第10話 ゴドン・ザルコスの帰還(後編)
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水を打ったような静けさのなかをユーリカとカイネンがゴドンの前に進み出て、素足になり、両手を背中に回し、両膝を突いて頭を垂れた。
それは、罪人の作法である。
「兄上。
いえ、ご領主様。
私たちは、お留守を守ることができませんでした。
叔父上が何かと理由を立てて口を出すのをとめられず、城に入り込んでくるのをふせげませんでした。
ついには息子を人質にとられ、領主の印形を渡しました。
私兵を養い女どもを引き入れ、贅沢にふけるのを、嫌々ながらも手伝いました。
府庫は食い荒らされ、先祖伝来の武具も多くを売り払い、兄上に合わせる顔もございません。
どうぞお手討ちになさってくださいませ。
ただ、どうかわが子ミドルにはお情けを賜りますよう」
この言葉を聞いてミドルは父母のもとに飛び出そうとしたが、カーズが引き留めた。
続くゴドンの声は、優しさを帯びていた。
「わしはのう。
世間知らずであった。
じゃが、バルド・ローエン殿のお供をして目が覚めた。
いろいろな街や村があった。
領主の心一つで、領地は荒れもし、栄えもする。
領民の安寧を護るには力がいる。
領民の暮らしを支えるには知恵がいる。
カイネン」
「は、はい」
「わしが旅に出て、どのくらいになる」
「はい。
二百九十四日になります」
「その二百九十四日のうちに死んだ領民の名を挙げよ」
カイネン・ザルコスは、死んだ者たちの名と享年と死因を挙げた。
ほとんどは高齢と病による死者で、その次に多いのは生まれて間がない子どもだ。
これはこの地域に限ったことではない。
乳幼児というものは死にやすいものだ。
ふつうは五歳か六歳にならねば戸籍に入れることもしない。
だから、生まれて数日の子どもが死んだことさえ把握しているというのは、尋常ではない。
それは、役人と村長たちが共に手厚く領民に心を向けていることを示している。
それにしても、帳面を見もせずに八つの村の死者の名を言えるカイネンは、並外れた能吏だ。
結局、挙げられた死者は二十三名にのぼった。
「その二十三人のうちで、飢えて死んだ者があるか」
「いえ。
ございません」
「領主の不当な仕打ちで死んだものがあるか」
「ございません」
「では、わしが留守の間に、領民で身を売った者、家を失った者はあるか。
家臣で死にあるいは放逐された者があるか」
「ございません」
「そうか。
ザルコス家の家産は減じたが、領民は守ったのだな。
おお、おお!
カイネン。
ユーリカ。
よくぞいたした!
わが家の名誉は守られた」
この言葉を聞いて、カイネンとユーリカは泣いて地に伏した。
難しい状況の中で、なんとか民と臣を守り抜こうとしてきたのだろう。
それを認められ、賞められて、うれしさのあまり泣いているのだ。
泣いているのは二人だけではない。
家臣たちが、取り囲むようにして、泣いている。
今のやり取りを聞いて感動したのだろう。
家臣たちだけではない。
近くの村の領民が、騒ぎを聞きつけて集まって来ている。
領民たちもまた泣いている。
「カイネン。
ユーリカ」
「は、はい」
「はい」
「わしは本当に物知らずじゃった。
じゃが、旅の空でバルド・ローエン様から一つ一つ教えを受け、騎士とは何かを学んだ。
そして、願いができたのじゃ。
その願いとはな。
わが領地が、子どもが子どもらしく暮らせる場所であり続けることじゃ」
「子どもが」
「子どもらしく、暮らせる」
「そうじゃ。
ところがのう。
わしは頭が悪いからのう。
どうしたらそうできるのか、さっぱり分からん。
じゃから、カイネン、ユーリカ。
わしを輔けよ!」
「は、はいっ」
「はい!
必ずやっ」
満足そうにうなずくゴドンの足元に、一人の平民が平伏している。
そのことに気付いて、ゴドンが声をかけた。
「おおっ。
トルコ村長ではないか。
息災か」
「は、はい。
ご領主様。
ご帰還を、一日千秋の思いでお待ちしておりました」
「わはははははっ。
うまいことを申すでない。
わしほど仕事をせん領主はなかったはずじゃ」
「いえ、いえ。
あなたさまは、いつも領地を駆けめぐり、私どもにお声をかけてくださいました。
獣が出たと聞けば真っ先に駆け付けて追い払い、家が倒れたと聞けば自ら起こしに来てくださいました。
盗賊どもは、あなたさまの武威を恐れ、もはやこの辺りには近づきもしません。
よその領地の者たちからは、いつもうらやましがられておったのでございます。
近頃では、ご領主様はお帰りか、ご無事の便りはないかなどと聞かれるばかりで。
ご領主様。
お願いがございます」
「ん?
何じゃ」
「その、ご領主様の夢をかなえんがため、この老いぼれの力をもお使いいただきとうございます」
その村長の言葉を聞いて、集まって来ていた領民たちは、次々に、俺もお使いください、私もと、ゴドン・ザルコスの前で平伏した。
ゴドンは、しばらく目をぱちぱちさせながら、家臣と村人がどんどん回りに集まって来るのを見ていた。
やがて激情家の涙腺が刺激されたらしく、おんおん泣き出してしまった。
場を静めたのは、カイネンとユーリカだった。
二人は家臣たちに命じて、酒と食べ物を運ばせた。
村人たちも、食べ物を持ち寄った。
城の前の広場は、たちまち大宴会場となった。
うわさを聞いて、離れた村からも人々が集まって来た。
夜になったが人は増える一方で、たきぎが燃やされ、にぎわいは尽きない。
座の中心にあるのは、ザルコス一家とバルドたちである。
中でも炎に照らされ夜の闇に浮かび上がる緑の巨人たちは注目の的だ。
凶暴さで知られるゲルカストまでがゴドン・ザルコスの手助けに駆け付けた。
それは領主の徳を証すものであり、繁栄の兆しだ。
そう人々は語り合った。
この夜のことは、長く長く領地の隅々で語り継がれるだろう。
エングダル、ヤンゼンゴ、メリトケの三人は、大勢の人間たちと酒食を共にするという経験のない事態にとまどいながらも、つがれるまま、ぐいぐいと焼き酒をあおった。
黒海老の鬼鎧焼きは、三人とも至極気に入ったようだ。
ザルコス家の料理人は、おのれの技がゲルカストにも通じることを証明したことになる。
あとからやって来た遠方の村長たちは、トルコ村長から話を聞き、私もご領主様の夢にお加えください、と頼んできた。
そのたびにゴドンは大いに感激を示し、共に励もうではないかと大声で叫んだ。
誰もがゴドンの旅行談を聞きたがった。
ゴドンは、酔いに任せて、〈人民の騎士〉とその一行の民衆救済の旅を、じっくりと語った。
ゴドンは口達者ではないが、それだけに情を込めて語られる体験談は真実味があった。
見せ場のたびに、聴衆は沸き立った。
三兄妹の仇討ちに、みな涙を流した。
沢の集落の危機に、はらはらした。
無実の職人の捕縛に、憤慨した。
コルコルドゥルのうまさを聞いて、よだれを垂らした。
だが何といっても人気を集めたのは、ドリアテッサの物語だ。
人々は美人子爵の冒険譚を語るよう、繰り返し繰り返しゴドンに求めた。
姫騎士を守って圧倒的に優位な騎士隊に敢然と立ち向かう場面ではどよめきが上がった。
魔獣を見つけて狩る、という無理難題をバルドが引き受けるくだりでは、拍手が上がった。
ついに大赤熊の魔獣を打ち倒し、感激した姫騎士が涙する場面では、皆もらい泣きした。
座の中心でそれを聞きながら、バルドは複雑な気分だった。
おおむね事実に沿ってはいる。
が、ゴドンの語る物語では、まるでバルドは無敵の英雄だ。
剣を取っては剛勇無双。
ゴドンの猛撃を鼻歌まじりにいなしてのけ、他国から怖れられる将軍も一蹴する剣技と体力の持ち主。
その感化力は人間のみならず亜人にも及び、人と交わることのないはずの亜人たちまでもが友情を示す。
出遭った悪人はおのずと馬脚を現してほろび、善人は罪を逃れて喜び勇む。
足を踏み入れた街すべて、立ち去るときにはバルドを敬愛し深厚なる謝意を向ける。
いかなる困難にもひるむことなく、仲間を導いて勝利と幸福をもたらす不屈の指導者。
民を憐れむ心深く、知略にすぐれ、情義に厚く、真の正義の何たるかを知る騎士の中の騎士。
いくらなんでも誇張が過ぎるわい、と思った。
いや、誇張ではない。
ゴドンの目には、その通りに映っていたのだ。
そして単なる自慢話でもない。
ゴドンが旅から何を学び、これからこの領地をどうしていきたいのか。
その熱い思いがひしひしと伝わってくる。
とはいえ、おとぎ話の英雄に祭り上げられたバルドは、いたたまれない思いでいっぱいだった。
やれやれ、こんな与太話をまともに信じるとは、やはり田舎者じゃな、と思いながらふと横を見た。
騎士マイタルプと騎士ラホリタが、そして勇士ヤンゼンゴとメリトケがバルドを見ていた。
その目には、隠しきれない畏敬の念が浮かんでいた。
4
翌日、ゴドンのたっての願いで、バルドはミドル・ザルコスの騎士の誓いを行った。
バルドは二十万ゲイルをゴドンに渡した。
これはドリアテッサの兄が魔獣の毛皮代として約束した金額の四分の一であり、ゴドンに権利のある金だ。
ゴドンは、ミドル・ザルコスにこの金子を渡し、クラースクに赴いてコルコルドゥルの雄雌十羽ずつを買い求めてくるよう命じた。
ゴドンは、自らの領地であの鳥を増やし育てるつもりなのだ。
バルドが同行することになり、ほかの一行とは別れた。
騎士マイタルプはバルドに、競武会までに必ずロードヴァン城に戻るよう念を押した。
族長エングダルは、ゾイ氏族が飼っているヤーツという獣が素晴らしくうまいと言い置いて去った。
つまり、そのうち食べに来いということだ。
カーズはメイジアに残った。
しばらくゴドンのそばにいる、とカーズが言ったのだ。
バルドはその心遣いに感心した。
クリトプの息子ベンチが見つかっていない。
ベンチ・ザルコスは早々に家族と臣下を見捨てて脱出したという。
どうもかなりの金を持ち出したようだ。
解放した流れ騎士や雇われ兵士たちも、まだそう遠くには行っていない。
そうでなくても騒動があった領地は悪党に目を付けられやすい。
腕が立って動きやすい人間が一人いればゴドンも何かと助かるはずだ。
クラースクではいきなり初代領主の元に連れていかれ、大いに歓待された。
コルコルドゥルの買い取りにも快く応じてくれ、飼育の注意事項などを教えてくれた。
用意した荷馬車一杯に鳥と土産を積み込んだ。
無論、プラン酒も忘れていない。
途中、トゥオリム領を通った。
どうなっているか見てきてほしい、とゴドンに頼まれたのだ。
前の領主の親族が領主となっていた。
以前のむちゃな税率は引き下げられ、取り立ても緩やかになったという。
人々の活気が感じられた。
街のはずれに塚が出来ていた。
エンバと妻とその三人の子どもを祭る塚だ。
前の領主が討たれた前日に三兄妹に遭ったという行商人が発議して建てられた。
塚にはいろいろな供物が捧げられていたが、中でも干しぶどうが多かった。
子どもの一人が死ぬ前に、
「干しぶどう、おいしかった。
ありがとう」
と言い残したからだという。
新領主はエンバの親族を探し出して士分に取り立てた。
それを見て人々は新領主の志を知り、大いに喜んだという。
真冬の旅はつらいものだが、若さでいっぱいのミドル・ザルコスは、よく耐えた。
むしろ風景や文物の目新しさからくる楽しさがまさっていたようだ。
随行に選ばれたのは若者ばかりだった。
実によく学び、成長した。
やがて彼らがメイジア領の未来を担う日がくる。
多感な彼らは、三兄妹の塚の前でずいぶん長く礼拝していた。
泣け。
怒れ。
胸を震わせよ。
その思いはすべておぬしたちの血肉となる。
彼らの背中に、バルドはそう語りかけた。
メイジア領に戻った。
いよいよゴドン・ザルコスとの別れである。
カイネンとユーリカは三夜の宴を張った。
そして最後の夜は、誰にも邪魔されずゴドンとバルドがゆっくり語り合えるよう取りはからった。
思い出話は尽きることがなかった。
バルドとカーズはゴドン・ザルコスと家族に別れを告げ、リンツに戻った。
するとリンツ伯から頼み事をされた。
南の村二つが獣に襲われ壊滅状態で、兵士たちを派遣したが逆に被害が出ただけだという。
どうも狼の魔獣ではないかということなのだ。
テルシア家に助けを求めようかと考えていたところに、バルドが帰って来たのだという。
果たして敵は耳長狼の魔獣二匹だった。
バルドとカーズはこれを討ち取った。
バルドはリンツ伯に、その毛皮でカーズの革鎧を仕立ててくれるよう頼んだ。
それから二人はオーヴァを渡り、馬を飛ばしてロードヴァン城に走った。
ドリアテッサの戦いを見届けねばならない。
今度はパルザム王国の砦や補給所が使えなかったので少し日にちが掛かったが、暴風将軍には出くわさずにすんだ。
二人が城に着いたのは、三月も終わろうとするころだった。
バルドは六十歳になっていた。
(第2章「新生の森」完)
1月1日「ジュルチャガは語る(前編)」(第3章「辺境競武会」第1話)に続く




