剣匠たちの心に燃え広がり、そして長い長い時を経て魔剣が生み出された。
案外そんなところが歴史の真実なのではあるまいか。
人間は理屈ではなく、心の中のともしびに導かれて、新しい物を生み出していくのだ。
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夜が明けようとしていた。
先代剣匠が、バルドの古代剣を研ぐ、と言った。
特殊な方法で研げるはずだと。
バルドは古代剣を渡すと部屋の片隅で眠り始めた。
目を覚ますと、古代剣が奇麗に研ぎ上がっていた。
どうやったものか分からないが、もはやできそこないの鉈のようには見えない。
鈍い銀色の剣身に、神々しい竜がとぐろを巻いてからみつく、神剣と呼ぶにふさわしい剣だ。
そして先代ゼンダッタが死んでいた。
バルドの剣を研ぎ終えると、一杯茶を飲み、満足そうな顔で、疲れた少し休むと言って庭に面した部屋で横になった。
バルドが起きたので起こそうとしたら、そのまま息絶えていたのだという。
バルドはシャンティリオンとともに先代剣匠に拝礼すると、当代剣匠に工学識士オーロの住所を教えて旅立った。
シャンティリオンの腰には、当代が研ぎ終えた魔剣〈青ざめた貴婦人〉が収まっていた。
5月19日「ライザ(前編)」に続く




