第2話 にせ者(後編)
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「正義と真実の神ヤンエロの名のもとに宣言する!
この公開裁判の場では、いっさいの嘘や隠し事は許されない。
誓いを破る者は、ポール=ボーの雷に打たれるであろう!
さて、ではルマナ領主オルダー卿の立ち会いのもと、審理を開始する。
最初の証人、前へ」
と大きな声を張り上げているのは領主代理その人である。
「はい。
私は、領主様のお館で執事をいたしておりますヤーウェスでございます。
四日前のことでございます。
領主様と領主代理様は夜遅くまでお酒を召しておられました。
私はふと、出入り者から聞いた話をお伝えしたのです。
バルド・ローエン卿が今夜この街のガンツにお越しであると。
領主様は大変お喜びになって、すぐにお連れするよう命じられました。
夜遅くですからご迷惑でしょうと、私はお止めしたのです。
しかし明日にはお立ちかもしれないからと領主様は申され、私が使いに立ってバルド様をお迎えしました。
その後私は下がらせていただいたのですが、大きな物音がしたので起きました。
領主様のお部屋に行ってみますと、なんとしたことでしょう。
領主様とバルド様が、それぞれ手に剣を持ってお倒れになっておられました。
その場には領主代理様もおられ、私に薬師を呼んで来るようにと命じられました」
ここで領主代理が話を引き取った。
「うむ。
その間のことは、私が補足する。
領主様とバルド殿の酒宴は続いたので、私は先に休んだのだ。
だが争う気配がするのでガウンを羽織って駆けつけたところ、領主様が血を流して倒れていた。
バルド殿の右手に握った剣は血まみれだった。
私は事情を察し、バルド殿を後ろから花瓶で殴って気絶させたのだ。
そこに執事がやって来たので、薬師を呼ぶように命じた。
そのあとのことは薬師から証言せよ」
「は、はい。
薬師のエイシスです。
駆けつけて診察しましたところ、領主様はすでに事切れておられました。
心の臓へのひと突きが死因と思われます。
バルド様は気を失っておられましたが、命に別状はありませんでした」
「薬師エイシス」
「は、はい」
「領主様の手には剣が握られていたな」
「は、はい」
「その剣に血は付いていたか」
「いえ。
付いておりませんでした」
「バルド殿の手には剣が握られていたな」
「はい。
バルド様は剣を握っておられました」
「その剣に血は付いていたか」
「剣の先にべっとりと血が付いておりました。
しかし」
「もうよい。
以上の証言から、領主様を殺したのはこのバルド・ローエン卿と名乗る男だと考えられる。
では当人の言い分を聞こう。
猿ぐつわをはずせ」
「お、俺は。
俺は、殺してない。
領主様と話をしてたら、突然頭をがんとやられて。
気が付いたら剣を握らされて、領主様が死んでたんだ」
「いいや、お前だ。
よいか。
お前の頭を殴ったのは私で、そのときにはもう領主様は倒れていたのだ」
「う、嘘だっ」
「嘘だと。
貴様こそ嘘のかたまりではないか。
では訊こう。
バルド・ローエンと名乗る男よ。
貴様の騎士叙任の導き手は誰だ。
そのとき、どの神のもとに誓いを立てた。
そして何に忠誠をささげた。
さあ!
お前がバルド・ローエンだというなら答えてみよ」
「そ、それは……」
「答えられまい。
にせ者め。
おおかた、にせ者であることを見抜かれて殺害に及んだのだろう。
さて!
以上の審理により、領主様殺害の犯人は明らかとなった。
だが、今日の裁きを公開としたのは、このことのためだけではない。
これからの領主をどうするかが問題だ。
周知のように、前領主のご子息はクラースクで騎士修業中である。
その騎士修業を中断させるわけにはいかない。
だからこの私が臨時の領主に就くのがよいと思う。
もちろん、ご子息が騎士となって帰られ、しかるべき経験を積まれたら領主の座は譲り渡す。
この点について、この街の人民と、近接領の領主であられるオルダー卿にご承認いただくため、この裁判を公開としたのだ!」
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なるほど。
そんなたくらみがあったのか。
だから公開にしたのか。
人民に問う、というのは建前としては非常に筋が通っている。
また、この街にはこのことを承認できる有力な騎士がいないとなれば、隣接領主を呼んだのも分かる。
お笑いぐさの裁判ではある。
なにしろ、状況からすれば当事者ともいうべき領主代理が審理を執り進めて裁定まで下すのだ。
なんとでも自分の都合のよいように裁判を組み立てられるだろう。
ここに詰めかけた民衆のほとんどが、審理の内容にいぶかしさを感じているはずだ。
だがそのいっぽうで、はっきりと領主代理が犯人だろう、ともいえない。
そういう証拠はないからだ。
また、この審理に不満や批判を漏らしたら、その者はひどい目に遭わされるだろう。
領主代理は今まさに領主になろうとしている。
この街で暮らしていく以上、その権力からは逃げられない。
となれば、この場で反対意見など出せるものではない。
ああ、そうか。
それで領主殺害事件の審理と次期領主選定を抱き合わせにしたのか。
なるほど。
うまいやり方だ。
恣意的で力ずくの裁判だが、辺境の独立領で権力者が行う裁判など、こんなものだ。
そこでは貴族による無法無道がまかり通る。
大陸中央と違い、辺境では独立領というのは本当に独立独歩だ。
小さな街であっても領主は最高権力者で、その上には何もない。
そんな状態で長年過ごせば、こんな力ずくの裁判も当たり前に思えるのだろう。
ただしこんなやり方をすれば、民衆の信頼は失う。
民衆の信頼を失えば、徐々に腐っていくほかない。
この男はそんな将来のことなど気にもしていないのだ。
当面を乗り越えられさえすれば、それでよいのだ。
この男はそれほど追い詰められている。
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「オルダー卿。
ご異存がおありですか」
「……いや。
ない」
いささか渋そうに、隣接領主が答えた。
それはそうだろう。
この場のいかがわしさは感じられたはずだ。
だが裁定をひっくり返すほどの材料はない。
となれば、隣接領との関係を壊さないためにも、ここは承認しておくしかない。
「では参集した者たちに訊く!
この裁定に異存のある者は申し出よ」
場がしんとした。
声を発する者はない。
「ないな。
では……」
「異存あり!」
裏返りそうな甲高い声を発して、語り部の男が手を上げた。
皆の視線が集中する。
語り部の男は、震える足で前に進み出た。
「なんだ貴様は。
この街の者ではないな。
では裁定に口を挟む筋合いは」
「あるぜ!
公開裁判は、天下万民に正邪を問うものじゃねえか。
たとえ通りがかりの旅人にだって、正義を口にする資格はあらあな!
真実の神の名のもとによう」
おお。
なかなかよい滑り出しだ。
「だいたい、何だってんだい?、
さっきから聞いてりゃあよう。
バルド様の導き手だとう。
そんなのはパクラのエルゼラ・テルシア様に決まってるじゃねえか。
誓った神さんだとう。
そんなのはパタラポザ様に決まってるじゃねえか。
忠誠を捧げた相手だとう。
おうおうおう!
バルド・ローエン卿といえば〈人民の騎士〉。
忠誠を捧げた相手は人民さね。
そんなこたあ、子どもでも知ってるってことよ。
ただ猿ぐつわを長いことかまされてたのと、いきなり訊かれて動転なさったから答えに詰まっただけじゃあねえか。
そもそもそのおかたがにせ者だったからって、それで領主様を殺したってことになんのか?
ちょっとばかし話が飛んじゃあいませんか、ってんだ」
うむ。
しゃべりだすと調子に乗るたちのようだ。
足の震えも止まっているではないか。
「おいよ、ご一同様!
この裁判、おかしいとは思わねえかい。
第一、一番肝心の証人が呼ばれてねえや!」
「なにっ?
一番肝心な証人だと。
それは誰だ」
「嬢ちゃん。
出て来な!」
バルドの後ろに隠れていた少女が姿を現した。
そして前に進み出ていく。
その足は震えているが、すぐ後ろに付き従うバルドの存在が勇気を与えている。
少女に気付いた領主代理が目を見開いた。
そして何かを口にしようとしたが、その機先を語り部が制した。
「この嬢ちゃんは領主館の小間使いさ。
四日前の夜は、領主代理様の世話係だった。
嬢ちゃん。
あの夜何があったか、言ってみな!」
「あ、あの。
領主様のお館で小間使いをしていますコリルです。
あの夜、大騒ぎになって、薬師様とかも来られて。
それで薬師様がお帰りになったあと、領主代理様が部屋にお戻りでした。
ガウンを脱いだその下の服は、ち、血まみれになっていて。
その、その血まみれになった服を領主代理様はあたしに渡して、人に知られず処分しておけって。
このことについては絶対秘密だ。
しゃべったら、こ、殺すって。
それから領主代理様は懐から短刀を出して、机の引き出しにしまわれました」
「よく言ってくれた、お嬢ちゃん。
さて、もう一人、話を聞かなくっちゃならない人がいる。
薬師の先生!」
「何かな」
「先生、さっき言いかけなさったよね。
バルド様の剣では、何だってんだい?」
「うむ。
バルド様の剣はあの傷を作るには大きすぎる。
もっと細い剣で刺された傷のように思うのだ」
「そうかい。
その刺した剣てのは、これくらいの太さじゃねえかい」
と言いながら語り部は懐から鞘付きの短剣を出した。
立派な飾りのついた短剣だ。
そしてその短剣を抜いた。
近寄ってみれば、その剣身に赤みがかった黒色のしみが付いているのが分かるだろう。
「うむ。
その細さなら納得できる」
「ありがとよ、先生。
さあ、ご一同!
お聞きの通りだ。
この短剣はどこにあったと思う?
この立派な飾りは何の飾りだと思う?
これは領主家の家紋だよ。
領主代理様の机の中から出てきたんだよ!」
ここは、どうして領主代理様の机の中にあった物をお前が持っているのか、という指摘が欲しいところじゃがのう、とバルドは思った。
だが居合わせた人々は、もうそんな細かいことは気にしていないようだ。
ちなみに短剣を盗み出してきたのはカーズだ。
警戒厳重なライド伯の城にさえやすやす忍び入ったほどの男だ。
田舎の領主館に侵入するなど造作もない。
「き、貴様!
まさかわしが犯人だとでもいうのか。
わしが領主様を、義兄上を殺さねばならぬどんな理由があるというのか!」
「よくぞお訊きくださいました、ってね。
ここで最後の証人ご登場、っとくらあっ」
語り部が調子よく二度手を打ち合わせた。
カーズが自分の前の男の頭巾を外した。
その男はカーズに押し出されるように前に歩いて行く。
マントの上からでは分からないが、上半身はぐるりと縄で縛られている。
捕まるとき、よほどカーズに恐ろしい目にあわされたのだろう。
おとなしいものだ。
領主代理の顔が真っ青になった。
「お、お前は」
「このおかたは徴税官殿さ。
領主代理様は税金を使い込んじまった。
その穴埋めに徴税官殿とぐるになって、ありもしねえ税金を勝手に集めてた、って寸法よ。
けれど来年になって領主のご子息が騎士になって帰って来て、領主になったらどうなる。
悪事がばれちまう。
そこでいっそ自分が領主になっちまえ、と考えたわけさね。
てやんでえ!
これがこの事件の真相ってやつよ。
恐れ入ったかい、こんちくしょう!」
「り、領主代理様。
駄目です。
帳簿を押さえられました」
「く、くそっ。
衛視隊!
このくせ者どもを捕まえよっ。
い、いや。
殺してしまえっ」
逆上してくれたようで助かった。
実のところ冷静に対応されたら詰めに困ったところだったのだ。
衛視隊が二十人ほどいるうちの半数ほどが領主代理の命令に従った。
つまり半数ほどが領主代理の息が掛かっていたわけだ。
剣を抜いて殺到する衛視たち。
語り部の男は、先ほどまでの威勢の良さはどこへやら。
ひいっ、と悲鳴を上げて両手で頭を押さえてうずくまった。
だが何の心配がいるだろう。
こちらにはカーズ・ローエンがいるのだ。
襲い掛かってきた衛視たちの剣すべてを、目にも止まらぬ速さでカーズは打ち落とした。
いや。
斬り落とした。
十人の衛視たちを一瞬で手玉に取った神速と、剣で剣を斬るという前代未聞の神業に、誰もが声を失った。
沈黙を破ったのは年配の衛視の声だった。
この男が衛視長なのだろう。
「領主代理殿を取り押さえよ」
その命令に従って二人の衛視が領主代理を取り押さえた。
領主代理はわめいたが、すぐにおとなしくなった。
領主代理にとっても、事は一世一代の大ばくちだったのであり、それが敗れて呆然としているのだろう。
この人物ならと見込んだのか、セトがつかつかと走り出て、衛視長に裏帳簿の束を渡した。
衛視長は、隣接領主に頭を下げて言った。
「オルダー卿。
衛視長のガンクルド・ヤバンであります。
このたびは、まことにお見苦しいところをお見せし、申し訳ございません。
当家は、ただちにクラースク領に連絡を取ります。
おそらくは、若の修行年限を短縮して騎士叙任を済ませ、早急に領主にお立ちいただくことになるかと思います。
今回の事件につきましては、新領主がご就任になられてから、その判断のもとであらためて審理することになるかと思います。
そのむね、ご承認いただきたくぞんじます」
「うむ。
ガンクルド殿。
それがよいな。
それならわしも納得できる」
「ありがとうございます。
別室にお食事の準備ができておりますので、どうかご移動ください」
ここで語り部が口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと。
ちょっとだけお待ちください、オルダー卿様!
あなた様に、一つお願い事がございますんで」
「おう、おぬし。
なかなかの活躍じゃったな。
見事じゃ。
願いとは何か」
「はい。
この嬢ちゃんなんでございやす。
この嬢ちゃん、身寄りがなく、一人で働いて身を立ててるんですが、今回のことで領主代理様に恨みを買っちまいました。
領主館には、領主代理様の息のかかった野郎どもも、たくさんいると思うんでさ。
このお嬢ちゃんを、当分のあいだオルダー卿様の所で預かっていただくわけにはいきませんでやしょうか」
「……ほう。
うむ! 見事。
それは行き届いておる。
よいとも。
娘よ。
この街に友達縁者もあろうから、ずっととはいわぬ。
新領主が決まり、今回の結末が付くまででも、わしの所に来ぬか。
ガンクルド殿。
それでよいだろうか」
「はっ。
これはこちらも気が付かないことで失礼しました。
娘。
それでよいか」
「は、はいっ。
お、お願いしますっ」
こうしたやり取りを聞きながら、バルドたちは静かに退散していた。
そのあと隣接領主が語り部に何か質問をしていたようだが、それは聞き取れなかった。
9
三人は再びメイジア領に向けて馬を進めていた。
バルドは考えていた。
実にひどい裁判だった。
証拠も理屈も正義も何もあったものではない。
だが、あれで通用するのが辺境の独立領というものなのだ。
あれが大きな国の中の一都市ということになれば、周囲の目もあるし、国からの監視もあるから、あそこまでのむちゃはできない。
では大きな国になれば不正や無道はなくなるかといえば、そうもいえない。
国が大きくなれば腐敗も進む。
強い権力を持った者は、自分の縄張りの中では好き勝手をするようになる。
いったい、公平な裁判、などということが可能なのだろうか。
クラースクの街では、それに近いことが行われている。
しかしそれも、領主や役人という強い権力が庶民の罪を裁くという限りにとどまる。
もしも大きな役所の長や領主その人が悪意をもって無道を行えば、それをただす道はない。
今まで、法とか裁判というものはそういうものだと、バルドは思っていた。
つまり上に立つ者の心の正しさに依存するものなのだと。
だが、そうなのだろうか。
今回の茶番劇を見て思った。
誰がみても明らかにおかしいことが行われているとき。
発せられてよい当然の質問さえ封じられているとき。
そのゆがみをただすための方途というものは、まったくないものなのだろうか。
「法を作り、上も下もがそれに従う、ということが公正の基なのかもしれませんね」
バルドの思いを酌み取ったかのように、セトがぽつりとつぶやいた。
「そしてそれが正しく行われているかを監視する役職を作る。
今すぐにはとてもできませんが、いつかフューザリオンに、法と法を守る役職を作りましょう」
バルドは静かにうなずいた。
そしてバルドたちは旅を続けた。
旅のあいだじゅう、あの不気味な声が聞こえては消えた。
〈バルド・ローエン〉
〈バルド・ローエン〉
4月10日「駆け落ち(前編)」に続く