第2話 剣鬼(後編)
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結局、そのまま、川辺で夜を過ごすことにした。
かまどを組むため、石を拾い始める。
老馬スタボロスは、相変わらずそこらの草を食べている。
石を集め終わったころ、二頭の馬が近づく音がした。
一人はヨティシュ・ペインである。
今度は殺気を隠そうともしていない。
もう一人は、見知らぬ男である。
騎士というより傭兵のように見える。
馬から下りて、ヨティシュが話し掛けてきた。
「やあ、〈人民の騎士〉殿。
ちょっと用事を忘れておったんでな。
また来させてもらった。
紹介しておこう。
ヴェン・ウリル殿だ」
ヴェン・ウリル!
この男がそうか。
〈赤鴉〉と呼ばれる流れ騎士である。
元はどこか中原の国で騎士をしていたらしい。
強い相手を見ると決闘を挑まずにはいられない性癖の持ち主で、国にいられなくなった。
依頼されて決闘を挑み相手を殺すことを生業のようにしているとも聞く。
今はコエンデラ家にかりそめの剣を捧げているのだろうか。
人が死ぬときには、目に見えない赤い鴉が飛んできて、枕元に止まる。
枕元の赤い鴉が見えたとき、人は死ぬ。
そんな言い伝えになぞらえ、人はこの男のことを赤鴉と呼ぶ。
この男には、いろいろと奇怪な噂がある。
そのうちの最たるものは、人間ではない、というものだ。
亜人との混血であるというのだ。
亜人と人間では子を作れない。
まれに出来ることがあるというが、無事には生まれないし、ましてや成長などできない。
妙な噂だ。
この男を恨む誰かが悪意をもって流したのだろうか。
「あんたが、バルド・ローエンか。
会ってみたいと思っていた」
暗く、低い声だ。
こんなに目つきの鋭い男は見たことがない、とバルドは思った。
だが、威圧するような猛々しさもないし、狂気に憑かれたものぐるおしさも感じない。
むしろ、静かで冷徹な雰囲気を持つ男だ。
バルドは、ちっちっち、と口を鳴らしながらマントを脱いだ。
蹄の音が聞こえたときから、剣は腰に吊っている。
ヨティシュ・ペインとヴェン・ウリルは、バルドから二十歩ほど離れた所で灌木に馬をつなぎ、歩いて近寄ってきた。
今や両者の距離は、十歩ほどである。
ヴェン・ウリルがヨティシュを手で制した。
これ以上相手に近づくな、ということである。
「それでな、ローエン卿。
あんたへの用事だが」
と言いながら、ヨティシュが目で合図し、ヴェン・ウリルがさらに四歩進み出る。
「まず、死んでくれ」
ヨティシュの声を合図にヴェン・ウリルが剣を抜き、それに合わせてバルドも剣を抜いた。
いい剣だのう、と相手の剣を見てバルドは思った。
輝きが違う。
名工がよい素材をふんだんに使って鍛えた業物だ。
バルドの剣より少し長いが、少し細い。
バルドの剣が両手でも使えるのに対し、ヴェン・ウリルの剣は、片手でしか使わないタイプだ。
速度と技巧を重視する剣士が使う剣である。
防具も革の鎧で固め、動きやすそうである。
見かけだけなら、バルドの装備は、ヴェン・ウリルのそれに似ていなくもない。
革の鎧と、片手剣。
しかし、内実は大違いである。
まともに打ち合わせれば、バルドの剣は一撃で折れてしまいかねない。
そもそも、バルドの得意な戦闘スタイルは、全身鎧と重く長い長剣を用いるものである。
その装備での戦い方を、長い年月をかけて磨き上げた。
バルドにとって、敵の攻撃はかわすべきものではない。
耐えきるべきものなのである。
しかし、今の装備でまともに相手の攻撃を受けるわけにはいかず、相手は名うての剣鬼と、曲がりなりにも一人の騎士。
まるで勝ち目のない戦いになるだろう。
「決闘を申し込む」
とヴェン・ウリルが言う。
今さらだのうと思いながらも、その律義さがおかしくて、バルドは口元にかすかに笑みを浮かべた。
どうせ死ぬなら、思いきり暴れてやるわい。
じゃが左手に盾がないのは寂しいのう。
と、思いながら、ちっちっちっ、と口を鳴らして、お受けしよう、と答えた。
二人とも、右手だけで剣を持っている。
六歩の距離を一瞬で詰めて、ヴェン・ウリルの剣が迫る。
バルドは、突っ立ったままだ。
ヴェン・ウリルは、右下から逆袈裟に剣を走らせた。
まるで疾風である。
バルドは左半身を半身に引き、さらに上半身をわずかに反らせてかわす。
左目のすぐ前を剣尖が通り過ぎるが、バルドは目を閉じもせず、ヴェン・ウリルの動きを見ている。
ヴェン・ウリルは、斬り上げた剣の速度をまったく落とさずくるりと回し、左下からバルドの右脇に斬りつけようとした。
バルドは、右半身を前に半歩踏み込みつつ、剣をすっと突きだし、無造作に外側に払うようなしぐさで、ヴェン・ウリルの剣をはじいた。
意図した軌道を維持できないことを悟り、ヴェン・ウリルは、途中で剣を左横に引き、前に一歩飛び込みつつ、突きぎみの切りつけを、バルドの胸に浴びせようとした。
ところが、バルドが正中に剣を引き戻したため、頭部にカウンターを受けることを恐れて、ヴェン・ウリルは斬撃の目標を、バルドの剣に切り替えた。
金属音がして、二本の剣が打ち合わされた。
バルドの剣の横腹に、ヴェン・ウリルの剣が打ち当てられる形で。
幸いなことに、バルドの剣は折れなかった。
加えて、バルドの筋力はヴェン・ウリルを大きくしのいでいたため、バルドの剣がはじき飛ばされることもなかった。
須臾の間に、バルドは三度の防御を行ったことになる。
赤鴉は驚いとるだろうのう。
と、バルドは思った。
というよりも、バルド自身が驚いている。
今のは、三撃とも、かわせるような斬撃ではなかった。
一撃目は、剣の軌道が予測できる仕掛け方だったから、タイミングを見計らって体を引いてみただけである。
剣を見てかわしたわけではない。
反転した剣を打ち落とせたのは、知っている技だったからだ。
四十八年前、バルドが流れの騎士から初めて剣の手ほどきを受けたとき、何度も見せられた技である。
一撃目をかわしたとき、これは反転して下から戻ってくる、と気付いたので、およその見当で反転位置を払ってみたら、たまたま当たったのだ。
三撃目は、さらなる偶然、というよりヴェン・ウリルの考えすぎというべきである。
これも、かつての師から、相手の剣が読めないときは、とにかく中段に構えて相手を牽制せよ、と教わった。
何をしていいか分からないから剣を中段に移したのを、ヴェン・ウリルが深読みしたのだ。
それにしても、四十八年も前のことが突然思い出され、しかも反射的に実行できたことに、バルドは面白みを感じた。
と同時に、分かったことがある。
ヴェン・ウリルは、正規の剣法を訓練した剣士である。
それも達人といってよい技量の持ち主だ。
戦場でたたき上げた自分のような素人とは、根本的に技の質が違う、とバルドは思った。
強さの種類が違う、といってもよい。
それだけではない。
技も素晴らしいが、驚嘆すべきは、そのスピードだ。
ヴェン・ウリルの剣の速度は、すさまじい。
武器を扱う技術の修得には、天分が大きく関与する。
人には向き不向きがあるのだ。
だが、スピードというもの。
剣速というもの。
これは、才能だけでは、決して得られない。
積み上げられた血のにじむような修練の時間のみが、奇跡のような剣速を生むのである。
この戦闘狂の流れ騎士は見たこともないほどの努力の人である、とバルドは知った。
剣が好きで好きで仕方がないのだろう。
命を懸けた決闘によって磨かれるおのれの剣技にしか興味がないのだろう。
むろん、この男が、人並み外れた細剣の天分を持って生まれたことは疑いない。
だが、これは才に頼った剣ではない。
剣以外のすべてを捨ててかからねば、このような技と剣速は得られない。
ヴェン・ウリルが、ふれあわせた剣を、両手でぐうっと左から右へと押し込んだ。
バルドは右手一本でこれに応じながら、ああ、これはあの手だな、と思い当たった。
押しておいて急に引き、敵の態勢が崩れたところで切りつけるのだ。
どこを狙うだろうか。
頭か、足か。
足だ、とバルドは予想した。
その予想は、たまたまかもしれないが、当たった。
当たっていながら、かわせなかった。
すっと引かれた剣鬼の剣が、バルドの左足を刈りにくる。
その素晴らしい速度は、バルドのどたどたした足運びで、到底対抗できるものではない。
だが、バルドは、かわせなければかわせないでよかった。
どうあがいても勝てない相手なのだ。
せめて一太刀まともに入れられれば、それでよかった。
バルドの剣は、正眼からまっすぐ伸びて、相手の脳天を目指した。
軀の中央を狙えば、はずしてもどこかに当たる確率は高い。
体を低くしてバルドの右足の膝下辺りをめがけて切りつけてくる剣鬼。
移動するその頭をにらみつけながら、右手で剣をふりおろすバルド。
ここでも剣鬼は、素晴らしいスピードと反応を見せた。
完全に前に向かっていた体勢を素早く後ろ向きに切り替えたのである。
バルドの剣は、空を切った。
剣鬼の斬撃も浅いものにとどまらざるを得なかった。
体重を乗せた攻撃が空を切ったうえ、右足のすねの横をブーツごと切り裂かれたため、バルドは転倒した。
ただ転倒したのでは殺される。
体を丸めて転倒しつつ、転がっていた枯れ木を左手でつかみ、ぐるんと前転した勢いと左手の力で、敵がいるはずの方向に投げつけた。
一抱えもある枯れ木が、ぶおん、と飛んでいく。
老境に足を踏み入れかけているとはいえ、人並み外れた膂力は健在である。
剣鬼は右によけてこの枯れ木をかわしたが、飛び込む呼吸を乱された。
枯れ木はそのまま、ヨティシュ・ペインのほうに飛んだ。
すっかり傍観者気分でいたのだろう。
突然飛んできた枯れ木にあわて、どうにかかわしたものの、尻もちをついた。
無様を絵に描いたような姿である。
一瞬ぽかんとしたあと、顔を朱に染めて立ち上がり、
「このくそじじい!」
と叫びながら、剣を右手で抜いてバルドに飛び掛かろうとした。
それを剣鬼が左手で押しとどめる。
「まだお前の出番ではない」
「どけっ、赤鴉!
俺がたたき斬るっ」
今だ、とバルドは思った。
今なら小技が効くかもしれない。
先ほどからの合図で、スタボロスは集めた石の向こうに待機している。
バルドは、立ち上がりながら、
撃てっ!
と叫び、敵に突進した。
剣鬼はさすがに周囲にも気を配っているが、ヨティシュの目にはバルドしか入っていない。
スタボロスが、集めた石を後ろ足で蹴った。
口をちちちと鳴らしたのは、この合図だった。
若いとき、悪ふざけで覚えさせたのだ。
かまどを作るために集めた石であるから、それなりの大きさがある。
蹴り飛ばされた数個の石が宙を飛んで二人の敵に襲い掛かる。
そんな状況でも、剣鬼は見事に石をかわした。
だが、そのために、ヨティシュから手を放してしまった。
ヨティシュは背中に石を受けた。
石の衝撃もあってか、剣鬼が手を放したためか、ヨティシュはバランスを崩したままバルドのほうに倒れかかる。
できればヴェン・ウリルに一太刀浴びせたかったんじゃが、仕方がないのう。
と思いながら、バルドはヨティシュの喉を真横に裂いた。
そのままうつぶせに倒れるヨティシュ。
顔の下で血だまりが広がっていく。
バルドは、次に来るであろう剣鬼の攻撃に身構えたが、剣鬼は冷たくヨティシュを見下ろしたまま、動こうとしない。
もはや剣鬼からは殺気が感じられない。
どうしたことか、バルドは不思議に思い、
雇い主が死んで残念かの。
と、ヴェン・ウリルに訊いた。
「こいつが死んで、残念ではない。
こいつが雇い主でもない。
ただ、こいつが死んでしまったので、あんたを殺したあとどうしたらいいか分からない。
ということは、あんたを殺す理由がなくなった。
決闘は一時預けておく」
と、ヴェン・ウリルは分かるような分からないようなことを言い、血が収まるのを待ってヨティシュを馬に乗せて縛り付け、その手綱を持ったまま自分の馬にまたがると、去っていった。
3
流れた血に砂を掛けて、少し離れた場所に移動して、そこで野営の準備をした。
準備をしながら、バルドは、結局やつらは何がしたかったのかのう、と考えた。
バルドを殺そうとしていたことは間違いない。
だが、何のためか。
バルドがこれから何かをすることを恐れているのか。
独り無一物で放浪するバルドに、コエンデラを害する力などありはしない。
恨みか。
それなら分からなくもないが、ヴェン・ウリルのような男を雇うのは高くつく。
身内に荒事の好きな男は山ほどおり、十人で襲えば老人一人殺すのは簡単だ。
今のバルドをしのぐほどの腕の者もいる。
身内が信用できないわけでもあるのかのう。
有力な家臣は遠出させにくいものではあるが。
バルド自身も、この年まで、本城と砦の近くから離れたことはほとんどない。
バルドの殺害が目的であるとすると、ヴェン・ウリルの振る舞いが奇妙だ。
殺したあとどうしていいか分からないということは、殺すこと自体が目的ではなくて、殺したあとに何か目的があったのか。
さてのう。
わしを痛めつけたり殺すために襲ったのでないとすると、どうなるか。
わしの死体をどうにかするつもりなのか。
それとも、わしの荷物に用があるのか。
じゃが、値打ちのある物はみんな置いてきたしのう。
そこまで考えて、バルドは、ヨティシュが金貨の袋に異様な関心を示していたことを思い出した。
金貨の袋を取り出して、中身を調べてみたが、金貨以外何も入っていない。
袋も、どうということもない普通の袋だ。
バルドは、それ以上何を考えればいいか分からなかった。
それに、今はもっと重要な問題があった。
夕食の準備ができたのである。
新鮮な魚がじゅうじゅうと焼けている。
この前の街で仕入れた美味な岩塩を砕きながら振り掛ける。
たまらない香りである。
バルドは、酒の入った壺とコップを取り出した。
シーデルモントが別れ際に、これは私からの餞別ですといって、酒を三壺置いていってくれたのである。
気の利くやつだわい。
とバルドは喜んだ。
間違いなく上等の、しかもバルドの好みにあう辛口の酒だろう。
この酒をいかに楽しんで飲むかが、今夜の最重要課題である。
スープも作ろう。
干し肉もちょっぴりだけ食べよう。
頃合いに魚が焼けた頃、コップの酒をちびりとなめる。
うまい!
魚にかじりつく。
まずは背中の部分である。
おお!
川魚は臭みがある場合もあるが、これはなんとも鮮烈である。
次に内臓をかじる。
むむ!
苦くない。
むしろ甘い。
新鮮だからか。
魚の種類によるのか。
焼けた脂がからみついた内臓は、えもいわれぬ珍味だ。
甘く香ばしいその風味は、釣り人の特権といえる。
まあ、難しいことはどうでもよいわ。
腹が減っておって、うまい酒と、うまい食い物があって、それを食べることができる。
こんな幸せはあるまいよ。
斬られた右足がずきずきと痛むが、もう少し飲めば気にならなくなるだろう。
腰の痛みは毎度のことで、今さらどうしようもない。
いつか死ぬかとびくびくするような年でもない。
やるべきことは、やってきた。
あとは生きるように生きて死ぬだけだ。
満天の星を眺め、川面を渡る風に、ほてった顔をさらしながら、バルドは晩餐を楽しんだ。
4月13日「薬師の老婆(前編)」に続く