第7話 ジャミーンの勇者(後編)
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口の中の苦さで目が覚めた。
薬草をつぶしてバルドの口にねじ込んだのだろう。
体はあおむけに寝かされている。
縛られていて身動きはできない。
ジャミーンたちが何人もバルドを取り囲み、あれやこれやと話し合っている。
声は甲高く、とてもうるさい。
と、ジャミーンたちが静かになった。
「お前、通ってはいけない道、通った」
少し大柄なジャミーンが、人間の言葉をしゃべっている。
少し発音が聞き取りにくい。
バルドは、
そなたたちの土地に足を踏み入れて、申し訳ない。
子どもの命を助けるために、しかたなかったのじゃ。
と言ったが、相手はこちらの言葉がよく分からないのか、あるいは聞く気がないようだ。
「古き精霊、お前裁く」
いましめがほどかれ、立つように命じられた。
四方から槍と矢を突きつけられて、引き立てられた。
着いたのは、木の柵で囲まれた広場だ。
周りは木々に覆われている。
木々には驚くほど大勢のジャミーンたちがいて、バルドを見下ろしている。
取り上げられていた古代剣を返してくれた。
ジャミーンたちが歓声を上げた。
見れば、広場の反対側に、何かが引き立てられてきている。
バルドは、自分の目を疑った。
魔獣だ。
青豹の魔獣だ。
六人のジャミーンが棒のような物を青豹に突きつけ、誘導してくる。
ばかなっ。
なぜあの魔獣はジャミーンを食い殺さんのじゃ。
ジャミーンには魔獣を操る術があるとでもいうのか。
六人が持つ棒の先には、何やら青色の物がくくりつけられているようだ。
魔獣を誘導した六人は、なおも棒を魔獣に向けながら、広場の端に離れていった。
おとなしくしていた魔獣は、低く唸り声を上げた。
もはやジャミーンたちの意図は明らかだ。
この広場は闘技場なのだ。
魔獣とバルドを戦わせようというのだ。
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頭はまだぼうっとしている。
体全体がだるい。
だが、バルドは無理矢理自分を戦闘態勢に持って行った。
口の中に残った苦い薬草を飲み込み、マントを外して左手に巻き付けた。
強く深く息を吸い込み、心の中に炎をともす。
たちまち、頭はさえ、肩や腰の痛みは気にならなくなる。
神経は鋭敏になり、体温が少し上昇する。
魔獣は、まだ低くうなっている。
そのうなり声は、段々と剣呑な響きを帯びてきている。
盾も鎧もなく、一人っきりで青豹の魔獣と戦うとはのう。
今までずいぶん戦いをやったが、これほど勝ち目のない戦いも初めてじゃて。
古代剣が不思議な力を出してくれれば、わずかながら勝ち目はある。
とはいえ、青豹に剣で攻撃を当てることは難しく、青豹の攻撃をかわすことは、さらに難しい。
青豹は川熊と同じく三つの目を持つ。
三目類の獣は、とにかく皮が強靱で打たれ強い。
こちらは一撃では青豹を殺せないが、青豹は一撃でこちらを殺せる。
思い出せ。
思い出すのじゃ。
今まで、古代剣が魔力を放ったのは三度。
二度は魔獣が相手で、一度は人間の兵士が相手じゃった。
そのとき、わしは、何をした?
青豹が体を沈め、はじけるように、襲い掛かってきた。
すばらしい速度だ。
十四、五歩はあるだろう距離を一瞬で詰めて跳躍した。
バルドは青豹の目を狙って古代剣を振ろうとした。
だが、敵は速すぎ、剣は短すぎた。
剣を振り下ろす前に、青豹はバルドの胸に飛びついた。
とっさに体をひねって顔への打撃はかわしたが、青豹の右前足はバルドの右胸を薙いだ。
加速をつけすぎたせいか、青豹は、バルドからかなり離れた位置に着地した。
そのまま少し遠くまで走り、くるりと振り返ると、またも加速をつけて突進してきた。
バルドの胸当ては、魔獣の爪がかすっただけで、大きく引き裂かれていた。
魔獣の攻撃をかわし、その動作を見極めながら、バルドは考え続けていた。
最初のときは、どうじゃった?
あのとき、わしは。
右手に剣を持ち、左手は鞘に当てて。
そして、何と言うた?
魔獣が再び飛び込んでくる。
大きく開いた口が、バルドの喉首を噛み砕きにきた。
バルドは古代剣を振った。
それは確かに魔獣の鼻面に当たったが、魔獣をひるませることさえできなかった。
魔獣の両前脚がバルドの肩にかかり、バルドは後ろに倒れ込んだ。
それが幸いした。
魔獣は勢いを殺しきれず、バルドの革帽子を食いちぎって、バルドの体の上を通り過ぎた。
仰向けに倒れたバルドの白髪が、魔獣の巻き起こした風にあおられて乱れた。
すぐに起き上がろうとしたが、後頭部を打ったためか、一瞬、体が動かない。
反転して襲い掛かる魔獣の足音が聞こえる。
バルドの耳には、それが死者の国から迎えに来た愛馬の足音に聞こえた。
スタボロス。
思わず知らずバルドがその名を心で呼んだとき、右手の魔剣が青緑の燐光を放った。
剣から発した温もりが、バルドの体に活力を送り込んだ。
喉首目がけて飛び込んでくる魔獣の鼻面に、バルドは古代剣をたたきつけた。
「ギャイン!」
魔獣が悲鳴を上げて、後ろに跳んだ。
バルドは身を起こし、膝立ちになって魔獣の脳天に古代剣を振り下ろした。
剣は魔獣の頭蓋骨の半ばまで食い込んだ。
魔獣は、ゆっくりと倒れて。
起き上がることはなかった。
バルドは、両膝を地に着いた姿勢のままで、ジャミーンたちを見上げた。
一人のジャミーンが盛んに何かを騒ぎたてている。
その声を聞いて、人間の言葉をしゃべったジャミーンだと分かった。
何か、あおり立てるような口調だ。
ジャミーンたちは、そのあおりに乗せられるように、手に手に弓を構えた。
バルドを射殺すつもりなのだ。
そのとき、ひときわ大きな声が響いた。
人間の言葉ではないから、バルドには意味が分からない。
だが、その声の主は、バルドの近くまで走り込んで、バルドをかばうように立ちはだかり、さらに何かを言いつのった。
大柄なジャミーンだ。
ほかのジャミーンより、頭一つ分は身長が高い。
そのジャミーンの言葉を聞いて、周りを埋め尽くしたジャミーンたちは、弓の構えを解いた。
最後に大柄なジャミーンは、人間の言葉を話したジャミーンに弓を突き付け、強い口調で何事かを言った。
言われたジャミーンは、うなだれた。
「人間よ。
まさか霊獣を、しかも青豹の霊獣を倒すとは。
お前は、とてつもない勇者だ。
俺は、テッサラ族の勇者イエミテ。
お前の名を教えろ」
大柄なジャミーンの戦士は、バルドを見上げながら、発音は妙だがしっかりした人間の言葉で話し掛けた。
バルドは、名乗った。
「バルド・ローエン。
人間の勇者よ。
俺は帰ってきたばかりで事情が分からん。
なぜお前は、わが氏族の霊獣と戦ったのだ」
バルドは簡潔に事情を語った。
「西の山に住むピネンという老人の孫の命を救うため、お前はここを通ったのだな。
何ということだ。
オーラ・ピネンとお前は、どういう関係なのだ」
うまいノゥレ料理を食わせてもらったのだ、とバルドは答えた。
勇者イエミテは、妙なものを見る目でバルドを見た。
そして、こう言った。
「われわれはオーラ・ピネンには借りがある。
お前の目的が分かっていたなら、通行を許した。
お前は目的を知らせず、われわれの住処をおびやかしたのだから、村長が古き精霊にお前を裁かせたのは、正しい。
だが、精霊がお前を認めたのに、お前を殺そうとしたことは村長の間違いだ。
お前が人間の村に行き、帰りにもここを通ることを許す。
これを持って行け」
手渡されたのは一本の矢だった。
ふつうのジャミーンが使う物より、一回りも二回りも大きい。
矢羽根は派手な造りをしている。
通行証代わりになるのだろう。
栗毛の馬も返してくれた。
バルドは、ジャミーンの勇者に礼を言い、先を急いだ。
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村では事情を話すと薬を分けてくれた。
吊り橋の修理にも人手を出してくれるとのことだった。
バルドは急いで西の山に戻った。
薬は間に合い、少年は助かった。
ピネン老人に、たっぷりと料理代を払って、バルドはゴドンと出発した。
ピネン老人は受け取ろうとしなかったが、無理に押しつけた。
この集落の人々が、いかに現金収入を楽しみにしていたか、最初の歓迎の様子から明らかだったからだ。
預かった矢を返すという名目で、バルドはゴドンとともに勇者イエミテを訪ねた。
いろいろと聞きたいことがあったのだ。
質問のすべてには答えてくれなかったが、イエミテはいろいろなことを教えてくれた。
ここに住むジャミーンはテッサラという氏族だ。
テッサラ氏族は、七つの村に別れて住む。
七つの村にはそれぞれ村長があり、それぞれ六つの〈青石〉を持つ。
青石は、人間がいうところの〈魔獣〉を鎮め、指示に従わせる力がある。
何より大切な宝物であり、人間に売ることも貸すことも絶対にない。
ジャミーンの信仰によれば、古き精霊が入り込んだ獣が〈魔獣〉となる。
ジャミーンのそれぞれの村は、それぞれ一匹の〈魔獣〉を捕らえ、〈霊獣〉と呼んで敬う。
〈霊獣〉が死ねば、中に入っていた精霊は自由になり、また新しい獣に入り込むのだ。
なぜ、ピネン老人のことを賢者と呼ぶのか、という質問には、俺たちにとっては賢者だからだ、としか教えてくれなかった。
七つの村すべてで最も強く勇気のある者が勇者になる。
勇者は、氏族全体の代表だから、人間の言葉はもとより、すべての亜人の言葉を覚えるのだという。
短い滞在ののち、バルドとゴドンは、ジャミーンの村を去った。
バルドは、不思議な心地よさを感じていた。
亜人、というものは人とは相いれない異形であり、未開と残虐そのものだと聞いていた。
だが、ゲルカストのエングダルと、ジャミーンのイエミテ。
バルドが相知った、たった二人の亜人。
いずれも、節義と誇りを知る武人だった。
下手な人間などより、彼ら二人のほうが、よほど信じられる。
物事は自分の目で見てみなければ分からないものだ。
テッサラ氏族の居住地が点在する地域のさらに東には、ほかの亜人の居住地があるという。
この辺りでは、〈大障壁〉とオーヴァ川とのあいだは、バルドの住み慣れた地域よりはるかに広いのだ。
魔獣の出没も、それほど珍しいことではないという。
新しい〈霊獣〉、すなわち集落の守り神とするため、次の魔獣を探すということだった。
旅をすれば、おのれが無知であることを知る。
それはよいことだ、とバルドは思った。
それにしても、鎧がもうぼろぼろで、どうにもならない。
次の街で、ぜひ鎧を手に入れなければならない。
8月7日「革防具職人ポルポ(前編)」に続く




