第7話 ジャン王の物語(後編)
4
ジャン王は、この地の人ではない。
遠い遠い天空のかなたから、〈星船〉に乗ってやって来たのさ。
星船には多くの〈船乗り〉と、さらに多くの〈眠れる人々〉が乗っていた。
不思議なことだけどねえ。
〈船乗り〉たちも〈眠れる人々〉も、眠ったままで星々のあいだを飛んで来たんだ。
ジャン王は、〈船乗り〉の一人だった。
星船がこの地に降り立ったとき、全員が目覚めるはずだったけど、なぜかジャン王一人が先に目覚めてしまった。
ジャン王は、ほかの〈船乗り〉を起こそうとしたが、起こせないようになっていた。
〈眠れる人々〉を起こすことのできる〈船乗り〉は数人しかおらず、その人たちが起きないかぎり、〈眠れる人々〉も起こせない。
ジャン王は一人でこの地に降り立ち、冒険を始めた。
この地には、たくさんの人が住んでいた。
ああ。
人間のことじゃないよ。
今の言い方でいえば亜人のことさね。
ジャン王は彼らを〈もとからの人々〉と呼んだ。
〈亜人〉という言葉が生まれたのは、ジャン王の時代じゃあない。
ずっとずっとあとのことなんだよ。
あたしは亜人て言葉が好きじゃない。
けれどまあ、ここではあんたになじみの深い言い方をしておこうかねえ。
亜人は、他の種族の亜人と争い、同じ種族の他の部族と争っていた。
ジャン王は亜人の中に友を作ってゆき、多くの亜人たちに手を結ばせ、この地に平和をもたらした。
そんな大事業を十何年かそこらでやっちまったというんだから、なるほどジャン王は偉大さ。
亜人たちはジャン王のことを、ただ一人の王、と呼ぶようになったのさ。
若かったジャン王は、壮年になっていた。
やがて〈船乗り〉たちが目覚め始めた。
ジャン王は大いに喜んで、〈眠れる人々〉も起こそうとした。
だけど、〈船乗り〉の中に反対する者がいた。
ジャン王は、古き定めにしたがい、〈船乗り〉と〈眠れる人々〉と亜人たちがともに手を携えていくべきだと考えた。
これに対し一部の〈船乗り〉は、〈船乗り〉が貴族になり、〈眠れる人々〉が平民になり、亜人たちが奴隷になるべきだと考えた。
〈船乗り〉の中にも階級があった。
そして、ジャン王はあまり高い位ではなかったんだねえ。
〈船長〉を始め最上級の〈船乗り〉たちは、ジャン王の考え方を認めようとはしなかった。
それどころか、一人だけ早く起きて王になったジャンを、裏切り者と呼んで閉じ込めた。
何のことはない。
彼らは、自分たちこそが王になりたかったのさね。
最上級の〈船乗り〉たちが王となり領土の配分を決め、民を支配するからくり仕掛けを埋め込んでから、〈眠れる人々〉を起こそうとしたのさ。
ジャン王は、味方してくれる〈船乗り〉に助けられて脱出し、〈船乗り〉たちは、二派に分かれて相争った。
一方は〈船長〉を頭に、もう一方はジャン王を頭にしてね。
長く激しい戦争が続いた。
〈船乗り〉たちは星々のかなたから持ち込んだ強大な武具を持っていたからね。
空を斬り裂く雷の鉾や、山を砕く巨大な槌がふるわれ、森は焼かれ川は涸れた。
あるとき、ジャン王が敵にとらわれた。
処刑の寸前、奇跡が起こった。
かねてジャン王と親しくしていた精霊が、ジャン王の命に溶け込んで一つになったのさ。
世界で最初の〈精霊憑き〉だよ。
そのときまで、そんなことができるとは、誰も思いもしなかった。
〈船乗り〉たちにも精霊は見えなかったんだけど、見えるようにするわざを持っていたんだね。
けれど精霊は邪魔にもならないが助けにもならない、ふわふわと漂うだけのものと思われていた。
ジャン王は、そんな役にも立たないものとも仲良くするような変わり者だったわけさね。
精霊というのは、もともとこの世ではないどこか別の所にいて、そこからこの世界に生まれてくる。
死んだらもとの世界に戻り、また新しい力を得て、この世に生まれてくるんだ。
限りなくね。
精霊が人に溶け込んで命の一部になると、その人間は不思議な力を得る。
体は頑丈になり、傷を負ってもすぐに癒える。
力は強くなり、疲れを知らなくなる。
寿命はうんと長くなる。
それだけじゃない。
火や水や土や風の力を大きくしたり、幻を作ったり、いろいろと不思議なわざが使えるようになる。
精霊憑きになって得た力で、ジャン王は再び自由を得た。
それからというもの、二つの陣営の〈船乗り〉たちは、やっきになって精霊憑きになろうとした。
無理矢理精霊を取り込む方法も編み出された。
たくさんの精霊が取り込まれたよ。
あたしの友達だった精霊のように、取り込まれなかった者もいるけどね。
結局、亜人たちの協力が決め手になってジャン王は勝利を収めた。
〈船長〉は捕らえられ処刑され、ジャン王に反抗する者はなくなった。
けれど、大陸中央は人が住めないほど荒れ果てた。
ジャン王は、〈眠れる人々〉を目覚めさせ、大陸の西東北南それぞれの辺境に住まわせた。
こうしてやっと平和な時代が訪れたけど、それは長続きしなかった。
〈魔獣〉が現れたのさ。
それまでは普通の動物であったものが、ある日突然魔獣となった。
体は大きくなり、寿命は何倍も長くなり、生命力は驚くほど強くなった。
なぜ魔獣化が起きるのか、最初はまったく分からなかった。
ジャン王は、調べ、考え、そして答えを得た。
精霊は死んでも時がたてば復活する。
前の記憶を持ったまま。
そういうものだったんだ。
ところが、人間に取り込まれて消えていった精霊たちは、いつになっても復活してこなかった。
そうではなかった。
復活していたんだ。
魔獣としてね。
人間と一つになった精霊は、復活したとき、それまでの記憶を失ってしまう。
それだけじゃない。
知恵も心も優しさも持たない、いわば狂った精霊として復活するんだ。
狂った精霊は、復活するなり生き物に取り憑こうとする。
けれど狂った精霊は、知恵ある生き物には取り憑けない。
だから獣に取り憑くのさ。
狂った精霊に取り憑かれた獣は、強くたくましくなる。
でもそれだけじゃない。
凶暴になるんだ。
しかもその凶暴さは人間にだけ向けられる。
人間の姿を見、人間の匂いを嗅げば、猛り狂って襲い掛かり、やつざきにしなければならないようになってしまう。
それが魔獣の正体だった。
そうさ。
精霊憑きになった〈船乗り〉たちが殺し合った結果、たくさんの狂った精霊が生まれた。
それが獣に憑いたのが魔獣の正体だったんだ。
魔獣を殺せば、そこから狂った精霊が抜け出し、別の獣に取り憑く。
魔獣は、獣や亜人は憎まないけれど、人は憎む。
人が近づけば魔獣は凶暴になり、その近くの獣も凶暴になる。
魔獣は、殺しても殺しても獣に憑いてよみがえり、魔獣となって人を憎み襲うんだよ。
真実を知ったジャン王は、衝撃を受け、嘆き哀しんだ。
あの無邪気で幸せそうだった精霊たちを滅ぼしてしまったばかりか、永遠に人と憎しみ合い、殺し合うことになったんだからねえ。
とはいえ、魔獣を放置するわけにはいかない。
ジャン王は、魔獣を倒せる武器を作った。
偉大な精霊たちの力を借りたようだけど、そこは詳しいことは知らない。
偉大な精霊たちというのは、精霊の神のようなものでね。
一体で精霊何百何千にも匹敵する強大な力を持っていた。
そのくせ精霊たちと話をすることもなく、精霊たちと世界を見守ってきた不思議な存在なのさ。
精霊神の宿る剣は一振りで百の魔獣を倒せたらしい。
といっても、殺しても殺しても魔獣として復活するだけなんだけどね。
このころには、精霊憑きとなることで長命になったジャン王にも死期が迫っていた。
長くない余命のなかで、人と魔獣が殺し合わずに済む方法を必死で探った。
その結果生まれたのが、〈青石〉であり、〈赤石〉であり、〈大障壁〉なのさ。
あんたは、〈青石〉は見たことがあるんだったねえ。
魔獣をなだめ、従わせることのできる魔石だよ。
〈赤石〉は、よみがえろうとする精霊を引き寄せる魔石だ。
ジャン王は、人の住む地を巨大な壁で覆った。
ジャンの大きな壁、ジャン・デッサ・ローの誕生さ。
バルド・ローエン。
あんた、大障壁の向こうに何があるか知ってるかい?
ふぇふぇふぇ。
そうさ、そうさ。
魔獣の棲む森が広がっている。
じゃあ、その向こうには何があると思う?
分からないかえ。
そうだろうねえ。
常識では考えもつかないさ。
水だよ。
塩水さ。
人の住む地はぐるりと大障壁で囲まれ、その外側には魔獣の棲む森があり、さらにその森は塩辛い水で囲まれているのさ。
水の上にこの大地が浮かんでいるといってもよいわえ。
ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ。
信じられないかえ。
無理もないねえ。
自分の目で見るのでもなけりゃあ、とても信じられないさ。
あたしも、知ってはいるけど、信じておるかどうかは自分でもよく分からない。
でも、それが真実だ。
何?
その水の外側には何があるのかだって?
さあねえ。
それ以上のことは、あたしも知らない。
あたしに溶け込んで消えた精霊の記憶にもないことなのさ。
大陸中央には広い土地があり、四方の辺境も広い。
その二つを合わせたとちょうど同じほどの広さが、大障壁の外側にある。
ジャン王は、大障壁の外に大量の〈赤石〉を埋め込んだ。
そのうえで、大障壁の内側の魔獣を狩り尽くした。
殺さずに済む場合には捕らえて大障壁の外側に捨てた。
死んだ魔獣がよみがえるときには、〈赤石〉に引かれて大障壁の外側でよみがえるからね。
大障壁には〈青石〉が埋め込んであるから、乗り越えて来ようとする魔獣はほとんどないのさ。
もう分かっただろ。
ジャン王は、人間の住む場所と魔獣の棲む場所を分けたのさね。
分けることによって、それ以上殺し合わずに済むようにね。
けれどジャン王には悔いがあった。
精霊たちをそんな運命に追い込んだ後悔があった。
同時に、希望は持てないものかと考えた。
だから、大障壁には、わずかな切れ目が作られた。
今は人と魔獣は殺し合うしかない。
けれど。
いつか、ずっと先の、そのまた先では。
狂化が静まり、再び無邪気で友好的な精霊に戻る日が来るかもしれない。
来てほしい。
もう一度人間と精霊が仲良くできる日が来てほしい。
その願いが、あの切れ目には込められているのさ。
そうだろう?
切れ目がなければ、魔獣と人間は隔たったまんまだからね。
元の精霊に戻ったとしても、知ることもできない。
魔獣たちがいつか静まることを願って。
魔獣たちがいなくなり、精霊が復活する日を楽しみに。
人と精霊をつなぐ絆として、あの切れ目は作られたんだよ。
ジャン王は死に、星々のかなたから持ち込まれたわざも失われていった。
人は空を飛べなくなり、山を砕くこともできなくなった。
ジャン王は、それでいい、と考えていたんだろうねえ。
ああ、そうそう。
家畜にできる獣の多くに角が生えているだろう。
あれはねえ。
星船に乗って人間と一緒にこの地にやってきた獣たちなのさ。
あの獣たちを目覚めさせたときには、まだ大障壁はできていなかった。
家畜が魔獣化しては困るからというので、仕掛けをほどこして、狂った精霊が取り憑けないようにしたんだね。
そのしるしが、あの角なのさ。
だけど、もとからこの地にいた獣には、角を付けても魔獣化を止められなかったそうだよ。
ジャン王の物語は、ここまでにしておこうかねえ。
バルド・ローエン。
これ以上のことは、あたしにも分からないさ。
でも、マヌーノの女王の言う〈石〉は〈赤石〉のことで間違いない。
大量の〈赤石〉はどこから来たのかねえ。
大障壁の外を掘り返しでもしたのか。
〈赤石〉を用いて獣を無理やり魔獣にするとは、とんでもないねえ。
しかもそれを人間にけしかけるとは。
何者かが、ジャン王の定めたことわりを崩そうとしているんだろうかね。
それから、ジャミーンが持っていたというのは、おそらく〈青石〉だね。
竜人のことは知っているけど、彼らは〈船乗り〉たちの戦争にも加わらなかった。
彼らは〈もとからの人々〉の中でも特別に強い種族でね。
ほかの種族を支配していた。
いやいや、統治していたわけじゃないよ。
そんな面倒くさいことはしないさ。
おもしろ半分に、他の種族に命令を出し、もてあそんでいただけさ。
星から来た人々とは関わりを持たないようにしていたはずなんだけどねえ。
あの、見つけたぞ、という声はあたしも聞いたさ。
恐ろしい力を感じさせる声だった。
何者であるかはあたしの知識にはない。
ということは、あたしの中の精霊が人間たちから離れていた時期に現れたんだろうね。
ジャン王と同じ時代のものなら、精霊の記憶にありそうなもんだ。
亜人たちが秘密の鍵を握っているよ。
彼らは、伝説や掟の形で、古くからの知識を伝えている。
今いる人間はみんな〈眠れる人々〉の子孫だからね。
古いことは知らないさ。
ああ、そうそう。
魔獣が子どもを作れないのは知ってるね。
精霊憑きの人間もそうさ。
精霊憑きになっちまった人間は、子どもを作ることができないんだ。
だから〈船乗り〉たちはとうの昔に死に絶えてしまった。
旅に出るんだよ、バルド・ローエン。
まずは〈青石〉を持っていた亜人たちと、精霊と友である亜人たちを訪ねるといい。
それにしても、無事な精霊が生き残っていたとはねえ。
こんなうれしい知らせはないわさ。
ルジュラ=ティアントのことはよく知らないよ。
でも昔からルジュラ=ティアントは精霊とよく友達になったもんだった。
あんたの予感は正しい、とあたしも思う。
このままでは済まない。
何か恐ろしいことが起こる。
旅に出るんだよ、バルド・ローエン。
一刻も早く。
5
この話を聞いたバルドは体調を崩して寝込んだ。
それほどに、身にこたえた。
人間がもともとこの世界の住人ではなく、星界のかなたからやって来た人々の子孫だという話は、興味深くはあったが、格別の驚きをバルドに与えなかった。
格別に目新しい話でもない。
ケッチャ=リ神の教義では人間は地から自然に生じたとされるが、コーラマ神の教義では、星々のかけらから神が人間を作ったとされる。
人間が空や天に起源を持つとする教義は少なくない。
星のかなたから人間がやって来たというのは、いかにもありそうな話である。
その人々の中に神のごとき力と叡智をもって導いた人々と導かれた人々がいた、という点が新しいといえば新しい。
しかし、魔獣は。
魔獣の真実は。
バルドに衝撃を与えた。
バルドの生涯は、その大半を魔獣から人を守ることに捧げてきたといってよい。
バルドだけではない。
パクラの騎士すべてがそうだ。
魔獣は理不尽そのものであり、悪意そのものだった。
相対すれば分かるのだ。
それがいかに人間を憎んでいるか。
人間を滅ぼすために、おのれのすべてを捨てて襲い掛かってくるのだから。
これと戦って倒すことは、正義以外の何ものでもなかった。
やつらが人々に流させた血のあがないをさせなければならない。
やつらを殺すことによって。
やつらがこれ以上人々を恐怖に陥れるのをやめさせなければならない。
やつらを殺すことによって。
魔獣は殺してもよいものであり、殺さなければならないものであり、そのことに疑問の余地はなかった。
やつらは世界の異端者であり、破壊者であり、平和の敵だと思っていた。
だが、そうではなかった。
復讐する権利を持っているのは人間のほうではなかったのだ。
やつらのほうだったのだ。
その幸せを踏みにじり、永劫の殺し合いの悪夢の中にやつらを引き込んだのは人間だったのだから。
人間のほうだったのだ。
世界を欲のために踏みにじり、世界から復讐されるべきだったのは、人間のほうだったのだ。
やつらは世界を代表して、人間にその欲の対価を支払わせるために、現れた。
そしてこれからも現れ続ける。
やつらこそが復讐者であり、人間は裁かれる側だったのだ。
なんということだ。
数日後バルドが起き上がったとき、旅に出る決意を固めていた。
だが、それを実行に移す前に、使者が来た。
アーフラバーンの部下の騎士だ。
皇都を目指して帰って行ったアーフラバーンたち一行は、途中でとんでもない報に接した。
突然、シンカイ軍がゴリオラ皇国に侵攻し、皇都を落としたというのだ。
しかも何ということか。
皇王はゴリオラ皇国がシンカイに従属すると発表し、各地の騎士に皇都に参集するよう命じたという。
ただちにロードヴァン城にお越しいただきたい。
アーフラバーンの懇請を、使者はバルドに伝えた。
11月4日「シンカイ軍再侵攻(前編)」に続く