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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第1章 古代剣
30/186

第7話 ジャミーンの勇者(前編)





 1


伯父御(おじご)

 ご武運を」


 と、ゴドンが言った。

 バルドはうなずいた。

 ゴドンと村人に見送られ、バルドは出発した。

 徐々に馬の速度を上げていく。

 初めての山道を走るには速すぎる速度だ。

 だが、子どもの容態を思えば、薬は早いほうがよい。

 バルドの気持ちが伝わったのか、栗毛の馬は、首を前に突き出し、足を大きく後ろに蹴って、先を急ぐ。

 時折木の葉や草が鼻面を打つのも気にしない。

 馬は臆病な生き物だが、乗り手と心が通うとき、雄々しい生き物に変わる。

 荷物はすべてゴドンに預けたから、今のバルドは身軽である。

 人馬は一体となって山道を駆け下りて行った。






 2


 エグゼラ大領主領の東のはずれの村で、ある噂を聞いた。

 山を北に越えた集落で、ひどくうまいノゥレ料理が食える、というのだ。


 ノゥレなど、どこの湖沼にでもいる小魚だ。

 泥の中を好み、ぬるぬるとした細長い体を持っている。

 うまい魚ではない。

 骨が多くて食べにくいうえに、泥臭い。

 食べてしばらくすると、何ともいえないえぐみのある後味が残る。

 だが、栄養はたっぷりだ。

 子どもでも簡単に獲れるから、貧しい家ではどこでもよく食べる。

 たくさん食べれば腹はふくれる。


 バルド自身も、小さいころ、よく食べた。

 騎士となってからも、大障壁近くの砦に冬のあいだ詰めているときは食べた。

 半分凍った泥の中で眠るノゥレは、貴重な食料だったのだ。

 とはいえ、うまいと思って食べたことはない。

 そのノゥレが美味な料理になる、という話にバルドは興味を引かれた。

 ゴドン・ザルコスは、


「どんなに上手に料理したところで、しょせんノゥレではありませんか」


 と、乗り気ではなかったが、構わず馬首を北に向けた。

 山を越えると深い谷があり、吊り橋が架かっていた。

 馬を置いて行くわけにもいかないので連れて渡った。

 暴れないように目隠しをして引っ張った。


「帰りには、もう一度ここを渡らねばならんのですなあ」


 と、ゴドンはため息をついている。

 一本道だから、集落には迷わず行き着けた。

 こんな所を馬に乗った武士二人が訪ねるなど、珍しいのだろう。

 ひどく注目を浴びてしまった。

 ノゥレを食べたいというと、一軒の小屋に連れて行かれた。

 貴重な現金収入が得られると分かり、人々の対応は丁寧だ。

 ピネンという名の老人が、料理してくれるという。


「ようも、こねえな所までお越しじゃったのう。

 ノゥレは、今獲りに行かせとるけん。

 お侍さんがたの口にあうような酒はねえんですけどのう」


 と言いながら出してくれた酒は、白く濁っており、柔らかく甘い味わいだった。

 穀物酒だ。

 この辺りに多いプランの実を(かも)した酒だろう。

 バルドが、うまいぞ、と言うと、うさんくさそうに見ていたゴドンも、口をつけた。


「お。

 いけますな」


 と、まんざらでもない。

 二口、三口を味わったところで、ピネン老人は、何かの根のようなものをすりつぶしながら、


「ノゥレをのう。

 生で食べると、そりゃあうめえんですじゃ。

 なあんのいやみもありゃあせん。

 じゃけどのう。

 あとで必ず病気になりますけん」


 と言った。

 ノゥレは煮て食べるものであり、生で食べるなど考えもしなかった。

 あとで必ず病気になると断言するこの老人は、もしや試したことがあるのだろうか。

 ピネン老人は、何かの葉を数種類混ぜて、さらに器の中のものをすりつぶした。


「ノゥレはのう。

 襲われたり、つらい目に遭わされると、腹の中を苦うするんじゃ。

 その苦え汁が、あとでいやみになりますけん」


 バルドが椀の酒を飲み干すと、ピネン老人の孫だという少年が、お代わりをついでくれた。

 少し遅れてゴドンもお代わりをもらった。

 そうこうするうちに、次々とノゥレが届いた。

 集落の住人たちが総出で捕まえてくるのだから、あっという間に桶はノゥレで一杯になった。

 ピネン老人は、何度か水を替えてノゥレをきれいに洗うと、何かの根や葉をすりつぶしたものを、桶に注ぎ込んだ。


 興味を引かれたので、バルドは近寄って桶を見た。

 ノゥレは、黄色の何かを盛んにはき出している。


「これをはき出させてしもうたら、もうノゥレは苦うはならんですけん」


 と、ピネン老人は言った。

 訊けば、長年かけて自分でこの根や葉を見つけたのだという。

 何の木だか、何の葉だか、名前は今でも知らない。

 しばらくすると、ノゥレはもう何もはき出さなくなった。

 ピネン老人は、ノゥレをもう一度洗ってから椀で二杯すくい、鍋に入れた。

 穀物酒の樽から上澄みをすくい、その鍋に注いだ。

 ゴドンも興味を引かれたようで、まじまじと見つめている。

 鍋は火に掛けられた。

 火勢は強くない。


「ノゥレは、水から炊かにゃあいけん。

 いきなり湯にいれたら、暴れて身がざらざらになるんじゃ」


 と、ピネン老人は独り言のようにつぶやき、孫の少年に、


「もう出来とるじゃろう」


 と言った。

 少年は小屋を飛び出して隣に行き、すぐに戻って来た。

 手には椀を持っている。

 ピネン老人は、椀の中身を静かに鍋に入れた。


「ドゥェジャ鳥の卵と山芋で作ったプディングですけん。

 ちょうど卵があったけん、よかったですのう」


 それから徐々に火勢を強めた。

 まきを操る手つきには年期が入っており、巧みに火勢を調節している。

 酒が熱せられる香りが小屋に満ちた。


 驚くべきことが起こった。

 熱せられた酒の中で所在なげに泳ぎ回っていたノゥレたちが、プディングの中に潜り込んでいったのだ。


「人間でも、お天道さんが熱うなったら、日陰やら家ん中に入るけんのう」


 なるほど、そうだ。

 だが、プディングの中も熱いはずなのだが。


「山芋は、熱を散らすんじゃ。

 じゃけえ、煮立った酒より、プディングの中のほうが、ほんのちょっぴし熱うねえんじゃ」


 プディングの中から顔を出したノゥレもあるが、すぐに中に戻ってしまう。

 プディングが揺れている。

 中でノゥレたちが暴れているのだ。

 やがてプディングは揺れなくなった。

 ピネン老人は火勢を弱め、なおもプディングを煮た。

 じっと鍋を見ている。

 揺るぎのないその横顔は、まるで賢者のようだ。

 と思っていると、老人は、よし、と小さくつぶやいて鍋を火から下ろした。

 手際よくプディングを二つに切り分け、椀に盛ってテーブルに置いた。


「召し上がってつかあせえ」


 バルドとゴドンは、席についた。

 木さじでプディングをすくった。

 湯気が立っている。

 ふうふうと息を吹き付けて冷ましながら、一かじりを口に入れた。


 こんなプディングは、食べたことがない。

 よく煮込んであるから固いかと思ったが、まったく違う。

 ふるふるに柔らかい。

 柔らかいのに、しっかりした存在感がある。

 舌の上でじっくり味わったあと、口の中でつぶした。

 甘いともからいともつかない柔らかな味が広がった。

 バルドは思わず木さじに残ったプディングを全部口に入れた。


  おおお。


 何ともいえない食感だ。

 口腔が、そして舌の隅から隅までが、初体験の食感を楽しんでいる。

 喉が、早くこっちにも寄越せ、と要求している気がしたので、バルドは口の中のプディングを飲み込んだ。

 まったりとしたのどごし。

 芳醇な余香。

 これは、プディングに染み込んだノゥレのうまみなのだろうか。


 バルドは、プディングの中に大胆に木さじを差し込んだ。

 そして、たっぷりとノゥレが入っている部分をすくい取り、ふうふうと冷まして口に入れた。


  甘い!

  何という甘さじゃ。


 ノゥレ特有のぬるぬるした食感が、どこにもない。

 身は柔らかく煮上がり、極上の魚特有のざらっとした舌触りをみせて、口のなかでほぐれた。

 いまいましい小骨も、踊るように舌の上で溶け、味わいにアクセントを与えてくれる。

 うまみの塊だ。

 よくかみしめて飲み干せば、意外なほどのボリューム感がある。

 そして、あのいやな後味が、いつまでたってもやってこない。

 煮汁をすくいとって飲めば、酒臭さはどこにもなく、ノゥレのうまみを吸い取って最高のスープに仕上がっている。

 プラン酒の濁り酒を飲むと、これがまた一段とうまい。

 この料理とこの酒は、実によくひき立て合う。


 バルドは、ふとピネン老人を見た。

 立ち振る舞いを見ていると、どうも田舎で生まれ育った人間とは思えない。

 広い世界を知り、深い叡智を蓄えた人物。

 都会での上品な料理や作法にも通じた人物。

 そのように思えてしかたがない。


 この集落は、おそらく〈外れ者〉の集落だ。

 罪を犯した者の家族や、ケガレを得た者は、村の生活からはじき出される。

 そうした〈外れ者〉が集まって集落を作ることがある。

 隔離されることによって差別されずにすむのだ。

 ピネン老人は、どんな人生を歩んできたのだろうか。





 3


 二つの事件が起きた。

 吊り橋が切れた。

 荷物を積んだ押し車を乗せたとたん、切れたのだという。

 幸いにけがをした者はなかった。

 そして、ピネン老人の孫が毒蛇に噛まれた。

 バルドの手持ちにも、その薬はなかった。

 大人なら死ぬほどではないが、子どもにとっては命に関わる毒だ。


 村まで行けば、薬は分けてもらえる。

 だが、村に行く吊り橋は使えない。

 谷を降りてゆけば行けなくはないが、ひどく時間がかかる。

 幸いにもバルドとゴドンは馬を持っている。

 遠回りでもいいから道はないのか、と訊けば、一つだけあるという。

 東回りの道だ。

 だが、そこは、ジャミーンのテリトリーだという。


 ジャミーンは、亜人の中では小柄だ。

 人というより猿のような姿をしている。

 成人しても十二、三歳の人間ほどの身長しかない。

 木の皮や虫を常食にするため、〈虫食い〉などと呼んでさげすむ人間もいる。

 倫理観や生活習慣が人間とは異なるため、接触すれば争いになることが多い。

 人間の村や集落からこんなに近い場所にジャミーンのテリトリーがあるとは驚きだ。


 ジャミーンは、例外なく弓の名手だ。

 テリトリーに人間が踏み込んだことに気付けば、攻撃してくるだろう。

 四方八方から降ってくる矢をかわすことなどできない。

 だが、この子を救おうと思えば、それしか方法はない。

 バルドは、村に薬をもらいに行く役目を買って出た。






 4

  

 道は木々の生い茂る森に入った。

 栗毛の馬は、少しも疲れた様子を見せない。

 素晴らしい速度で森を突き進む。


 前方上方の木の上で、何かの気配がする。

 バルドは古代剣を抜いた。

 矢が飛んできた。

 剣で払う。


 いる。

 いる。

 いる。


 木々の上に、ジャミーンたちがいる。

 気付かれて取り囲まれる前に抜けてしまいたかったのだが、だめだったようだ。

 右から、左から、矢が飛んでくる。

 背中から飛んでくる矢が一番やっかいだが、はためかせたマントがある程度は矢を防いでくれている。


 ざくっ。


 左肩に矢が刺さった。

 肩当てに守られているので、深くは刺さっていない。


 ざくっ。


 背中に矢が刺さった。

 ちょうど鎧がない部分だ。

 動きが止まるほどの傷ではない。

 だが、次の瞬間。

 急に、かあっ、と体が熱くなり、視界がぐにゃりとゆがんだ。


  毒か!


 必死で手綱をにぎったが、やがてバルドの意識は闇に落ちた。







 

8月4日「ジャミーンの勇者(後編)」に続く

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