第5話 将軍就任(中編)
3
「すり盗る技は、見事なものだな」
と、ジュールラントが言った。
ここはバルドたちが使っている客棟である。
幸い、謀反をたくらんだのは伯爵とごく一部の人間だけだったようで、あのあとさらに襲われることはなかった。
それにしてもすぐに宮殿に帰ったほうがよさそうなものだが、
「一番信頼でき、腕も立った二人の近衛騎士が裏切ったのだ。
あわてて動くほうが危ない。
移動の途中、俺たちが襲われるかもしれん。
俺たちが出たあと、証拠や証人が始末されるかもしれん。
宮殿には使いを出す。
迎えに来てもらわねばならんし、ここの調査をしてもらわねばならん。
じい。
とりあえずじいの使っている部屋に連れて行け。
頼みたいことがあるのだ」
とジュールラントは言い、バルドの部屋に案内させた。
じつのところバルドは道順が分からなかったのだが、ジュルチャガが案内した。
この男は、森の中でも屋敷の中でも、なぜか迷うということがない。
屋敷の中を歩きながら、バルドはいくつかのことを考えていた。
一つは、先ほどの戦闘が始まったときのことである。
空耳のようにも思うが、こんなつぶやきを聞いた気がするのだ。
〈哭け、ヴァン・フルール〉
カーズの声だ。
だがカーズがそんなことを言うのもおかしな話だ。
そのあとに見た戦闘のすさまじさがそう思わせたのだろうか。
一つは、カーズの見せた戦闘ぶりだ。
速度と技については今さらだが、それよりもあの切れ味、そして真っ赤な光の軌跡。
あれは。
あれは、バルド自身の魔剣〈スタボロス〉が発する青緑の燐光に似てはいないか。
似ている。
燐光を発して現実ばなれした威力を発揮する剣。
とてもよく似ている。
これは、どういうことなのか。
それにしても、あの重くて硬くて厚い鎧を紙のように切り裂いた、あの切れ味。
異常にもほどがある。
あれをもってしても物欲将軍には歯が立たなかったのか。
となると、物欲将軍の強さとはいったいどれほどのものだったのか。
一つは、クロスボウの使い方についてだ。
あんな狭い場所に九人もの射手が並べられるとは知らなかった。
また、長弓というものは、発射できる状態をあまり長くは維持できない。
しかしクロスボウなら、今にも発射できるという状態で長時間待つことができる。
つまりクロスボウは、拠点防衛や待機射撃に威力を発揮する可能性がある。
弓では狙えない位置や角度の射撃。
いつ姿を現すか分からない敵、あるいは高速で移動する敵の一瞬の停止を待ち、すかさず撃つ。
非熟練者でも誤射は少なく、照準調整も容易なのだから、近距離射撃ならそれなりの使い方がある。
短くてよいから重くて硬い矢で、密集射撃をしたらどうか。
重鎧の騎士でも吹き飛ばせるのではないか。
ましてオーロが作ろうとしているような高威力のクロスボウなら。
ただし有効に使うには、優れた指揮官が必要だが。
射手一人一人の練度はそう高くなくてよいが、命令に対する反応を鍛え上げる必要がある。
その場合、命令は簡潔なものに統一編成されなくてはならない。
一つは、今夜の襲撃についてだ。
おかしい。
どうもしっくりこない。
ちぐはぐだ。
王太子弑逆などという大それたことをするにしては、やり方が稚拙だ。
それにそんなことを考えるような人物ではないのだ、あの伯爵は。
また考えているような様子でもなかった。
まだうまく考えがまとまらないが、裏切った近衛騎士のふるまいも、どこか妙だった。
などと考えているうちに部屋に着いた。
騎士四人に部屋の外で護衛をさせると、ジュールラントはどっかりとソファーに腰を下ろした。
ジュールラントに勧められるまま、バルドもカーズも、そしてジュルチャガまでが椅子に座った。
ジュールラントは喉が渇いたといい、ジュルチャガに味見をさせてからワインを飲んだ。
そしてもう一杯をつがせてから、すり盗る技は見事だな、と言ったのである。
これはジュルチャガが先ほど伯爵の懐から短刀を抜き取った手際についてだが、それだけではない。
かつてジュールラントは、母からバルドへの手紙を懐からすり盗られたことがあるのだ。
このジュルチャガに。
要するに皮肉なのである。
だから、すりの腕を褒められたジュルチャガが、
「え、やっぱり?
へへ、そうかなあ。
そんなに褒められると、おいら照れちゃうなあ」
などと笑っているのを複雑な表情で見た。
そして、気分を変えて、こう言った。
「短刀を見せろ」
「うん。
毒が塗ってあるから、気を付けてねー」
ジュールラントはひとしきり短刀を眺めたあと自分の懐に入れた。
「これは預かっておく。
じいは大丈夫なんだな」
バルドが矢の毒に侵されていないか、という意味である。
「うん。
さっきまっさきに見たけどね。
矢には毒が塗ってなかった」
「そうか。
俺が言うのもなんだが、何とも手際の悪い襲撃だな。
だが近衛騎士に裏切られるとは、予想もしなかった。
あの二人は格別に信頼できる騎士だと聞いていたんだが。
よくもカーズが剣を持っていてくれたものだ」
バルドは、それはジュルチャガのおかげじゃ、と言った。
馬車が来たときジュルチャガが、
「カーズ君。
今日は剣を手放さないのがいーと思うな。
なんとなく」
と言ったのだ。
ジュルチャガは危難を避ける能力の極めて高い男だ。
この男が、何となく、と言うのは情報を直感的に分析してのことで、見過ごせない。
だからごり押ししてでもできるだけ帯剣させておこうと思ったのだった。
そのことを聞いて、ジュールラントは、
「そうか。
ジュルチャガ。
礼を言う」
と言った。
そして、続けて、
「それにしても腹が減った。
今日は朝から立太子式だの何だので、ひどく忙しかったのだ。
何か食い物はないか」
と言った。
ジュルチャガが、昼屋台で買ってきた物の残りがある、と言うと、それを寄越せという話になり、ジュルチャガに毒味をさせてから、むしゃむしゃとほおばった。
「ところでジュルチャガ。
よくあんな抜け道を知っていたな」
と言うジュールラントに、ジュルチャガは、
「そりゃそーさ。
ウサギだって自分の巣穴の周りはしっかり調べるさ。
ほんの借りぐらしのねぐらだってね」
と答えた。
なんとこの男は、自分であの隠し通路を発見したようだ。
貴族家の隠し通路などというものは、探しても見つかるようなものではないと思うのだが。
ただし、結果的には大手柄となったが、王太子の使う部屋の隠し道にこっそり待機していたなど、発覚したらただでは済まない行いだ。
だがまあこの男は、見つかったりはしないのだろう。
と考えてバルドは、もう一つ分からないことがあるのを思い出した。
カーズよ、ジュールに駆け寄って謀反人を切り倒し、それからジュールを蹴り飛ばしたのう。
まるで隠し通路があるのを知っていたような動きにみえたが。
と訊いてみた。
すると、カーズはこう答えた。
「壁の向こうにジュルチャガの気配がしたので、隠し穴か何かがあるのが分かった。
俺が駆け寄ると同時にタペストリーを開けてくれたので、きちんと蹴り込むことができた」
そういえば、王太子を足蹴にしたのだった。
だが、カーズはひと言も謝っていない。
まあいいか、とバルドは思った。
ジュルチャガも、無礼討ちされてもおかしくないほどなれなれしい口ぶりだが、ジュールラントは気にしていないようだ。
この部屋は今、身内だけのくつろげる場所なのだ。
4
外が騒がしい。
王宮から騎士隊が着いたようだ。
部屋に来た騎士にジュールラントは、しばらくこの部屋で過ごすので警護を厚くすること、屋敷を封鎖すること、けが人の手当をすること、犯人たちを王宮に護送し、治療しつつ尋問を始めること、できるだけ襲撃の事実を隠すこと、そしてバリ・トード上級司祭をここに連れてくることを命じた。
バリ・トード司祭は、事件のあと屋敷に到着し、使用人たちに最低限の指示を与えて落ち着かせたあと、部屋に謹慎していたのだ。
襲撃の主犯とみられる伯爵は司祭の実弟であるし、司祭はこの家の長男なのだから、裁きを待たねばならない立場なのである。
入室したバリ・トードは、罪人の姿勢を取ろうとした。
ジュールラントはそれを許さず、椅子に座らせた。
「バリ・トード枢密顧問殿。
今あなたに抜けられては困る。
分かっておられるだろう、今の状況は。
謹慎も辞任も禁じさせていただく。
明日の任命式とそのあとのことは、よろしくお願いする。
私は予定どおり出発する。
あなたがいない顔ぶれでは、留守に不安が大きすぎる。
ところで一つ訊きたいことがある。
伯爵はタペストリーの後ろの隠し通路を、もしや知らなかったのか」
そうだ。
この家の主人である伯爵は、まるで隠し通路を知らないかのようだった。
知っていれば、どこから入ったなどと言うのはおかしい。
そもそもこんな大事を起こすのに、隠し通路に見張りも置かないものだろうか。
この質問に対するバリ・トードの答えは、教えていなかった、というものだった。
もともとこの家の跡取りだったバリ・トードは、隠し通路のことをもちろん知っていた。
だが、うっかり伯爵に教え忘れたというのだ。
忘れついでに、そのうち何かの時に驚かせてやろうと思って黙っていたのだという。
思わず脱力するような答えだ。
5
「さて、じい。
単刀直入に言うぞ。
じいを中軍の正将に任じる。
シャンティリオンが副将だ。
明日朝、任将の儀式を行うから、王宮に来てくれ」
言われた言葉の意味が、よく分からなかった。
中軍の正将。
それが何かは知っている。
ロードヴァン城からの長い旅の途中でさんざん教えてもらったからだ。
パルザムの王は、ここ数代にわたって軍制改革を行ってきた。
その中核となるのが王軍、すなわち国の直轄軍の拡大整備である。
もともと戦争というのは悠長なものだ。
王が敵対する都市や国を攻めるとする。
するとまず有力騎士たちに参戦を求める。
これに応じた騎士たちは、親族や傘下の騎士たちを集める。
このとき集められる兵力こそが騎士の勢力そのものである。
集まる人数も装備も、有力騎士次第なのである。
しかも戦って勝ったとして、そのあとのことも王の自由にはならない。
手柄の大きかった騎士はその都市の領土権や徴税権を要求するだろう。
参戦した騎士たちには何日かのあいだ略奪を許さなければならない。
捕虜を得た騎士は、それぞれ身代金交渉を始めるだろう。
ただちに次の都市を攻める、などということは夢のまた夢なのである。
かつては、他国に攻め入る前には、王が各地の有力貴族のもとを訪れて参戦の条件を協議し契約書を作った。
誓約書を二十枚も作ろうとしたら、何か月もかかってしまう。
防衛戦に有力騎士たちを呼んでも、駆けつけた騎士とまずは契約書を作らねばならない。
こんな状況を打開するため、パルザムの歴代王は、各地の有力貴族たちとあらかじめ有事の参戦契約を結んできた。
そして、王への奉仕を兵力から金銭に徐々に切り替え、王軍を整備してきたのだ。
これは魔獣が減少し、それにともなって野獣が沈静化してきて、農業と交通が盛んになってきたことで可能になった。
そしてモルドス山系の緑炎石を大量に得られることをきっかけに人口が急増してきたことが、後押しした。
パルザムの王軍は上中下の三軍から成り、それぞれ正将と副将が置かれて軍の半数ずつを指揮する。
つまり実質、パルザム王家は六つの直轄常備軍を持つのである。
辺境騎士団など特定の任務や任地を持つ直轄軍を除いて。
席次でいえば、上軍正将、中軍正将、下軍正将、上軍副将、中軍副将、下軍副将の順となる。
このうち上軍正将には王族が就く慣例で、現在はジュールラントが上軍正将である。
つまり中軍正将というのは、軍内部には王族を除いて上官がいないという、軍人の最高位にひとしい役職なのである。
ゆえに〈大将軍〉とも呼ばれる。
そんな重職を、他国人に、しかも中原の戦のやり方など何も知らず何の功績もない無位無冠の老いぼれに与えるなど、あってよいことではない。
4月28日「将軍就任(後編)」に続く
 




