第9話 試練の洞窟(中編1)
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「伯父御、お待たせし申した」
従者に手伝わせて重鎧を身に着けたゴドン・ザルコスが、準備が調ったことを告げた。
その手には巨大なバトルハンマーが握られている。
「はい、これ、傷薬。
切り傷や擦り傷がついたら、たいしたことない傷でも、すぐに擦り込んでおくのよ。
できるだけおばば様に負担をかけないようにね」
カーラがカーズに薬を渡しながら注意を与えている。
ずいぶんなれなれしい態度のようでもあるが、考えたらカーラは誰に対してもこんな調子だ。
「みんな準備はいいようだね。
それじゃあ、入ろうかね。
バルド」
薬師の老婆ザリアに声を掛けられ、バルドは全員を見渡してから、では風穴に入る、と言った。
バルド、ゴドン、カーズ、エングダル、イエミテ、そしてザリアが風穴に入って行く。
そのあとを、クインタ、カーラ、ナッツ、ゴドンの従者、そして一人のマヌーノが続く。
マヌーノは女王の命でついてきた。
〈試練の洞窟〉に無事入れるかどうかを見届けに来たのだ。
タランカも見送りに来たがったのだが、ドリアテッサから厳しい目つきでにらまれた。
フューザリオンは日に日に発展しており、騎士となったタランカの出番は多い。
武芸も達者なうえ抜群の調整能力を持っているのだから、タランカをドリアテッサが黙って行かせるはずはなかった。
本当ならバルドやカーズが出掛けるのもまずかったのだが、幸い、ハドル伯からカーズに贈られた騎士キズメルトルと騎士ノアは軍事にはもちろん、行政についても素晴らしい能力を持っており、おかげでバルドとカーズは大手を振って出られたといえる。
タランカは、クインタだけが見送りに同行できるのはずるいと言った。
だが風穴の前で馬と荷物の番をする者はどうしても必要だし、風穴突入メンバーが出て来なかった場合には、カーズなしで樹海を通り抜けて帰らねばならない。
この点クインタは師匠のカーズばりの方向感覚を持っており、一度通った所はまず迷うということがない。
タランカもクインタのこの能力についてはよく知っていたので、しぶしぶ見送り役をクインタに譲ったのである。
もっともクインタのほうは、
「タランカは竜人の島に同行したじゃないか。
今度は俺の番だ」
とタランカに言っていた。
なお、ジュルチャガがこっそりついて来ようとしたが、ドリアテッサに気付かれ、騎士キズメルトルと騎士ノアに取り押さえられた。
風穴の中に入った六人は、まもなく緑の台座と赤い石板のある行き止まりに着いた。
薄明かりの中で淡く発光する台座と石板は、やはり不思議だ。
この六人でこの台座に乗れば、常の人の世とは違う場所に行くことになる。
「向こうに着いた瞬間に敵に襲われる、ってこともないとはいえない。
みんな、その心構えだけはしておくこったね」
ザリアの言葉に一同はうなずき、それぞれ石の台座に乗った。
すると石の台座の緑の発光が輝きを増した。
それぞれの台座から光の柱が立ち上った。
最初バルドは自分の乗った台座だけが強く光ったのかと思ったが、どうもすべての台座が強く光っているようだ。
といっても、光が強く目に飛び込んでくるものだから、周りの様子もはっきりとは見えないのだが。
その発光はずいぶん長く続いた。
まるでバルドたちの隅々までを調べているかのように。
やがてもとの静かな光に戻ったとき、バルドは、自分たちが今までとまったく違う場所にいることに気付いた。
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先ほどまで、台座の前には壁があった。
今はない。
今は背中側に岩壁がある。
そして見送りの者たちの姿はどこにもない。
バルドたちは別の場所に移されたのだ。
もしかすると、あの壁を通り越えたのかもしれない。
足の下には先ほどと同じ岩の台座がある。
同じにみえるが、たぶんこれは別の台座なのだろう。
ひどく天井の高い場所だ。
両側からせり寄りながら、岩の壁ははるか上方まで続いている。
上のほうは闇に溶け込んで見えない。
広場の先に洞窟がある。
その洞窟の中は黄色い光で満ちている。
バルドはエングダルに松明を消すように命じた。
背の高いエングダルが松明の係をすることになっていたのだ。
この場所では取りあえず松明は必要でない。
そしてバルドは台座からおり、洞窟に向かって歩こうとした。
「ちょっと待っておくれでないかい」
ザリアが声を掛けたので、バルドは足を止めた。
「この姿のままじゃ、足手まといだからね。
ちょっと形を変えるよ」
ザリアはそう言い、目を閉じて呪言を唱え始めた。
その老いた体から湯気のようなものが立ち上り、姿がゆらゆらと揺らめき始める。
しばしののち、そこには美しく若い女がいた。
髪は長く黒い。
目は切れ長で、強い意志を示している。
肌は白く、唇は朱い。
鼻はつんと突き出している。
だぶだぶの衣装の下には張りのある胸や尻があることがうかがわれる。
服も右手に持つ杖も先ほどのザリアと同じなのだから、これはザリア本人に違いない。
あの女だ。
いつか悪魔の実を焼き払ったときの、ザリアの姿だ。
体内の精霊の力を使うとき、若いときの姿になる、とザリアは言っていた。
つまり今ザリアは精霊の力を解放している。
「お待たせ。
さ、行こうかね」
と言うザリアを見て、ジャミーンの勇者イエミテが、
「人間というのは、器用なことができるのだな」
と言った。
六人は、イエミテ、カーズ、ゴドン、エングダル、ザリア、バルドの順に並んだ。
イエミテは敵を探知する能力が非常に優れており、また身のこなしも素早いことから、索敵役として先頭を歩くことになったのだ。
他のメンバーより格段に身長が低いので、後ろに回すと視界が悪いということもあった。
黄色い光は、どうも岩自体が発光しているようだ。
洞窟は、エングダルがかがまずに歩けるほど高く、三人で並べるほど広い。
ただし並んでしまえば動きが取りにくいし視界が悪いので、一行は一列に並んで進む。
右に左にと曲がりながら続く道なので、先のほうを見通すことができない。
「何かが来る。
たぶん、六体」
イエミテが言った。
バルドたちは立ち止まって陣形を取った。
先頭にイエミテとカーズ。
その後ろにゴドン。
その後ろにエングダル。
最後尾にバルドとザリアだ。
音が聞こえてきた。
ごろごろ、がらがらという音だ。
やがて相手が見えてきた。
岩だ。
赤黒くてごつごつしていて突起のある丸い岩が六個、転がって来た。
その大きさは一歩半近い。
つまりイエミテの身長に近い。
岩は止まらずに転がってくる。
ここで出会う者は敵と思え、とバルドは言い渡していた。
カーズは魔剣を抜いている。
イエミテも魔獣の骨で作った骨剣を構えている。
一同はいつでも攻撃できる状態で、次に起きることを見守った。
六個の岩玉は、三個ずつ並んで迫ってきた。
そしてイエミテとカーズの前で止まり。
割れた。
いや、割れたのではない。
開いたのだ。
握りこぶしを開くように。
岩玉は、複数の関節を持つ八本の鋭い爪となってイエミテとカーズを襲った。
カーズは襲い掛かってきた爪に魔剣で斬り付けた。
驚いたことに、魔剣ヴァン・フルールをもってしてもその爪を斬り落とすことはできない。
だが、わずかに敵の勢いを殺すことはできた。
さらにその横の敵の爪もカーズははじいた。
イエミテは、骨剣を敵の開いた爪の中央に突き込んだ。
開いた敵の爪はイエミテの全身を覆い尽くすほどの大きさなのだから、これは際どい攻撃だ。
しかしながらイエミテの攻撃と移動の速度は常識を超えており、一見危うげなこの振る舞いも、じゅうぶんな余裕をもって行われている。
敵が爪を開いたその中央は、生白くぬめぬめとした口のようにうごめいている。
口の周りには中央に向かって白い牙のような物が生えている。
その中央に骨剣を突き込み、素早く後ろに飛びすさった。
バルドは指示を出した。
ゴドンは前へ!
イエミテ、カーズは後ろに!
エングダルはゴドンの援護を!
ゴドン・ザルコスは前に進み出て、中央の敵に巨大なバトルハンマーを振り下ろした。
そのバトルハンマーをもってしても敵の爪は折れなかったが、胴体がぐしゃりと二つにつぶれた。
ゴドンの右横をすり抜けてイエミテが後退するのを右側の敵が追った。
その敵に、エングダルは巨大な曲刀をたたき付け、動きを止めさせた。
ゴドンの左横にカーズが下がるのを左側の敵が追った。
カーズは魔剣で敵の胴体の下側をなぎ払い、動きを止めさせた。
ゴドンは、両横を抜ける敵には目もくれず、その後ろから迫ってくる三体の敵に向かった。
まず、爪を大きく開いて飛び掛かろうとしたまん中の一体をたたきつぶした。
その間に両側の二体が爪をゴドンに突き立てた。
だが頑丈な金属鎧は、その攻撃によく耐えた。
ゴドンは慌てもせず、右側の一体をたたきつぶした。
左側の敵はゴドンの左足に絡み付く。
ゴドンはバトルハンマーを持ち変えると、柄の部分を敵の体の隙間に差し込んで、ぐいとひねって自分の体から引きはがした。
吹き飛んだ敵が着地して再び襲い掛かるのに合わせて、握り直したバトルハンマーを打ち下ろす。
小気味よい音がして敵の爪は吹き飛び、本体はぐしゃりとつぶされた。
このときゴドンの右側を抜けた敵は、そのぬめる口にエングダルの曲刀が突き込まれて、動きが鈍くなっていた。
カーズのほうは、左側の敵をうまくあしらいながら、ゴドンを待っていた。
ゴドンはカーズの剣と爪を打ち合わせている敵にバトルハンマーを振り下ろした。
そして右側の瀕死の敵にもとどめを刺した。
「待たせたのう、カーズ」
そう言うゴドンに返事もせず、カーズは魔剣を鞘に収めた。
6
一行は進撃を再開した。
右に左に曲がりくねる洞窟を、奥に奥にと進んでいく。
ずいぶん進んだ先で、ぽっかりと開けた広大な空間に出た。
奥行きが百歩はあるだろう。
丸い部屋である。
天井まで優に千歩はある。
その部屋のほとんどは円形の台座で占められている。
つまり差し渡しが百歩ほどもある円形の台座である。
台座の前に赤く光る石板があった。
さっそくザリアが解読する。
「〈なんじらのうち、ただ一人が闘技場に上れ〉って書いてあるねえ。
闘技場ってのは、やっぱりこの丸い台座のことなのかねえ」
「ほほう。
伯父御。
ここはまずわしが様子をみてみましょう。
よろしいですな」
ゴドンはバルドがうなずくのを待って前に進んだ。
円形の台座には三段のステップがついている。
その一段目にゴドンが足を乗せたときである。
何かが破裂するような、あるいは百個の太鼓を同時に打ち鳴らすような大きな音がして火花が散り、円形の台座の奥のほうに何者かが出現した。
雷を模した兜飾り。
絢爛たる黄金の鎧。
飾り紐で縛り上げた戦靴。
雄大な体格と、岩をねじり上げたような骨格。
覇気に満ち、闘争心をあふれさせた両の目。
そしてその両手には、それぞれ短いが重量感たっぷりの戦槌がにぎられている。
戦槌からは、ぱりぱり、ぱりぱりと、雷光がほとばしっているではないか。
その身の丈は二十歩ほどもあろうか。
つまりゴドンの十倍の身長である。
「……ら、雷神ポール=ボー」
ザリアが思わずつぶやいた。
そうだ。
その巨人は、神話に登場する雷神ポール=ボーそっくりの姿をしていた。
3月1日「試練の洞窟(中編2)」に続く