第10話 悪夢の繰り手(後編)
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〈初めの人間〉の遺産とはどんな大きさでどんな形をしていて、どこにあるのじゃ、とバルドは訊いた。
「形も大きさもどこにあるかも、わしは知らん。
どこにあるかは〈あるじ〉も知らん。
誰も知らないのだ。
だから霊剣だ。
七本の霊剣には、それぞれ神霊獣と呼ばれたものが封じられている。
遺産には七体の神霊獣の精神波長が登録されているのだ。
霊剣と同調しその力を解放できる者は、霊剣の力を借りて遺産に命令を発することができる。
その命令はおそろしく遠くから届く。
だが今遺産は常世の闇の果てにあるかもしれんからな。
あるいは大海の底かもしれんし、大山の中かもしれん。
だからこそのこの中継装置なのだ」
よく分からない言葉も混じっているが、だいたいの意味は分かる。
バルドは疑問を口にした。
神霊獣とは何なのか、と。
「さあな。
分からん。
太古の不思議な生き物だ。
神なのか、精霊なのか。
肉を持たぬ生き物であったともいうし、そうではなかったとも聞く。
とにかく、すさまじい力を持っていたらしい」
神か、精霊か、だと。
そのことも気になったが、バルドは次の質問をした。
形も大きさも知らないというわりに、遺産について詳しいのう、と。
「〈あるじ〉から聞き出したのだ。
何百年もかけて少しずつ。
それに霊剣の使い手がここに呼び込まれ、遺産の呼び出しを行ったのは、これが最初ではないからな。
われわれはそれを見ていたのだぞ。
ただしよごれていない霊剣の使い手がここに来たのは初めてだ。
さあ、バルド・ローエン。
遺産をここに呼ぶのだ」
なに?
何だと?
エキドルキエは、何と言った。
遺産を、ここに呼べ、と言ったのか。
バルドは口に出して質問した。
この剣をあの光の玉に向けて、来い、と命令すれば、確かに遺産がここに来るのじゃな、と。
「そうだ。
長から聞いているだろう。
その剣は遺産を呼び出し、命令を与えることのできる鍵なのだ。
さあ、呼べ」
なんということだ。
竜人の族長ポポルバルポポは、この剣で遺産の力を呼び出すことができる、と言った。
だから、遺産がどこにあるにせよ、その巨大な力をそこから送り届けてくるのだと思っていた。
だがちがうのだ。
遺産がどんなものであるにせよ、呼べばここに現れるのだ。
遺産そのものがである。
自分で移動できるものなのだろうか。
この部屋に現れるのだとすると、それほど大きなものではないことになる。
しかしどういうことか。
ここはフューザの山の中である。
この部屋に来るには、いくつもの閉じられた扉を通らねばならない。
遺産とやらは、どこをどう通ってここに現れるというのか。
「何をしている、バルド・ローエン」
バルドは質問を重ねた。
ここに呼べば、それはお前にも使うことができるのか、と。
「うむ?
ああ。
長から聞いていないのか。
遺産への命令は……霊剣を持つ者が優先される。
お前は死ぬまで遺産を自由にしてよい。
ただし、呼んだら最初に〈あるじ〉を殺すことを忘れるな。
そして、お前が死んだら遺産はわれら竜人のものだ」
〈あるじ〉を殺せ、か。
ずいぶんはっきり言うものだ。
だが今エキドルキエは気になることを言った。
バルドが死んだら遺産は竜人のものだという。
ということは、古代剣を持たない者でも遺産が目の前にあれば使うことができるのだ。
これは非常に重要な情報だ。
なぜなら、いったん遺産を呼び出してしまえば、竜人エキドルキエはバルドを殺せばいい。
また、ヤナの腕輪を奪い取ってから精神を支配してもよい。
それにしても、エキドルキエの考えが分からない。
バルドをだましてうまく動かしたいはずなのだ。
それなのに、バルドの仲間に悪夢を見せて殺し合わせるつもりだったと事もなげに白状する無神経さ。
古代剣を持たない者でも遺産を使えることをあっさり白状する無策ぶり。
これはいったいどうしたことなのだろう。
いや。
こういうものかもしれない。
竜人は古来、神霊獣を除けば大陸の最強種族で、他の種族など奴隷か餌にすぎなかった。
今でもエキドルキエは、人間だろうがマヌーノだろうが、ただ命令する。
命令し当然のように服従を期待する。
一方〈あるじ〉からは逆に一方的な服従を要求される。
この竜人は、そういう関係しか知らないのだ。
交渉したり駆け引きしたりするということは、この竜人の意識にはないのだ。
「どうした、バルド・ローエン。
早く遺産を呼ぶのだ」
遺産とやらには、確かにおぬしたちの〈あるじ〉を倒す力があるのか。
「マジュヌベクの都をただの一撃で消し去った〈コーラマの憤怒の矢〉のことを聞いたことがあるだろう。
あれこそが遺産だ。
それがどんな形をしており、どんな大きさなのかは知らぬ。
だが遺産とは、〈コーラマの憤怒の矢〉であり、それを打ち出す機械なのだ。
〈コーラマの憤怒の矢〉こそが遺産なのだ」
竜人の長の大嘘が明らかになった。
遺産はすでに呼び出され、その力を振るったことがあるのだ。
それがどんな力を持っているのか、竜人はよく知っているのだ。
それにしても、〈コーラマの憤怒の矢〉か。
神々の武器。
都を一撃で破壊しつくしたというおそるべき神具。
ジャン王の遺産とはそれだったのか。
その昔。
太陽神コーラマは、魔神たちとの最終戦争に備え、多くの神々の助けを借りて〈コーラマの憤怒の矢〉と呼ばれる武器を作った。
それは星辰のかなたから呼び寄せた光芒により魔神たちをその住む大地ごと消し去る、恐るべき武器だ。
しかし、予言神オドが、〈コーラマの憤怒の矢〉を使用すれば、神々も滅んでしまうと予言したことと、神々の側にマダ=ヴェリという強大な味方が現れたことで、結局〈コーラマの憤怒の矢〉は使われることなく太陽神の武器庫深くしまい込まれた。
その〈コーラマの憤怒の矢〉が使用されたことがある。
太陽神コーラマの妻である嫉妬深きゾナが、コーラマが美しきネーレと情を交わしたのを知り、怒り狂って〈コーラマの憤怒の矢〉を持ち出したのだ。
ゾナは、ネーレの住む大地に向かって、〈コーラマの憤怒の矢〉を放った。
その射出の瞬間、コーラマは武器の向きを変えさせた。
はるか天空に飛びすさった〈コーラマの憤怒の矢〉は、あまたの星々を消し去ったのだ。
ネーレを醜い蛇の姿に変えるという条件でゾナは怒りを静めたという。
「マジュヌベクは、われらが人間を使役して作らせた都だった。
だが、〈初めの人間〉は、一撃でマジュヌベクの都を消し飛ばした。
ずっとのち、〈あるじ〉は、マジュヌベクについてのわれらの口伝えを知り、〈ワザカのくぼみ〉を調査させた。
その報告を聞いた〈あるじ〉は、それが何によって引き起こされたものであるかを知った。
〈あるじ〉は異様に興奮して、われらにその探索を命じた。
地の果てまで探索して見つけ出せと。
そのくわしい形や大きさは知らされなかった。
ただ、見れば分かる、といわれた。
それは容易に見つからなかったが、〈あるじ〉は諦めなかった。
恐るべき執念をみせて探索を続けさせたのだ。
〈あるじ〉がなぜそれほどまでに遺産を恐れたのか。
〈コーラマの憤怒の矢〉には、〈あるじ〉を滅ぼす力があるからだ。
それ以外考えられぬ。
だがそれはよほど巧妙に隠されたとみえ、探しても探しても見つからなかった」
〈ワザカのくぼみ〉はメルカノ神殿自治領のはるか西方にあるといわれる、砂漠の中の巨大なくぼみだ。
そのくぼみがマジュヌベクの滅んだ都の跡だったとは伝説の伝えるところである。
そしてそれが単なる伝説ではなく、事実に基づいた話であるということは、先日竜人の長からも聞いたところだ。
「それは城よりも大きな鉄の塊だという。
わしとわしのしもべたちは大陸中を探したが、そんなものはみつからなかった。
だからやはり霊剣だ。
霊剣で呼び出すしかないのだ」
またも嘘が明らかになった。
形も大きさも知らないと言ったではないか。
だが、城よりも大きな鉄の塊だと。
それでは、この部屋の中に現れることはできない。
では、呼び出す、とはいったい何のことなのか。
「マジュヌベクを一撃で消滅させたほどの力があれば、〈あるじ〉を〈囚われの島〉ごと吹き飛ばすこともたやすい。
わしはその遺産の力を得て〈あるじ〉を滅ぼすことだけを楽しみに、屈辱に耐えて生きてきたのだ。
さあ、遺産を呼べ!」
ここに呼び出すというが、実際にはこの近くに現れるのだろうか。
どうもよく分からない。
いずれにしても、ここは〈囚われの島〉からはるかに遠い。
ここに遺産を呼び出したとしても、ここから〈囚われの島〉の怪物をどうすることもできない。
翼があってただちに〈囚われの島〉に飛んで行けるのでもなければ。
ということは。
やはり竜人は、バルドに遺産の力を使わせる気などない。
一瞬たりと、その強大な力を人間に委ねる気などないのだ。
バルドはそう確信した。
竜人エキドルキエは、遺産が呼び出されたとたん、バルドの心を支配し操り人形に変えるか、あるいはただちにバルドを殺すつもりだ。
竜人エキドルキエは、ひどくじれてきた。
もう知識を引き出すのも限界だろう。
だが、もう一つだけ訊いておきたいことがある。
ステシル殿やここで働いている人間たちは、どこから連れてきたのじゃ、とバルドは訊いた。
「あれは人間ではない。
機械で出来たからくり人形だ。
わしがここを発見し、〈あるじ〉の指示に従ってマスター登録をして以来、三百年のあいだ動き続けておる。
もともと〈初めの人間〉に作られたもので、二千年ほども動き続けているのだ」
からくり人形だと!
生きた人間にしか見えなかったが。
しかし、それにしても。
三百年ものあいだ、竜人エキドルキエはここのマスターとやらをしてきたのか。
であれば挑戦者の条件も当然知っていただろう。
三つ以上の種族の者がまじった六人以内の一団でなければ風穴から迷宮には入れないのだと。
この竜人は知っていたはずだ。
けれども、それを竜人の長には伝えていなかった。
なぜ伝えていなかったのだろうか。
そうか。
もう一つの入り口とやらが自由に使えていたからだ。
飛竜に乗ってその入り口とやらに着けばこの中に入ることができた。
その入り口が閉ざされたことは、かつてなかったと長は言っていなかったか。
また、その入り口が使えるといっても、〈あるじ〉すなわち悪霊の王が許さなければここに入り込むことはできなかったろう。
わざわざ迷宮を通ってこの場所に来る必要などまったくなかったから、迷宮に入るための条件をエキドルキエは竜人の長に伝えていなかった。
たぶんそういうことなのだろう。
伝えていなかったことは、バルドたちにとり幸運だった。
もし竜人の長がその知識を持っていたら、反乱者たちに加担していただろう。
そうなれば、パルザムの騎士たちは皆殺しにされ、バルドは人質でも取られて協力を強要されていたかもしれない。
いや、待て。
エキドルキエは本当に挑戦者の条件を知っていたろうか。
分からない。
それは分からない。
そしてもうどうでもよいことだ。
さて。
これで訊きたいことは訊いた。
バルドは静かに古代剣を抜いた。
鞘を左手で軽く押さえたとき、左手が痛んだ。
そういえば、ひびが入っていたのだった。
だが、バルドの感じる痛みはにぶい。
あふれかえる怒りが、痛みを感じさせないのだ。
抑えきれない憎しみが、痛みを感じさせないのだ。
バルドは小さな声で古代剣に呼び掛けた。
スタボロス、と。
古代剣が青緑の燐光に包まれる。
「おお!
それが霊剣の力か。
むむむむ。
これほどのものだとは!」
バルドはエキドルキエのすぐそばまで歩いた。
そして古代剣を中空に浮かぶ光の玉に向け、腕をまっすぐに伸ばした。
エキドルキエは三つの目を見開いて、光の玉を凝視している。
「呼べ!
呼べ!
ここに来いと、遺産に呼び掛けるのだ!」
竜人エキドルキエは興奮してそう命じた。
バルドがそうしない理由などないといわんばかりに。
無防備な横顔をバルドに向けて、ただ光の玉を見つめている。
無理もない。
長年待ち望んだことが、今かなうのだ。
バルドはすっと右に体を回転させた。
斜め上に古代剣を振り上げながら。
バルドの右側にはエキドルキエがいる。
その身長はバルドよりはるかに高い。
振り上げた古代剣の先は、エキドルキエの胸の高さにしかならない。
だが古代剣の先からは燐光が伸びている。
その伸びた燐光が、エキドルキエの脇辺りから食い込み、その巨大な体躯を駆け上がった。
そして燐光は顔を下から上に切り裂いて、頭頂に抜けた。
しばしののち。
エキドルキエがバルドのほうに顔を向けた。
燐光はエキドルキエの体に何の傷も付けていない。
エキドルキエは痛みさえ感じていないのだろう。
第三の目をぐるりと動かし、不思議そうな顔でバルドを見下ろしている。
突然。
エキドルキエの体に光の断裂線が走った。
先ほど燐光が走り抜けた位置にである。
断裂線は見る間に明るさを増してゆく。
エキドルキエの体の中から光り輝く何かが飛び出そうとしているのだ。
そして光がはじけた。
エキドルキエの体から、爆発するようにありとあらゆる色の光がこぼれ出た。
そして四方八方の空間に向かって飛び出し、そのまま消えていった。
だがバルドは見た。
その光の一つ一つに、顔や手足や羽があるのを。
精霊だ。
エキドルキエは何十何百という精霊を〈食べ〉ていたのだ。
だが、一つの生き物がたくさんの精霊を食べることができるのか。
もしかすると、それこそが〈あるじ〉とやらがエキドルキエに与えた力だったのか。
あるいは竜人にだけ許された特別な力なのか。
いずれにしても、それこそが長大な寿命と、マヌーノの女王さえ支配する呪力の秘密だったのだ。
そしてまた、バルドは気付いた。
おそらく、今までパクラで魔獣を倒したときにも、獣の中から精霊が解放されていたはずだ。
だがそれは特別な目がなければ見ることはできない。
今のバルドは精霊を見ることができるのだ。
精霊が飛び出したあとのエキドルキエは、抜け殻のように空虚だった。
ずるり、と断裂線から体がずれ落ちる。
がこんと、鉄塊を岩に打ち付けるような音がした。
残った体もぐらりと揺れて崩れ落ちた。
崩れ落ちたエキドルキエの亡きがらは、ばきりばきりと音を立てながら細かく分裂してゆく。
分裂したかけらはさらに音を立てて割れる。
かけらというかけらは細かく細かく砕け散り、最後には砂の塊がそこに残った。
バルドは冷たい目で、いつわりの命を生きた怪物の最後を見届けた。
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〈試練の洞窟〉のマスターなる者に引き合わされ、それが竜人エキドルキエだと知ったとき、バルドはこの竜人を殺すことを決めた。
取引などはもってのほかだ。
〈試練の洞窟〉の不可解なちぐはぐさも、わけが分かった。
この迷宮には二種類の敵手が出た。
一つは闘技場の敵だ。
これは手ごわい敵ではあるが、戦いがいのある敵だ。
さあ、この戦いを楽しめ。
お前の精一杯を出してみろ。
挑戦者の成長を願うかのような温かささえ感じられた。
この敵手を用意した存在は、遊び心を持っている。
もう一つは通路の敵だ。
この敵はひたすらいやらしく、不快で、けがらわしい敵だ。
挑戦者を苦しめ殺すことだけを目的とする敵だ。
そこに感じられるものは悪意だ。
ひどくゆがんだ悪意だ。
この敵手を用意した存在は、挑戦者をもてあそぶことしか考えていない、とさえ感じられた。
どうして一つの迷宮に、明らかに種類の違う敵が出るのか不思議だった。
だが竜人エキドルキエに会ったとき、そのわけが分かった。
闘技場の敵を用意したのは、〈初めの人間〉であり〈ただ一人の王〉であるところのジャン王だ。
そして通路の敵を用意したのは、この竜人エキドルキエなのだ。
少なくとも、本来現れるべき敵を大いにゆがめた形で出現させたに違いない。
だから、竜人エキドルキエは殺さなくてはならない。
これから〈試練の洞窟〉に挑戦する者たちのためにも。
この身勝手な復讐者に使役される人々をこれ以上増やさないためにも。
トライで死んだ者たちのためにも。
ロードヴァン城で、マイラオ城で死んでいった者たちのためにも。
魔獣とされ、使役され、戦わされ、滅びていった獣たちのためにも。
失われてしまったカーズの舌のためにも。
今や、バルドの全身は、白い怒りに燃えていた。
それは一見すると燃え尽きた灰のようである。
しかし実はそうではない。
燃えるべきものを燃やし尽くしてしまったがゆえに、その怒りは白いのだ。
何かが不用意に触れるなら、たちまちその何かは白い炎に抱き取られ、灰も残さず焼き尽くされるだろう。
バルドは、抑えきれない怒りに燃えている。
まだだ。
まだだ。
竜人エキドルキエを殺しただけでは、まだ足りない。
おお!
ロードヴァンの勇者たちよ。
おぬしらの無念は、こんな化け物一人を倒しただけでは晴れはしない。
このトカゲ一人ごときの血では、お前たちの命に引き合わない。
このトカゲに謀略を命じた者がいる。
指先で小石をはじくがごとく。
まるで遊びの駒を進めるがごとく。
あまたの魔獣を生み出し、人の命を刈り取った者がいる。
許さない。
その者を、わしは決して許さない。
遺産とやらを呼ぶつもりはなかった。
それを使って怪物を葬るという考えは、確かに魅力的だ。
だがそんな危険な兵器を呼び込めば、将来きっと悲惨な使われ方をする。
呼び出す方法は分かっても、それを送り返す方法は分からないのだから。
バルドが遺産を呼び出したりしなければ、怪物には手の打ちようがない。
遺産が今どこにあるのか知らないが、人の手の届かない所に隠され続けるのが最もよい。
それにしても、エキドルキエは恐るべき敵だった。
エングダル、イエミテ、ゴドン、カーズの四人があっという間に心の自由を奪われ、夢のとりこにされてしまったのだ。
この四人の心をたやすく操れるのならば、エキドルキエに対抗できる者は大陸にいないと考えなくてはならない。
特に竜人の呪力には抵抗力を持つとされるゲルカストのエングダルまでが手もなくエキドルキエの術中に落ちたのは衝撃だった。
しかし考えてみれば、あのマヌーノの女王でさえ、エキドルキエの呪力に屈服し、支配されたのだ。
エキドルキエが得た力は竜人の中でも格別の強さであり、その呪力の前には、生きとし生けるものすべてが無力といってよいほどなのだ。
となると、そのエキドルキエをもってしてもまったく太刀打ちできないパタラポザの力というものは、想像を絶するものがある。
バルドは尽きることのない怒りをひとまず収めた。
まずは仲間たちのことが心配だ。
ステシルとはどうすれば連絡が取れるのだろう。
ステシルはわしの頼みを聞くだろうか。
それともマスターを殺された復讐をするだろうか。
そういえば、〈試練の洞窟〉踏破者に褒賞が与えられるということだった。
武具か、薬か、知識か。
わしは薬を欲する。
薬師ザリアを生き永らえさせる薬を。
そんなことが可能であるのならば。
だが、バルドの思考は突然鳴り響いた警報に中断される。
天井から無機質な声が響いた。
「マスターの死亡を確認。
マスターの死亡を確認。
ただいまから施設の設定は初期化されます。
ただいまから施設の設定は初期化されます。
係員以外は排出されます。
係員以外は排出されます」
突然バルドの意識は途絶えた。
5
「バルド様!
バルド様!」
何度も何度も名を呼ばれ、ぼんやりと目を開けた。
クインタだ。
バルドははっと覚醒し、身を起こして辺りを見た。
風穴だ。
〈試練の洞窟〉に入る手前の六つの台座だ。
ゴドンがいる。
カーズがいる。
エングダルがいる。
イエミテがいる。
そしてザリアがいる。
それぞれ皆眠っている。
カーズはカーラに起こされていた。
ゴドンは従者に起こされている。
騎士ナッツがエングダルとイエミテの様子をみている。
バルドは起き上がってザリアの所に行った。
老婆の姿に戻っている。
だが顔色は悪くない。
あちこちに手当のあとがある。
ステシルか、とバルドは思った。
それはただの推測だが、そう的外れでもないだろう。
バルドたちの意識を失わせ、迷宮の外に送り出す前に、手当をしてくれたのだ。
そういえば、バルド自身の左手も、ほとんど痛みがない。
見れば上等の当て布が巻かれ、奇妙な帯で止めてある。
素晴らしい医療の技術だ。
さらにゴドンはと見れば、やはり手当を受けている。
エングダルも、イエミテも。
ありがたいことだ。
特にザリアは、あのまま力を使い果たして死んでいたはずだ。
だが、今、生きている。
精霊の力を失ったザリアに、ステシルは何か不思議な方法で生命力を注いでくれたのだろうか。
分からない。
分かるのは、今ザリアが生きていて、顔色も悪くはないということだ。
バルドは優しく老婆の体を揺さぶった。
「か、カーズ!
あんた、舌を、舌を切られたのね!
なんて。
なんてひどいことを」
カーラがわめいている。
いや、それは自分でかみ切ったのじゃ、と言おうと思ったが、カーラはカーズの胸で泣き崩れている。
カーズも突き放すわけにもいかず、手をカーラの背に回して優しく抱きしめている。
邪魔せずに放っておくことにした。
どうやら彼らの医術をもってしても、かみ切られたカーズの舌を元通りにすることはできなかったようだ。
それとも、時間さえあれば、失われた舌を取り戻させることもできたのだろうか。
そうしているうちに、薬師ザリアが目覚めた。
「やあ、バルド。
だからあとから行くと言っただろう」
嘘をつけ。
あそこで死ぬつもりじゃったくせに。
そう思ったが、口に出したのは、
うむ。
というひと言だけだった。
そして、ふと思った。
もしも。
もしもザリアが元気になって、そのとき精霊の力が少しでも残っているなら。
そのときは、精霊の力でカーズの舌を元に戻してもらうことができるのではないか。
分からないことだ。
今すぐ訊くのもはばかられる。
だがそれができることであるならば、この老婆はそれをしてくれるだろう。
むしろ必要以上に無理をしないか気を付けなくてはならない。
6
その場で報告会を開いた。
マヌーノも交代で張り付いていたようで、一緒に報告を聞いた。
六つの入り口に分かれるまでの経緯についてはゴドンに報告させた。
相変わらず臨場感と思い入れたっぷりの語りをするかと思いきや、意外に抑制の利いた分かりやすい報告をしてみせた。
年齢を重ねて落ち着いてきたのだろうか。
だがやはり、バルドと戦神の闘いになるとがぜん熱が入り、誇張に満ちた武勇伝の語りとなった。
ここだけ聞けば、バルドは人類史上最高の英雄のように聞こえるだろう。
けれども、バルドはゴドンの語りをうとましくは思わなかった。
精一杯の思いを込めてバルドの活躍を語るゴドンが愛おしくて愛おしくてならなかったのである。
分かれてからのことを訊いたところ、ゴドンとエングダルとイエミテは、見知らぬ部屋に飛ばされ、いきなり襲撃されたのだという。
襲撃者の顔を見たところ、バルドだった。
三人はそれぞれ、バルドに斬られて死んだという。
そして目が覚めたらここにいたのだ。
今から思えばあれは夢だったが、そのときは現実のこととしか思えなかったという。
カーズのほうを見たところ、小さくうなずいた。
カーズも同じだったということだ。
ザリアはあのまま意識を失い、気が付けばここにいたという。
それからバルドが語った。
ステシルという機械人形と会ったことを。
竜人エキドルキエとの対話を。
竜人エキドルキエを殺したというくだりでは、マヌーノが異様に興奮した。
どうも直接女王のもとに報告が届いているようで、マヌーノは、エキドルキエを殺したというのは間違いないか、それは本当かと何度も念を押してきた。
バルドの報告が終わったあと、しばらく沈黙が流れた。
それを破ったのはエングダルである。
「トーリ・バルド。
パタラポザとの決着は、どうつけるのだ」
相手は神の一柱ともいわれる存在であるのに、エングダルの表情や態度には、臆したところなどみじんもない。
けたはずれの剛胆さである。
この質問を受けて、バルドは一瞬、答えに窮した。
どう決着をつけるのか。
そもそも、この場合の決着とは何か。
パタラポザと戦い、これを滅ぼすことか。
神と戦うことなどできるのか。
いや。
方法はある。
〈コーラマの憤怒の矢〉を呼び出し、これを用いるのだ。
だが。
そのとき、クインタが口を開いた。
「バルド様。
バルド様は、パルザム王国とゴリオラ皇国の二つの大国に大きな声望をお持ちです。
また、こう申し上げてははばかりながら、大きな貸しもございます。
その両国に声を掛け、〈コーラマの憤怒の矢〉を探してはどうでしょう。
両国と縁故のある国々にも呼び掛ければ、この大陸を広く捜索することができます。
城より大きな金属の塊など、ほかにあるものではございません。
この大陸の中にあるものなら見つかるのではないでしょうか。
幸いに、今邪神パタラポザは眠りに就いています。
そのすきに〈コーラマの憤怒の矢〉を探し出し、邪神を倒すのです」
それは考えてもみなかった可能性だ。
だが確かに、それは試してみる価値のある方法のように思われる。
いや、だめだ。
それでは〈コーラマの憤怒の矢〉のことが、大陸中に知れてしまう。
正体を秘して捜索を依頼したところで、それほど大がかりな探索をすれば、よほどの秘宝を探していることは明らかであり、そこに秘密があると分かってしまえば、秘密などというものはいずれ暴かれてしまうものだ。
だめだ。
その方法は、将来に禍根を残す。
なぜなら、古代剣で〈コーラマの憤怒の矢〉の封印を解いたあと、それをめぐって争いが起きる。
呼び出すことはできても、送り返す方法も分からないし、破壊できるかどうかも分からないのだ。
それにしても、ジャン王の遺産とは武器だったのだ。
〈コーラマの憤怒の矢〉
というよりも、それを打ち出す装置なのだろう。
城よりも大きい装置であるらしい。
一撃で巨大な都を消滅させるほどの武器など想像もできない。
矢そのものも、とてつもない大きさなのだろう。
その矢はあと何本残っているのだろうか。
竜人の長も、エキドルキエも、〈あるじ〉が血眼で遺産を探しているのは、それを破壊するためである、と考えていた。
そうであるかもしれないし、ちがうかもしれない。
だがバルドの直感は、ちがうのではないか、という想像に傾いていた。
なぜなら、それが確かにパタラポザを滅ぼせる武器なのだとしても、探し出すのは難しいし、使用するのはなお難しい。
古代剣によってしか封印が解けないのだとしたら、もうその武器を誰かが使用する見込みはまったくないといっていい。
放置しておいて何の問題もないはずではないか。
なぜわざわざ探し回って、その存在を周りに気付かせるようなことをするのか。
また、使えなくすることが目的なら、古代剣を全部始末するか、〈よごし〉てしまえばいい。
とすると、パタラポザが遺産を探しているのは、壊すためでなく、使うためではないのか。
いったい、パタラポザは、〈コーラマの憤怒の矢〉を使って何をするつもりなのか。
そのことを想像してみると、なぜかバルドは総身の毛がよだつような悪寒を感じた。
悪いことが起きる。
〈コーラマの憤怒の矢〉を悪霊の王に渡したら、とてつもなく悪いことが起きる。
バルドの中の直感が、そう教えた。
まてよ。
ひょっとしたら、〈コーラマの憤怒の矢〉というのは、もともとパタラポザの物だったのではあるまいか。
ジャン王が、パタラポザからそれを取り上げ、パタラポザの力を封じて、囚われの島に閉じ込めた。
パタラポザにとって、〈コーラマの憤怒の矢〉を手に入れるというのは、おのれの失われた力を取り戻すことなのではないのか。
その力を取り戻したら、そのときパタラポザは何をするのか。
とりとめもない考えに落ち込んでいたバルドは、はっと、皆が自分の顔をのぞきこんでいるのに気付いた。
バルドは一同に言い渡した。
〈コーラマの憤怒の矢〉のことは、できるだけ知られないほうがよい。
大国に依頼して探すことはせぬ。
おぬしたちも、一切口外しないようにしてくれぬか。
このことについて、こちらからは仕掛けない。
いずれ怪物は目を覚まし、バルドのもとに使いをよこすだろう。
そのときのことはそれから考える。
だが、決めた。
遺産とやらは探さないし、呼び出さない。
エングダルはこの言葉に大きくうなずき、こう言った。
「では、その怪物とやらと闘うときには、わしを呼べ」
「俺もだ」
イエミテも言った。
それから一行は帰途に就いた。
途中、マヌーノの女王がぜひバルドに会いたいという。
会いに行ったところ、両手からあふれるほどの宝石をくれた。
竜人エキドルキエはマヌーノの女王にとり、憎んでも憎みきれない怨敵である。
それを倒したバルドは、マヌーノの女王の大きな感謝を受けることになったのである。
バルドはその宝石を一行で分けた。
一行はフューザリオンに帰還した。
その途次、バルドはエキドルキエとの対決を振り返った。
あのときバルドはエキドルキエを殺すことしか考えていなかった。
だがよく考えてみれば、魔剣スタボロスがエキドルキエに通用するという保証は何もなかったのである。
むしろ通用しないと考えたほうが自然だった。
もっともバルドの挑発に乗って、エキドルキエがバルドを殺すなりバルドの心に呪いをかけるなりすれば、エキドルキエはパタラポザの強烈な懲罰を受けることになったろう。
しかしあのときはそんなことを計算に入れてエキドルキエに挑み掛かったわけではない。
ただただあふれる怒りに任せて斬り掛かったのだ。
そういう若さが自分に残っていたことに少し驚く。
とはいえ怒りは判断力を鈍らせる。
パタラポザとの対決にあたっては、なんとしても平静な心を保たねばならない。
エングダルとイエミテと騎士ナッツは数日フューザリオンに滞在した。
フューザリオンは相変わらず目覚ましい発展ぶりだが、その中でも驚いたことがある。
二日目の夜の食事にスープが出た。
エガルソシアを使った白いスープだ。
なんとこのスープは冷たいスープだったのだ。
暖めた部屋の中で熱々の肉を食べたあとの冷たいスープは実に美味だった。
白いスープは牛の乳とサッポで作ったという。
辺境の粗野な食材が、カムラーの手にかかると言いようもなく上品な味になる。
それはいいのだが、問題はどうやってこのスープを冷やしたかだ。
なんとカムラーは大量の人手を動員して地下室を作り、石壁で覆って貯冷室にした。
そして東の山の洞窟を利用して氷室とし、冬のあいだに出来た氷を貯蔵し、定期的に氷を貯冷室に運ばせているのだという。
なんという無駄。
なんというぜいたく。
そういえばカムラーは、足りない香辛料や食器は自分の金を使ってでもそろえる男だった。
放っておけば際限なくやる男なのだ。
この男は料理のためなら手間も経費も顧みない。
いささか心配になってドリアテッサに相談したところ、仕事を与えなければならない人がどんどん増えているので、それはそれでよいのだという。
また、フューザリオンにはエガルソシア目当てに段々と遠方の有力な街からも使いが来るようになっており、もてなしのための美味な料理を出せることは何よりの強みだというのだ。
それでいいならとバルドは安心して料理を味わった。
フューザリオンは飯のうまい所だと言い残し、エングダルとイエミテはそれぞれの居場所に帰った。
エングダルはタランカに送らせ、セトを従者に付けた。
ナッツも同行することになった。
タランカには、エングダルを送り届けたあと、パルザムの王都に足を運び、ジュールラント王に事の次第を報告するよう命じた。
イエミテはクインタに送らせた。
ゴドンは先に従者を帰して二か月ほどフューザリオンにとどまった。
滞在中は、いろいろとバルドの手伝いをしてくれた。
ゴドンと一緒に食べる食事は楽しい。
バルドはフューザの風穴での冒険から帰ってやや体調が悪かったが、毎日を楽しく過ごすことができた。
名残を惜しみながらゴドンはメイジア領に帰った。
それがゴドンの顔を見た最後になった。
(第7章「迷宮への挑戦」完)
4月1日「闇の呼び声」(第8章「パタラポザ」第1話)に続く