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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第4章 中原の暗雲
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第6話 コルポス砦救援(中編)





 4


 見えてきた。

 それは、砦と呼ぶにはいささか巨大すぎる。


 砦の北側には大きな山があるが、その向こうにはかつて都市があった。

 その都市はパルザム王国に敵対し、しばしばミスラや隊商を襲った。

 業を煮やしたパルザム王は、この砦を築いた。

 敵が強く数も多かったので、砦もしぜん大きく頑丈なものになった。

 都市はやがて水が枯れ果てて民が離散し、廃虚となった。

 今やこの砦は隊商や辺境騎士団が立ち寄る休憩所となっており、守る兵もわずかだという。


 近づいて、ぎょっとした。

 まさか、あれは。

 だが、やはりそうだった。

 馬や兵の死体が放置されている。

 野獣に食い荒らされたような無残な姿で。


 さらに近づくと、槍や矢が、回収もされずに地に落ちていた。

 しかもそれは、砦の周りをずっと取り巻き、北側のほうに続いているようだ。

 ぐるっと大回りして砦の北側に出た。


 信じられない光景がそこにあった。

 中原では良質の木は少なく、矢や槍は貴重なものだという。

 その貴重な矢が、地面を覆い尽くすごとく地に突き刺さり、打ち捨てられている。

 槍もである。


 そしてまた、幾人もの騎士や従卒や馬が、無残な骸をさらしている。

 それに混じって獣の死骸も転がっている。

 近寄って、見た。

 フクロザルだ。

 体中がずたずたに斬り裂かれ、たくさんの矢が突き立っている。

 近くに落ちていた槍を拾って刺した。

 簡単には刺さらない。

 この手応えは、魔獣に間違いない。

 青豹(イェルガー)の死骸も転がっていた。

 やはり魔獣だった。


「そ、そこにいるのは、誰だ」


 ようやく砦から誰何(すいか)の声がした。


「このたび中軍正将に任じられたバルド・ローエン卿閣下と、同じく副将に任じられたシャンティリオン・アーゴライド卿閣下である。

 ご視察にみえられた。

 門を開けよ」


 と随行の騎士が声を上げたが、反応はすこぶる悪い。

 この砦は北と南に大門があり、東と西に小門がある。

 今バルドたちは北門の前にいるのだが、よほどあわてて門を落としたのだろう。

 従騎士が一人門の下敷きになり、とがった大きな丸太に押しつぶされて死んでいる。

 なんと哀れなことか。

 しかもこの様子では十日やそこらはたっている。


 そのあと少々のやり取りがあり、ようやく門は巻き上げられた。

 ひどくゆっくりと。

 じゅうぶんな高さに上がるのを待つには、忍耐力が必要だった。

 将軍が初めてこの砦に入るのだから、どうしても騎乗したままで通らねばならない。

 扉が上がっていって目に入った光景は、目を疑うものだった。


 あちこちに兵たちが倒れている。

 ある者は死に、あるものは死にかけて。

 生きている者も目はうつろだ。

 かりにも将軍の入場だというのに、立ち上がって迎えようとする者すらほとんどない。

 ひどい匂いだ。

 よく見れば、魔獣とおぼしき死骸も転がっている。


 バルドはユエイタンを前進させ、砦に入った。

 砦で最上位の騎士はと訊けば、深手を負って危篤であるという。

 次席の騎士はと訊けば、部屋に閉じこもって出て来ないという。

 バルドはシャンティリオンの随行の騎士の一人に、次席の騎士を連れてくるよう命じた。


 立って迎えた騎士の一人にバルドは何があったのかを訊いた。

 二十数日前、北の山のほうから野獣の群れがやって来た。

 青豹が十匹と、フクロザルが十匹。

 いずれもこの辺りでは見かけない獣だ。

 指揮官は、いったん門を閉じるよう命じたが、一人の従騎士が馬に乗って飛び出した。

 退屈な任務に飽き飽きしていたのだろう。

 野獣を倒して得られる報奨金も欲しかったのだろう。

 つられてさらに二人の従騎士が徒歩で飛び出した。


 この場合の従騎士とは、騎士としての訓練はできているが武具をそろえる金がないため叙任が受けられないでいる者たちだ。

 もともとこの砦には騎士はほとんどおらず、給金をめあてにした従騎士が多かったのだという。

 領主から馬が貸し与えられるし、野獣や盗賊を討伐すれば臨時の収入もあるから、給金は安くても悪い仕事ではない。


 フクロザルはともかく、青豹十匹は、三人で倒すには少し手強い相手であるが、誰かがあとに続くと思っているのだろう。

 事実、今にも飛び出そうとする者たちもいた。

 はやし立てながら観戦していた者たちは、すぐに口をつぐむことになった。

 斬りつけても獣は平気で、あっという間に最初の従騎士は殺されてしまった。

 魔獣だ、と誰かが叫んだ。

 もう一人の従騎士も殺された。

 最後の従騎士は反転して逃げだした。

 このとき、指揮官から閉門を命じられていた兵士が、自分の仕事を思い出して、滑車の止め(ひも)を斬った。

 あわれ従騎士は落下する門の直撃を受けて死んだ。


 指揮官は、援兵を乞う使者をミスラに送って全部の門を閉めた。

 魔獣はその日は引き上げたが、翌日またやって来た。

 今度は恐ろしいことに、フクロザルたちが壁を登り始めた。

 あわてて矢継ぎ早に矢を放ち、何とかフクロザルを食い止めた。

 青豹は遠くでみれば猫のようであるが、近づけば体も小さくはなく、どう猛きわまりない。

 フクロザルも、動きが素早いうえ、なかなか矢が刺さらない。

 刺さってもひるまず襲ってくる。

 兵たちは絶望していった。


 四日目に騎士隊が到着した。

 だが騎士隊長は魔獣をなめていた。

 砦の中に入らず、そのまま魔獣たちを迎え撃ったのである。

 それでもこのときの兵力ならじゅうぶん戦えたはずだったのだが、切っても突いても向かってくる魔獣の群れに騎士たちは平常心を失った。

 隊長は砦への退却を命じた。

 砦の指揮官は門を開けたくはなかったが、無理に命じられて東と西の門を開けた。

 当然、騎士隊とともに魔獣たちが砦の中に入った。

 これが恐ろしい被害を生んだ。

 何匹かの魔獣は倒したが、けがをしたり死ぬ者が続出した。

 砦の指揮官もこのとき死んだ。

 夕方になり魔獣が引き上げたときには、戦闘意欲を残した者はいなかったのである。

 騎士隊長は大けがをして寝込んだ。

 次席の騎士はミスラに増援を求める使者を出したきり、部屋に閉じこもってしまった。


 そのあと二日は襲撃がなかったが、砦を離れようとする者はなかった。

 その翌日、待望の増援が到着した。

 騎士たちは砦の中に入り、魔獣を待ち構えた。

 やって来たのは、シロヅノの魔獣十匹と、耳長狼の魔獣十匹だった。

 シロヅノの大きさはさまざまだったが、大型のものは馬ほどの大きさがあった。

 ハンマーのような形をした頭部の角をたたきつけられ続けた門扉はめきめきと音を立てた。

 雨のように矢を降らせたが、ほとんど効き目がない。

 門を破られるわけにはいかず、東西の門から騎士を出撃させた。

 馬の速度ならシロヅノを翻弄(ほんろう)できるはずだったが、耳長狼が飛び掛かって動きを妨げた。

 こういう戦いが何日か続き、騎士たちはすっかり消耗してしまった。

 また、馬たちの飼い葉がなくなり、人間の食料も少なくなった。


 青豹の魔獣もいなくなったわけではなかった。

 新たな伝令を出そうとすると、青豹の魔獣に襲われ死んだのである。

 逃げ出そうとする者も同じ目に遭った。

 魔獣たちは、砦の人間を皆殺しにするつもりなのだ、と兵たちは悟った。

 そして無気力と絶望が、砦を支配するようになったのである。







 5


 気にくわなかった。

 何もかもが気にくわなかった。


 魔獣が集団で行動したり、夜になると攻撃をやめて引き上げるという、ばかげた話が気にくわなかった。

 途中何日か攻撃を中断した、という話も気にくわなかった。

 同じ種類の獣が同時に魔獣になるということが気にくわなかった。

 あり得ないことだ。


 だが、それにもまして気にくわなかったのは、ここの騎士たちのていたらくだ。

 深い森の中で魔獣を探して倒すことは、とても難しい。

 それに対して、平地で馬も長柄の武器も使える状態でなら、魔獣と闘うのは難しくない。

 ましてこれほど堅固な城壁に守られた砦で待ち受けて、襲ってくる魔獣を倒すなど、これほど簡単なことはない。

 見るからに立派な鎧。

 剣に槍に盾弓に、そして山ほどの矢。

 これほど恵まれているというのに、このざまは何か。


 これでも騎士か!


 腹の奥の深い所から、激しい怒りが吹き上がってきた。

 目の前の騎士は、説明を終えたあと、王都からの増援はいつ来るのですか、とすがるような目つきで訊いてくる。

 次席騎士とやらが引き立てられてきたが、まともにあいさつすらできない状態だ。


 バルドは毒の備蓄がどれほど残っているか訊いた。

 ない、と次席騎士は答えた。

 ではズモルバスはどこじゃ、と訊いた。

 そんなものは植えていない、と次席騎士は答えた。

 唖然としているバルドに、われわれは毒など使わない、と次席騎士は言った。


 当たり前じゃ、とバルドは思った。

 誰が人間相手の話をしているのか。

 人相手に毒など使う騎士は、すでに騎士ではない。

 だが逆に。

 魔獣相手に毒なしでどうやって闘うのか。

 魔獣に効く毒は三つしかない。

 ジャボ、ウォルメギエ、ズモルバスの三つだ。


 騎士魚(ジャボ)はオーヴァ川でしか()れないが、その内臓から作る毒は即効性では抜きんでており、強大な魔獣と戦うときの決め手になり得る。

 腐り蛇(ウォルメギエ)は見つけるのが大変だが、牙から流れ出るその毒は、魔獣の表皮に掛けるだけでも高い効果を現すので、やたら外殻が硬い魔獣に有効だ。

 そしてズモルバスの根を煮込んで作る毒は、多少効き目がにぶいものの、いくらでも栽培できるという利点がある。

 だから辺境では、どんな小さな砦でも、必ずズモルバスを育てているものなのだ。

 大陸中央の豊かな国々では、そうした常識はもはや失われているのか。


 いや。

 いや。

 百年も魔獣が現れなかったというなら、魔獣を相手取る知識や経験は失われるかもしれない。

 だが。

 だが。

 騎士が騎士の心を忘れることがあってなるものか。


 立てるのに立たず。

 戦えるのに戦わず。

 危機を知らせる伝令を走らせることもなく。

 砦の中で引きこもってぶるぶる震えているとは。

 魔獣たちがその牙をミスラに向けていたら、どうなっていたのか。

 ここに騎士のほとんどを派遣したため、ミスラは今、ひどく危うい状態にある。

 あの街に魔獣たちが押し寄せ、民を殺し尽くしたとしたら、何をもって償うと、この臆病者たちは言うのだろうか。


 バルドの脳裏に、ふと一人の少女の顔が浮かんだ。

 辺境のガンツから旅立った少女だ。

 確かミスラの学校に通うと言っていた。

 あの娘が魔獣に喰い殺されるのを見て、バルド・ローエン、お前なら平気でいられるのか。

 いや、いや。

 そうなる前にできるだけのことをする。

 それが騎士というものだ。


 バルドはこみ上げる怒りのまま、大きく息を吸い込んで、辺りに(とどろ)く怒声を放った。


  ものども、聞けい!

  わが名はバルド・ローエン。

  王軍の剣璽(けんじ)を預かる者なりっ。

  王太子殿下のご命を受けて参った。

  なんじらに魔獣との戦い方を教えてやる!


 次席騎士は、バルドの発したすさまじい心気に押され、尻餅を突いた。

 死人のような目をした騎士や従卒たちは顔を上げ、バルドのほうを見て、何事かささやきあっている。


(バルド・ローエン将軍?)

(知ってるか?)

(いや、知らん)

(バルド・ローエン。それは〈人民の騎士〉殿ではないか)

(人民の騎士。何だそれは)

(辺境では知らぬ者のない大豪傑だ)

(百人を一人で相手取る騎士だと聞いた)

(おお! 聞いたことがある。近頃魔獣の毛皮を送ってくるという、あのパクラの騎士だろう)

(魔獣を()み殺したことがあるらしいな)

(魔獣しか食べないとか)

(いや。リンツで百軒の屋台を食い尽くしたと聞いたぞ)

(どうりで大きく頑丈そうな体つきだ)


 周囲を()めつけ、じゅうぶんに注意を引いたことを確かめてから、バルドは言葉を継いだ。

 いまだミスラは平安だが、こうしているあいだにも魔獣たちの矛先はミスラに向かうかもしれない。

 それを手をこまねいて見過ごして、なんじらは本当に後悔しないのか。

 今なら戦える。

 なんじらにはその力があり武器がある。

 わしがそのやり方を教える。

 さあ立て、防人(さきもり)の男たちよ。

 今こそなんじらにはなすべきことがある。


 立て、立て、と繰り返しバルドはうながした。

 その言葉の勢いに押されるかのように、皆はのろのろと動き始めた。

 そうしてみると、動ける者は存外多かった。

 バルドは彼らに指示を与え、ある者には矢を回収させ、ある者には遺体を一か所に集めさせ、ある者には食料と薬品を調べに行かせた。


 本当はバルドには、彼らを直接指揮する権限はない。

 この砦は王の物だが、守備兵力は王の委託を受けたミスラ子爵の家臣であり傭人(ようにん)なのだ。

 だが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 いつ魔獣が再び現れるか分からないのである。

 果たしてその時はすぐに来た。


「ま、魔獣が現れたぞーーーー!」


 物見の兵が悲鳴のような報告を上げた。





 

5月7日「コルポス砦救援(後編)」に続く

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