第8話 イステリヤ(前編)
1
太陽神コーラマが、西の水中に身を隠しかけるころ、東の水の上に大地が現れた。
小さな大地だ。
もっとも、小さいというのは周りの広大な水の世界と比べてのことであり、その小さな大地は、パルザムの王都とどちらが大きいか、というほどの大きさを持つ。
間もなく一行は、その小さな大地の西の端に降り立った。
波が打ち寄せる際であり、いくつもの岩棚が折り重なっている。
見れば岩棚の中央を小さな水流が通っており、岩棚の中ほどでは水たまりができている。
「ここで一晩過ごせ。
あなぐらもあるし、水もある。
草や木や枯れ枝もある。
明日、朝の食事が済んだころに迎えに来る」
そう言ったチチルアーチチに、バルドは、ここまで世話になったのう、と礼を言った。
タランカは、質問をした。
「チチルアーチチ殿。
この水の上の大地が竜人のすみかなのか」
「そうだ。
この島こそが、竜人の国たるイステリヤだ。
われらの住まいはククル=リの東側から中央にかけてだ」
「ククル=リとは何か」
「海の中にぽつんと浮かぶ大地のことだ」
「ユーグとは、この広大な水の大地のことか」
「水の大地、とはおもしろい言い方だな。
だが、その通りだ。
こうした言葉は人間の言葉なのに、お前たちは知らないのだな」
「チチルアーチチ殿。
竜人には竜人の言葉があるのだろう」
「無論だ」
「あなたがたは普段人間とまじわらないはずだ。
なのになぜ、あなたはそんなにも見事に人間の言葉が話せるのか」
「……それについては、明日族長に訊け」
ここでバルドが質問を挟んだ。
バルドはチチルアーチチにこう訊いた。
ククル=リというのは、イステリヤだけでなく、ほかにもあるのか。
「ある、と聞いている。
だが私たちが知るのは、このイステリヤだけだ。
……いや。
もう一つ知っているな。
それについては明日族長に訊け」
バルドが訊きたかったのは、取りあえずそれだけだ。
タランカがチチルアーチチに言った。
「分かった。
疲れているところを済まなかった。
他の竜人たちにもチチルアーチチからねぎらいを伝えてくれ。
チチルアーチチに抱かれての空の旅は心地よかった」
「……お前は変な人間だ」
チチルアーチチはそう言い置いて、仲間を連れて飛び去った。
カーラがうさんくさげな目つきをタランカに向けた。
「あんた、あの竜人の女を口説くつもり?」
「いや、そんなつもりはないよ。
でも仲良くしたい、と思っている」
仲良くか。
なるほどそれは大事なことじゃ、とバルドは思った。
竜人たちは味方というわけではない。
むしろ敵だ。
いよいよのところでは決して友誼を結べる相手ではない。
しかしだからこそ、対話し理解することが必要だ。
仲良くしたい、というほどのところに心を置くことは、とてもよい。
そうでなければ交渉などできない。
タランカはまだ若いのに、老練な貴族のような発想ができている。
バルドは大いに感心した。
2
太陽神は水に没したが、暗闇にはほど遠い。
中天には姉の月が輝き、妹の月も銀の馬車に乗って姿を現した。
星神ザイエンはひときわ豊かに星々の光を降らしている。
さて、食事の準備をしなくてはならない。
バルドたちが下ろされたのは波打ち際の砂浜である。
「このまま砂浜で食事にしよう。
僕はたきぎ拾いをするから、カーラはこの鍋に水を汲んで、スープの具を準備しておいてくれるかな」
カーラが鍋を持って波打ち際に向かうのを見て、バルドはあることを思い出した。
そこでカーラに、ユーグの水は塩水のはずじゃ、と声を掛けた。
「あら、そうなの?
じゃあ、塩が節約できてちょうどいいわね」
カーラは鍋に海の水を汲み、それを手ですくって飲んだ。
そして、何とも言えない顔をした。
「うえええええええ。
からい。
塩からい。
それに、なんていうか、まずい。
だめだわ。
この水じゃ、スープは作れない」
そう言って、岩棚をのぼって清流を汲み取った。
カーズはといえば、砂浜の端にある岩場に上って何かを見ている。
そこは清流が流れ落ちる場所であり、ごつごつした岩が折り重なっている。
打ち寄せる波が岩に当たって砕け飛び散っている。
カーズは砂浜のほうに戻って来た。
波打ち際をあさっている。
何かを見つけたようだ。
それは貝だった。
二、三個の貝を拾うと、また岩場に戻った。
カーズの体が岩場の影に消える。
下のほうに降りたのだろう。
ほどなく岩場から出て来た。
剣を抜いている。
その剣の先で何かがはねている。
びちびちと。
魚だ!
バルドにも、ようやくカーズの狙いが分かった。
岩場に魚が寄って来るのに気付いたカーズは、貝の身を水に落とし、それを食べに来た魚を剣で突いたのだ。
なんという技。
魔剣〈ヴァン・フルール〉をそんなことに使ってよいのか、と少し思ったが、カーズが自分でやっていることなのだから、よいのだろう。
その後カーズは人数分の魚を獲った。
海の魚は、泥臭さがなく、非常に美味だった。
食事のあと、四人は思い思いに過ごした。
なかなか寝付けなかった。
何しろこの風景は素晴らしい。
星神に照らされ、風神に吹かれてさざめき揺れる広大なる海。
飽きることのない眺望である。
それにしても、この大いなる海がユーグだったのか。
バルドは感慨を深くした。
ユーグ、というのは古い古い神の名だ。
何の神かといえば冥界の神なのである。
大オーヴァが流れていく先は巨大な奈落となっており、その落ち込んでいく先は冥界である。
すべての死者の体が流れ着く場所こそが冥界なのである。
したがって冥界は闇そのものであり、混沌そのものでもある。
と同時に新たな命の揺り籠でもある。
死者はユーグのもとで安らう。
そして新たな命となって地上に生まれていくのである。
なんとなれば、闇とは命を包み守り育む働きだからである。
辺境ではユーグの名は忘れられていない。
バルドも、川に流した手紙は大オーヴァに流れつき、それからユーグに送り届けられるものだと思ってきた。
ここから先は、ロードヴァン城からパルザム王都への旅の途次、マッシモサンボ位伯に聞いたことである。
が、やがて死者の魂魄は霊峰フューザに集まって神々の庭にいざなわれる、という信仰が力を持つようになった。
また、パタラポザなる闇の神が現れ、冥きもの、おぞましきもの、怪しきものをつかさどるといわれるようになった。
生命の誕生は豊穣神ホランのわざとされるようになった。
こうしてユーグはその権能を奪われ、ただオーヴァの水を飲み込み続ける神となり、人々から忘れ去られていったのだという。
だが、ユーグはここにおわす。
オーヴァの水を飲み込み続けたその巨体で大陸を覆い、人の目に見えないところで人の暮らしを支え、この世のことわりを守り続けているのだ。
ふと見れば、タランカはひとり何事か考え込んでいる。
波打ち際ではカーズのそばにカーラがにじりよっている。
バルドはユーグとザイエンに寿言を贈って報謝した。
3
一行が朝食を終えてしばらくして、チチルアーチチがやって来た。
三騎の飛竜を従えて。
四人を乗せて飛び立つと、海岸線に沿って北に移動した。
そしてある場所で空中に静止し、チチルアーチチは言った。
「あれを見よ」
チチルアーチチが指し示す方角には、一つの島があった。
それは小さな小さな島だ。
薄い赤色をした岩でできており、一本の木も生えていない。
あれはいったい何なのか。
あの島がどうしたというのか。
バルドたちの疑問に答えは与えられず、一行はそこから再び移動を開始した。
今度はイステリヤの中央部に向かって飛んだ。
島の中央部は巨大なそそり立つ岩山となっており、その中央部がぱっくりと割れている。
さらに近づくと、その割れた壁面にたくさんの穴が開いているのが見えた。
穴と穴とをつなぐように壁面には階段が掘られている。
穴の中から飛竜に乗って飛び出す竜人がいる。
つまりあの穴が竜人たちの家なのだ。
一行は壁面の最上部の穴に向かった。
バルドたちはそこで降ろされた。
ここから落ちたら命はないのう。
と、バルドは思った。
不思議なことに飛竜に乗って飛んでいるときには、高い空の上にいるという恐ろしさは感じなかったのだが、今は高さの恐怖を強く感じた。
バルドたち四人とチチルアーチチは、洞窟の中を進んだ。
どういう仕掛けか分からないが、奥に進んでも洞窟の中はぼんやり光っている。
ほどなく最奥部に着いた。
そこには一人の巨大な竜人がいた。
恐らくひどく年老いた竜人だ。
岩壁に背を預けて座っている。
その竜人に向かってチチルアーチチが言った。
竜人の言葉なので意味は分からない。
だが短い言葉の中に、フューザリオン、タランカという言葉があったのは聞き取れた。
「人間たち。
わしはイステリヤの族長ポポルバルポポ。
お前たちを歓迎しよう。
タランカという人間はどれだ」
「私がフューザリオンのタランカです。
族長ポポルバルポポ。
私たちの要求に応じ、会談の場を設けてくれたことに礼を言います」
そして待ちに待った竜人の長との対話が始まった。
ついにバルドが追い求めてきた秘密が明かされるのだ。
2月16日「イステリヤ(後編)」に続く




