第7話 二重の渦巻き(後編)
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リンツ邸に帰ろうとすると、ジュルチャガがついてきた。
正門には警備兵がいて、敬礼してきた。
ジュルチャガは、
「よっ」
と手を上げてあいさつして、平然と通った。
迎賓館の侍従に、珍客だ、とジュルチャガを紹介すると、
「確かに珍客だよね」
とジュルチャガは相づちを打った。
侍従は心得たもので、それだけで了解し、夕食や泊まる部屋の手配をした。
この日の陪食者は、リンツ伯一人だけだった。
みすぼらしい風体の客に驚きもせず、乾杯をする段になってから、
「お客人のお名前をお聞きしてもよろしいかな」
とリンツ伯が言うので、盗賊のジュルチャガという男です、と紹介した。
さすがにジュルチャガは、ぎょっとした顔をしたが、リンツ伯は、
「では、ジュルチャガ殿のご来駕を祝って、乾杯」
と平然と乾杯の音頭を取ってのけた。
次の乾杯の音頭は、賓客であるバルドの番である。
バルドは、リンツ領の繁栄とリンツに縁ある人々すべての健康を祝って乾杯した。
三度目の乾杯は、ジュルチャガが音頭を取る番である。
ジュルチャガは、
「この屋敷の安全と平穏を祈って、乾杯」
と発声して、杯を揺らした。
乾杯の応答が終わったので、菜が配膳された。
手ずから珍味を二人の客に取り分けつつ、リンツ伯が、
「ジュルチャガ殿といえば、〈腐肉あさり〉と呼ばれる、名盗賊ですかな」
と真面目な顔でジュルチャガ本人に訊いた。
バルドは、サイモン殿はすでにお会いになっておられますよ、と言った。
「ほう?
できるだけお会いせずに済むようにしてきたはずだがのう」
といぶかるリンツ伯に、手紙を盗んで崖に飛び降りた男ですよ、と答えた。
リンツ伯は、初めて驚いた顔を見せ、
「おおお、あの、猿のような」
と言い、さらに、
「うむっ。
まさに超一流の盗賊じゃ!
ローエン卿に続き、わが家に当代一流の人物をお迎えできたわけじゃな」
と大声で言い、高らかに笑った。
バルドも声を合わせて笑った。
ジュルチャガは、声は立てずににこにこと笑った。
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「あのとき捕まってさあ。
縛られて引っ張っていかれてた途中でね。
あのギエンザラとかいうのの一行と行き合っちゃったんだ。
お供の一人が俺のこと知っててね。
なんか、脅して、俺を引き取ってくれたわけ。
まあ、あのまま連れてかれたら縛り首間違いなしだったしね。
命の代金の分だけ働けっていわれちゃってさ。
兵士に化けて、手紙と印形を奪い取れって。
相手がバルド・ローエンって聞いたときは、一瞬目の前が真っ暗になっちゃったよ。
でも、男は挑戦する心を失ったら終わりだからね。
じっとチャンスを窺ってたってわけ」
「おぬし、がたがた震えていたではないか」
「リンツ伯の旦那、それは言いっこなし。
あれは相手を油断させるための演技なんだよ。
ほんとだって。
いやあ。
味方が壊滅しかかってたからね、手紙だけ取ってったんだけど。
結局、印形って、どこにあったの?」
「ははは。
なんじゃ、それを探りにきたのか?
面白いやつじゃな。
印形なる物は、ジュールラン殿もバルド殿も、心当たりがないそうじゃ」
「えっ?
バルドの旦那、知らないの?」
バルドは、うむ、知らん、と答えた。
「うわっちゃー。
はじめっからお宝はなかったわけか。
これだからだめだよね、素人は。
下調べが雑すぎる」
「ジュルチャガよ。
そもそも、なぜあの手紙をコエンデラ家が欲しがる。
渦巻きとか印形とかいうのは、どこから出た話なのじゃ?」
「ああ。
ガドゥーシャ辺境侯の使いの人が、そんなこと言ったらしいよ。
ギエンザラがバークラってのに言ってた。
ガドゥーシャ侯の使者は、二重の渦巻きと印形により、間違いなく本人が確認できるゆえ、心配ご無用と言ったのだ。
ってね」
「む?
ガドゥーシャ辺境侯じゃと?
そういえば、コエンデラ家は、ガドゥーシャ辺境侯に顔が利くようじゃな。
カルドスの母を通じて親戚になるのじゃったか」
ガドゥーシャ辺境領は、パルザム王国東部地域にあり、交易村パデリアを含む。
領主のマードス・アルケイオスは、パルザム王国の騎士で、有力武将の一人である。
「それと、バークラじゃと。
バークラ・メガノンか?
やつも来ておったのか」
バークラ・メガノンは、ドルバ領の重臣の一人だ。
バルドはジュルチャガに、では手紙はバークラに渡したのか、と訊いた。
「うん、そうだよ。
あ、ごめんね、バルドの旦那。
あれ、テルシアのお姫さんから旦那に宛てた手紙だったんだよね。
バークラのおっちゃんさあ。
手紙を開いて読んでたけどね。
なんじゃ、これは。
大事なことは何一つ書いていないではないか。
って怒ってた。
知らねーよ、そんなこと。
盗ってこいっつったのは、おめーだろーが。
と思ったけど口にはしなかった」
「賢明じゃったの。
しかし、なぜアイドラ姫の書いた手紙を、やつらは欲しがるのじゃ?
渦巻きとか印形とかとは、どう関わる?」
「さあ?
バークラのおっちゃんも、よく知らなかったみたいだね。
ギエンザラに文句言ってたもん。
カルドス殿は秘密主義が過ぎる。
いいかげん今回の騒ぎの詳細を教えてくだされ、ってね。
ギエンザラは、とにかくすべては印形を手に入れてからのことだ、それはバルドが持っているとしか考えられん、渦巻きのこともやつが知っているに違いない、手紙には手掛かりになることが書いてあるはずだ、って言ってたなあ」
「ふうむ。
よく分からんことだらけじゃのう。
そうじゃ、バルド殿。
ジュールラン殿は、バルド殿によけいな心配をかけぬよう話されなかったようじゃが、ちと妙なことがあったらしい。
バルド殿がパクラ領を出たあと、コエンデラ家から使者があって、アイドラ殿とジュールラン殿をコエンデラ家に引き取りたいと申し出たそうじゃ。
三十年近くほったらかしにしておいて今さらな申し出じゃ。
あわよくばジュールラン殿という優秀な騎士を引き抜き、それがだめでもテルシア家の中にジュールラン殿への不信を振りまこうとする策じゃろうと思われた。
むろん、テルシア家は、これを突っぱねた。
するとコエンデラ家では、何度か申し出を繰り返したあと、それならせめてもと、侍女を一人差し向けて寄越した。
アイドラ殿の身の回りのお世話をさせてくださいとな。
これも不審な申し出じゃが、断ればテルシア家が非礼をしたことになり、コエンデラにちょっかいの口実を与えかねん。
承諾して働かせてみたら、案に相違して気立てもよく、仕事もそつない娘でな。
アイドラ殿も気に入ったとのことじゃった。
侍女は何度かコエンデラ家に手紙を出したが、出す前には、ジュールラン殿に中身を見せたそうじゃ。
自分がどう思われておるかは知っておったのじゃな。
アイドラ殿の健康状態や、部屋の片付けをした内容などが書いてあるばかりで、おかしな点はなかったらしい。
アイドラ殿の葬儀が終わって、ドルバ領に戻ったという。
こうしてみると、その侍女は、アイドラ殿の周りの品々を調べておったのじゃろうな」
長い話をして喉が渇いたのか、リンツ伯は、杯の酒をぐいとあおった。
「ところで、ジュルチャガ。
印形を探しに戻って来たのなら、さっき言うた通り、ここにはない。
バルド殿に心当たりはないのじゃ。
無駄足じゃったの」
「あ、いやいや。
そーじゃないよ。
手紙をすり盗った手柄で、借りはちゃらにしてもらったんだ。
その場でバークラのおっちゃんとは別れたよ。
一緒にいて楽しい人じゃないしね」
「ではなぜこの街に戻って来た。
お前は、リンツ伯およびテルシア領の二人の騎士の暗殺未遂犯の一人じゃぞ。
そうでなくても手配書が回っておるしの。
見つかれば命はないぞ」
「まあまあ。
そんな固いこと言わないで。
だって、せっかくリンツに来たのに、屋台のうまいもの食ってなかったからね。
そのままよそに行くって手はないよ」
「はは。
ここの屋台は命懸けの魅力があるか。
面白いやつじゃ」
「うん!
あるね。
ところがお金がなくってさあ。
どこかで仕事しようかと思ってたら、バルドの旦那を見かけてね」
「ほう。
見かけて、どうした」
「なんかおごってくれよー、って言った」
「何じゃと?
大胆なのか、阿呆なのか、分からんの。
そうしたら、バルド殿は、お前をどうした?」
「おごってくれた」
リンツ伯は、しばらく黙ってバルドを見た。
バルドは、静かに杯を口に運んでいる。
ジュルチャガは、そのあと起きた事件の顛末を、リンツ伯に物語った。
リンツ伯は、ふむふむ、おう、ほう、などと合いの手を入れながら聞き入った。
「そういえば、バルドの旦那。
おごってもらったお返しをしないとね。
何か俺に頼みたいことない?」
とジュルチャガが言った。
バルドは、バークラはドルバ領に帰ったのか、と訊いた。
「うんにゃ。
勅使一行に追いついて、湖のほとりの別邸に案内する、って言ってた」
バルドは、しばらく考えてから、その別邸のほとりまで行ったとして、屋敷の者に気付かれずに勅使一行に連絡を取ることはできるか、と訊いた。
「もち」
とジュルチャガは返事をして、片目をつぶってみせた。
リンツ伯が、手ずからジュルチャガの杯に酒をついだ。
ふつう、当主が客に酒をつぐのは最初の一杯だけで、あとは給仕にさせる。
どういうわけか、リンツ伯は、ジュルチャガが相当気に入ったようである。
おぬしは侠盗じゃな、とか、どの道にせよ技に熟達し誇りを持つ人間はよい、などと妙な誉め方をしている。
かと思えば、泥棒に入られないための心得なども尋ねている。
この日、リンツ伯邸迎賓館の食堂は、ずいぶん遅くまでにぎやかだった。
5月13日「印形のありか」に続く