第5話 仇討ち(前編)
1
ゴドン・ザルコスとの二人旅が始まった。
季節は春である。
山々は美しい。
ゴドンは名家の生まれであるが、野営にも粗食にも、まったく不平を言わなかった。
旅に出た喜びのため見慣れた山野も物珍しくみえるようで、あれこれと話もはずんだ。
二十日ほどで、トゥオリム領に着いた。
トゥオリム領は、ポドモス大領主領とエグゼラ大領主領の間にある。
まっすぐ来ればこれほど日にちがかかる距離ではないはずだが、ゴドンがポドモス大領主領の中を突っ切ることをいやがったため、大きく迂回してきた。
この辺りまで来ると、バルドは地名も知らない。
「トゥオリム領は、昔からよい小麦の出来る土地でしてなあ。
実は、わが領の小麦は、五代前の当主がトゥオリム領から種籾を譲ってもらったのですよ」
と、ゴドンが言った。
だが、実際にトゥオリム領に入って目にしたのは、予想とはひどくかけ離れた光景だった。
村々の畑は荒れており、農民の目には生気がない。
家畜は痩せており、数も少ない。
領主の城がある街に入っても、活気が感じられない。
道は広く、商店も多いのに、旅人を歓迎する空気はない。
暗く疑り深い視線を浴びせてくる。
「伯父御。
いやな感じの街ですな」
うむ、とバルドは返事をした。
初めは師匠とか師父とか呼んでいたが、バルドがいやがったので、伯父御という呼び方に落ち着いた。
こんな街は早く抜けたいと思ったが、とにかく食事をしなくてはならない。
ガンツを探して食事を注文した。
高くてまずい料理だった。
バルドは、少し前にこらしめた山賊たちの話を思い出した。
あの三人は、トゥオリム領で木こりをしていたと言った。
トゥオリム領では、税が高く、取り立ては厳しく、貧しいものはますます貧しくなっているという。
税が払えない家は、子どもや女が連れ去られて売り飛ばされてしまう。
取り立て役人に抵抗すると、むごい目に合わされる。
しかし、エンバという義侠心のある男がいて、あまりに無法な取り立てから村人を守った。
エンバを慕う男たちが集まり、一つの勢力になり、働き手のない家を助けたり、食べ物を融通し合ったりした。
あの三人も、エンバの腕っ節と男気に惚れて、その舎弟となった。
ところがあるとき、領主のもとにひどく腕の立つ護衛が二人雇われた。
その護衛にエンバは切り殺され、手下たちも次々殺された。
三人は何年も逃げ隠れしたあと、ようやくメイジア領の向こうにまで逃げて、旅人から食料や品物を奪い取って糊口をしのいでいたのだという。
ここがそのトゥオリム領である。
バルドとゴドンは、早々にガンツを出た。
二人並んで馬を進める。
と、前方からも馬で来る者がある。
三人だ。
む?
バルドは、妙なものに気が付いた。
屋根の上に人がいる。
じっと身を伏せ、前方をうかがっている。
こちらにやってくる馬上の三人を見ているようだ。
三人が通りかかると、人々は道の脇にどいて平伏していく。
領主様だ、おい、領主様だぞというささやきが交わされている。
では、あれがトゥオリム領主か。
後ろの二人は護衛なのだろう。
護衛の一人が領主の前に出た。
何かを感じ取ったのだろうか。
それにしては、三人とも歩調を変えずに進んでくる。
屋根の上の男が何かを取り出した。
弓だ!
領主を襲撃しようとしているのだ。
注意してやらねばならんかのう、と思ったが、その必要はないようだった。
護衛は、明らかに気付いている。
襲撃者が矢を射た。
襲撃者は一人ではなかった。
バルドに見えない場所にもう一人射手がいて、二人は同時に屋根の上から領主を射た。
だが、その矢が領主に届くことはなかった。
二人の護衛が空中で切り落としたからである。
ひれ伏していた人々の中から、三人が突然立ち上がって領主に駆け寄った。
それぞれ手に剣を持っている。
剣は平民の持つ物ではない。
恐らく武士なのだろう。
一人は、右手で剣を振り上げて襲い掛かった。
一人は、腰だめに剣を構えて突きかかった。
一人は、両手で構えた剣を右上に振りかぶった。
護衛の二人は、雷光のごとき剣さばきをみせた。
三人の襲撃者は、みな喉を斬り裂かれ、血を吹き出しながら死んでいった。
屋根の上の二人は、次の矢を射ようとした。
護衛の一人が投げた短剣が、射手の一人に当たり、射手はうめきながら落下した。
護衛の一人は馬を御して後ろ足で、もう一人の射手がいる家を蹴った。
家の壁と屋根が大きく揺れ、射手は足を滑らせて落ちた。
その落下する射手に護衛は剣を走らせた。
落下した射手の喉首は斬り裂かれていた。
最初の射手は、胸に短剣が刺さったまま、まだ生きている。
驚いたことに、立ち上がってその短剣を抜き、領主に走り寄った。
「せめて、せめて一太刀!」
叫びながら領主に襲い掛かったが、その願いはかなわなかった。
護衛が剣のつかで頭を殴って昏倒させたのだ。
護衛は短剣を取り返し、血で汚れた刃を襲撃者の服でぬぐってから隠しにしまった。
この様子を、領主は平然と見ていた。
いや、平然とではない。
その顔には残虐な笑みが浮かんでいる。
そして、近くにいた役人らしい男に、生き残った襲撃者を城に運ぶよう命じて、そのまま歩き去った。
バルドとゴドンの前を通るとき、ちらと二人を見た。
領主の前で下馬しない二人をとがめるでもなく、かといってあいさつを送るでもなく無視して。
護衛の二人は、バルドとゴドンのほうを見ようとはしなかった。
だが油断なくこちらの気配を探っていた。
三人が過ぎ去ると、街の人々の話し声が聞こえてきた。
「お、おい。
ありゃあ」
「おう。
ありゃあ、この前全財産を没収されて自殺した材木商のせがれじゃあねえか?」
「小さいころ貴族の家に養子にいったっていう?」
「それよ。
生みの親の復讐をしようとしたんだなあ」
「その貴族もつぶされるぞ、こりゃあ」
「また死体が増えるわけか。
まったく、なんてろくでもねえ街なんだ」
2
二人は街を出た。
山一つ越えれば、ゴザ領である。
この時刻に街を出ると、山中で野宿することになるが、そのほうがましだと思った。
それにしても、護衛二人は凄まじい手練れだった。
対人用の剣技を極めたといっていい技前だった。
ゴドン・ザルコスも、先ほどの二人の技が気になるようで、
「すごい剣技でしたな、伯父御。
伯父御なら、あの二人に勝てますか?」
と、大胆な質問をしてきた。
バルドは、
あの二人を同時に相手にしたら、勝ち目は薄かろうのう。
と、いささかはったりを利かせた返答をした。
二人を同時に相手取ったら勝ち目が薄いということは、一対一なら負けないと言っているようなものだ。
実際には、一対一でもあちらのほうが剣の腕は上なのに。
だが、実戦ならやりようはある、ともバルドは思っていた。
不思議と、あの二人が勝てない相手だとは感じなかった。
ヴェン・ウリルに会う前なら、こうは感じなかったかもしれない。
しかし、ヴェン・ウリルほどの桁外れの達人と命懸けの決闘をしたあとでは、あの二人の強さは底の浅いものにみえた。
あの二人は、襲撃を受ける前もあとも、自分たちの強さを全身から放っていた。
対して、決闘を始める前と決闘が終わったあとのヴェン・ウリルは、強さをまったく感じさせなかった。
中身のたっぷり詰まった樽は、音を立てないものである。
剣筋そのものは鋭かろうと、あの二人にはいくらでもつけいる隙はある、と今のバルドは感じている。
「それにしても、喉ばかりを切っておりましたな。
ああいう剣の流儀があるのですか」
切っ先で喉を掻き斬れば、剣を痛めずにすむ。
が、先ほどの殺し方は、そのためではおそらくない。
喉を切られた人間は、反撃する力を失うが、即死はしない。
息の漏れる妙な音を立て、苦しみもがき、血を吹き出しながら、徐々に死ぬ。
首の骨を断つほど深く斬ればすぐに死ぬが、先ほどの剣筋は、わざわざ浅く喉を斬り裂いていた。
人の苦しみを見て喜ぶ残酷な人間は、ああいう斬り方をすることがあるのう。
バルドは小さくつぶやいた。
人の良いゴドンは、絶句している。
おそらくは、あの領主の趣味なのだ。
長年それに従って人を殺している二人の護衛の心も、おそらくゆがんでいる。
7月25日「仇討ち(後編)」に続く