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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第8章 パタラポザ
174/186

第9話 選択

 1


〈だいじょうぶか?〉

〈初め一瞬だけ刺激があるが〉

〈すぐになじむはずだ〉

〈だいじょうぶか?〉


——うむ。だいじょうぶのようだ。


〈よかった〉

〈さて、どんな感じかね〉


 囚われの島のぬしの言葉はひどく明瞭に響いた。

 バルドの心は今や広く開け放たれた空間にいた。

 その向こうには相手がいる。

 そしてその気になればその相手の懐奥深く一瞬で入れるような気がする。

 また自分自身の思考も極めて明晰だ。

 一つ一つの言葉を思い浮かべるたびに、その言葉の輪郭が誤りなく紡がれていく。


〈ためしに質問してみたまえ〉


——おぬしの名は、何という。


〈私の名は……名は〉

〈なんということだ。忘れてしまったよ〉

〈しばらくたてば思い出すかもしれないがね〉

〈だが君たち人間は、私のことをパタラポザなどと呼ぶ〉


 その答えが相手の心からの真実であるということが、つながった心の通路を通じて確信できた。

 名を思い出そうとしているときのとまどいや、記憶をたどる試みが糸が切れるように途切れてしまったことも、しっかりと感じ取れた。

 なんということだ。

 この状態では、嘘はつけない。

 ついたとしても、相手に筒抜けになってしまう。


〈では試しに嘘をついてみよう〉

〈私の名前はヘンリー・ジョーンズだ〉


 たちまちその言葉は嘘だと分かった。

 言葉を紡いだ相手の意識の表層と、その奥にある巨大な記憶の森とが、まったくつながりあっていない。

 口先ででまかせに紡いだ言葉であり、しかもそのことを語った本人が自覚していることが、言葉を発するときのためらい、決まり悪さなどの感情として伝わってくる。


〈確認してくれたようだな〉

〈では、君の質問を始めたまえ〉


——では聞こう。パタラポザよ。おぬしはどういう存在なのだ?


〈いきなり難しい質問だな〉

〈私はもともと一人の人間だった〉

〈だが精霊憑きとなって力を得た〉

〈精霊憑きは分かるかな〉


——知っている。


〈ジャンは私を囚われの島に閉じ込めた〉

〈それで私の力を封じたつもりだったのだ〉

〈だが閉じ込められる前に、私はある研究を完成させていた〉

〈君は精霊がこの世ではない別の世界の住人だと知っているかな〉


——知っている。


〈私は彼らの世界に踏みこむ方法を発見したのだ〉

〈そして彼らの世界で彼らをむさぼり食ったのだ〉


——待て。一人の人間が取り込める精霊は一体ではないのか。


〈ああ〉

〈複数の精霊を取り込む方法は、その前に手に入れていた〉

〈そうやって手に入れた力があったから〉

〈精霊たちの世界に踏みこむこともできたのだ〉

〈私は食って食って食い続けた〉

〈私の力は際限なく強まっていった〉

〈だがそれでも私は慎重だった〉

〈ジャンに気付かれてはならなかった〉

〈いかに精霊を取り込んで能力を高めても〉

〈ジャンが奪って押さえている兵器の力は圧倒的だったからだ〉

〈長いあいだ、私は待った〉


——それはずいぶん長いあいだ待ったのではないか。


〈二百年だったか、三百年だったか。忘れたよ〉

〈幸い私は竜人を二人手駒にできたので〉

〈ひそかに大陸を監視した〉

〈そしてついにジャンが死んでいたことを知った〉

〈だが私はいささか慌てた〉

〈人間たちがひどく未開の状態にとどまっていたからだ〉

〈ジャンは人間たちに兵器や優れた道具類を渡さなかったのだ〉


——しかしお前はマジュヌベクのことを知った。


〈そうとも〉

〈私はマジュヌベクで何が起きたかを竜人から聞き、調査した〉

〈そしてそこでどのような兵器が用いられたかを知った〉

〈やはりジャンは兵器を捨ててはいなかった〉

〈人間たちを未開の状態に保ついっぽう、自分は圧倒的な兵器を隠し持っていたのだ〉

〈まあ、あれは壊そうと思って壊せるものではないから、たぶんそうだろうとは思っていた〉

〈だが私は安心したよ〉

〈最晩年にさえ手放さなかったのだから、結局放棄することはしなかったはずだからね〉

〈ただし簡単には手の届かない場所に隠した可能性は高い〉

〈私は慎重に調査を進めた〉

〈私自身が動いていることは隠したし〉

〈傀儡たちも表に立つことはなかった〉


——人間の国々を滅ぼしてしまえば、ジャン王の遺産への手掛かりも失われるからじゃな。


〈うむ?〉

〈いや、それはある程度調査が進んでからあとの話だ〉

〈始めのうち私は別のことを恐れていたのだよ〉

〈ジャンは死んだし人間どもは未開の状態にとどまっているとはいえ〉

〈どこかに隠された勢力があり〉

〈私がうかつに姿を現せば〉

〈そやつらが出てくるかもしれないと思ったのだ〉

〈私にはなお力が必要だった〉

〈私は精霊の世界で体を広げ続け〉

〈精霊たちを吸収してゆき、さらに力を強めた〉

〈なおも慎重に調査を進めたが〉

〈敵対勢力はいないようだった〉

〈そして私はついに動き始めた〉

〈自分自身の物を取り戻すために〉

〈バルド・ローエン〉

〈ジャンの遺産という言い方はやめてもらおう〉

〈あれはもともとジャンの物などではない〉

〈私の物なのだから〉


——そうか! お前の正体が分かったぞ。お前は〈船長〉だな!






 2


〈船長!〉

〈船長とは〉

〈この言語で聞くとまた新鮮な響きだな〉

〈だがその通りだ〉

〈私が星船の船長であり、星船に権限を持つ者だ〉

〈ジャン・クルーズは反乱を起こし、私から船を奪った〉

〈だが、バルド・ローエン〉

〈君がなぜそれを知っている〉

〈君はこのことをどこまで知っている〉


——つい先年まで精霊憑きの者が生きていたのじゃ。その精霊の知識を聞いたまでのこと。遠い世界から星船に乗ってやってきた人々が二派に分かれて争い、ジャン王の一派が勝利を収めたことをな。その精霊憑きの者は、〈船長〉はジャン王に敗れ、捕らえられ、処刑されたと言った。だが殺されてはおらなんだのじゃな。


〈私からみればそれが反乱だ、ということは君にも分かるだろう?〉


——それは、おぬしが、定められた理を破り、この地の者を虐げようとしたからではないのか。


〈いや、そんなばかな。私は彼らをむしろ保護しようとした〉

〈ジャン・クルーズのやつは、彼らを知的生物と認め、先住者として遇すべきだと言った〉

〈だが原住民たちはいずれも未開人でしかなかった〉

〈また彼らのうち多くはまったく人間とは違う価値観を持っていた〉

〈まともな相談などできる相手ではなかったのだ〉


——おぬしは、みずからが王となり、〈船乗り〉たちを貴族として、王朝を打ち立てようとしたのではないか?


〈それは否定しない。いずれにしても適度の文明を早急に築き上げる必要があった〉

〈その経過的措置としては強力な指導体制を採用することが最も適当だった〉

〈これは委員会指針にも何ら抵触するものではない〉


——ジャンが一人早く目覚めてこの地で王と呼ばれるようになっていたのを、裏切りと呼んだそうじゃな。


〈ずいぶん詳しいな〉

〈だがそれはそうだろう〉

〈やつの主義主張が正当性のあるものであるにせよないにせよ〉

〈まったくわれわれとの相談なしに勝手に現地介入を行い〉

〈現地人の政治体制に変革を加え、勝手に約束を結んだのだからな〉

〈しかもやつは施策決定に何ら資格を持たない一学者であったというのに!〉


——結局、おぬしとジャン王の対立点は何じゃったのじゃ。わしの聞いておるところでは、ジャン王は〈船乗り〉と〈眠れる人々〉と亜人たちがともに手を携えていくべきだと考えたという。おぬしたちは、〈船乗り〉が貴族になり、〈眠れる人々〉が平民になり、亜人たちが奴隷になるべきだと考えたという。心を支配するからくりを埋め込んでから〈眠れる人々〉を起こすつもりじゃったとも聞いておる。


〈その通りだ〉

〈端的にいえば乗客たちの扱いをどうするかだ〉

〈やつの考えは理想論だった〉

〈実行すればひどい混乱を招いたろう〉

〈現にみたまえ〉

〈私を封じたあと〉

〈ジャンが築いた世界を〉

〈人間と亜人たちは共に暮らしているかね〉

〈人間の国には身分や貧富の差がなく人はひとしく平等に暮らしているかね〉


——じゃが、ジャン王の考えに同調した〈船乗り〉も多かったのではないか?


〈あれは私の失敗だった〉

〈下級船員たちには〉

〈詳しく説明をしていなかったのだ〉

〈現地での統治方針や将来展望をな〉

〈だが何しろ想定される現地の状況があまりに多くの可能性を含んでおり〉

〈すべての場合にわたって施政方針を説明することは困難だったのだ〉

〈私は嘘やごまかしをしているかね?〉


——いや、しておらんのう。おぬしは話した通りのことを心から信じておる。


〈結構〉

〈君はジャン・クルーズの子孫なのだから〉

〈やつの思想に共鳴しやすいのはしかたがない〉

〈だが私の立場からすればこれが真実だったのだ〉

〈少なくともそれは理解してほしい〉


——子孫? どういうことじゃ。


〈ああ。それは知らなかったのか〉

〈霊剣と同調できる条件、つまり使い手になれる条件とは〉

〈やつの子孫であって、その精神の形がやつに極めてよく似ている、ということなのだ〉


——精霊憑きとなったジャン王には子孫は残せないはずではないか。


〈ジャン・クルーズは、精霊憑きになる前に子孫を残していたのだ〉

〈それも大勢〉

〈正直なところ、それが私がやつを強く憎む理由の一つだ〉

〈とにかく、君はジャンの子孫だ〉

〈そしてやつと非常に似通った心を持っている〉

〈君はジャンと同じような物の考え方をするはずだ〉


——わしが、ジャン王の子孫。わしが。


〈そして君の先ほどの質問に対する答えだが〉

〈私はもと普通の人間だったが〉

〈大量の精霊を吸収することで特別な力を手に入れ〉

〈しかも存在の多くの部分を精霊の世界に置いてしまったため〉

〈この世での肉体は肥大化しどろどろの肉のかたまりとなり〉

〈島を覆い尽くすほどになった存在であり〉

〈自らの物を取り返し〉

〈自分をこんな境遇に追い込んだ者たちに復讐したいと願う〉

〈一人の人間、ということになる〉


——復讐じゃと。おぬしは〈コーラマの憤怒の矢〉を取り戻して、それで何をするつもりなのじゃ。


〈コーラマの憤怒の矢だと〉

〈いったい何の話を〉

〈待てよ〉

〈ああ、そうか〉

〈マジュヌベクを消滅させた攻撃のことだったな〉

〈はははは〉

〈いや、失礼〉

〈あまりに大げさな名なので笑ってしまった〉


——おぬしはあれを何と呼んでいるのじゃ。


〈主砲、かな〉

〈笑わないでほしいのだがね〉

〈あれが主砲なのだ〉


——シュホウ、とな?


〈うむ〉

〈最も強力な武器という意味だ〉

〈敵性勢力との戦闘は考えられていなかったからね〉

〈もしも敵に遭ったら攻撃されて死ね〉

〈という思想のもとに作られているのだ〉

〈だからまともな武器はない〉

〈恥ずかしくも、あれが最も強力な武器なのだ〉


——マジュヌベクの都を一撃で消滅させたのに、まともな武器ではないというのか。


〈そうそう〉

〈あれにはなかなか詩的な名が付いていたな〉

〈こちらの言葉でいえば、光の槍、となる〉


——光の、槍。


〈そうだ〉

〈蝋燭の炎のようなものだな〉


——待て。ではおぬしが探し求めているものは、〈コーラマの憤怒の矢〉ではないのか。だとすると、いったい何を欲しがっているのだ。


〈船だよ! 星船だ。星の海を渡る船だ!〉






 3


——なんじゃと? 星船というのは、まだあるのか?


〈もちろんだ〉

〈あれは千年や二千年でどうともなるものではない〉

〈残っていることは分かっていた〉

〈ジャンだろうが誰だろうが、あれは壊せるようなものではないのだ〉

〈ただし、手の届かないような遠くに隠している可能性はあった〉

〈実際、私は竜人たちに星船を探させたが、見つからなかった〉

〈あれは城どころか街より大きい〉

〈見つけられるような場所にあるなら、見つかるはずなのだ〉

〈ということは、竜人たちにも飛んで行けないユーグのかなたか〉

〈ユーグの底か〉

〈もっと遠い場所に隠してあるのだ〉


——星船は見つけられなかったが、その手がかりは見つけたわけじゃな。試練の洞窟という。


〈あまりにも手がかりがみつからないので〉

〈私は人間たちの言い伝えを研究するようになった〉

〈その中で、試練を超えて強力な宝物を得た者たちの話が気になった〉

〈それで詳しく調べていったところ〉

〈各地に見つけたのだ〉

〈試練の洞窟やそれに類する施設をな〉


——なに? 試練の洞窟は一つではないのか?


〈一つではない〉

〈ただしその形はさまざまだ〉

〈フューザの風穴以外の施設は機能を停止させたがね〉

〈私は試練の洞窟の機械人形から〉

〈星船の呼び出し方と命令の封印とその解き方を聞き出した〉


——ほう。機械人形たちは、そんな秘密を知っておったのか。


〈そうだ〉

〈ジャンのやつは〉

〈遠い将来自分の子孫が試練の洞窟を訪れたとき〉

〈星船の秘密を伝えるよう手を打ったのだ〉

〈ただし彼らも星船がどこに係留されているかは知らなかった〉


——封印とは何じゃ。


〈こしゃくなことにジャンのやつは〉

〈星船への命令権の優先順序が書き換えられないと知ると〉

〈命令へのプロテクトをかけおった〉


——ぷろてくと?


〈こちらの命令を遮断するしくみだよ〉

〈霊剣を通してそのプロテクトを解かないかぎり〉

〈あらゆる命令は無効なのだ〉


——今さら星船を取り返して、おぬしは何をするつもりなのじゃ。世界の王となるのか。それとも……


〈そんなことには、もう興味はない〉

〈私のしたいことはただ一つ〉

〈ふるさとに帰り〉

〈私をこんな目に遭わせた者たちに復讐することだ〉

〈そのためにどうしても星船が要るのだ〉


——待て。おぬしがここに来たのは、相当昔のことじゃろう。


〈正確には分からないが、たぶん二千年を超えるだろう〉


——おぬしのふるさとからここに来るまで、どのくらいの時間がかかるのじゃ。


〈それはよく分からない〉

〈歪曲空間航法による時間のずれは〉

〈まだ完全には解明されていないのだ〉

〈だが千年以上かかったと思う〉


——では、おぬしがふるさとを出てから三千年がたっていることになる。帰り着くまでにも千年が要るのじゃろう。おぬしが憎む者たちは、もう死に絶えているのではないか?


〈だが、子孫たちが残っているだろう〉

〈やつらのすべてが復讐の対象だ〉

〈のうのうと暮らしているやつらの子孫に思い知らせてやるのだ〉

〈犯した罪の報いを受けさせるのだ〉


——星船にはそれだけの力があるのか?


〈星船にはない〉

〈あれはふるさとで作られたものであり〉

〈あれをいともたやすく破壊する兵器が〉

〈ふるさとでは開発されているだろう〉

〈だがいかに機械文明を発達させていても〉

〈今の私の力は防げないだろう〉

〈それは私のふるさとにはなかった種類の力なのだ〉

〈遠くから人の心を支配し狂わせ幻影を見せられるというのは〉

〈今や私の力は、大陸に住むすべての人間を瞬時に殺せるほどに強い〉

〈この力でふるさとの者たちを支配し殺し合わせ、滅ぼしてやるのだ〉


——じゃが、おぬしはたった一人。勝てないのではないか。仮に勝ったところで、滅ぼしてしまった国でおぬしは何をするのじゃ?


〈勝てないかもしれない〉

〈だが大きな被害は与えられるだろう〉

〈それでよい〉

〈ふるさとに帰って思う存分私の烙印を焼き付けることができれば〉

〈私はそれで滅んでしまってもよい〉

〈それが私の願いなのだ〉

〈私は嘘を言っているかね〉


——いや。おぬしの言葉は心からのものじゃ。わずかな嘘もまじっておらん。


〈結構〉

〈さて、バルド・ローエン〉


——なんじゃ。


〈これでお互い質問は終わったか?〉


——そうじゃな。


〈では〉

〈私たちは、お互いに理解し合えたわけだ〉

〈そこで、君に提案がある〉






 4


〈バルド・ローエン〉

〈私と君とはお互いに利益を与え合うことができる〉

〈君が私に提供するものは、たった一つ〉

〈星船の呼び出しだ〉

〈竜人に試練の洞窟まで運ばせるから、中継装置を通して星船を呼び出してほしい〉

〈それだけでいい〉

〈私はこの場所からでも〉

〈フューザにやってきた星船に命令をすることができるのだから〉


〈そして、バルド・ローエン〉

〈君が私から受け取るものは、数多い〉

〈まず、星船に積まれた兵器をあげよう〉

〈君はそれを使っていとも簡単にすべての人間を支配できる〉

〈むろん支配などせず、守護者になることもできる〉

〈人間の世界を見守り、不正や過ちがあり、許されざる振る舞いをする者がいたら〉

〈君はその人間の過ちを訂正することができる〉

〈君は愛する者たちを守り、愛する国を支えることができるだろう〉

〈君の信じる正義が豊かな大地を覆うだろう〉


〈それから君には、星船の搭載船をあげよう〉

〈星の(ユーグ)を渡る力はないが〉

〈大陸の上ならどこへでも一瞬で移動することができ〉

〈竜人も及ばないはるか高き空から〉

〈君は人々を見守り、罰を与えることができる〉

〈君と君の選んだ人々は、この世の神となることができるのだ〉


〈そしてまた君には、各地の迷宮の支配権をあげよう〉

〈試練の洞窟と同じような施設があと十一見つかっている〉

〈そこには叡智をたたえた機械人形たちがおり〉

〈人間たちにとっては垂涎ものの秘宝があまた蓄えられ〉

〈そしてこの地の人間や他の種族たちを治療できる設備がある〉

〈ほとんど死にかけた者でも治療できる優秀な設備だ〉

〈君の大切な人たちは、長く死をのがれ、健康で幸せに生きることができる〉


〈何より君には、若さと健康と特別な力と千年の寿命をあげよう〉

〈老いた体はつらくはないかね〉

〈若き日の尽きることのない体力と回復力がよみがえれば、とは思わないかね〉

〈あふれ出る元気とたくましい筋肉を取り戻したいとは思わないか〉

〈その願いはかなう〉

〈役目を終えた神霊を食うことによって〉

〈そうだ。君が今携えている最後の霊剣のことだ〉

〈その霊剣に宿る神霊は非常に強い力を持っている〉

〈それを食べれば君はその恩恵を受けることができるのだ〉


〈さあ、選びたまえ、バルド・ローエン!〉

〈私の提案を受け入れるか〉

〈それとも断るかを〉


——もしも断ったら、どうなるのじゃ?


〈ふむ〉

〈それは場合によるが〉

〈君には子どもはいないのだったかな〉


——おらん。


〈やれやれ〉

〈どういうわけか知らないが〉

〈霊剣の使い手は子孫を残さないことが多いな〉

〈ジャンの血筋を受けているのだから、多くの妻をめとって子どもを作りまくればいいのに〉

〈ということであれば、君はここで殺す〉

〈霊剣は、竜人としもべの人間を使って人間の世界に戻させる〉

〈そして次の使い手が現れるのを待つよ〉


——そうか。あんな村の雑貨屋などに古代剣があったのも……。


〈どこかに死蔵されたのではたまらない〉

〈多くの人の手に触れてくれないと〉

〈霊剣が同調できる人間と出会う機会も生まれないからな〉

〈霊剣と使い手は引き合うようにできているようで〉

〈目立たないが誰でも立ち入れるような場所に霊剣を置いておけば〉

〈やがて使い手が引き寄せられて来るのだ〉


——わしが死なないうちは、この霊剣は次の使い手には出会わないのか。


〈霊剣が同調する人間は、常に一人だ〉

〈一人の人間が同調することのできる霊剣もまた一本だけだ〉

〈だから君が協力を拒むなら〉

〈殺すしかない〉

〈君に子どもがいて〉

〈次々と子孫が続いていくというのなら〉

〈その一族から霊剣の使い手が出る可能性が高いから〉

〈君が自然に死ぬのを待つくらいはしてもよいのだがね〉


——船長。


〈ん?〉

〈何だね〉


——心のつながりとやらを解け。少し考えてみたい。


〈分かった〉

〈よく考え、賢明な判断をすることを期待する〉





 5


 心のつながりを解くときには、つなぐときのような衝撃はなかった。

 ただ、大きな風に体が押し流されるような感覚があり、宙に浮いた体が地に落ちてきたような気持ちになっただけである。


 心のつながりを解いた状態でも、船長は読もうと思えばこちらの心を読めるだろう。

 だがそれをこちらが感じ取れば信頼を損なうから、あえてそんな危険は冒さないだろう。

 船長は少しばかり心の距離を取り、バルドが結論を出すのを静かに見守っている。

 もっとも、思考を読まれたからといって、どうということもないが。


 バルドは考えた。

 確かに船長は、嘘を言っていない。

 約束を破るつもりもない。

 誠心誠意、心で話した通りに思い、信じている。

 船長の欲するものは星船だけであり、ほかのものは何でも譲るほどの気持ちでいる。

 またこの地の人間や他の種族の運命にまったく興味がないというのも、その通りだ。

 バルドに提供すると言っている物の価値も、まさにその通りだ。

 船長は、星船さえ得られるなら、ほかの何を犠牲にしてもよいと考えている。

 心の底からそう思っており、その約束を守るという強い決意が、交渉の鍵となると思っている。


 船長の提案について考えてみる。

 船長は星船に乗ってふるさとに旅立ち、そしてもう帰って来ない。

 ここの大地には何の愛着も未練もないのだ。

 ふるさとに帰って、できるだけの大暴れをして、そして死ぬ。

 確かにそれが船長の願いであり、嘘はない。


 いっぽう、船長が提供すると言ったものは、どうか。

 星船の搭載船というのは、小型の星船のようなものなのだろうか。

 それがあれば、空が飛べるらしい。

 バルドは竜人に連れられて体験した最初の飛行を思い出した。

 あれは素晴らしい体験だった。

 少し寒かったし風がきつかったが。

 あんな思いはせず、楽々と諸国の空を飛べるとしたら。

 それはなんと胸はずむ体験だろうか。


 兵器というようなものにはあまり興味はなかった。

 だがそれがあれば、フューザリオンが、パクラが危機に陥ったとき、助けることができる。

 そのような兵器を持った者がいるということで、無用の戦争を抑えることもできるかもしれない。

 使い所は難しいが、うまく使えば多くの人民の安寧を守ることができるだろう。


 試練の洞窟と同じようなものがあと十一あり、その全部の支配権を譲ってくれる、というのも少し心が動く。

 どんな武具や薬や知識が眠っているのだろう。

 あのステシル始め機械人形たちは、バルドの左腕をまたたく間に治療し、ザリアの傷や疲労もわずかな時間で治してしまった。

 その医術があれば、どれほどの命が救えるだろう。

 生まれた子どもたちがみなすくすく育つようにさえできるかもしれない。

 それは、よいことだ。


 そしてまた、若さと健康をくれるという。

 それはなんと魅力的な提案か!

 この老いさらばえた体が、若さとたくましさを取り戻すのか。

 そして千年に及ぶ寿命だと!

 千年といわず、もうほんの少し命が続けば。

 バルドラントの行く末を見守ることができる。

 フューザリオンの将来を見届けることができる。

 あの夢見が本当のこととなるかどうかを見届けることができる。

 それはなんと胸はずむ可能性か!


 だが。






 6


 バルドは物欲将軍のことを思い出していた。

 あの男は、何百年もの時を生きてきた。

 バルドたちが殺さなければ、まだまだ何百年も生きただろう。

 だがそれはあの男に幸せをもたらしたのか。

 あの男の周りの者たちに幸せをもたらしたのか。


 いや。


 長命はあの男にとって呪いだった。

 血は黒くにごり、味覚は失われ、生きることに疲れ果てても倒れることも安らぐことも許されなかった。

 人生を味わい、楽しみ、人と喜びをともにすることは許されなかった。


 生きるとは何だ。

 死ぬとは何だ。


 人は死ぬまで生きる。

 死ぬことが決まっているからこそ、命は限りなく尊い。

 尊く、そして愛おしい。

 命に限りあるからこそ、人は喜びを分け合い、わずかな時間をともにできることを感謝する。


 生きるとは、物を食う、ということだ。

 ゴドン・ザルコスと共に旅した日々を思い出せ。

 あの楽しかった野営を思い出せ。

 バリ・トード司祭と、ザイフェルトと、シャンティリオンと食べた、あの騎士魚。

 ゴドンと、カイネンと、ユーリカと食べた、あの黒海老。

 ゴドンと、ジュルチャガと食べた、あのコルコルドゥル。

 ゴーズ・ボアや、ザイフェルトや、キリー・ハリファルスたちと酌み交わした、冷えたエール、焼きたての牛のあばら肉。

 ゴドンと、カーズと、ドリアテッサと、ジュルチャガと共に過ごしたあの滝のほとりでの食事の数々。


 なんと楽しく、うまかったことか!

 大陸を支配するほどの力を得れば、騎士魚もコルコルドゥルも牛のあばら肉も、いくらでも手に入るだろう。

 だがそこに、あのうまさが、楽しさがあるか?

 ザイフェルトもキリーもゴーズ・ボアも、そしてゴドンもカイネンもユーリカも逝ってしまった。

 もう彼らと食事を共にすることはない。

 ということは、あのうまさは二度と訪れないのだ。

 しかしだからこそ、あのときの思い出は尊い。


 彼らは生きていくための戦いを終え、今はパタラポザのもとに安らいでいる。

 こんなまがい物ではない真実のパタラポザのもとで。

 生きるとは喜びで、死とは安らぎなのだ。

 いつか訪れる安らぎを信じ、人は苦しくせつない今日を生きる。

 生まれるということが祝福であるなら、死ぬということもまた祝福であるにちがいない。

 どちらもかけがえのない、ただひとつの命の出来事なのだ。

 死を厭うということは、生をゆがめることなのだ。


 申し出を断れば、船長は自分を殺す。

 だが大陸中の人間が殺し尽くされる、というようなことはないだろう。

 あの大陸は船長にとり、金の卵を育む揺り籠のようなものなのだから。

 たまに揺さぶるようなことはするかもしれないが、中の卵を壊してしまうようなことはしない。

 百年か二百年かに一度魔獣の大襲撃があるとは許し難いことだが、どうしようもない。

 今の自分にはそれを押しとどめる方法はない。

 いずれそれを防げる人間が現れることを祈るばかりだ。

 今の自分にできることはただひとつ。

 目の前の恐るべき破局を回避することだけだ。


 バルドは、心を決めた。






 7


——船長。


〈おお〉

〈考えはまとまったか〉


——うむ。船長、もう一度心をつないでくれ。


〈いいとも〉

〈よし。つながったぞ〉

〈さあ、答えをきかせてもらおう〉


——その前に、いくつか訊き忘れたことがあった。魔獣というのは、結局何なのじゃ。なぜ魔獣などというものができてくるのじゃ。いや、狂った精霊が獣に取り憑くと魔獣になるということは知っておる。なぜ精霊が狂うのか、そこが分からんのじゃ。


〈それは私にも分からない〉

〈魔獣が出現したのは〉

〈私が囚われの島に閉じ込められ、力を蓄えていたときのことなのだから〉

〈なぜ精霊が狂いだしたのか、それは私も知らないのだ〉

〈ただ、思うに〉

〈種としての寿命のようなものなのではないだろうか〉


——種としての寿命じゃと?


〈そうだ〉

〈精霊の寿命は何百年もある〉

〈寿命が尽きればいったん消滅するが〉

〈精霊の世界で新たな力を得て〉

〈再びこの世に姿を現す〉

〈しかもそのときには、以前の記憶を引き継いでいるのだ〉

〈何万年もの記憶を持ち続けるというのは、どういうことなのだろう〉

〈その記憶の重みに耐えかねて狂ってしまった〉

〈というようなことではないかと推測している〉

〈本当のところはどうなのか分からない〉

〈ジャンは学者だったのだから〉

〈こういうことは私より詳しかったと思うが〉

〈ジャンにも原因は突き止められなかったようだ〉


——ふむ。なるほどのう。結局、魔獣が生まれるわけは分からんのか。残念じゃ。あと一つ。ジャン王はなぜおぬしを囚われの島に押し込めた? なぜ殺さなかったのじゃ。


〈それは私たちのふるさとの法に従ったのだろう〉

〈私たちのふるさとでは、捕らえた敵や罪人を殺すことをやめて久しい〉

〈命は、つまり個々の個性は、決して人の手で再現できないからだ〉

〈だから人が人の命を奪うということは忌避される〉

〈戦争で死ぬならともかく、捕らえてしまった私は〉

〈こうして離れ小島に隔離でもするしかなかったのだろう〉


——おぬしの仲間たちはどうなった。やはりどこかに押し込められたのか。


〈……仲間たちは〉

〈戦いに敗れたあと〉

〈ジャン・クルーズに従う道を選んだようだ〉

〈各地の迷宮の最初のマスターとなったのも、調べてみたところ〉

〈もとは私の仲間たちだった者たちだった〉


——おぬしはこの大地に来たくなかったようじゃのう。ふるさとを離れたくはなかったのじゃな。なぜ船長になったのじゃ。


〈罠にかけられたのだ〉

〈私の力を恐れた者たちが〉

〈私を罠にかけ〉

〈移民船の船長を引き受けるほかない状況に〉

〈追い込んだ〉

〈移民船の船長や船乗りになることは〉

〈自己犠牲を伴う尊い仕事といわれていたのだ〉

〈罪人たちを新世界に導く役割なのだからな〉


——罪人じゃと?


〈そうだ〉

〈星船の乗客たちは〉

〈罪を犯した者たちだ〉

〈私たちの世界には死刑がなかったから〉

〈記憶と知識を奪って〉

〈星のかなたに捨てたのだ〉


——ほう。そういえば、もう一つ訊きたいことがあった。ルグルゴア・ゲスカスの心におぬしは命令を焼き付けていたのではないか。例えば竜人ウルドルウを殺すことも、殺させることもできないという命令を。


〈君は何度も私を驚かせてくれるな〉

〈だがその通りだ〉

〈そのことをルグルゴア・ゲスカスが話すことも禁じていたのだがね〉

〈いったい君はどうやってそのことを知ったのか〉

〈状況から推測したのだろうな〉

〈君はますます素晴らしい〉

〈君ほど理知的な人間が使い手となったことを〉

〈私は神々に感謝するよ〉


——ルグルゴアは長年おぬしに仕えたのであろう。ルグルゴアと竜人ウルドルウ、それに竜人エキドルキエが死んだことは、おぬしには痛手であったのではないか。


〈私が目覚めたとき、ウルドルウとエキドルキエとルグルゴア・ゲスカスの全員が死んでいることが分かった〉

〈つまり私が人間世界に置いていた幹部全員がだ〉

〈私は衝撃を覚え、強い不安を感じた〉

〈眠っているあいだに、何か致命的なことが起きてしまったのではないかとね〉

〈試練の洞窟の機械人形から得た情報で君がエキドルキエを殺したとわかったときは〉

〈非常に驚いたものだ〉

〈またパルザムとゴリオラに置いた傀儡から〉

〈君が二度にわたりルグルゴア・ゲスカスと戦ったと知ったときには〉

〈私はがらにもなく仰天したよ〉


——パルザムとゴリオラに置いた手下から知ったのじゃと。シンカイには手下は置いていなかったのか。


〈シンカイには傀儡を置かなかった〉

〈それはルグルゴア・ゲスカスとの約定の一つだったのだ〉


——ルグルゴアには、わしを殺さないように縛りをかけてはいなかったのだな。


〈いや〉

〈最後の霊剣の使い手には手を出さないよう〉

〈命令を埋め込んでいたのだ〉

〈どうやってか彼はその裏をかく方法をみつけたのだろうね〉

〈もっともその命令を彼に書き込んだのは〉

〈君という個人を特定できる前のことだから〉

〈命令は不十分ではあった〉


——最後の霊剣の使い手には手を出さない、じゃと。じゃがしかし、やつは確かにわしを殺そうとした。……いや。


 バルドは驚きに打たれていた。

 物欲将軍はバルドを殺そうとしていた。

 最後の瞬間にまで攻撃を加えようとした。

 だが実はバルドを殺せないような命令が心に書き込まれていたのだとすると。

 そのことを物欲将軍自身がよく承知していたのだとすると。

 すべては違ってみえてくる。


——もしやルグルゴアには、自殺を禁じていたか。


〈うん?〉

〈ああ〉

〈禁じていたな、そういえば〉

〈それがどうかしたかね〉


 やはり、そうだった。

 すると。

 すると。

 やつの行動は。

 まさか。

 しかし、分からない。

 本当のところはどうだったのか、分からない。

 今となってはそれは知りようもないことだ。


〈どうやって彼が私の裏をかいたのか〉

〈興味がなくはないが〉

〈今やそんなことはたいした問題ではない〉

〈ともかく君は無事で生き残ってくれた〉

〈それだけでじゅうぶんだ〉

〈ところが活性化した霊剣の気配は確かに感じられるのに〉

〈どうしても位置が特定できない〉

〈あれはヤナの腕輪と呼ばれている器具の働きだったのだろうね〉


——そうじゃ。わしはその秘宝をマヌーノの女王から託された。


〈そんな物をマヌーノの女王が持っていると知っていたら〉

〈あらかじめ取り上げておくのだったのだがね〉

〈まあ、バルド・ローエンがフューザリオンにいるということは〉

〈すぐに分かったので〉

〈人間の傀儡をフューザリオンに向かわせた〉

〈ところが君は旅に出たという〉

〈私は何人もの傀儡をパルザムの王都や〉

〈そのほかの場所に差し向けるところだった〉


——その必要はなくなったわけじゃな。


〈その通り〉

〈君はみずからの居場所を明らかにし〉

〈私の招待に応じてくれたのだからね〉

〈さあ、もうよかろう〉

〈答えてくれ、バルド・ローエン〉

〈承諾か、拒否か〉







 8


——ふふふ。星船の搭載船に兵器か。それに迷宮の機械人形と道具類か。


〈そうだ〉

〈この星にはあるはずのない、最高の財産だ〉

〈至宝、といっていいだろう〉

〈何よりも価値のあるものだ〉


——教えてくれ、船長。それは食えるのか?


〈なに?〉


——それは、うまいのか?


〈何のことだ?〉

〈何を言っている?〉


——辺境のガンツで食べたコルルロースの内臓の煮込みは、それはうまかったぞ。わしなら、空を支配できる船よりも、あれを選ぶのう。


〈搭載船を得れば、どんな食べ物も自由に手に入る〉

〈それが分からない君ではあるまい〉


——おお、そうじゃ! ロードヴァン城であの夜飲んだ、牛の尻尾のスープも最高の美味じゃった。わしなら、街を消し飛ばせる兵器よりも、あれを選ぶのう。


〈それは結構〉

〈迷宮の力を手に入れれば〉

〈そんなものは千でも万でも得ることができる〉


——そうか。千でも万でも得ることができるか。じゃがのう、船長。


〈何かね〉


——同じ食べ物でも、ひどくうまく感じたり、味気なく感じたりすることがあるのを覚えておるか。


〈味覚は、体調や精神状態にも大いに左右されるものだ〉

〈健康な体を得れば〉

〈君は今以上においしさを感じることができるだろう〉


——なるほどのう。健康さえも自由にできる力か。


〈そうだ〉

〈君は〉

〈この星における絶対者になれるのだ〉


——船長。教えてやろう。何かを食べてうまいと思うその気持ちはな。命のはかなさをかみしめることからくるのじゃ。何もかもを得られる力や、誰をでも支配できる力を得た者は、命のはかなさをかみしめることはできまい。うまさを共にする友を持つこともできまい。


〈……〉


——うまい、という言葉の意味を覚えておるか? おぬしが最後に物を口から食べたのは五百年前か? 千年前か? 目も鼻も口も肉体の感覚のすべてを失い、ただ怨念だけを糧として生きるおぬしに、食べるということの素晴らしさが分かるか? 食べ物を体が受け入れ喜ぶその喜びが分かるか? 分からんとすれば、それは生きるということが、命ということが分からんということじゃ。そのような者との約束に何の価値があろうか。


〈こ、この野蛮人め!〉

〈もう少し知性のある男と思ったが〉

〈星船とその中にある物は叡智の結晶なのだぞ〉

〈そこには人類が長い年月と膨大な人手をもって築きあげた〉

〈文明の精華が詰まっているのだ〉

〈その素晴らしさを知りもしないくせに!〉


——船長。


〈む?〉


——たしかにおぬしは、星船さえ手に入れれば、何もせずにここを立ち去るつもりでおる。


〈当然だ〉

〈その条件でなければ君は星船を渡さないだろう〉

〈この星が栄えようが滅びようが〉

〈私にはどうでもよいことなのだ〉


——そうじゃ。おぬしはそう思っておる。心の底からそう思っておる。じゃがな。


〈何だ〉


——実際に星船を手に入れて、この大地を飛び立ち、はるかな空からこの大地を見下ろしたとき、おぬしは何と思うかのう。千年のあいだおのれの牢獄となったこの大地を見て、おぬしの心にはどんな思いが湧いてくるじゃろうかのう。憎い。消し飛ばしてしまいたい。そう思いはせんか。憎しみ合わせ、殺し合わせ、絶望のうちに滅ぼしてしまいたい、とそう思いはせんか。


〈うっ!〉


 船長は動揺していた。

 バルドの言葉を聞きながら、その場面を想像して、自分の心に湧いた思いを見つめて、動揺していた。

 バルドの言う通りだった。

 そのときになったら。

 この星のくびきを離れたら。

 この星もそこに住む人々も、憎くてたまらなくなるだろう。

 まさにバルドの指摘した通りのことをするだろう。

 そう気付いたのだ。


 そして船長がそう気付いたことを、バルドも知った。

 心と心をつないでいるのだ。

 ありありとバルドにはその憎しみと破壊の欲求が伝わってきた。

 バルドにそれが伝わったことを、船長も知った。

 つまりもはや交渉の前提となる約束の真実性が失われたことを、互いに知った。


——なんという強い憎しみじゃ。おぬしは心の底ではこの地の人間すべてが憎うて憎うてならなんだのじゃなあ。じゃがのう船長。かりにおぬしの心からこれほどの憎しみが湧き出てこなんだとしても、同じことじゃ。星船をおぬしに渡すわけにはいかん。星船を引き寄せおぬしに渡すということは、この大地の生き物すべての命をおぬしに委ねるということじゃ。命のはかなさと美しさを忘れ、命を尊ぶ心を捨ててしまった者にそのような力を与えることは絶対にできぬ。これがわしの答えじゃ。


 今やバルドは船長の思惑には決して従わない、という決意を固めていた。

 たとえ愛する者たちすべてを人質に取られ、星船を呼ばなければこの者たちを殺す、と脅かされたとしても、決して船長の言うことは聞かないという決意である。

 この強い拒絶は、当然ながら船長にも伝わった。

 船長からは、強い怒りの念が伝わってくる。

 バルドは、ぐらぐらと煮え立つ湯の中に放り込まれたかのような感覚を覚えた。


〈残念だ〉

〈実に残念だ〉

〈長き時間を費やして調えた交渉は〉

〈失敗に終わった〉

〈君は私自身気付かずにまとっていた心の衣を脱がせてしまったから〉

〈もう私は君と信頼し合うことができない〉

〈しかも君が私の心の奥底にあるものを暴き出してしまったから〉

〈私は霊剣の次の使い手に同じ手を使うことができない〉

〈残念だ〉

〈実に残念だ〉

〈バルド・ローエン〉

〈私は君が憎い〉

〈私は君を絶対に許さない〉

〈さて〉

〈死ぬ用意はいいかね?〉







5月10日「精霊」(第8章最終話)に続く

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― 新着の感想 ―
[一言] 久々につらつらと辺境の老騎士に思いを馳せていたら、ふと思いついたのですがバルドが船長自身が気付いていなかった心の衣を剥ぎ取れたのは、恋歌(後編)で自分の心の奥底と向き合ってヴォーラ・テルシア…
[一言] この噺だけは4つ以上に分けたほうが、いいような気がする。
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