第3話 皇女の願い(前編)
1
辺境競武会が始まった。
開会式は、ザイフェルト・ボーエン騎士団長のあいさつと、司祭の祈祷、審判長の規則説明という簡素なものだった。
派手な音楽も、仰々しい飾りもない。
広い闘技場に比して、中に入ることを許された者は少数だから、見た目には閑散とみえるだろう。
だが精強な騎士が集う空間は、分かる者には分かる濃密な緊張感に満ちていた。
第一日目には、第一部門の競技が行われる。
馬上槍試合である。
闘技場の一角に武具置き場が設けられ、何枚もの盾と、何本もの槍が置かれている。
今回はパルザム王国が会場を用意するから、武器と盾はゴリオラ皇国が準備する。
審判長一名はゴリオラ皇国から。
副審二名はパルザム王国から。
馬と鎧は自前で、武器と盾は用意された物を使う。
今回の場合、ゴリオラ皇国が武器と盾を準備しているので、パルザム王国の参加者が先に武器と盾を選ぶ。
各部門の参加者は両国から四人ずつである。
第一試合から第四試合までは必ずパルザム王国の騎士とゴリオラ皇国の騎士が戦う。
出場順は最初にくじで決める。
その勝者四人が第五試合と第六試合を戦う。
さらにその勝者二人が第七試合を戦う。
つまり第七試合が決勝となる。
ゴリオラ皇国のたまりは北に、パルザム王国のたまりは南にある。
呼び出し係の声を受けて、両方のたまりから、第一試合の選手が進み出た。
両者とも、非常な巨漢である。
バルドの目は、パルザムの騎士に引きつけられた。
巨漢であるだけでなく、その存在感は異様である。
プレートアーマーに覆われて顔も体もみえないが、その筋肉は獣のように強靱であることを、バルドは見抜いた。
ときどきそういう人間がいる。
生まれながらに猛獣のような体を持つ人間である。
だがその騎士の異様さは、体つきよりむしろ頭部にある。
奇怪な兜だ。
まるでカイトシールドを顔に貼り付けたような兜なのである。
つまりのっぺりしていて、とてつもなく大きい。
蛮人のかぶる面のようですらある。
しかもどういう趣向なのか、平たい兜の頭部には筒が取りつけてあり、そこに一輪の花が差し込んであるのだ。
そこらの野に生えていそうなへんてつのない花だ。
この騎士の風体の異様さに、ゴリオラ側では少しざわめきが生じている。
二人の騎士は盾と槍を選び、それぞれの馬の位置まで下がった。
審判長が二人の名を呼び上げ、二人は西側の主催者席に礼をした。
盾のような兜を着けた騎士は、ゴーズ・ボアという名だ。
二人は騎乗した。
馬も鎧を着けているが、質実剛健の競技会趣旨に沿って、飾りの少ない鎧だ。
バルドはわくわくする気持ちが抑えられない。
大国ではこうした騎士同士が武技を競う大会があると聞いていたが、見るのは初めてだ。
二人の騎士は、従者から盾を、次に槍を受け取った。
む?
バルドはいぶかしんだ。
パルザム王国側の騎士ゴーズ・ボアが、東側の貴賓席に座るバルドのほうを向いたのだ。
勘違いなどではあり得ない。
はっきりと首を回し、バルドをにらみつけた。
顔は兜に隠されているが、確かににらんでいる気配を感じる。
しばらくにらんでから、前方に向き直った。
主審の合図により、筒鐘が打ち鳴らされた。
向かい合った騎士は突進を開始した。
すさまじい迫力だ。
騎士は戦争の怪物である。
一人の人間に最高の攻撃力と、最高の防御力と、最強の機動力を持たせたものが、すなわち騎士なのだ。
この馬上槍にこそ、それが最も端的に表れている。
大量の金属を惜しげもなく投入した全身鎧。
育て上げた巨大な馬。
長大かつ大質量の金属槍。
その破壊力は、まともに当たればゲルカストや魔獣さえ一撃で絶命させ得る。
この見るも恐ろしい暴力の塊が、地響きを立てながら突進して来るのである。
逃げ出さずにいるには、とてつもない勇気が必要になる。
騎士たち自身も恐怖と戦いながら槍を振るっているはずだ。
試合用の槍は先を丸めてはあるが、それでも当たり方によっては死ぬ。
この競武会での馬上槍試合のルールは単純である。
落馬すれば負け、それだけである。
どちらも落馬しなければ、お互いに振り返り、突撃開始位置を取り替えて再び突進する。
どちらかが二度負けたとき、試合は終わる。
勝負がつくまで突進は繰り返されるのだ。
両者はあっという間に互いを武器の間合いに捉えた。
ゴリオラの騎士の槍はゴーズ・ボアの盾にはじかれた。
ゴーズ・ボアの槍も、相手の盾に当たった。
そしてそのまま盾を砕き割って槍は相手騎士の体のどまんなかに突き刺さった。
相手騎士ははじけ飛ぶように馬から落ち、大地に横たわった。
「ゴーズ・ボア殿。
一本!」
と、審判長の声が響いた。
相手騎士は身動きもしない。
医療班の薬師たちが駆けつけて手当をした。
相手は試合の続行が不可能であると判断され、ゴーズ・ボアの勝利が宣告された。
ゴーズ・ボアは、馬をもとの位置に返してから下馬し、従者に手伝わせて兜をはずした。
バルドは息をのんだ。
まさに、異相。
それは人の顔ではない。
怪物の顔だ。
ひどく縦に長く、大きい。
馬の顔を押しつぶして平たくしたような顔、といえば近いだろうか。
鋭く切れ上がった目と目のあいだはずいぶん離れていて、顔の前というより横についている。
魁偉な体軀に比しても顔の大きさは圧倒的で、みていると遠近感がくるったような錯覚を覚える。
馬のような顔をした騎士ゴーズ・ボアは、主催者席の前に進み出て一礼し、たまりに帰った。
2
けっきょく、馬上槍試合で優勝したのは、ゴーズ・ボアだった。
馬上槍試合の優勝者は、他の部門の優勝者と違い、総合部門である第六部門に出場できない。
そのかわり、優勝の名誉は大きいとみなされるし、どのいくさでも一番槍を務めることができるらしい。
それはいいのだが、バルドには一つふに落ちないことがあった。
パルザム側の選手が、バルドをにらむのだ。
気のせいなどではない。
あまりにあからさまに敵意をたたき付けてくる。
このことの訳柄は、ザイフェルトが解き明かしてくれた。
「やっと時間が取れました。
バルド殿。
まずは騎士たちの無礼をおわびする。
なぜパルザム王国の騎士たちが敵意を向けるのか、不思議に思われたはず」
それはジュールラントのせいなのだという。
王の長子にして現在唯一の子どもであるジュールラントは、おおむね歓迎されたといえる。
とはいえ、ねたみや憎しみの目で見る者も少なくはない。
その中でジュールラントは、王太子の座に就くことが求められている。
そのため、立太子されるにふさわしい人格徳識を示さなければならないのだが、そのやり方がいささか性急で荒っぽい。
何かにつけて、既存の慣習を批判し、新しいやり方を通そうとするのだ。
このままでは敵を作るばかりだと、ザイフェルトは諫言したことがある。
するとジュールラントは、こう言った。
「うむ。
お前の言うことはもっともだ。
多くの者は、俺がこの国のやり方に慣れるよう、好意で教えてくれている。
それをよく聞き、今までのやり方を受け継ぎながら、少しずつ新しいやり方を試したほうが、軋轢は少ない。
だがな。
王陛下はもうお若くない。
俺もそう若いとはいえん。
この国は、もう何代にもわたって改革を進めているが、その足取りは速いとはいえん。
国の内外には不穏な動きがいくつもみられる。
地盤を固めてからでは間に合わん。
俺のような異分子が飛び込んだ今は、好機なのだ。
貴族たちの権益に直接ふれるような部分は手を着けにくいから、まずは王陛下の影響力が強い軍関係から改革を進める」
このような思いに立って、ジュールラントは旧態依然とした制度や慣行に、遠慮なく物言いをつけている。
そのときよく使う言い回しが、「辺境には、もっといいやり方がある」というものだという。
従来のやり方の欠点を指摘するのだから、衝突も起きる。
衝突しつつ、さまざまな面で、ジュールラントはよいもの、新しいものを生み出してきている。
だからジュールラントを評価する者も増えてきてはいるが、不満を抱く者も多い。
その不満の矛先が今、その辺境のやり方をジュールラントに教えた人物、つまりバルドに向けられているのだという。
辺境競武会に出ようとするのは、多少の家柄があるが、顕職を得られるほどではなく、軍事で立身したい若い騎士たちだ。
競武会でよい成績を残せば、抜擢される可能性がうんと高くなるからだ。
しぜん、彼らは覇気にあふれ、鼻息は荒い。
武を尊び、武徳を持たない者に心服しない。
こうした微妙な状況で、ジュールラントはバルドを招待国代表として模範試合に出すことにした。
目覚ましい戦いをみせれば、その鼻息の荒い騎士たちもジュールラントを認めざるを得なくなる。
逆に、もしバルドがぶざまな負け方をしたら、それはジュールラントにとって大きな失点となる。
立太子にも影響が出かねない。
やれやれ、えらいことになったのう。
気軽に競武会を楽しむつもりじゃったのに。
これでは負けられんではないか。
この老人に、なんというむちゃなことを求めおる。
ひどいやつじゃ。
バルドはため息をついた。
3
二日目は、第二部門が行われた。
両手剣同士の対決だ。
馬には乗らず、鎧を着けて長大な剣をたたき付け合う。
やはり全員プレートアーマーを着用していたが、馬上槍試合の選手たちが使っていたものほど重厚な鎧ではないようだ。
優勝したのは大柄なゴリオラ皇国の騎士だったが、準優勝はやや小柄なパルザム王国の騎士だった。
小柄な騎士は、相手の剣をかわす戦い方をしていた。
優勝者と準優勝者は六日目の総合戦に出場できる。
夜に、ドリアテッサが訪ねて来た。
出場者が、しかも女貴族が、他団体の代表を予告もなく訪ねるのはどうかと思ったが、とにかく部屋に入れた。
入ってくるなり、ドリアテッサは頭を下げた。
「バルド殿。
どうか、力を。
力を貸してほしい」
今度は何が起こったのだろうか。
4
「姫の恋に、力を貸していただきたいのだ」
これにはさすがに驚いた。
が、すぐにめでたいことだと喜んだ。
この競武会でシェルネリア姫がゴリオラ皇国代表を務めるについて、アーフラバーンに訊いたとき、こういう答えだった。
「ああ、あれはまずもって、姫のお気晴らしだろう。
何しろ後宮から出られたことのないかただ。
旅行を楽しむ機会など、もう一生ないかもしれぬ。
それと、婚約者捜しというのも本当であろう。
あれに出場してくる騎士なら、実のところシェルネリア姫のお相手として悪くない。
王族や公爵家ではなく、それなりのよい家柄で、若く将来性があり覇気もあって、軍事で身を立てようとする騎士。
パルザムの軍事その他の情報が得られ、パルザム国内に強すぎない一定の縁故ができるのは、わが国として望ましい。
王家と直結するような家では逆にくびきになってしまうがな。
身分は問題ない。
どのみち新しい侯爵家あたりをお立てになるおつもりだろう」
侯爵家でなく公爵家だとドリアテッサから聞いていたが、訂正はしなかった。
しかし、結婚したいような相手がそう運よく見つかるとも思えなかった。
実際にシェルネリア姫に会って思ったのは、この姫が求める結婚したい相手というのは、単に見目麗しく物腰上品で女性を引きつける青年貴族のことでは、たぶんない。
一生を共にするにふさわしい、何というか歯ごたえのある相手をお探しなのではないか、とバルドは思った。
ところがこんなにも早く、姫の心を捉える騎士が現れようとは。
その幸運な騎士が誰かを知ろうと、バルドはドリアテッサの話に耳を傾けた。
「一昨日、パルザム王国側の招待により、両国代表者の晩餐会が開かれた。
その席で姫は、ジュールラント様にお会いになられた。
馬上槍試合のとき、姫の目線が妙にパルザムの代表者席のほうに向いていたので、気にはなったのだが。
昨夜私は姫に呼ばれ、夕食をご一緒させていただいた。
その席でだ。
出て来るのはジュールラント様のことばかりなのだ。
そして、姫の目つき、話しぶり、ため息。
間違いない。
姫はジュールラント様に恋してしまわれたのだ!」
1月13日「皇女の願い(後編)」に続く
 




