第9話 群雄集結(後編)
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バルドは騎士チートアルノに話しかけた。
オーバスの北の谷間といえば、〈ドレンシータの崖〉があるのう、と。
騎士チートアルノは、ぎょっとした顔をしながら、
「は、はい。
ドレンシータの崖は、確かにあそこにあります。
パダイ谷に。
しかし無理です。
あんな崖を馬で降りられるわけがありません」
と答えた。
かつてパルザム王国が小さな小さな国であったころ、ドレンシータという若い騎士がいた。
北方にあったドルーフォンという国が攻め入って国は存亡の危機を迎えた。
ドレンシータは仲間の騎士二十騎を率いて到底攻撃不可能と思われる場所で、敵の主将に奇襲を掛けた。
そして見事敵将を討ち取って軍を敗走させ、故国を救ったのである。
そこは誰が見ても馬で駆け下りられるような斜面ではなく、〈ドレンシータの崖〉と呼ばれるようになった。
この話をバルドは、ロードヴァン城からパルザムに向かう道中で、あの堅物官吏のマッシモサンボ位伯から聞かされた。
歴史物語など退屈なばかりだったが、この戦記はわくわくしながら聞いたのだ。
そして、わしとユエイタンなら降りられなくもあるまいよ、と年がいもなく鼻息を荒くしたのだった。
そういうことがあったので、マルエリア姫の婚礼の馬車とともにパルザムからゴリオラに向かう途中、ここがドレンシータの崖か、と印象深く眺め回したのである。
つまりバルドはその場所を知っている。
ただ一度見ただけだが、辺境の騎士というものは、ただ一度見ただけの自然地形をしっかりと記憶しているものなのだ。
あの場所なら、注文通りだ。
確かにあんな場所を馬で駆け下りようなどと考える者はいない。
かといって歩いて降りるのは綱でも使わない限り難しいし、そんなことをすれば狙い撃ちにされるだけだ。
それだけに理想的な奇襲場所といえる。
この話をバルドがして聞かせると、一同は目を光らせて騎士チートアルノをにらみつけた。
その目は、まさか貴様、俺たちにはその崖が降りられないなどと思ったのではあるまいな、と語っていた。
騎士チートアルノは、ひいっ、と小さく悲鳴を上げた。
バルドはキリーのほうを向いて尋ねた。
ずば抜けて筋力とバランス感覚に優れた騎士であれば、地形次第でなるほどあの突風のような攻撃は耐えられるかもしれん。
だが馬に乗ったままでは難しいのではないか。
また、光弾を撃ってくる攻撃と、剣に光をまとわせる攻撃はどうする、と。
「は、エントランテ。
斜面が緩くなった地点で馬を下りなければなりません。
光弾とおっしゃるのは、あの空気を岩の塊のようにして打ち出す攻撃ですね。
あれはよく見ればよけられると思います。
予備動作に特徴があるのです。
剣の振り方で、おおむね飛んでいく方向も予測できます。
まっすぐにしか飛ばないようですから。
最大の問題は剣そのものを振ってくる攻撃です。
あれが光をまとっているというのは前にもお聞きしましたが、われらには見えません。
ただ剣自体は目に見えるわけです。
困ったことに剣をかわしても攻撃に当たってしまったのですが、この前あれをくらって分かりました。
剣の周りをこれくらいの」
と肩幅ぐらいの幅を両手で示しながら、キリーは話を続けた。
「目に見えない何かが包んでいるのです。
だからあれを剣と思わなければいいのです。
丸太だと思えばいいのです。
そうすればかわすことも不可能ではないはずです。
ただしやつはあまりに速く、その攻撃半径は大きい。
反応速度も並外れている。
剣士としても超一流の腕を持っているといわねばなりません。
こちらの攻撃が届く距離では、あの攻撃をかわしきるのは至難です。
いや。
かわせない、と思うべきです。
かといってあれを受ければどんな盾も鎧ももたないことは、先の戦で証明されました。
それでも、同時に数人でかかれば誰かの剣はやつを斬り裂くことができるでしょう。
剣が届けば傷つけることもできるし殺すこともできるのだと、やはり先の戦ではっきりしたのですから」
キリーが言っているのは、こうだ。
手練れ数人が同時に襲い掛かる。
何人かは死ぬ。
だが何人かの剣は届くだろうと。
よし。
バルドも腹をくくった。
そして全員に向き直り、作戦を伝えた。
軍団の大部分は、コルポス砦に向かう。
ゆっくり向かえ。
そしてじっくり攻撃するのだ。
ただし攻撃する側にも攻撃される側にもできるだけ被害が出ないようにせよ。
十日間攻めて、国に引き上げよ。
わしと二十名の騎士のみが〈ドレンシータの崖〉に向かう。
そして物欲将軍の前に飛び出て、名乗りを上げて決闘を申し込む。
やつが決闘を受ければよし。
受けずとも、崖を駆け下り、やつ一人をめがけて戦いを挑む。
やつの首を獲ればわれらの勝ちだ。
ただし生き残った者もシンカイの将兵に殺されるだろうから、この二十名は全員死ぬことになる。
騎士たちは強くまなじりを結び、うなずいた。
その後の協議により突撃隊が選抜され、ワンゴーグ将軍がコルポス砦襲撃の軍を率いることになった。
本人は不満たらたらであったが。
不思議なことに、アーフラバーンの仕切りにより選抜された人数は十八人だった。
バルドはアーフラバーンにこう言った。
わしと共にドレンシータの崖に向かう二十名を選べ。
ただしそのうち一人はカーズ・ローエンじゃ。
だから十九人を選ぶかと思っていたのだが、アーフラバーンは十八人を選んだのだ。
もっとも二十人というのはおよその数であり、その通りでなければならないというものでもない。
協議の最中、カーズは何も言わなかった。
仇敵との再度の対決に、この男はどんな思いを抱いているのだろうか。
バルドはクインタを従卒として同席させていたが、茶のおかわりを運ぶその目が赤く腫れていた。
今の会議に感動を覚えたのだ。
この騎士たちが、いかなる覚悟のもとにこの場にいるのか。
それを感じ取り、なおかつそれに感動を覚えるほどに、この青年は現実の厳しさを知り、ここに集った騎士たちの志の高さを理解できたということである。
なかなかたいしたものじゃわい、とバルドは思った。
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いくつかの問題があった。
第一に、いかに相手の位置を知るかだ。
前もってこちらの存在を知ったら、物欲将軍は部下の将兵を差し向けてこちらを殲滅しようとするだろう。
こちらの存在を感知されないようにして敵軍の位置を知り、さらにその中のどこに物欲将軍がいるかを知らねばならない。
うかつに馬で近づいたりはできない。
五日も十日もドレンシータの崖の上で待ち続けるというわけにもいかないから、敵の進軍速度を探り、タイミングを合わせて崖に登らなくてはならない。
これがなかなかに難しい。
ジュルチャガさえいれば、この問題は解決するのだが。
第二に、ヤナの腕輪を誰に託すか、である。
物欲将軍を見事討ち取れば作戦は成功であるが、そのあとバルドたちはシンカイ軍になぶり殺しにされる。
ヤナの腕輪をシンカイ軍に持ち去られるのはまずい。
誰か信用できる人物に託しておかねばならない。
また、その人物は、万一シンカイ軍に追われたとき逃げ切れるだけの敏捷さを備えているのが望ましい。
この問題もジュルチャガがいれば解決するのだが。
クインタにことづけて、ジュルチャガに渡してもらうか。
ジュルチャガなら、諸国の様子をみて必要とする人物に腕輪を渡すこともできるだろう。
第三に、金がない。
騎士と歩兵を合わせて千八百人が参集したが、これから行軍するための食料が足りない。
圧倒的に足りない。
ミスラで略奪するという手段を取らない以上、絶望的に足りない。
ロードヴァン城の備蓄はほぼ食べ尽くしてしまった。
家畜も野菜も穀物も、残っているのはすべて住民の財産だ。
それを根こそぎにすれば、相当量の食料が得られる。
しかしそれは、住民たちに死ねというのと同じだ。
すべてを取り上げれば、彼らは生きてゆけない。
家畜と農地を与えるという約束で、彼らはこんな地の果てにやって来たのだ。
それを奪うことなどできるだろうか。
だが、ほかに手段がなければそうする以外にない。
金を与えて買い取ればよいのだが、それがない。
さしものファファーレン家の府庫も、ドリアテッサの結婚のことと、ロードヴァン城のことで、すっかり空っぽになった。
他の領地で次の税が入り、送り届けられるまで、金はないのだ。
将軍たちも、ここまでの道中で金を使い果たした。
バルドも、手持ちの金はフューザリオンのために使ってしまっている。
パルザムの王宮には大金を預けてあるのだが、今それを取り寄せる方法も時間もない。
すでに口約束で、つまり先で払うという約束で住民たちから食料を買っている。
これ以上は無理だ。
どうすればいいか悩んでいたとき、一人の使者がバルドの元を訪れた。
使者は宝石箱と金貨の袋と手紙を差し出した。
手紙はカリエム侯爵夫人からのものだった。
カリエム侯爵夫人は皇都に帰る危険を避けて、東部の親戚の領地に身を寄せていた。
食料調達に東奔西走するアーフラバーンの弟が、その親戚の元を訪れて協力を要請したとき、カリエム侯爵夫人はバルドたちの状況を知ったのだ。
手紙にはこう書いてあった。
〈この宝石と金貨がいくらかでもあなたさまのお役に立てば、こんなうれしいことはありません。
辺境の老騎士様をお慕いする会代表 フェリアンテルヌ・カリエム〉
バルドは歓声を上げた。
次の瞬間、悪寒に襲われた。
本当にこれを使ってよいのじゃろうか。
何か取り返しのつかないことを、わしはしようとしているのではないか。
いや、構わん!
いざとなればいさぎよく死んでやる。
というより、この作戦が成功したときにはわしは死んでいるのじゃから、何の問題もないではないか。
バルドは礼の手紙を書いて使者に渡すと、金貨と宝石をアーフラバーンに渡した。
「あなたは、魔術師か?」
と驚くアーフラバーンに、なぜか金の出所を教える気にならなかった。
リンツに手紙を届けさせた。
リンツ伯には六十万ゲイルを預かってもらっている。
コエンデラ家の刺客たちから守った礼として受け取った金の残りだ。
それをそっくり食料にして届けてもらうのだ。
配達先が「コルポス砦に攻め寄せているゴリオラ軍陣中」になっているのを見て、あのいたずら好きの老伯爵はきっと爆笑するだろう。
5
六月四十二日。
いよいよ明日は出発という夜である。
城の中庭で、闘技場で、将兵が食事をしている。
金貨が手に入ってすぐに大量の家畜を買い取り、解体して保存用の処理をした。
その残りを今夜将兵にふるまったのだ。
無論たっぷりの酒も配給した。
行軍中は酒を飲むことは許されないから、今夜は大いに盛り上がっている。
およそ千八百の将兵で、どこもかしこもごった返している。
「連合元帥閣下。
この肉をお召し上がりになりませんか」
と従卒が差し出した皿を受け取った。
見たことのない従卒だが、これだけ次々に兵士が到着しては、いちいち顔など覚えられない。
ちょっと見たところは豚のような焼き色だ。
牛の肉は焼いた色も赤いし、流れ出る肉汁も赤い。
豚は焼いた色が白っぽく、肉汁は透明である。
だが、豚にこんな部位があったろうか。
円形の薄切り肉で、人の手首ほどの太さがある。
そのまん中にかなり大きな骨がある。
とにかく食べてみた。
おお!
塩味と肉からしみ出した油が実によい。
歯ごたえのある肉だ。
む、む。
かみしめているうちに、何ともいえない深みのある肉汁が口の中であふれ、芳醇な香りが鼻孔にあふれてきた。
不思議だ。
一口目をかじったときと、肉の印象がまるで変わってきた。
無骨だと思った肉は、実は極めて繊細な味を持っていたのだ。
それにしても、これは何の肉だろう。
わざわざこんなふうに手間をかけて薄切りにしてあるのもよい。
「よかったら、こちらのスープもお召し上がりください」
と、同じ従卒が椀を差し出した。
いい香りだ。
ずずっとすすって、ふう、と息をはいた。
すると、鼻の奥がすうっとするような、不思議な感覚があった。
もう一杯をゆっくり口の中で味わってみる。
おお、おお!
何という深み。
何というこく。
これはすごいスープだ。
そう強い味があるように見えない透明なスープなのだが、何ものにも負けない力強さを持っている。
見かけはたおやかだが芯の強い女性のようなものか。
何の材料を入れたらこんな味になるのかと思い、しげしげとスープの入った椀を見た。
が、分からない。
「これは牛の尻尾のスープであります」
と言われて、なるほど、と思った。
しかし、牛の尻尾がこんなにいいスープになるとは知らなかった。
そういえば、さっきの薄切り肉も牛の尻尾だったのだ。
「牛の尻尾は、牛の解体をするけれど肉は食べられない最下層平民にとって、秘密のごちそうなのであります。
一見下卑た食材に見えるのでありますが、そのスープは濃厚で力強く、しかも浮き出してくる油とあくを丁寧に除いてやれば、王宮の食卓にも出せる高貴な味となるのであります。
って、カムラーが言ってた」
なるほど、とうなずきながら聞いていたが、最後のひと言で従卒のしゃべり方も声質までもが変わった。
驚いてもう一度従卒の顔を見た。
ジュルチャガだった。
「や」
と軽く右手を上げる笑顔を見て、不覚にも泣きそうになった。
どうも年のせいか、最近涙もろい。
驚くべきことにジュルチャガは、パルザムの情勢を聞き込んできていた。
なんとジュルチャガは、クラースクとリンツで商談をまとめ、そこからオーヴァを渡り、さらにミスラまで足を伸ばしてからロードヴァン城に来たのだという。
今パルザムの王宮では、ゴリオラがシンカイ軍の軍門に下り、一緒にパルザムに攻め掛かろうとしている、という情報を得ていながら、何もできていない。
せいぜいゴリオラ大使を拘束して尋問しているぐらいのことである。
だが大使はかわいそうなほど何も知らない。
ジュールラントの病状はいまだ悪いが、治療が功を奏して快方に向かいつつあるという。
第一側妃の毒の短剣は、思った以上の効果を上げた。
ジュールラントという強力な指導者を欠いたパルザムは、鎖につながれた巨人も同様で、偉大な力を持ちながら身動きもできないのだ。
第一側妃がアーゴライド家の娘であるということが大きな打撃となった。
中軍正将であるシャンティリオンは職位を返上して自宅謹慎せざるを得なかった。
第一側妃の父親であるバウクルス侯爵は、王宮管理責任者の職を辞し、やはり謹慎。
アーゴライド公爵は発言権を失い、王宮の中で軟禁に近い状態になっているらしい。
アーゴライド派と反アーゴライド派の勢力争いが起きて、何もまともに進められない状態だという。
そんなありさまでは、外から入った将軍であるシーデルモントはひどく苦労をしているじゃろうなあ、とバルドは思った。
こうした情報を得てからジュルチャガはロードヴァン城にやって来た。
そしてカムラー仕込みの牛の尻尾の塩焼きとスープを作って振る舞ってくれたのだ。
それにしても、ジュルチャガがフューザリオンを出た時点では、バルドがゴリオラの騎士たちを率いて物欲将軍に挑むことになっているなど想像もつかなかったはずだ。
また、物欲将軍に操られたゴリオラ軍がパルザムを攻める予定であることも、知りようがなかったはずだ。
それなのに、パルザム側の情報を調べてからバルドに合流したジュルチャガの嗅覚は、異常といってよいほど鋭い。
また、今のロードヴァン城にはジュルチャガの知り合いなどいないはずなのに、どうやって厨に入り込んで料理を作らせてもらったのだろう。
「こんな所に紛れ込んでいたのか、ジュルチャガ。
危ないまねをして妹を悲しませるんじゃないぞ」
と言いながらアーフラバーンが近寄ってきた。
ああ、そうか、とバルドは思った。
ジュルチャガはアーフラバーンの義弟なのだ。
もちろんアーフラバーンに口を利いてもらって厨に入ったのだ。
三人はしばらく話をした。
バルドは、ここしばらく思っていたことを口にした。
なるほど騎士とは本来独立独歩の存在である。
たとえ皇王の命令といえども、承服できなければ異を唱え、あるいは背を向けて自ら選んだ道を歩むことができる。
とはいえ現実にはそうはいかない。
誰もがしがらみの中で生きているのだ。
ところが、ここに参じたゴリオラの騎士たちの覚悟は見事なものだ。
今時古くさい騎士道に殉じようとする騎士がこんなにいるとは驚きのほかない。
死にに行く作戦なのに、恐れもとまどいも感じられない、と。
アーフラバーンは、目をぱちぱちとしばたたかせた。
「何をおっしゃるかと思えば。
それは、あなたがそうさせているのです。
この城に来てあなたの姿を見、あなたから吹き寄せる風を吸い込むと、不思議と心が落ち着き、腹が据わるのです。
探していたものがここにあったと気付かされるのです。
あなたと一緒なら何も恐れるものはないと、みな武人としての直感で感じ取っているのです。
そもそも、今回集まった顔ぶれは、一筋縄ではいかないひねくれ者ばかり。
軟弱者どもは城に近寄りもしませんでした。
豪傑どもはあなたの武徳に引き寄せられ、そうでない者は吹き飛ばされたのです」
このおだてかたにはバルドも苦笑するしかなかった。
が、それ以上の言葉は重ねなかった。
バルドは、死ぬことが前提であるような作戦を立てたことを、アーフラバーンにわびなかった。
アーフラバーンもまた、死ぬしかない戦にかつぎあげて申し訳なかったとバルドにわびることはしなかった。
互いにわびないことが、互いに心地よかった。
そこには無言の、騎士と騎士との対話がある。
バルドは忘れていた質問を思い出した。
アーフラバーンは、いつどのようにドリアテッサを思い切り、マルエリア姫と結婚する気になったのか、という質問である。
本人に訊くのはあまりといえばあまりだが、どうせお互いこれから死にに行くのである。
思いきって、アーフラバーンに、
マルエリア姫に結婚を申し込んだのは、なぜじゃ。
と訊いた。
アーフラバーンは苦笑いをして答えた。
「パルザムへの援軍に自ら加わったのは、実はもう一度ドリアテッサとじっくり話しておきたい、ということもあったのです。
あの時点では、バルド殿はパルザムで爵位や領地を得るものと思っておりましたから。
当然、ジュルチャガもパルザムで落ち着くと。
そうなるといよいよ結婚ということになりかねません。
何より、遠いパルザムでジュルチャガとドリアテッサを野放しにしておくのが、どうにも我慢できませんでした。
しかしパルザムに行き、二人の姿を見たとき、私の気持ちはしぼんでしまったのです。
あの二人のあいだには、まったく入り込む余地などありませんでした。
ああ、もうドリアテッサは心の中ではジュルチャガに嫁いでいるのだ。
そう思うほかありませんでした。
私はすっかり落胆しました。
その私の傷心を、優しきマルエリアは何となく気付いたようでした。
優しく私をいたわってくれたのです」
要するに、その優しさにほだされた、ということらしい。
なるほど。
誰かが歌を歌い始めた。
〈巡礼の騎士〉だ。
すぐに大勢が唱和し始めた。
どうしてこんなに大勢の騎士がこの歌を知っているのだろう。
などと考えるのはやめて、バルドも一緒に歌った。
三番の歌詞を歌うころには、誰もが食べることも飲むこともやめて、ただ歌い、聞いた。
〈騎士よ〉
〈騎士よ〉
〈巡礼の騎士よ〉
〈なんじの勲功は刻まれたり〉
〈人々の胸に〉
〈戦乙女の白き翼に〉
〈今や恩寵は地にあふれ〉
〈すべての痛苦は癒される〉
〈神の奇跡のふる朝に〉
〈最後の約束は果たされる〉
〈賛えよ!〉
〈賛えよ!〉
〈老いたる杖は若芽を吹き〉
〈死せる勇士はよみがえる〉
〈神の御座は開かれたり〉
〈神の御座は開かれたり〉
騎士たちの歌声が響く夜のロードヴァン城を、二つの月が見下ろしていた。
6
翌七月一日。
軍令官の指示通り、ロードヴァン城から別動隊は出発した。
いくつかの砂丘を越えたところにジョグ・ウォードがいた。
コリン・クルザーも一緒だ。
「じじい。
遅えぞ」
と言われ、なぜか反射的に、すまんかったのう、と謝ってしまった。
ジョグとコリンは当たり前のように隊列に加わった。
そしてアーフラバーンに近寄ると、
「おい、きんきら。
この卑怯者め」
と歯をむき出して非難した。
バルドには何のことか、すぐに分かった。
アーゴライド公爵家から妻を迎えるにあたり、アーフラバーンは同盟関係にあるガイネリアを通過することを避け、セイオン、テューラ経由の道を選んだ。
そのことだ。
つまりジョグは、こっちを通ったら花嫁を略奪してやったのに、俺の手の届かない所を通るとは貴様は卑怯なやつだ、と非難しているのだ。
やっぱりこの男は変だ。
アーフラバーンはジョグの言い分を鼻で笑ってあしらい、からかいの言葉を投げた。
ジョグがそれに食いつき、二人は益体もない言い合いを続けた。
そこにキリー・ハリファルスも馬を寄せて会話に参加した。
時間と場所を選んで待つことができたということは、ジョグはこちらの予定を知っていたということである。
誰が知らせたのか。
ガイネリアへの連絡および食料などの買い付けは、ファファーレン家の四男が担当した。
そのとき知らせたに違いない。
当然、アーフラバーンの命によって。
この二人、案外仲がいいのかもしれない。
知らせれば戦いに駆け付けるだろうと、アーフラバーンは確信していたわけだ。
ジョグこそが二十人目の勇士だったのだ。
バルドたちは勝算の高くない賭けに出ようとしている。
が、その心は空と同様からりと晴れていた。
11月16日「血戦」(第6章最終話)に続く