第5話 銀狼(前編)
1
一行は、クラースクを出発し、テッサラ氏族の集落に向かった。
テッサラ氏族はジャミーンである。
ジャミーンは猿のような姿をした小柄な亜人だ。
成人しても、人の十二、三歳ぐらいの身長にしかならない。
彼らは森に住み、森を知り尽くしている。
人間は、森ではけっして彼らに勝てない。
ふつうジャミーンは人から離れて住むが、テッサラ氏族の居留地はエグゼラ大領主領にごく近い。
クラースクがあるのがエグゼラ大領主領の北端であり、テッサラ氏族の集落があるのがエグゼラ大領主領の真東である。
樹上の気配に注意をしながら、テッサラ氏族の集落に近づいていった。
いる。
バルドは一行の足を止めさせた。
森の中、バルド、ゴドン、カーズ、タランカ、クインタ、そしてカーラが馬に乗って立ち止まり、樹上を見上げている。
いる。
定かには見えないが、気配がある。
バルドは大声を上げた。
わしはバルド・ローエン。
イエミテ殿に会いたい。
返事はない。
だが、樹上の気配が増えた。
一人、また一人と集まって来ているのを感じる。
バルドはもう一度大声を上げた。
わしはバルド・ローエン。
イエミテ殿に会いたい。
きいきい、きいきいと、甲高い声を交わし合っている。
縄張りの入り口で立ち止まったままのこの一行をどう扱うかもめているのだろう。
普通のジャミーンは人間の言葉を理解しない。
しかし、イエミテという言葉が聞き取れたはずだ。
イエミテ殿は、おられぬか。
イエミテ殿は、おられぬか。
バルドはさらに呼び掛けた。
そして馬を動かさず、馬から下りることもしないで、ずっと待った。
どれほど待ったろうか。
一つの気配がするすると大樹を降りてきて、とん、と地に立った。
大柄なジャミーンだ。
ジャミーンの勇者イエミテである。
「青豹の霊獣を倒した人間ではないか。
勇士よ。
何の用があって来た」
バルドは、ユエイタンから降りて、そのまま地にあぐらをかいて座った。
イエミテがその前に進んできた。
座ったバルドの頭の高さは、立ったままのイエミテの頭より、わずかに低い。
バルドは振り返って一行を手で招いた。
ゴドン始め一同も馬から降り、バルドを中心に弧を描いて座った。
バルドは言った。
しばらくじゃのう、イエミテ殿。
わしはバルド・ローエン。
七年前にもここに来た。
イエミテ殿。
そなたに話して意見を聞きたいことができた。
五年前のことじゃ。
オーヴァ川の西に八百匹以上の魔獣が現れ、人間の国々に襲い掛かった。
「何だとっ」
人間からすれば金切り声に聞こえるような甲高い声で、イエミテは叫んだ。
そしてバルドたちに対面して座ると、
「話を聞こう」
と言った。
その姿は小さいが、威厳と静かな覇気にあふれていた。
バルドは、コルポス砦が魔獣の群れに襲われた時点から話を起こし、順番に出来事を説明していった。
そして、マヌーノの女王を訪ねてどんな対話をしたかを述べた。
次に、ザリアから聞いた話をした。
そして最後に、霧の谷を訪れて〈大地に根を張る者〉であるモウラと行った対話について語った。
「バルド・ローエン。
久しく途絶えていた、精霊の真実を知る人間よ。
お前を迎えることができて、俺はうれしい。
だがお前の話は驚くべきことで、よく分からん部分も多い。
順番に話をしよう」
そしてジャミーンの勇者イエミテは語り始めた。
声の高さは声変わりしていない子どものように高い。
だが話しぶりには叡智と年輪が感じられる。
そんな声で、イエミテは語った。
2
俺たちジャミーンは、〈青石〉と〈赤石〉を持っている。
これは、偉大な人間の王が特別に与えてくれたものであって、ほかの種族には与えられなかったのだ。
なぜかといえば、ジャミーンは精霊を信仰していたからだ。
だから〈大障壁〉が出来て、精霊が遠ざけられることになったのち、俺たちの父祖は偉大なる王に頼んだのだ。
自分たちの手元に精霊が引き寄せられるようにしてほしい、精霊がもとの清浄な精霊に戻ったとき、いち早くそれを知ることができるように。
遠い未来で精霊が本来の姿に立ち戻るのを監視する役目を、われらジャミーンが引き受けましょうと。
偉大なる王はこの請願を聞き入れた。
俺たちには、〈青石〉と〈赤石〉が与えられた。
失われることがないよう、それは部族ごとに管理することになった。
〈赤石〉は、最も失われにくい場所に、つまり各部族の祖先の霊廟に埋められた。
だからこの場所に引き寄せられて精霊は生まれ、獣に取り憑いて精霊獣となる。
人間たちのいう〈魔獣〉だ。
気の荒く力のつよい特別な獣であり、古き精霊の宿る獣だ。
俺たちはその一頭ずつを〈霊獣〉と呼んで敬い、手元に置いた。
霊獣に宿る古き精霊が、少しでも早く狂いから目覚めて元の清浄な姿に戻るよう祈りながら。
霊獣としない精霊獣は、人と争わずにすむように、辺境の奥地に導いた。
良き清浄な精霊たちがルジュラ=ティアントたちのもとに生き残っていたというのは、実によい知らせだ。
ただちに他の部族にも知らせることにする。
マヌーノを操ってたくさんの魔獣を生み出させ、しかも人間を襲わせたというのは、許しがたい話だ。
だが竜人については、俺たちはあまり知らない。
知っているとすれば、ゲルカストだろう。
その昔、竜人たちは、この地のあまたの種族の上に君臨していた。
やつらは他の種族がまったく抵抗できないほど強力だった。
やつらは飛竜を操る力と、にらみつけただけで敵を身動きできなくさせる不思議な力を持っていたという。
やつらは他の種族を空の高みから見下ろし、おもしろ半分に命令を下し、そして食らった。
俺たちは、いつ食われるかとびくびくしながら、空を行くやつらを見上げていたのだ。
抵抗したり反抗しようものなら、部族のことごとくが八つ裂きにされた。
そんなやつらと唯一対等に近い付き合いができたのが、ゲルカストだ。
ゲルカストの強さには、やつらも敬意を払わずにはいられなかったのだな。
そしてゲルカストには、やつらの不思議な力も通じなかった。
やつらは今はこの地にいない。
俺たちに命令したり、俺たちを食べることもない。
やつらは偉大なる王に追い払われてしまったのだ。
だが今やつらがどこにいて何をしているか、俺たちの部族には伝わっていない。
ゲルカストに尋ねなくてはならん。
バルド・ローエン。
あの〈見つけたぞ〉という声は、俺たちも聞いた。
お前も聞いたのだな。
そして理解した。
俺も聞いた。
そして理解した。
それだけではない。
部族の者たちで人間の言葉を知らない者たちも、あの言葉を聞き、そして理解したのだ。
どういうことなのだろうかと、ずっと考えていたのだ。
あの言葉は人間の言葉で発せられたが、他の種族の言葉でも発せられていたのだ。
それが重なり合う葉っぱのように一つの言葉となり、みなの頭の中に響いたのだ。
たぶんこの大陸中のあらゆる種族の者の頭の中に。
これは尋常なことではない。
あの言葉を発した者は、とてつもない力を、そして知識を持っている。
バルド・ローエン。
お前の旅に俺もついて行きたいところだが、ジャミーンを連れて人間の世界を旅すれば、面倒事も起きるだろう。
だから俺はここでお前の知らせを待つことにする。
ジャミーンの者たちすべてにお前の名を教えておく。
今後、お前とお前の連れて来る人間は、いつでもジャミーンの居住地に入ることができる。
3
氏族の祖先の霊廟に〈赤石〉を埋めたという話を聞いて、なるほどとバルドはふに落ちるものがあった。
ジャミーンは人間を嫌う。
人間の住む場所の近くに住むことを嫌う。
こんなに人間の集落と近い場所に集落を作っているのは不思議だったのだ。
だが、祖先の霊廟に〈赤石〉を埋めたということは、そこを古き精霊のよみがえる聖地とした、ということだ。
であれば、二重の意味でそこは動かしがたい。
人間の住む場所が広がって、だんだん自分たちの集落に近づいたときも、移動しようがなかったのだ。
そこでふとバルドは、あることを思い出した。
ピネン老人のことだ。
イエミテは、ピネン老人のことを知っていた。
自分たちはピネン老人に恩義があると言っていた。
そしてピネン老人のことを〈賢人〉ピネンと呼んでいたのだ。
バルドはイエミテに、ピネン老人がフューザリオンにいることを説明した。
孫にした青年とともに、医師として人々を助け支え、生き生きと生活していることを説明した。
イエミテはそれを聞いて大変喜んだが、バルドが水を向けても、なぜ彼を〈賢人〉と呼ぶのかは話さなかった。
沈黙の誓いに関わることなのだろうか。
バルドもそれ以上は訊かなかった。
イエミテは、バルドにゲルカストに会いにいくよう勧めた。
オーヴァ川の東側、大陸東部辺境のずっと南のほうにあるゲルカストの集落に行ってはどうかというのだ。
バルドは、オーヴァの西にあるゾイ氏族の集落に行きたいと言った。
ゾイ氏族の族長と族長代理とは友人であると言うと、イエミテは驚いた。
「ゾイ氏族は大族だ。
しかも古い古い氏族だ。
なるほど、ゾイ氏族から話を聞けるなら一番いい。
それにしても、バルド・ローエン。
ゲルカストを友とするとは。
お前は面白い男だ」
一行はイエミテに別れを告げ、旅を続けた。
その夜、食事をしているとき、クインタがカーズに話し掛けた。
「カーズ様。
あのイエミテというジャミーンの戦士、手練れでしたね。
草や葉の上を歩いても、体重を感じさせませんでしたし、立ったり座ったりする動きも柔らかな風のようでした」
「矢尻に気付いたか?」
「矢尻?」
イエミテは、大陸東部辺境のずっと南のほうにあるゲルカストの集落の場所を教えるのに、背中の矢筒から矢を抜いて、地に図を描いて指し示した。
そのときの矢に付いていた矢尻のことだろう。
だがクインタは矢尻になど注意していなかったので、カーズが何を言おうとしているのか分からなかった。
「あれは魔獣の骨から削りだしたものだ。
あの弓も普通の物ではない。
俺に呼吸を計らせなかった。
あの男は強いぞ」
カーズの言葉に、クインタは力強くうなずいた。
世にはあまたの強者がある。
クインタの目指す先ははるかかなただ。
愛馬ユエイタンの背に揺られながら、バルドは考えていた。
竜人は飛竜を操り、その背に乗って大陸を支配していたという、イエミテの話についてだ。
パクラにいたころから、時々飛竜はみかけた。
たいていははるか高空を飛んでいくから、それが飛竜であるという以上のことは分からない。
だが一度。
バルドが若いころに一度だけ。
高い山の頂から飛竜をみかけたことがある。
相当距離があったからはっきりしないが、その背に何かを乗せていたように思えた。
それは竜人だったのだろうか。
もしも。
もしもあれらの飛竜すべてが、竜人を乗せていたのだとしたら、どうか。
竜人たちは、バルドが予想したよりはるかに頻繁に人の世界に出入りしていたのかもしれない。
どこに行って何をしていたのだろうか。
1月22日「銀狼(中編)」に続く