第9話 褒賞
1
かくしてすべての競技は終わった。
主催者席の前に、各部門の優勝者、準優勝者が進み出、賞された。
ただしこの場にシャンティリオンはいない。
命に別状はないが七日間の安静を命じられている。
最後に、総合部門の優勝者であるドリアテッサが進み出た。
特別にジュールラント王子本人から褒詞が与えられ、また直答が許された。
「騎士ドリアテッサ・ファファーレン。
見事な戦いぶりであった」
「ははっ」
「そなたの師は、たれか」
「は。
第一の師は、キリー・ハリファルス卿にございます。
第二の師は、バルド・ローエン卿とカーズ・ローエン卿にございます」
「うむ。
そなたはよき師に恵まれた」
「は!」
この褒詞によって、キリーの面目は大いに立った。
むろん、わざわざ訊かなくてもドリアテッサの師がキリーであることをジュールラントは知っている。
カーズが師であることも。
今朝バルドから報告を受けたばかりなのだから。
ジュールラントは、ぶっきらぼうなようでいて配慮は細かい。
心の中で、うむ、うむ、とうなずいていたバルドは、ざわめきが広がっているのに気が付いた。
何事かと広前を見渡してみると、ざわついているのはパルザムの騎士たちだった。
少し考えてわけが分かった。
バルドとカーズがドリアテッサの師であるというような話は、パルザムの騎士たちにとっては初耳なのだ。
「私もローエン卿の弟子だ。
ということは、そなたの兄弟子ということになる。
よしなに頼みおく」
「はっ、はっ。
もったいない仰せでございます」
思わぬ兄弟弟子扱いに、ドリアテッサがとまどっている。
が、この言葉にも無論ねらいがある。
パルザム王の長子の師父が指導してドリアテッサが優勝した、と言っているのだ。
パルザムが負けゴリオラが勝ったというその勝敗をあいまいにし、シャンティリオンの敗北によって受けた衝撃を和らげようとしているのだろう。
「そこまでの武技を磨くのは、容易なことではない。
そなたは神々が味方なされたかのような素晴らしい武徳を見せてくれた。
神々を味方につけた騎士は賞されねばならぬ。
望みの物を申すがよい」
「はっ。
されば、殿下にお願いの儀がございます」
「うむ。
何か」
ついにこの時が来た。
これからドリアテッサの口をついて出るのは、どんな願いか。
バルドはそれを聞きにこの城に来たといってよい。
居並ぶ騎士たちも、興味津々で見守っている。
この騎士たちは、両国の王家の臣下というだけではない。
それぞれ領地を持ち、あるいは職分と立場を持つ貴族である。
騎士とはその本質において独立独歩の存在なのだ。
同じ騎士として、ジュールラントと彼らすべては同格ともいえる。
騎士とは正義を見守るものだ。
この場でのドリアテッサの要求が正義にかなうものかどうか。
それに対するジュールラントの遇し方が正義にかなうものかどうか。
彼ら騎士は見届ける。
それはやがて両国の人々が広く知るところとなるだろう。
あらかじめ約束された褒賞なのであるから、それを要求することは騎士の権利であり義務でさえある。
騎士も家臣も、主君が約束した報酬が正しく下賜されると信じている。
それがないがしろにされれば君臣のきずなは揺らぎ、国は滅びる。
勝者はそれにふさわしい褒賞を要求しなければならない。
さあ、ドリアテッサよ。
おぬしの願いを正しく言の葉に乗せよ。
皆が見守る中、ドリアテッサは願いを述べた。
2
「女といえど、辺境競武会で総合優勝するだけの武を身につけることもできる。
そう、殿下の胸にお刻みいただきたいのです」
バルドはとまどいを感じた。
そんなことは言わなくても自然にそうなることだ。
この言は、何も要らないと言っているのと同じだ。
部屋中の騎士や従者たちも、ドリアテッサの意図を酌み取りかねたのか、わずかにざわめいている。
ジュールラントは目を閉じた。
ドリアテッサの言葉の意味をかみしめているのだろう。
長い沈黙が流れた。
バルドも思考を巡らせた。
もしもドリアテッサが、女が総合優勝したことを広く知らしめていただきたい、と願ったとすれば、どうか。
ジュールラントは家臣に命じその手立てを講ずるだろう。
それで終わりだ。
ジュールラントはドリアテッサの要求を満たすための行動を終えたことになるからだ。
だが、ドリアテッサの願いは、ただジュールラントの胸に刻めとあった。
行動のしようがない。
しかもドリアテッサは、自分個人の名や栄誉を忘れるな、と言ってさえいない。
女も強くなろうと思えばなれるのだと心に刻め、としか要求していない。
だからこそ逆に、ジュールラントにとっても、この場を埋める騎士たちにとっても、ドリアテッサの勝利は忘れがたいものとなる。
つまりドリアテッサは、最高の栄冠を勝ち取り、あえて形あるものは得ないことで、勝利をより深く刻み込もうとしている。
「あいわかった。
そのようにいたすであろう」
ジュールラントの声が響いた。
ドリアテッサは、
「ははっ。
この上もなき幸せにございます」
と感謝の言葉を述べた。
深く頭を下げるドリアテッサに、ジュールラントはさらに言葉をかけた。
「騎士ドリアテッサ・ファファーレン。
私はやがて妻をめとり、子をなすだろう。
女児も生まれよう。
後宮には男の騎士が入れぬ場所も多いゆえ、女の護衛官を新設しようと思う。
だが、わが国には女の武人はおらぬ。
おって、そなたのあるじであるシェルネリア姫とその父君であられる皇王陛下に、女護衛官の師としてそなたを招きたいと願い出るつもりであるから、さよう心得よ」
これにはバルドも度肝を抜かれた。
驚かない者などいない。
パルザムほどの大国で、皇太子となるべき人物が、後宮の要人警護のため女の武官を置くことにしたというのだ。
ドリアテッサを師として。
それほどにドリアテッサの武芸と人格に感嘆したということであり、これ以上の賞賛はないといってよい。
ドリアテッサも、驚きのあまり声も出ないようだ。
賞賛というだけではない。
ドリアテッサの要求は、これほどの大会の総合優勝に見合うものかどうか微妙だった。
ジュールラントは、その要求の本質部分を酌み取り、かつ褒賞をふさわしいものに組み立て直してみせた。
見事、見事じゃ、とバルドはこの出来のよすぎる弟子を心中でほめた。
そのとき、シェルネリア姫の護衛騎士が声を上げた。
「シェルネリア殿下におかれては、このように仰せです。
騎士ドリアテッサ・ファファーレンよ。
パルザム王国よりなんじを女武官の師として招きたいとの申し出があれば欣快至極の次第である。
その折にはただちになんじのあるじとしてこれを承諾いたす。
また、皇王陛下にはあらかじめその旨きっとご裁可をいただくゆえ、心得おくよう」
おおおおおっ、と部屋のあちこちから声が上がった。
国の制度にも関わることであるのに独断で女武官設置を公言したジュールラントも大胆だが、間髪を入れず事実上の応諾を与えた皇国の末姫も相当に剛胆である。
二人のやり取りには、新しい時代の到来を予感させるものがあった。
同時に、この二人は結婚するだろうと、この部屋の誰もが今思ったはずだ。
パルザムとゴリオラのあいだに強い絆が結ばれれば、大陸最強の勢力が誕生する。
ここにいる騎士でそれを感じない者はいないはずである。
そしてさらにバルドは思った。
パルザム王国に二人や三人の女武官が誕生しても、さほど大きなことではない。
じゃがしかし、その出来事が先で何を生み出すか分からん。
ひょっとしたら、今日は大陸の歴史が大きく動いた日であったのかもしれんて。
「栄えあれ!」
誰かが叫び、皆が唱和した。
パルザムの栄光をたたえ、ゴリオラの繁栄をたたえ、ジュールラント王子を、シェルネリア姫をたたえ、神の恩寵をたたえ、掛け声と唱和が続いた。
ふとシェルネリア姫を見た。
にこにこしている。
にこにこしているのだが、何かが変だ。
笑顔の向こうに雷雲が見える気がするのだ。
はてのう。
わしの気のせいか。
ジュールランの申し出はシェルネリア姫のひそかな願いを見事にかなえたわけじゃ。
祖国の男たちに、女もなかなかやるではないか、と思わせるというひそかな願いを。
姫の思惑などジュールランが知っておったはずもないのにじゃ。
いやまあ、姫はわしがジュールランに話したと思っているかもしれんが、それはどうでもよい。
喜ぶところではあっても怒るところではないはずなのじゃが。
なぜわしの目には姫が不機嫌そうに映るのかのう。
しばらく考えて合点がいった。
ジュールラントは、姫の願いを正しく理解し、絶妙の形でかなえた。
願いをかなえてもらったということは、借りができたということだ。
しかもすぐには返し方を思いつかない、一方的な借りだ。
それが口惜しいのだ。
おのれの内面をあっさり見抜き、長年願ってかなわなかったことを、いとも簡単にかなえてみせた。
そのことが悔しいのだ。
何しろこの姫は、見かけとは正反対の、負けず嫌いの性格をしている。
結婚したあと、姫はその借りを返すだろう。
ジュールラントを輔けることによって。
そしてジュールラントも、黙って人の下手に出る人間ではない。
この二人はよい夫婦になるだろう、とバルドは思った。
ドリアテッサは、まだ立ち上がろうとしない。
報われた喜びをかみしめているのだろう。
3
場所を屋外に移して宴が始まった。
辺境侯から牛の差し入れがあり、前もって準備されていた巨大な肉の塊が、八か所で火にあぶられている。
ふだん騎士たちが食べる肉は豚か鳥であり、これはまことに太っ腹なふるまいといわねばならない。
朝から焼いていたのだが、今や頃合いに焼き上がっているようだ。
新鮮な野菜も供されている。
酒もふんだんに用意されている。
ジュールラントとシェルネリアは、乾杯だけして引き上げた。
夜間でもあり、屋外でもあり、人も入り交じっている。
警護に向かないことこの上ない。
どうせ両国代表は明日晩餐会がある。
バルドは大勢の騎士たちに取り囲まれ、次々に乾杯を交わした。
何度目かの杯を受けたとき、相手が馬のような顔の巨漢戦士ゴーズ・ボアだと気付いた。
バルドは杯を干してから柄杓を受け取り、酒樽から酒をすくってゴーズ・ボアについだ。
そのとき、ふと、兜の形と花には何かいわれがあるのか、と訊いた。
兜が盾のような形をしていること、そのてっぺんに花筒を取りつけてあることが、不思議でならなかったのだ。
近くにいた騎士の一人が、
「そうよ。
俺も不思議に思っておった。
お前、養父殿に、兜だけはこの形でなければならんと注文をつけたそうだな。
養父殿も不思議がっておったぞ。
それと、女から贈られたスカーフや花を身に着けて戦いに出る騎士は多いが、お前のあれは自分で探した花なんだろう。
おしゃれのつもりか見栄か知らんが、傍で見てると不気味だぞ」
と言った。
見覚えがある。
巨大棍棒を振り回して打撃武器部門で優勝した騎士だ。
ゴーズ・ボアは、バルドに、
「マルチェがほめてくれたからだ」
と答えて、話を続けた。
「マルチェは、小さい女の子だ。
ロカルの村の。
村が敵に襲われて、おでの部隊が近くにいたから、助けに行った。
でも、敵は多くて、強くて、武器も鎧もりっぱだった。
味方はみんな、死ぬか逃げた。
おでの武器や鎧は、何度も壊れた。
武器はそこらに落ちてたから困らなかったけど、兜が困った。
おでの頭が入るような兜は落ちてなかった。
味方がいなくなって、おでが一人になると、敵は近寄ってこずに、矢を射掛けてきた。
目に矢が入ったら大変だ。
しかたないので木の盾を拾って顔にくくりつけた。
すき間から前が見えたんで、おではもう一度戦えるようになった。
敵を全部追い払ったら、おではその場に倒れた。
もう体が動かなかった。
村人がやってきて、死体から武器や金をあさり始めた。
マルチェが、おでに水を飲ませてくれて、傷の手当てをしてくれた。
マルチェは、おでの顔を見て怖いとか不気味だとか言わなかった。
おでが怖くないかと聞いたら、村を救ってくれた勇者様が怖いわけない、と言った。
嘘だとは分かってたけど、うでしかった。
そのうち村人もおでの所にきて、食べ物をくれたり、礼を言ったりした。
マルチェは、おでに花輪をくれて、顔につけてた木の盾に花を挿してくれた。
勇者様を守ってくれたりっぱな兜だから、って」
ここでゴーズ・ボアは言葉を切った。
目を閉じて顔を伏せている。
何かを思い出して苦しんでいるかのように。
そのわけは、しばらくあとに出てきた言葉で分かった。
「おでは手柄を認められて、少しだけ偉くなった。
半年して、もう一度ロカルの村に行った。
死灰病が出たから、村を焼き払い、村人を全部殺せという命令だった。
マルチェの顔は見なかったけど、きっと焼き払った家の中にいた。
だからマルチェは、もういない。
でもおでは、マルチェがほめてくれた兜をかぶり続けたいんだ」
ゴーズの話を聞いていた者たちは、しいんとなった。
この異相のパルザムの騎士が抱え続けるものを知って、沈黙せずにはいられなかったのだ。
と、熊のような巨大な手が、がしっとゴーズ・ボアの肩を後ろから抱いた。
巨人であるゴーズをうしろから抱き込めるのだから、その人物もまた巨人である。
ゴリオラの北征将軍ガッサラ・ユーディエルだった。
「勇士よ。
まあ、喰えっ」
そう言って差し出したのは、骨のついた牛のあばら肉だった。
「おう!
あんたか。
おう、おう!
喰うともっ」
ゴーズは、ぎざぎざに尖った歯で、むしゃむしゃと肉にかぶりついた。
その面前に、大きな木の椀が差し出された。
差し出したのは、ゴリオラの名剣士キリー・ハリファルスだ。
椀にはなみなみと、泡立つエールがあふれている。
脂たっぷりのあばら肉には冷えたエールが何より合う。
キリーは何もしゃべらなかったが、目が少し細められているのが、優しさを感じさせた。
ゴーズは持っていた椀を置いて、エールを受け取った。
キリーは、しゃれた口ひげの右端をかすかに持ち上げて笑みをみせた。
ぐいぐいと、大きな椀を一息で飲み干したゴーズは、ぶっほーーーっ、と大きな息をはき、
「うまい。
うまいなあ」
と、しみじみと声をあげた。
ゴーズが喜ぶのを見て、バルドの心も喜んだ。
その場に居合わせた誰もがそうであったに違いない。
地獄の怪物のようなゴーズの異相も、みなれてくれば愛嬌さえ感じられる。
ゴーズは大椀をガッサラに渡すと、キリーの持っていた酒壺を受け取り、ガッサラにエールをそそいだ。
「北の豪傑よ。
あんたも呑んでくれ」
「うむっ。
呑むとも」
パルザムとゴリオラの巨漢二人は声も大きい。
そのやりとりは、取り巻く人々を愉快にさせた。
何人かからエールをつがれたあと、ゴーズはバルドに言った。
「バルドさん。
あんたの歌は、いいなあ。
おでは、あんたの歌を聞いて、マルチェのことを思い出したんだ。
あのとき、マルチェの魂があの広間に来てたような気がした。
おでのために歌ってくでて、ありがとう。
マルチェのために歌ってくでて、ありがとう」
この言葉がきっかけとなって、騎士たちは次々に、バルドの歌を聞いて自分が何を思いだしたかを語り始めた。
悲しい思い出も多かったが、それを話し合える友と出逢えた喜びが騎士たちの言葉にあふれていた。
「王子殿下がローエン卿のお弟子だというのは、ほんとうですか」
と訊いてきたのは、見覚えのない騎士だった。
いや、どこかで会ったことがあったか。
ぎょろっとした黒目の、灰色がかった黒髪とひげを持つ若い男だ。
うむ、とバルドが答えると、べつの騎士が、
「だから言ったろう、エネス・カロン。
王子殿下は口先で物を言われるおかたではない。
ご幼少のころから、このローエン卿が手塩にかけて育て上げられたおかたなのだ。
本物の武人だぞ」
と黒目黒髪の騎士に言った。
それを受けて審判長を務めたホルトン・ギャンバーが、あんなに武人の匂いのする王族にははじめてお会いした、と言った。
別の騎士が、じつに見事な褒詞だった、と感じ入ったように言った。
さすが〈果断王〉ウェンデルラント陛下のお血筋だ、と評する者もあった。
すると、皇国の姫君もさすがのおかただとか、お二人はお似合いではないか、などと話題は広がった。
酒は次々と運び込まれ、尽きることがなかった。
飲めば飲むほど元気が出た。
元気が出れば出るほど食欲が湧き、酒がうまかった。
みな、今宵ばかりはとことん飲むつもりだった。
両国の険悪な空気などとうに忘れ去られ、入り交じってそこここで酌み交わしている。
愉快な男たちだ。
マイタルプ・ヤガンは亡き父の思い出を語り、ゲルカストたちを従えてメイジア領の反乱を鎮圧したバルドの活躍を語った。
ケーバ・コホウは、ドリアテッサを助けて魔獣を打ち倒したバルドの高潔を賛えた。
バルドはしたたかに酔っていたので、目の前でそんな話をされても気にならなかった。
ドリアテッサが引っ張り出され、皆の前で熱っぽく何かを語った。
場がひどく盛り上がり、両国の騎士たちは、やんややんやの喝采を送った。
そのあとジュルチャガが語る姿を見たような気がするが、騎士たちの場所にジュルチャガが来れるわけはないから、気のせいかもしれない。
いろんな話が出た。
いろいろ訊かれたような気もするが、よく覚えていない。
ただ、うん、うんと機嫌よくうなずいた。
その日どうやって部屋に帰ったか、記憶がない。
2月13日「そして再びジュルチャガは語る」(第3章最終話)に続く
 




