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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第4章 中原の暗雲
80/186

第4話 工学識士オーロ(前編)




 1


 頭が重い。

 関節が、どこもかしこもひどく痛む。

 喉が痛い。

 珍しいことに、かぜをひいたようだ。

 しかもかなりきつい。


 ノックの音がした。

 そろそろ朝食の時間だ。

 朝食は部屋で一人で食べるようにしている。

 いつも決まった時間に従者が持ってくるのだ。


「おはようございます。

 バルド・ローエン様」


 驚いたことに、ワゴンを押して料理を持って来たのは、カムラーだった。

 いつもならバルドはこの時間には散歩を済ませている。

 そのバルドがまだベッドの中にいることについて、カムラーは何も言わない。

 何も言わず当たり前のような顔をして、サイドテーブルをベッドの脇に寄せた。

 料理を置いて、ふたを取る。

 とたんに熱せられた牛乳の甘い香りが立ち上った。


 シチュー?

 いや、スープか?


「少し熱めになっておりますので、ゆっくりとお召し上がりください。

 この壺には、湯冷ましの水に果物の絞り汁と少しの塩を入れたものが入っております。

 お休みになりながら、少しずつ少しずつ、お召し上がりください」


 うむ、と返事をしながら、バルドは不思議でしかたがなかった。

 この料理は明らかにバルドの体調に合わせたものだ。

 疑問は、どうやってカムラーがそれを知ったかだ。

 かぜであることは、誰も知らない。

 バルド本人も今朝になって気付いたのだ。

 それから誰にも会っていない。

 いったい誰が。

 その謎はすぐに解けた。

 部屋を出るとき、カムラーが、


「ジュルチャガは夜まで帰らないそうです」


 と言ったのだ。

 やつか、と思ったそのあと、次の疑問が浮かんだ。

 ジュルチャガはどうやってバルドのかぜを知ったのか。

 相変わらず油断のならない男だ。

 ガウンを羽織ってベッドに座り、料理をひとさじすくって口に入れた。


 これは!


 なんとそれは、かゆであった。

 麦がゆではない。

 プランを牛乳で炊いたかゆだった。

 食欲はなかったのだが、体はこのかゆを受け入れた。

 喉を過ぎたかゆが臓腑に収まる様子が、はっきりと分かる。

 かぜとの戦いに疲れ切っていた五臓六腑が、この思わぬ援軍の到着に喜んでいるのが分かる。

 かゆの温かさが、体のすみずみに染みていく。


 ああ。


 うまい、ということは体が喜ぶということなのだ、とバルドは思った。

 プランはほどよく煮つぶれていて、ちょうどよかった。

 それなのに牛乳は煮詰まっておらず、さらさらしている。

 ゆっくりゆっくり食べたつもりが、ほどなく料理はなくなった。

 再びベッドに戻って一眠りした。

 体がぽかぽかと温まった。

 しばらくすると目が覚めた。

 汗をかき、喉が渇いたので、果汁入りの塩水とやらを飲んだ。

 美味だった。


  くそっ。

  くそっ。

  カムラーめ。


 バルドは不思議だった。

 どうしてあんな、人を人とも思わないような傲慢無礼な男に、こんな心遣いができるのか。

 バルドの考えとしては、性格の悪い人間には本当においしい料理は作れないはずなのだ。

 もしかしたら逆かもしれない、という考えがふと浮かんだ。

 つまり、あんな男なのによい料理が作れるのではなく、これだけよい料理が作れるのだから、実はやつはいいやつなのではないか、という考えである。

 すぐにそれを打ち消した。

 カムラーはカムラーだ。

 いいやつなどではあり得ない。


 時々目を覚ましては水を飲んだ。

 夜にはすっかり体調が戻った。






 2


 翌日、バリ・トード上級司祭に連れられて、下街(ユーエ)にある工房を訪れた。

 会わせたい男がいるという。


 工学識士オーロ。


 というのがその男の名前だ。

 識士というのは、各専門分野で優れた知識を持っていると認定された者に与えられる称号だという。

 識士の上には大識、その上には博識、という称号があるらしい。

 博識というのは一つの分野に二、三人しかいない、いわばその道の権威なのだという。


「こ、こんにちは」


 とあいさつしてきたのは、三十は少し過ぎた年齢だろうか、色白で痩せてぼさぼさの髪をした小男だ。

 なぜこんなにおどおどしているのだろうか。


「こらっ。

 オーロ。

 それが騎士様に対する口の聞き方か!

 いつもいっておるではないか。

 お前はそんなことだから、実力を認めてもらえんのだ。

 バルド殿。

 お許しくだされ。

 この男に悪気はないのです。

 知識の広さと発想の豊かさでは並の工学大識にまさるのですがなあ。

 ウェンデルラント陛下が目を掛けて、研究を支援してくださっているのです」


「あ、あの。

 すいません。

 で、その、こちらのクロスボウなんですが」


「こらっ。

 お前はまた、そうやって自分のことばかり。

 バルド殿のご用事をお聞きするのが先であろうがっ」


 まあまあ上級司祭殿、まずはそのオーロとやらの話を聞いてみましょう、とバルドは言った。

 バリ・トードの怒る様子から、この男のことを心配しているのが伝わり、悪い気はしなかった。

 また、こういうタイプの人間は、本人の興味あることから斬り込んだほうが話がしやすい。


 それにクロスボウと聞いて興味がわいた。

 パクラにもクロスボウはあったし、バルドも使ったことはある。

 しかしクロスボウというのは射程や威力では大弓に劣るし、重くて取り回しは悪く、連射速度ときてはお話にもならない。

 唯一の取りえといえば練度の低い兵にも使えることぐらいだ。

 この大国パルザムでは、クロスボウの新しい使い道があるのか。


「じ、実際に様子をみていただいたほうが、い、いいと思うんで。

 これ、撃ってみてもらえませんか」


 工房の中庭に平板の的がしつらえてある。

 バルドはクロスボウを持ち上げた。


  重い!

  なんじゃ、この重さは。


 驚いてよく見ると、非常に多くの部分が金属で作られていた。

 台座の部分など、まるまる金属だ。

 留め金も、引き金も、さらには弓の中央部分までが金属だ。


  金属と木をつないで弓を作ったのか。

  しかしこれではつなぎ目の部分が折れやすいのではないか。


「だ、だいじょうぶ、です。

 木の部分のずっと中のほうにまで、粘りの強い金属が仕込んであるんで」


 とにかく撃ってみることにした。

 巻き上げ式である。

 (つる)を留め金に掛け、台座の両側にハンドルをはめ込んで、きりきりと弦を巻き上げた。

 そして矢をつけた。

 ずいぶん太い矢だ。

 重量のあるクロスボウなので、腰撓(こしだ)めで安定させ、引き金を引いた。

 予想をはるかに超える勢いで矢は飛び出し、分厚い木の板を貫通して石壁に当たって砕け散った。

 そのあまりの威力に、バルドは呆然とした。


「す、すごいっ。

 バルドさん、すごい」


 とオーロがほめてくれたが、すごいのはこのクロスボウのほうだ、とバルドは思った。

 このクロスボウなら、誰が撃ってもこの威力が出るはずである。

 しかしバルドがそう言うと、オーロは、


「そ、そうじゃないんです。

 そんなに思いきって、ひ、引き絞れないです。

 引き絞りすぎると、弦は切れるし弓は折れるし。

 あ、危ないんです」


 それを先に言えっ。

 と思ったが心を静め、気になったことを訊いた。

 どうしてこんなに金属を使うのか、と。


「こ、この国は、良質の木が少ないです。

 金属なら、いろいろの種類が、た、たくさんあるし。

 最近は、いろんな工房で研究が進んで、粘りけがあって、も、元に戻る力の優れた金属も出てきたし」


 というオーロは答えた。

 すると、バリ・トードが、


「しかしこんなに重くては、実戦で使えないのではないか」


 と、指摘した。


「ゆ、弓と同じように考えるから、そう思うんです。

 発想を、か、変えるんです。

 何なら、台座を持って移動し、だ、台座に乗っけて撃ってもいいし。

 もっともっと重くして、もっともっと威力を高めても、い、いいじゃないですか。

 いっそ矢も鋼にして、聖硬銀のやじりをつけて。

 そ、そしたら、五十歩先のフルプレートアーマーを、一発で貫通する兵器になります。

 も、もちろん盾ごとぶち抜ける」


 バルドは愕然(がくぜん)とした。

 確かにそんな可能性を、このクロスボウは持っている。

 そんなクロスボウが百丁あったら。

 戦争がまるで変わる。


 だがそれは残虐すぎる武器だ。

 殺さずに人質に取って身代金を得るという騎士の戦争のやり方と合わないだろう。

 それとも中原の戦争は、辺境で知っているのとは全然ちがうものになってきているのだろうか。


「ばかものっ。

 使い捨てにひとしいやじりを聖硬銀などで作ってみよ!

 どんなに裕福な騎士でも、一戦で破産するわっ」


「いてっ。

 司祭様。

 な、なぐらないでくださいよう。

 た、たとえばの話じゃないですか。

 それで、ど、どうでしょう、バルドさん。

 じゃなかった。

 バルド様。

 仕組みのほうは、だ、だいたい出来てきたんですけど。

 弓の強度が、あ、安定しないんです。

 それと、弦が。

 いろいろやって、しゃ、チャトラ蜘蛛の糸に落ち着いたんですけど。

 ほ、ほつれやすくて。

 そ、それから、もう少し弾力があれば、って。

 ば、バルド様は弓の名手だから、何か教えていただけないかなって、お、思いまして」


 自分が弓の名手だなどと言ったのは誰か。

 むろん、ジュールラントである。

 よけいな仕事を増やしおってと思ったが、口に出すわけにもいかない。


 それからしばらく話をして、金属の弓は将来性があるが、現状では木の単一素材をいろいろ試したほうがよいのではないか、と助言し、こう言った。


  育って百年たった木で作った弓は百年もつ、千年の木なら千年もつ、という。

  それも木の外側のほうでなく、中心部分を使ったほうがよい。

  ある程度の年齢を持った木で、しかも伐採してからじゅうぶん寝かせた木がよいのじゃ。

  水気も抜いておらん若木に無理をさせるから品質も安定しないし折れやすい。


 しかし、弓の素材として優れた木のほとんどがここでは手に入りにくいようだ。

 話しているうちに、あることを思いついた。

 辺境には、弓にぴったりの木を大量に抱えている家がある。

 コエンデラ家だ。

 あそこの領地の木材は最高だ。

 コエンデラ家はかつて横領した金を毎年パルザム王国に返済しているはずだ。

 その返済金の一部を木材でといえば、喜んで飛びつくのではないか。

 大きさを指定して優良な木の芯の部分だけを切り出させ、リンツ伯を通してここまで運ばせるのだ。

 あちらの経費で。

 その思いつきをバリ・トードに話すと、手を打って喜んだ。


「いやいや。

 なんと、なんと。

 最高ですな、それは!

 じつは今年の返済分も捻出できないと、猶予を願う手紙が着いたのですよ。

 私はその件について相談役のような立場でしてな。

 ふ、ふ、ふ、ふ。

 その素敵なアイデアを財務官に話したら、それはもう感謝されること請け合いです。

 むろん、材木はすべて王宮に収められますが、その一部をこの工房に回すのは問題ありませんな」


 それにしても、とバリ・トードはオーロのほうに向き直った。


「いつも言っているであろう。

 頭の中からだけ物を生み出そうとするのでなく、自然に学べと。

 バルド殿の教えで目が覚めたか。

 金属に妙にこだわるのはやめなさい。

 自然の木材の優れた特質をしっかり学び、活用しなさい」


「は、はい、司祭様。

 自然は素晴らしいです。

 木材はすごいです。

 でも司祭様。

 こちらの思う通りの木材を作り出すことはできません。

 けれども金属は、今は無理でも、いつかはこちらの思う通りのものを生み出していけます。

 そんな気がするんです。

 いつかはきっと、水に浮くほど軽くて聖硬銀より硬い金属もできるでしょう。

 糸よりほそくしなやかで、魔剣でも切れない金属もできるでしょう。

 それも自然です。

 この世にあるものは、すべて自然なんです」


 こいつ興奮すると普通にしゃべれるのだな、と思いながらバルドはオーロの熱弁に耳を傾けた。

 

 

 


4月19日「工学識士オーロ(後編)」に続く

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