第5話 祝福の大地(前編)
1
バルドには懸念があった。
この場所は村を作るによい土地だ。
よすぎる。
村の南側には広大な緑の平野が広がり、そのさらに向こうには南から東にかけて山脈が広がっている。
村の北側にはこれも広大な森林が広がり、ずっと大障壁のほうまで続いている。
村の東には清流が流れており、少し西に行くと、ずっと大きな川がある。
地味も豊かで作物をよく育てるだろう。
放牧にも適している。
多種多様な動物もいるだろう。
ということは、それらを捕って食う巨大な獣も多いということである。
現に樹海から南下する途中、多くの猛獣を見かけたし、襲われもした。
防げない。
こんな場所では防ぎようがない。
今は少人数で固まっているから、バルドとカーズで撃退することもできる。
しかしずっと皆についているわけにはいかない。
ここではとても人の集落は作れないのである。
これまで村があったのが不思議なぐらいだ。
この場所では、木も草も獣も大地も強すぎる。
人がどこかに住み暮らすというのは、いわばその地の自然と戦い、勝ち続ける、ということである。
生きる、というのは自然との戦いなのだ。
自然がおのれを守る力の強い地では、人は侵食され、蹂躙される。
ささやかな開墾は、自然がおのれを取り戻そうとする力の前に押しつぶされる。
か弱い人間は、獣や鳥や虫たちの食い物とされてしまう。
自然の力を押し返せるほどの人の質と量がなければ、村などはまたたく間に消え去ってしまうのだ。
そうでなくても辺境は自然の力の強い場所だが、ここはまた格別である。
こんな場所に村などを作っても、長期にわたって維持することなど、できはしない。
バルドが難しい顔をしているのを見て、ザリアがわけを訊いた。
バルドは自分の懸念を率直に話した。
ザリアは小屋の隅に行き、そこに積んでいたものをつかんでバルドに見せた。
それは焼け焦げた何かの野菜だ。
「分からないのかい。
エガルソシアだよ」
エガルソシア!
バルドは思い出した。
この老婆からその特質については教えられていたのである。
その後実際に見たし、食べたし、その効能をまざまざと感じたことがある。
三年前。
リンツからフューザを目指して出発し、山の中で愛馬スタボロスが死んだ。
その少し北にある村で古代剣を手に入れ、そのさらに少し北で騎士志願の少年がいる家に泊めてもらった。
その家のある場所はエガルソシアの自生地だったのである。
その辺りでは、エガルソシアは青巻菜と呼ばれていた。
食べて美味でいろいろな調理ができる野菜なのだが、実は滋養豊かで薬草としても効き目が高い。
それだけではない。
これが生えている場所には野獣たちが近寄らないのだ。
茎の煮汁をマントや馬車に塗るだけでも野獣よけになる。
その効能の確かさは、バルド自身が使って実感したものだった。
ただ、エガルソシアという野菜は、非常に土を選ぶ。
というより、自生している場所以外、どこに持っていっても育たない。
育て増やすのは極めて難しい野菜なのである。
「あたしの旅の目的の一つは、これを育てられる土地を探すことだったのさ。
この森の際に、ほんのわずかに自生しててね。
ここに小屋を作って、いろいろ試してたのさ。
この平野も森も、試した限りの遠くまで、エガルソシアが育つことが分かった。
だからね。
野獣に襲われない村を、いや国でも作ることができるのさ、ここにはね。
ほら、この袋をごらん。
これに入ってるのは、みんなエガルソシアの種なのさ。
焼けたあとはよく作物が育つ。
三か月もしたら、そこら中に立派なエガルソシアが成っているさ」
なんということだろう。
ここはまさに祝福された大地だったのだ。
2
村長になったジュルチャガがまずやったのは、死者の埋葬だ。
すさまじい火災だったから、粗末な作りだった家は完全に焼け落ちて、跡形もない。
しかもそのあと大雨に流されているのだから、なおさらである。
死体も焼けて流されてしまっているのだが、泥をすくうと少しばかりの骨が出てきた。
これを袋に入れ、馬で窪地に運び、土を掛けて墓地とするのだ。
ジュルチャガはこれをあえて子どもたちに手伝わせた。
小さい子どもたちは震えて泣いた。
怖がる子どもたちを優しくなだめながら、ジュルチャガは言った。
「怖いかい。
怖かったらね。
拝むといいよ。
ほら。
こうやって手を合わせて拝んでさ、話し掛けてあげるんだ。
痛かったかい。
熱かったかい。
苦しかったかい。
もう大丈夫だよ。
神様のお庭に行けば楽しいことが待ってるからね。
神様のお庭に迷わず行けるよう、ちゃんとお祈りしてあげるからね。
そうしたらみ使い様が祈りの言葉を聞きつけて、迎えに来てくれるからね。
そう言って拝んだら、怖くなくなるよ。
本当に怖かったのは、つらかったのは、死んじゃった人のほうなんだ。
だからこうやって拝んであげな」
やがて子どもたちは泣くのをやめ、一生懸命死んだ村人たちを拝み始めた。
その中には父や母もいるのだろう。
バルドもまた、死者に手を合わせた。
3
カーズをヒマヤの津に行かせた。
ヒマヤはオーヴァ川の東岸にあって、辺境としてはなかなか栄えた街である。
以前、ドリアテッサと出会って魔獣を倒し修行をつけたあと、アーフラバーンたちと共にオーヴァを渡ったとき宿泊したことがある。
とにかく、まず塩が要る。
建築工具、農具、服、その他買いたい物がたくさんある。
金はあるのだ。
大赤熊の代金やファファーレン侯爵から受け取った旅費はもちろんのこと、バルドもカーズもジュルチャガも、諸国戦争での功績に対してかなりの報奨金を受け取った。
バルドなど、あまりの大金に全部を受け取ることができず、大半はパルザムの王宮に預けてあるほどなのだ。
使えるものは使う。
フューザリオンでの生活基盤を築く上で、資金に不自由しないというのは大きな利点だ。
今までもこの辺りに流れてきた人間は少なくなかったはずだが、ここでは身一つでの開拓などまったく不可能であり、森の暴威の前に消えていくしかなかった。
フューザリオンは、その轍を踏んではならない。
しっかりした出発をすること。
それこそが大事である。
カーズが留守のあいだに、小屋を補修し、その周りを片付けた。
焼けた木がいくらでもある。
そして焼けた木というのは腐りにくいから、加工しにくいという欠点はあるが、当座の補修には重宝する。
小屋の周り四か所に小さな畑を作り、エガルソシアを植えた。
魚をたくさん獲った。
冬に備えて干物も作りためておかねばならない。
バルドが弓で泳いでいる魚を射るのを見て、みんな目を丸くしていた。
そして自分たちもやりたい、と言い出した。
バルドがこれをできるようになったのは十歳になるかならないかのときだ。
たぶんクインタがちょうどその年頃だ。
セトはもう少し幼い。
バルドは彼らに弓を作ってやり、こつを教えた。
クインタはびっくりするほど勘がよかった。
筋肉の力も強い。
この子は騎士に向いているのではないか。
という考えが浮かび、わしは馬鹿かと自分を笑った。
無論自衛ができる程度のわざを覚えておくのはよい。
が、好んで人殺しの技を教えることはない。
この村にはほかにやらなくてはならないことがいくらでもあるのだから。
4
カーズは二十八日で帰って来た。
聞けば行きに五日、買い物に二日、帰りに二十一日かかったという。
カーズが愛馬サトラを駆って五日かかったというのだから、あまり気楽に行き来できる距離ではない。
買い物は、馬を一頭と、その馬に引かせた荷車一杯の荷物だ。
塩が一か所ではそろわず、何か所も回ったという。
辺境の街で一人の男が買うにはひどく大量の買い物なので、新しく村でも出来たのかと訊かれたようだ。
ろくに返事もしなかったようだから、ここに村が出来たとは思われていないだろう。
幸いカーズはどう見ても農民や開拓者にはみえない。
だが何度も買い物に行けば、ここのことは知られてしまう。
話を聞いた盗賊もそのうちやって来るだろう。
ここは人里からはるかに遠い。
悪さをしても捕まらないと、悪党どもは思う。
だが、それはまあいい。
物盗り狙いなら火矢も撃ち込んでこないだろうし、バルドとカーズがいれば何とかなる。
問題は、物のやり取りだ。
カーズの報告を聞いたところ、だいぶ売り渋りをされたようだ。
そういう問題があることを、バルドは考え及んでいなかった。
だが、当然起こるべき問題であり、頭の痛い問題だ。
後ろ盾のない村では、物を売るのには足元をみられて買いたたかれ、物を買うには制限や高い税が掛けられるだろう。
ある程度以上の分量は売ってくれなくなったり、まったくやり取りを断られてしまうこともある。
なぜか。
辺境の街や村にとって、近くに村ができる、つまりえたいの知れない人間が大勢集まるというのは、恐怖と警戒の対象でしかないのだ。
それはある夜そっくり盗賊団となる村かもしれないのだから。
あるいは飢えて食べ物を強奪に来る暴徒となるかもしれない。
やたらと羽振りがよいというのも警戒の対象となる。
まともに大金を稼げるような者たちが、辺境の端の端などに住み着くわけがない。
その金は不審な金であり、その金を持つ者たちは不穏な者たちとみられる。
最初からはっきりした後ろ盾を持って入植するなら話は全然違う。
たとえ罪人を集めて作った村であっても、出自が明確であればそれなりの付き合いはしてもらえる。
だが、フューザリオンはどこからともなくやって来た正体不明の人間たちが作った村だ。
バルドがパクラ出身の騎士であり、中原で連合元帥まで務めた人間だと名乗ったところで意味がない。
それはひどく証明しにくいものであり、当地の人々からあまりに縁遠いからだ。
ちゃんとした村だと認めてもらえるには、どうしたらよいのか。
5
森の回復力というものをみくびっていたことに、バルドはすぐに気付かされた。
見る見る緑が復活してきたのである。
大木の芯や根が焼けてしまう前に雨が降り始めたことも幸運だった。
動物たちも戻ってきた。
ザリアの小屋の近くに新しく家を建て、みんなでそこに住んだ。
塩について、ザリアが一つの重要な情報を教えてくれた。
以前通りかかった旅人の病を治してやったとき、北東の山のあいだに塩で出来た谷があると教えてくれたというのだ。
目に見える場所だし、いずれにしても周囲の状況把握は必要であるから、さっそくカーズを行かせてみた。
たった三日でカーズは帰って来た。
たっぷりの岩塩を袋に詰めて。
塩はいくらでもあるが、道中は獣が多いから戦闘のできない者に採りに行かせてはならない、とカーズは報告した。
遠い場所に魔獣の気配もあったという。
魔獣が人間を感知するより遠くから魔獣を察知できるのだから、やはりカーズは妙な男だ。
人が、ぽつりぽつりとやって来た。
その多くは、もともとこの森の際近くに住んでいた者たちだ。
悪魔の実に冒されることなく焼け出されたり、一時的に離れていて戻る場所のなくなった者たちである。
こんな地の果てのような場所に流れて来る者たちは、ぼろぼろで財産もほとんどない。
フューザリオンでは、ちゃんとした工具がなければ建てられないような家を建てているのだから、それだけで目立つ。
そこにはいろいろな品々があるはずだ、と見た者は思う。
もちろん食料も。
それはバルドたちが思う以上に人を引き寄せる力を持っていたのだ。
ジュルチャガを村長と認め、この村のために自分のできることをすると誓う者は受け入れた。
そうでない者は受け入れなかった。
乱暴を働こうとする者は遠慮なく打ちのめした。
ある三人の男は話の途中でいきなりバルドに襲い掛かった。
お粗末な剣を抜いて。
バルドは拳で三人の鼻面を打った。
三人は鼻から血を流して倒れた。
そのまま三人を重ねてユエイタンに乗せ、村からじゅうぶん離れた場所に捨てた。
目を覚まして逃げたかもしれないし、野獣に食い殺されたかもしれない。
彼らはそうなっても仕方のないことをしたのだ。
10月22日「祝福の大地(後編)」に続く