第6話 コルポス砦救援(前編)
1
ゲイドウの街に入った一行は、ある騎士の屋敷に向かった。
グレイバスター家のさらに分家にあたるという。
当主である騎士は不在だったが、その奥方が一行を迎えてくれた。
不意の訪問だったにもかかわらず、奥方は非常に喜び、歓待してくれた。
シャンティリオンがアーゴライド本家に迎えられたと知り、さらに喜悦をみせた。
あとで聞いたところでは、この奥方は幼いころのシャンティリオンをかわいがってくれた人だという。
随行の騎士二人は交代で護衛につくつもりらしい。
同じ騎士を食事中立たせておくのは、バルドには少し気詰まりだが、シャンティリオンには当たり前のようだ。
荷物などもこの二人が持っているし、シャンティリオンの身の回りのことは、すべてこの二人が行うらしい。
一人前の騎士を従者がわりに使うなど、バルドの感覚では理解できにくいことだが、大国の大貴族家中ともなれば、同じ騎士といえど身分立場はさまざまなのだろう。
護衛も給仕する家人たちも空気のように無視して、シャンティリオンはバルドに話し掛けた。
奥方はこの場にいない。
もう食事は済ませましたのでと言っていたが、たぶん今ごろ料理の指図やシャンティリオンの宿泊の準備に走り回っているのだろう。
「カーズ・ローエン殿の剣技を拝見して、私は目が覚めました。
剣とはここまでのものなのだと。
本当によい経験をさせていただきました。
さすがにバルド殿が見込んで養子となさるだけのかただと思います」
その声にも表情にも心からの賛嘆が込められている。
あの試合を悪くは取らなかったのだから、この青年の受け物は悪くない。
「だからこそ不思議だったのです。
勝とうと思えば簡単に私を打ち倒せたはずなのに、なぜもてあそぶようなことをするのかと。
不敏な私には、ドリアテッサ殿の剣がこの右胸を貫くまで、その意味が分からなかったのです。
ただ一度見せただけの私のとっておきの技を、ああも見事に返されて。
そのとき初めて理解したのです。
カーズ殿はドリアテッサ殿のために私の技を見極めたのだと。
あの妙な間合いの取り方は、ドリアテッサ殿に私の剣を見せるためだったのだと。
あとで聞いたのですが、ドリアテッサ殿もカーズ殿と同じくバルド殿のお弟子だったのですね」
カーズは養子ではあるが剣を教えたことはない、とバルドは言った。
その口調はこなれており、敬称も付けていない。
シャンティリオンからそうするよう乞われたのだ。
シャンティリオンのほうも、バルド殿、とやや親しげに呼んでくる。
「教えてください、バルド殿。
あの技。
ドリアテッサ殿が最後にみせた技。
あれはどういう技なのですか」
バルドはカーズがあの日ドリアテッサに対して行った指導を、シャンティリオンに話した。
そしてまた、ドリアテッサにその夜何が起きたのかを話した。
シャンティリオンは、息をするのも忘れたように、話に聞き入った。
聞き終えると、ゴブレットのワインを一息で飲み干して言った。
「そうですか。
あの夜、そんなことが。
まるで物語のようだ。
だが、本物の才能を持ち、最高の師に教えを受け、高い目標を掲げてくじけることなく研鑽を積み、この上ない兄弟子がそばについていたのだとすれば、そんなことも起きるかもしれない。
ああ!
私もその夜、いたかった。
カーズ殿の指導を見たかった。
ドリアテッサ殿が天啓を受けて開眼するその瞬間を、身近に感じたかった。
お笑いください、バルド殿。
私はまるで幼い少年に返ったかのように、胸をはずませているのです」
それはドリアテッサ殿も同じじゃ、とバルドは言った。
シャンティリオン・アーゴライドという万人の一人の剣士に出会うことができ、本気で勝利を願ったからこそ、あの娘はあそこまでの技の高みに上ることができたのだ。
ドリアテッサ殿こそ、貴殿に会えたことを胸をはずませて思い返しているだろう、と。
「本当ですか!
ドリアテッサ殿も。
そうですか」
シャンティリオンは、またもワインを飲み干した。
なかなかの飲みっぷりである。
いつもこうなのだろうか。
重ねたワインのせいか、顔が少し赤い。
「あの革鎧はアーゴライド公爵様から頂いたもので、王都きっての職人の手になるものなのです。
私の剣の師が、貫通した穴を見て、接着した状態から刃引きした試合剣でこれができるわけがないと言い張りました。
実はあの剣は、私の手元にあったのです。
副審の一人がわが家門と縁のある者でして、主審に乞うて剣を預からせてもらっていたそうなのです。
大変失礼な振る舞いですが、おかげで剣に不正はないと証明できました。
師は黙り込んでしまいました。
あれは、師の知る剣の世界を越える技だったのです」
なぜか愉快そうだ。
「あのとき。
私はドリアテッサ殿の首を斬り落とすつもりでした。
この相手には一切の手加減が許されない、自分の最大最高の攻撃をしなければならない、という強い気持ちが私を支配していました。
まさか、あんな受け止め方をされるとは。
しかしそれでも、あの距離と態勢では反撃もできないと思っていました。
そして半歩下がるあいだには私は次のためを作り、もう一度三連撃を繰り出せるはずだったのです。
ところがドリアテッサ殿の剣は、そのまままっすぐに私の胸を貫いた。
ああ!
あの目。
あの澄み切った鳶色の瞳。
あんな目は見たことがありません。
こびも、ねたみもなく。
怒りも、恨みもなく。
おごりも、諦めもなく。
ただ彼女は剣そのものとなって、まっすぐ私の胸に飛び込んで来た。
あんな目は、見たことがありません」
シャンティリオンは、ワインをちびりと飲んで、喉をうるおした。
あの試合のときも思ったが、存外感情の高ぶりやすい男のようだ。
「今日にも、シェルネリア姫様への結婚申し込みの使者が出るそうですね。
そしてその使者は、ドリアテッサ殿の招請の使者でもある」
それは知らなかったので、そう言った。
「そうなのですか。
昨日の重臣会議で決まったそうで、私も昨夜聞いたばかりなのですが。
この任務を終えて王都に帰るころには、ドリアテッサ殿はもうご到着かもしれませんね。
もう一度あのかたと試合ができるかと思うと、胸が高鳴ってなりません」
いや。
それは、おかしい。
辺境競武会でドリアテッサはシャンティリオンに勝利したが、それは本当に、百に一つの勝利といってよい。
二人の実力は大人と子どもほども離れており、はっきりいってドリアテッサはシャンティリオンの好敵手にはなれない。
バルドがそう言うと、シャンティリオンはむきになって反論した。
あなたが信じてあげなくてどうするのか。
ドリアテッサ殿は、自分などよりも本当に本当に素晴らしい、この世に二人といない騎士なのだ、と。
そしてまたワインを飲み干して、こう言った。
「私は知らなかったのですが、ファファーレン家というのは大変な名家なのですね。
ファファーレン侯爵家の姫が辺境競武会に出たと聞いて、アーゴライド公爵様は絶句しておいででした。
もう少しでその首を斬り落とすところだったと申し上げたら、顔を真っ青にして、もしもそんなことになっていたら、お前の首を届けてわびねばならないところだった、とおっしゃいました」
もう少しで首を失うところだったという話を、どうしてこんなにうれしそうに話すのだろう。
やはり少々飲み過ぎているようだ。
そう思ったバルドは、まだ話し足りない様子のシャンティリオンをなだめて食事を終え、装備の手入れをしてから寝た。
2
七日でミスラに着いた。
だいたい九十刻里あるというから、普通なら換えの馬を用意しても九日から十日かかる距離だ。
少し無理をさせたのは、シャンティリオンの耐久力と忍耐力をみておきたかったからだ。
線の細い青年にみえるシャンティリオンだが、あっさりとバルドについてきた。
乗馬のベイクリも、大きくたくましい馬だ。
気の毒だったのは随行の二人の騎士だ。
一人はツァーガリー・キキエリト。
もう一人はナッツ・カジュネル。
シャンティリオンの荷物まで二人で分け持っているのだから無理もないのだが、どうしても遅れぎみになる。
実のところバルドの荷物は二人に劣らない量だが、なにしろユエイタンは体の大きさも体力も段違いである。
二人の馬もなかなかのものだが、ユエイタンが野生馬だったと聞いて、目をむき、
「辺境では、そのような素晴らしい馬が山野を走り回っているのですか」
「一度辺境に行って馬をつかまえたいものです」
と感心していた。
旅程がはかどった大きな原因は、まったく野宿をせずに済んだことである。
野宿をすれば、食事の用意にかかる時間がばかにならない。
ところがこの中原というのはひどい所で、食べられる野草もほとんど見当たらず、そもそも川や湧き水が非常に少ない。
それ以上に問題なのが、馬の食事になる草がないことである。
一行はこの問題を、夜になるまでに次の街に着く、という方法で解決した。
どこの街でも騎士の家の門をたたき、人も馬もじゅうぶんな食料と寝床を得たのである。
あれがミスラの街です、といわれたとき、バルドは感慨を覚えた。
大オーヴァを挟んでリンツの対岸に交易村パデリアがある。
そのパデリアから馬車で二週間ほど砂漠と草原を走った所に、ミスラという街があると聞いていた。
辺境の奥地の一角でその生涯のほとんどを過ごしてきたバルドにとり、ミスラは遙かかなたの大国の文化文明の象徴といってよかった。
バルドが目にした優れた工芸品といえば、ミスラから来たものだった。
武具も調度も、良い物はミスラから得られた。
バルドたちの思い描ける世界の果てが、ミスラという街だったのだ。
その街に、今足を踏み入れようとしている。
しかも王都の側から。
人の一生というものは、何が起こるか分からない、とバルドは思った。
ユエイタンはご機嫌である。
ロードヴァン城ではろくに運動できなかったし、パルザム王国への旅もとろとろしたもので、相当不満がたまっていた。
今回の旅では、バルドはほとんど手綱を引かなかった。
つまりユエイタンが前を進もうとするのを邪魔しなかった。
ユエイタンは思う存分走った。
街から街へは立派な道がついており、多少の起伏はあるものの、非常に走りやすい。
風を切り、岩山を次々置き去りにして、思う存分ユエイタンは走った。
その背にあってバルドもこの上なく愉快な気分を味わっていた。
気が付けば随行の騎士二人が遙か後方に取り残されていることもしばしばだったのである。
それにしても。
腰が痛まない。
こんな気分に任せた疾走などすれば、ものの半日で腰が悲鳴を上げるはずなのに。
それどころか、体中が力にあふれている。
いったいいつからこうだったのだろう。
いや。
体力だけではない。
例えば嗅覚。
ドリアテッサを助けたとき、嗅覚が異様に敏感になっていたことを知った。
例えば味覚。
オーヴァを渡ってから見たこともない料理の数々を口にしたが、これほど微妙な味が分かり、しかも食べても食べてもうまく食べられるというのは、まるで三十代に返ったような感覚だ。
例えば反射神経。
例えば視力。
以前にはまったく捉えられなかったカーズの剣の動きを、いつの間にか捉えられるようになっている。
いったい自分の体に何が起きているのか。
これは、スタボロスが、この古代剣がもたらしてくれたのか。
分からない。
分からないが、一ついえることがある。
今は生きていることが楽しい、ということである。
3
領主のミスラ子爵は不在だった。
代理を務める騎士から聞いたのは、意外な話だった。
二十日前に、コルポス砦から伝令があった。
魔獣二十匹に襲われたので、増援を依頼してきたのだ。
驚いたミスラでは、騎士団を派遣するとともに、王都に伝令を出した。
これは魔獣が出た際にはただちに王に報告するという定めに従ったものである。
じゅうぶんな兵力を送ったはずだったが、七日後、さらなる増援を求めてきた。
そこで、動かせる騎士をすべてコルポス砦に送った。
ところが今日まで何の音沙汰もないというのだ。
このときまで、事態はさほど深刻なものではないだろうと、バルドは楽観していた。
魔獣というものは、辺境の山野で出合うからこそ恐ろしいのである。
見晴らしのよい平地できちんと武装した騎士が相手取るなら、いくらでも戦いようがある。
まして今回は二十匹という異常な多数であるとはいえ、堅牢な砦にこもって迎え撃ったのだ。
心配する理由がなかった。
だが、話を聞いてみると、どうにもきな臭い。
コルポス砦は北に十五刻里の距離だという。
荷物をここに置いていけば、ユエイタンなら一日で行けるだろう。
しかし随行の騎士たちを置き去りにするわけにもいかない。
翌朝、案内の兵士をつけてもらって一行は出発した。
途中、井戸のある休憩所で一泊し、夜が明ける前に出発した。
5月4日「コルポス砦救援(中編)」に続く




