第9話 嘘と真実(前編)
1
仰々しい造りだのう。
とバルドは思った。
ここは、ドルバ領の中心にある、コエンデラ家の本城である。
どうしてもカルドス・コエンデラと面談したかったので、初めてこの城の中に入った。
バルドは一人である。
〈腐肉あさり〉ジュルチャガは、しばらく前に突然姿を消した。
あいさつぐらいしていってもよさそうなものだが、ジュルチャガらしいといえばジュルチャガらしい。
意外にも、バルドはすんなりと通された。
ということは、バルドが来ることを、カルドスは予測していたのだろうか。
「やあ、ローエン卿。
卿をこの城に迎えるのは、私の夢だったのだ。
今日は夢がかなっためでたい日だ。
乾杯に付き合ってもらえるだろうね」
カルドスは、両手を広げてバルドを歓迎した。
部屋の中には、カルドスとバルドしかいない。
たぶん、両側のタペストリーの奥には騎士を隠しているだろうが、いざというときに間に合う距離ではない。
この部屋は、ずいぶん奥まった所にあり、あいだの通廊には人がいない。
バルドは手を出さない、あるいは出せないと思っているのか。
武器を取り上げたから安心しているのか。
いや、どちらでもないのう、とバルドは思った。
カルドスは、他人が信用できないのだ。
重臣であればあるほど、信用できない。
武や智に優れている人間ほど、信用できない。
そういう人間に弱みをみせれば。
重要な秘密をみせれば。
取って代わられる。
出し抜かれる。
そう思うから、この場に重臣たちすら呼べないのだ。
自分自身が、そうやって人を出し抜き、裏切り、取って代わって現在の地位をつかんだ人間であるのだから、その心配はまったく正しい。
「ずいぶんいろいろ嗅ぎ回っていたようだね」
蒸留酒を二つの杯につぎながら、カルドスは言った。
すべてを知っているんだよ、といわんばかりに。
カルドスは、杯の一つを、バルドに差し出した。
二人はともに杯を手にし、それぞれの目の高さに掲げた。
「剣の下に」
とカルドスが発声し、バルドは同じ言葉でこれに応じた。
剣の下に。
すなわち、これから話し合われることは秘密であり、約束を守れなかったときは剣をもって償う、という意味だ。
乾杯しながらバルドを見るカルドスの目は、笑っている。
「そして、新年おめでとう」
と、カルドスは付け加えた。
三巡ほど前、年が明けた。
バルドは五十九歳になった。
「まあ、座りたまえ」
バルドが座ると、カルドスも座った。
「ちょうどよかったよ。
何が起きたのかを、卿にもちゃんと説明しておきたかったのだ。
五日後に領主会議が開かれることは知っているかね」
バルドは、知らぬ、と答えた。
「領主たちには、そのとき伝えるが、卿には今言っておこう。
わが大領主領及びその周辺地域は、正式にパルザム王国領土たることを宣言する。
私にはその統括者にふさわしい爵位が与えられるだろう。
おそらくは辺境伯が」
バルドの表情は動かない。
「先だって、ジョグが失礼をしたようだね。
あれは気の早いところがあってね。
いささか先走ったのだ。
テルシア家が権利を持つ街や村落を、わがコエンデラ家が勝手に奪うことなどあり得ん。
そうではなく、これからはみなパルザム王国の領土になるのだ。
徴税や交易は、コエンデラ家が一括して差配する。
各領主には相応の待遇を約束するよ」
乾杯の杯を飲み干したカルドスは、杯に酒をつぎ足した。
鼻の下で杯をくゆらせ、芳香を、さも気持ちよさそうに吸い込んでいる。
「どうしてそんなことが可能なのか、不思議に思うかね?
それは、パルザム王国が肩入れしてくれるからだ。
なぜパルザム王国が私に肩入れするかは、卿に見当がつくかな。
それはね。
私がパルザム王の恩人であり、その息子の育ての親であるからだ。
……卿はつまらん男だな。
ここは驚いてみせるところだぞ」
バルドは無言のままカルドスを見るばかりである。
カルドスは、ちびりと酒を飲んで、話を続けた。
2
「すべては、三十年前。
そうだ。
今からちょうど三十年前の、あの夏に始まった。
私は、アイドラ姫を妻にと望んだ。
だが、直ちにこの城には迎えられない事情ができた。
自分の娘を私の正妃にしたい親族がいてね。
その親族は、私が当主になる後押しをしてくれた人物だったので、むげにはできなかった。
あれこれ調整するあいだ、アイドラ姫には少し離れた場所にある別邸で過ごしてもらった。
ちょうどそんな時期に、先代のガドゥーシャ辺境侯デュサン・アルケイオスが、一人の若者をよこして、しばらくかくまってほしい、と頼んできた」
バルドは、目を少し細めて意識を集中した。
「私の母がアルケイオス家の出だということは知っていたかね。
若者とは、ウェンデルラント王子だった。
あのとき、十九歳だったのかな。
王子の母上は、実家の身分は低いが、非常に美しく聡明なかたで、王に寵愛された。
だから殺された。
ウェンデルラント王子も、王都にいれば命はなかった。
いや、パルザム王国のどこに行っても安全ではなかった。
それで、こんな辺鄙な所に送られてきたわけだな。
この城に住まわせるわけにはいかなかった。
目立たない安全な場所というと、どう考えても、あの湖のほとりの別邸以外にない。
だが、そこにはすでにアイドラ姫がいた。
私は、湖の反対側にある離れにアイドラ姫を移した。
この城に呼び寄せるまでのわずかなあいだだ。
ウェンデルラント王子には、絶対に離れに近づかないよう頼んだ」
何かを思い出すように、カルドスは目を閉じた。
「それが間違いだった。
王子は線の細い学問好きの青年にみえたが、存外冒険心の旺盛なところがあった。
訪ねてはいけないといわれた離れに忍び込んだのだ。
そして二人は出逢ってしまった」
カルドスは、右手の指を伸ばして額をもんだ。
「王子はたちまち熱烈な恋に落ちた。
アイドラ姫がどうだったのかは、よく分からないが、憎からず思っていたとは思う。
王子は私に頭を下げた。
アイドラ姫を頂きたい、と。
あんなに悩んだことはなかったよ。
肉親を殺す決意をしたときよりもだ。
だが、私は結局うなずいた。
王子なんかどうでもよかった。
いずれ粛清されるか、人知れず消え去ってしまう立場だ。
そんな王子や公子は、どこの国にも山ほどいる。
だが、これは辺境侯に貸しを作れる好機だった。
実際、正妃に迎えるはずの姫を王子が横取りしたことは、王子自身が辺境侯に伝えてくれてね。
それからというもの、何かにつけて辺境侯は、わが家との取引で便宜を図ってくれるようになった」
バルドは、上を見上げた。
城の奥まった薄暗い部屋ではあるが、明かり取りの窓は開いている。
その明かり取りから、光の帯が差し込んでいる。
「一年と少し、蜜月は続いた。
男の子が生まれ、王子はジュールランと命名した。
そのころ、パルザム王国で政変があった。
王子は千載一遇の帰国の機会を得た。
そして、アイドラ姫とおさなごを私に託すと、陰謀渦巻く故国に旅立った」
光の帯のなかでは、ほこりが舞っている。
光に照らされなければ、ほこりは見えない。
「アイドラ姫は実家に送り返した。
人のものになってしまった姫を近くに置いておくのは不愉快だったからね。
王子は、アイドラ姫のことをまったく忘れたようにみえた。
二十八年にわたり、ただの一度も手紙さえよこさなかったのだ。
私がそう思ったのも、無理はなかろう?
だが、そうではなかった。
二年前、パルザム王国は宿敵との戦争に勝利した。
ウェンデルラント王子は英雄となり、最大の敵であった王太子は死んだ。
王子は、私に手紙をよこした。
アイドラ姫と息子を迎えたい、とね」
3
「アイドラ姫にも手紙をよこした。
そこには熱烈な愛がつづられていた。
いわく、私はあなたのために、知を、武を、心を磨き、徳を積んだ。
あなたにふさわしい男になるために。
いわく、私はあなたのために、味方を増やした。
あなたを安全に迎えることができるように。
いわく、私はあなたのために、手柄を立て、地位を築いた。
あなたが夫を誇れるように。
いわく、私はあなたのために、部下を、人民を慰撫し、常に彼らの幸せを考えた。
あなたがそれを望むことを知っていたから」
なぜその手紙の中身を貴様が知っているのか。
という詰問が口から出かかったが、押しとどめた。
「手紙をよこさなかったのは、アイドラ姫の安全のためだったのだ。
ウェンデルラント王子は、いつも見張られていた。
その欠点や弱点を探ろうとする者たちに。
手紙を書けば、アイドラ姫の存在が彼らに知れる。
王家の血を継ぐ子どもの存在もね。
知られれば、アイドラ姫は人質に取られ、子どもは殺されるだろう。
だから、思いを必死に押し殺し、手紙は書かず、使者も送らなかったのだそうだ。
確固たる地位と実力を築き上げ、母子を守り抜けると確信したとき、すぐさま手紙を書いたのだな。
そして、その手紙の中で、自分がパルザム王国の王子であったと明かした。
そのとき、私が慌てたとでも思うかね。
いやいや。
そんなことはありはしないよ。
なぜなら、私は、ちゃんと王子の子どもを保護していたからね。
ゼオンさ。
アイドラ姫を王子に譲ったあと、私は何人か妻を迎えたが、そのうちの一人がアイドラ姫と同じころ、男の子を産んだ。
アイドラ姫をテルシア家に帰すとき、私はゼオンとジュールランを取り替えさせた。
万が一、王子が息子を迎えに来たときに備えてね」
ゼオンは、カルドスの長子であり、母は正妃である。
ゼオンは、カルドスと同じく金髪だ。
ジュールランも輝くような明るい金の髪をしている。
おそらく、ウェンデルラント王も金髪なのだろう。
「取り替えのことは、アイドラ姫から聞いていたかね?
いないだろうね。
剣の下で交わした約束なのだから。
いかに卿がアイドラ姫のお気に入りでも、これだけは言わなかったはずだ」
言うわけがない。
そんな事実はないのだから。
だが、そんな事実があったことにできるとカルドスが思っている、その根拠が問題だ。
「もっとも、その手紙が来た時点では、ウェンデルラント王子は、英雄で有力な武将ではあっても、それ以上のものではなかった。
王太子や何人かの有力な王子は戦死したが、大国の王位継承は単純なものではない。
初代王の血筋を引く七つの公爵家があってね。
複雑な駆け引きの末に、各家の利害を損なわない人選が行われ、新たな王太子が生まれるはずだった。
ところが、王が死んでしまった。
王が死ねば、新たな王太子の指名は行えず、新たな王位継承権の付与もできない。
その時点で王位継承権を持つ者以外は、後継者レースに参加できないのだ。
ここで、政治には関心が低いと思われていたウェンデルラント王子が電光石火の動きに出たらしい。
王子の凱旋で王都中が、いや国中が沸き返っているときだ。
王子は見事、次期国王の座を勝ち取った。
さっそく、アイドラ姫に手紙が来たよ。
あなたのために王冠をつかみました、とね」
「いや。
嘘はよそう。
私は衝撃を受けた。
まさかあの王子が生き残り、ひとかどの地位を築くとは、思ってもいなかったよ。
まして、次期王になるとはね。
王子の子は、私自身の子として大切に保護してはいたが、肝心のアイドラ姫は実家に送り帰したままだ。
何度か、アイドラ姫とジュールランを引き取りたいと、テルシア家に申し入れたのだがね。
けんもほろろに断られたよ」
バルドも、そのことは最近になって耳にしていたので、うなずいた。
「辺境侯から使者が来た。
追って本国から使者が来る。
アイドラ様とご子息は息災か、とね。
私は正直に話したさ。
アイドラ姫は実家を恋しがったので帰したが、ご子息はわが手元で手厚く養育してきた、と」
アイドラがコエンデラ家に輿入れしながら、挙式せず、本城にも入れないまま実家に帰されたことは、辺境ではよく知られている。
その点はごまかしようもなかったろう。
「そのとき、私はご使者に訊いた。
アイドラ姫と私自身の息子を交換したことは、ごく一部の者しかしらない秘事。
近年アイドラ姫は体調が思わしくなく、遠出は不可能。
わが息子と名乗らせている者が、確かにウェンデルラント陛下のご子息である、と証明することはできませんでしょうな。
いや、それどころか、テルシア家の者が、偽物を押し立てれば、それが偽物と判別することは難しいでしょう。
そもそも、ご使者には、アイドラ姫が本物か偽物かも、ご判別が難しいのでは、と。
ご使者は、わが母の血縁でな。
こう漏らしてくれたのだよ。
"いやいや、ご心配には及びません。
コエンデラ卿から受けた恩を、陛下はお忘れではありません。
あなたのお言葉を疑われることなど、ありましょうや。
それに、二重の渦と印形により、正しくアイドラ様であり御子様であると証明できるのですから"」
なるほど、とバルドは思った。
カルドスがアイドラに侍女を差し向けた経緯と魂胆がはっきりした。
おおむね予想どおりだ。
「渦だよ、渦。
これは何のことか、さっぱり分からなかった。
これについては、ご使者はそれ以上教えてくれなかった。
だが、印形については、何とか聞き出すことができた。
王子がアイドラ姫に持たせたものなのだよ。
それは王家の者しか作ることも持つことも許されない印形なのだそうだ。
特殊な金属で特殊な製法で作られており、偽造は不可能らしい。
一個一個違う箇所にしるしが付けられていて、台帳に記載されてるという。
ずいぶん探したよ。
だが、アイドラ姫の手元にないと分かったとき、私は気付いた。
誰がそれを預かっているのかをね。
バルド・ローエン卿。
卿だ。
幼い日よりアイドラ姫が誰よりも信頼し、頼りにした卿以外に考えられない。
わがコエンデラ家に煮え湯を飲ませ続けた卿が、今度もわが家に災いをなしたのだ!」
突然、バルドの心に、もしやカルドスがアイドラを妃に望んだのは、バルドへの憎しみゆえではないのか、という筋の通らない臆測が浮かんだ。
バルドの大切なものを奪い取りたいという怨憎の眼差しで、この男はアイドラ姫をみたのではないか。
「戴冠なさるや否や、新王は王国の威風を示す勅使を、各地に遣わされた。
その中で、この地方への使者だけは、特別な任務を持っていた。
その少し前、アイドラ姫は死んだ。
私が遣わした侍女に手厚く看取られてね。
むろん、そのことはウェンデルラント陛下にはお伝えしてあった。
王は勅使殿に、わが息子を連れ帰れ、とお命じになった。
アイドラ姫がこの世にない以上、本物のご子息であることを確認する手段は、印形しかない。
ああ、渦巻きというのが何のことだったのか、結局卿は知らないままだろうな。
あれはな。
詩なのだそうだ。
湖のほとりで、ウェンデルラント王子がアイドラ姫に贈った恋の詩だ。
二つの渦巻きが一つに溶け合うように、私とあなたはこの美しい水辺で出逢った、とか何とかいう恋の詩なのだそうだ。
その詩を知る者は、王子と姫のほかない。
まこと姫が王子のことを慕っているならば、その詩を忘れるわけがない。
その詩を覚えていることが、正しく王子の妻である証しになる、とこういうことだったのだ。
そんな詩があるなど、卿は知っていたか?」
バルドは、首を横に振った。
そんな詩があったなど、知らない。
「けれどアイドラ姫は死んでしまったからね。
詩を覚えていたかどうか、聞くこともできない。
だから、印形だ。
それが唯一の証しになるのだ。
不思議な偶然ではないかね。
ジョグが卿に斬りつけたその一撃が、卿自身も知らなかった印形の在りかを明らかにしたのだ。
そして、私の部下が雇った間諜が、それを卿から取り返した。
いやいや。
高くついたよ。
あの〈腐肉あさり〉めは、とんでもない金額を吹っ掛けおった。
だが、あの印形にはそれだけの価値があった。
五巡前、勅使殿は、この城を訪われた。
そして、わしの話と印形を証左として、ゼオン・コエンデラこそジュールラン・シーガルスであり、古き王家の血を引く者であるとお認めになり、共に王都に帰って行かれた。
まあ、いくら王の長子といっても、母の出自が辺境の名も知れぬ一族とあっては、王位継承権が与えられることはあるまいし、そう高い位に就くこともできまい。
おそらくは、都にとどめられることはなく、辺境に帰って来るだろう。
しかし、愛し続けた女性の息子なのだからね。
対面して親子の絆を確かめ合えば、これからのち、ゼオンは、いやジュールランは、絶大な庇護を受けることになる。
パルザム王の実子なのだよ」
今やカルドスは温厚な仮面を脱ぎ捨て、猛獣のような目でバルドをにらみつけている。
「バルド・ローエン。
卿がテルシア家を致仕して旅に出たと聞いたときには、やられた、と思ったよ。
今までさんざんわしの進む道を邪魔してきた卿に、これからはわしの露払いをさせられると思ったのにな。
その後、渦巻きと印形のことを聞き、卿がリンツのほうに向かっていると知ったときは、慌てたよ。
印形を持ち、渦巻きの秘密を知った上で、パルザム王国に向かっているのかと思ったのだ。
だが、そうではなかったのだな。
卿は、大事なことは何も知らず、肝心のことは何も調べられなかった。
わしは知るべきことを知り、必要な物を手に入れた。
ローエン卿。
わしに従え。
さもなければテルシア家は、すべての領土を失うぞ。
領土だけでは済まさん。
アイドラ姫を苦しめ死に追いやった罪をもって、一族を皆殺しにしてくれる。
わしに従え、バルド・ローエン!
返答せよっ」
5月19日「嘘と真実(後編)」に続く