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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
第7章 迷宮への挑戦
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第9話 試練の洞窟(中編3)





 9


 再び闘技場に出た。

 ザリアが石板の文字を読む。


「〈いまだ闘技場に上らぬ者一名が上れ〉と書いてあるね」


 そう言ってザリアはバルドのほうを見た。

 今度は誰を闘技場に上げるのか、と判断を仰いでいるのだ。

 バルドはカーズを見た。

 カーズはうなずいて、闘技場に上る三段のステップに足をかけた。


 すると轟音が響き、突然辺りが真っ暗になった。

 いや、真っ暗ではない。

 今までが明るかったからそう思うが、月のない夜ほどの明るさはある。

 見ればカーズは、もう闘技場に上がっている。

 上がって、闘技場の反対側の端をにらんでいる。


 今度は先ほどのように、カーズの体が大きくなるというようなことはなかった。

 いつも通りのカーズである。

 いつのまにか闘技場は草原に変じていた。

 どこからか吹き込んでくる風に吹かれて、草原がそよそよそよいでいる。


 誰かが立っている。

 闘技場の向こうの端に立っている。

 目が慣れるにしたがって、その姿ははっきり見えてくる。

 人だ。

 若い男だ。

 一糸まとわぬ素裸である。


 なんと美しい男か。

 ほっそりとした体躯には、一つも無駄な肉はない。

 ひげのないつるりとした顔。

 短く刈り込まれた頭髪。

 だらりとさげられた両手の指先までがしなやかで美しい。


 と、段々と部屋が明るくなってきた。

 次第に明るさは増し、ついに昼間のような明るさになった。

 カーズはずっと前方をにらんでいる。

 すでに男の姿はない。

 代わりにそこには一匹の大きな狼がいた。

 またもザリアがぽつりと言い当てた。


「半神半獣の英雄、スカーラー……」


 スカーラーは人間の男だった。

 あまりの美しさに月神サーリエが求愛した。

 だが男には恋人がいたのでこの求愛を退けた。

 激怒したサーリエは、男を醜い獣の姿に変えた。

 サーリエが天空を支配する夜のあいだだけ、獣は男の姿に戻る。

 サーリエはまんまと男を自分のものにした。

 これを快く思わない者がいた。

 サーリエに恋慕していた獣神ドーグである。

 獣神ドーグは何度も男を殺しかけた。

 サーリエは太陽神コーラマの炎の戦車を引く八匹の狼のうち最も強力な一頭を盗み、その毛皮を男に着せ、その血を男に飲ませ、その肉を男に食べさせた。

 炎狼の霊力を得た男は、獣神ドーグを寄せ付けないほど強くなった。

 だが太陽神コーラマが、盗まれた狼の毛皮を男が身に着けていることに気付いた。

 コーラマは男に死の呪いをかけ、期限までに七つの冒険を成功させなければお前は死ぬ、と告げた。

 男は七つの冒険を成功させて民衆の英雄となるとともに、強大な力を身につけた。

 夜は美しき男。

 昼は不死不敗のたくましき狼。

 それが半獣半神の英雄スカーラーである。


 カーズと狼は同時に前方に駆けだした。

 すさまじい速度である。

 たちまち両者は闘技場中央で互いを捉えた。

 カーズは狼の爪をかわしながら、真っ赤な光を放つ魔剣で狼の首をないだ。

 魔剣ヴァン・フルールは、確かに狼の首を捉えた。

 見ていたバルドは、首は斬り落とされた、と思った。

 だが狼は何事もなかったように動作を続けた。

 首には傷一つ付いていない様子なのである。

 〈炎狼の呪力を帯びた毛皮は、何物も切り裂くことができない〉

 という神話の一節を、バルドは思い出した。


 首を切ることができなかったということは、狼の攻撃動作を止めることができなかった、ということである。

 狼はカーズの喉元に食いつこうとした。

 カーズは至近距離でそれをかわしてのけたが、狼の牙は肩口を切り裂いた。


 それから高速での攻防が始まった。

 ほとんどバルドの目にも、両者のやりとりは見えない。

 カーズは狼の攻撃をかわしながら、体のいろんな場所に斬り付けているようだ。

 だがカーズの攻撃はまったく通らない。

 魔剣の赤い軌跡はむなしく強靱な毛皮にはじかれるばかりである。

 それにひきかえ、狼の攻撃は時々カーズに届いて、徐々に傷を増やしていく。


 やがてカーズは全身血まみれになった。

 心なしか、わずかに動きも鈍ってきたようにみえる。

 そのとき、草に足を取られてカーズがよろめいた。

 その隙を見逃さず、狼はカーズののど笛に牙を立てた。

 と見えたのは錯覚で、魔剣ヴァン・フルールは狼の喉から深々と突き入れられていた。

 よろめいたのは、誘いだったのである。

 毛皮は傷つけることができないとしても、口の中はそうではない。

 魔剣は喉を通り、内臓にまで届いているだろう。

 ヴァン・フルールを突き入れられたまま、狼は口から血を噴き出した。

 しかし狼の生命力は、容易なことでは奪い尽くせない。

 もがく。

 もがく。

 いや。

 そのような状態になりながらも、狼はカーズへの攻撃を続けているのだ。

 牙は封じられたが、爪は残っている。

 狼はなおももがいてカーズの体に傷を付けるが、カーズはひるまない。

 ぐいぐいと狼の頭めざして剣を突き入れていく。

 カーズの体はみるみる傷だらけになり、狼の血とカーズの血は混ざり合い、もはや区別もつかない。

 恐ろしいうなり声を上げながら、狼はあがき続けた。

 けれどやがて長い時間のあと狼は動きを止め、人間の姿に戻ってから倒れた。


 鐘が三度鳴り、闘技場は元の岩の台座に戻り、その奥に新たな通路が開いた。

 ザリアはカーズの手当をした。

 狼の魔獣であつらえた革鎧はすでにずたずたであり、革鎧に包まれていた美しい体も傷だらけとなっている。

 だがカーズのまなざしには、いささかのひるみもない。

 いや。

 その目には、いささか得意げな光がある。

 そんなふうにバルドには思われた。

 バルドはかすかにほほえんだ。


  カーズよ。

  見事な戦いじゃった。

  わしはお前を誇りに思うぞ。


 バルドは、声には出さず、心の中でカーズの戦いぶりを賞賛した。

 ザリアがしばらくのあいだカーズの治療をした。

 傷痕はそのままだが、出血は止まった。

 痛みも治まったのだろうか。

 なにしろカーズは苦しんでいても表情には出さない。

 しかしザリアが治療したのだから、いくぶんなりとも痛みは和らいだはずである。

 一行は先に進んだ。





 10


 今度の洞窟は青い光に満ちていた。

 そこでは小型の盾蛙(ローワーグル)のような敵が襲ってきた。

 体長は人間の頭ほどしかないのだが、異様に大きな足が付いており、とてつもなく大きな跳躍をする。

 ぱっくり開いた口からは長く鋭い舌が伸びてくるのだが、これに刺されると体が麻痺する。

 そんな敵が百あまりも一度に襲い掛かってきたのである。

 敵を倒しながら、こちらも次第に麻痺していった。

 カーズさえも、先の戦いのダメージが残っていたのか、ついに敵の攻撃をかわしそこねた。

 ザリアは麻痺した仲間を治療していったが、悪いことにそのザリアも襲われ、麻痺してしまった。

 最後に残ったイエミテが最後に残った敵を倒したので、なんとか勝てた。

 やがてザリアが自分を治療し、全員を治した。


 そこから少し進んだ場所で、バルドは休憩を命じ、食事を取った。

 全員相当疲労している。

 これまでからすれば、一度敵を倒した場所にはもう敵は現れないようだ。

 じゅうぶんな休憩を取って、一行は再び進撃を再開した。


 バルドは違和感を感じていた。

 洞窟に現れる敵と、闘技場に現れる敵についてである。

 闘技場に現れた二体の敵は、いずれも強敵ではあったが、その闘いぶりは堂々たるものであり、胸はずむものがあった。

 だが通路に現れる敵は陰湿である。

 通路の敵には悪意を、あるいは邪悪な何かを感じる。

 戦いには何の喜びもない。

 この差はいったい何を意味するのだろうか。





 11


 次の闘技場に着いた。


「〈いまだ闘技場に上らぬ者一名が上れ〉、か。

 さっきとおんなじだねえ。

 ねえ、バルド。

 今度はあたしに行かせておくれでないかい。

 ちょっと考えてることがあるんだよ」


 ザリアは戦闘要員とは考えていなかったので、この申し出には驚いた。

 だが何か考えがあるのだろう。

 バルドはうなずいてザリアに許可を与えた。


 今度は闘技場が沼地に変じた。

 沼とそれを取り巻く背丈の高い草地だ。

 だが敵の姿がいない。

 草の陰にでも隠れているのかと見回したが、見当たらない。

 ザリアは、といえば上空を見上げている。


 いた。

 敵がいた。

 はるか高空にぽつんと浮かんでいる。


 女だ。

 薄衣をまとい、長い明るい栗色の髪をなびかせた美しい女だ。

 女はにこにことほほえんでいる。

 女の服を、髪をはためかせる風は、どこから来ているのだろう。

 女自身だ。

 この四方八方に乱れねじれて吹きすさぶ風は、女から発している。


 風神ソーシエラ。


 時に優しき成長の守り手であり、時に無慈悲な破壊の女神。

 疲れ切った人間にソーシエラが吹き寄せる風は、その者のつらい記憶を奪い去り、忘却を与える。

 あらゆる物を切り裂く霊力を持つが、その体は切ることも突くこともできない。

 そのソーシエラが笑いながら虚空に浮かんでいる。

 空にあるものをいったいどのようにして攻撃せよというのか。

 しかも神話の通りであるなら、剣も槍も槌も、ソーシエラには傷を与えられない。

 ソーシエラは、殺せない神であり、不滅の神なのだ。

 その姿は消えることがあるけれども、いつのまにか復活して天空を吹き抜けて行く。

 ソーシエラはそうした神である。

 いったいこの相手と、どうやって戦えというのか。


 ザリアは沼地のほとりまで進み、杖を突き刺した。

 ソーシエラはふうっと息を吹き掛けた。

 その息は風の刃となってザリアの左手の肩口を吹き抜ける。

 ザリアの左手が肩口から切れて、ぽとり、と地に落ちた。

 ザリアは右手で左手を拾うと、切れた場所に付け、何事か呪言をつぶやく。

 切れたはずの左手は元の通りにつながった。


 ザリアはなおも目を閉じ呪言をつぶやく。

 杖が赤く輝き始め、ザリア自身の体もやわらかく発光する。

 ソーシエラが、またもふうっと息を吹き掛けた。

 風の刃がザリアの首に迫る。

 と、風の刃は杖に当たって、あらぬ方向にそれていった。

 女神は少し驚いた顔をして、もう一度息を吹き掛けた。

 またも風の刃は杖に当たってそれていく。

 女神の顔から笑みが消えた。


 ザリアはなおも呪言をつぶやいている。

 女神は両手を広げ、あおるしぐさをした。

 左の袖から五つの、右の袖から五つの風の刃が生まれ、ザリアに迫る。

 十個の風の刃はいずれも杖にそらされるが、そのうちのいくつかがザリアの両の腕をかすめて切り裂いた。

 それて飛んだ風の刃は辺りの草を刈り取っていく。

 が見守るバルドたちの所には届かない。

 闘技場の外には飛び出ないようになっているようだ。


 なおもザリアの呪言は続く。

 女神は両の手の指を大きく開いて伸ばし、その十本の指から続けざまに風の刃を放つ。

 乱れ打ちといってよい密度の濃い攻撃である。

 そのほとんどは杖にはじかれるが、いくぶんはザリアの体を削っていく。

 もはやザリアの顔も体も血まみれである。

 だが、ザリアは目を閉じたまま呪言をつぶやいている。


 激しく打ち付けられる風の刃をはじいていた杖が、ついに耐えきれなくなった。

 ばきんと音を立てて折れ飛んでしまったのである。

 女神は風の刃を放つのをやめ、にこりと笑った。

 そして両の手を突き出したまま一つに重ねた。


 来る。

 来る。

 とどめとなるべき攻撃が来る。


 そのときザリアはかっと目を見開き、何事かを叫んだ。

 するとザリアの周囲に風の渦巻きが起き、今まで女神の攻撃が斬り落とした草が宙にらせんを描く。

 草の渦は激しい勢いで上空に伸び上がり、女神の所にまで迫る。

 ザリアは懐から何かを出して打ち合わせた。

 火の粉が飛んだ。

 ということは火打ち石だったのだろう。

 火の粉はあり得ない燃え広がりかたをみせ、渦巻く草に燃え移り、あっというまに女神を包んで燃えさかる。

 燃える草の端切れは媒介に過ぎない。

 それを種として何百倍何千倍の炎をザリアは起こしたのだ。

 激しい悲鳴が響き渡った。

 業火は一瞬で鎮まったが、もう虚空には女神の姿はない。


 鐘が三度鳴り響いた。







3月7日「試練の洞窟(中編4)」に続く

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