第7話 論戦(後編)
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カルドスは、コエンデラ家当主として長年、近隣の領地を卑劣な手段で苦しめ、奪い取ってきた男である。
バルドの主家であるパクラのテルシア家にとっては不倶戴天の敵といってよい。
パルザム王家に売った恩義により伯爵位を与えられ、同時にパルザム王家に対して仕掛けた許されざる陰謀により幽閉されていたはずだ。
まさかもう一度会うことがあろうとは思ってもいなかった。
食べ物には恵まれているようで、頬は少しふっくらしている。
目の下にたるみができているが、むしろ少し若返ったようにさえみえる。
以前の毒々しい生気が抜け、まるで憑き物が落ちたような穏やかな顔をしている。
「この部屋に、盗賊のジュルチャガなる者がおりますかな、コエンデラ卿」
うながしに応じて、カルドスがきょろきょろと部屋を見回した。
バルドを見てびくっと逃げ腰の構えをみせたが、付き添いになだめられた。
その視線が隣のジュルチャガに移った。
だがそのままカルドスはジュルチャガから目を離し、辺りをきょろきょろ見回し始めた。
しびれを切らしたのか、カルドスを呼び込んだ重臣が、
「ほれっ。
あの男です。
あの者が〈腐肉あさり〉のジュルチャガなのではありませんかな」
と指さした。
その指にしたがって、カルドスの目がじっとジュルチャガにそそがれた。
「いや。
ちがいますな。
あれはジュルチャガではない」
そのカルドスの言葉はバルドを大いに驚かせた。
まさかカルドスがジュルチャガとわしをかばうとは。
どういう心境の変化か。
「そっ、そんなはずはない。
バルド将軍の従者こそは、名うての悪党のジュルチャガのはずだ。
先王陛下の印形をバルド将軍から盗み取り、カルドス殿に高値で売りつけた悪党のはずだ」
うろたえる重臣を周りの人々がうろんな目で見始めた。
そこでジュルチャガがこう言った。
「お久しぶりです、カルドス・コエンデラ様」
カルドスはびっくりした目でジュルチャガを見つめ返した。
「お、お前はっ?
お前は、あのジュルチャガなのか?」
本当に動転している。
とても演技とは思えない。
ということは、先ほどもジュルチャガをかばって見て見ぬ振りをしたのではなく、本当に分からなかったのか。
そういえば、今日のジュルチャガはめかし込んでいるし、態度も違う。
薄汚い盗賊と同一人物にはみえないかもしれない。
「はい。
重臣のかたがたに申し上げます。
私は確かに、このカルドス・コエンデラ様のもとに印形を持ち込んで売りつけました。
ウェンデルラント先王陛下がアイドラ・テルシア様にお渡しになり、アイドラ様がバルド大将軍にお託しになった印形です。
しかしそれはバルド大将軍から盗んだのではありません。
バルド大将軍は、あのままでは勅使様ご一行がカルドス・コエンデラ様に殺されてしまうとご懸念なさり、それでわたくしめにそのようにするようお命じになられたのです」
カルドスを連れてきた重臣は、それでもなおジュルチャガを追求しようとした。
「お前が〈腐肉あさり〉のジュルチャガなのだな。
そのことは認めるのだな」
「はい。
わたくしめは、カルドス様にお会いしたとき、確かにそのように名乗りました。
また、バルド大将軍のもとをいったん離れてリンツ伯爵様の命令を受けて動いていたときにも、このジュルチャガという名を名乗っており、今日までそのようにいたしております。
それ以前にどのような主人のもとでどのような仕事をしたかについては、残念ながら申し上げるわけにまいりません」
嘘はついていない。
嘘はついていないが相手が間違いなく誤解するように言葉を選んでいる。
あきれつつ感心していると、ジュールラントが初めて声を発した。
「主人の秘密をぺらぺらしゃべるような者では、それこそその言葉は信じられんな。
それにしても、ヨード伯。
卿は何がしたいのか。
ローエン家のジュルチャガは、余も以前から知っておる。
知っておるどころではない。
一時親しく余のそばにあり、先のグリスモ伯の反乱を見抜いて余と余の軍を救ってくれたのがこの男なのだ。
余の身内同然の男なのだ。
ジュルチャガは余に一度も嘘や間違いを申したことがない。
これほど信頼できる者はめったにおらん。
それに対して卿が証人として引き出したカルドスは、先王陛下に対し嘘をつき続け、先王の愛する妃とその息子を迫害し、養育費を着服し、果てはこれこそジュールラントなりと自分の息子を余の偽物に仕立て上げた男ぞ。
先王陛下がわが母に宛てた親書を勝手に開封し、わが母には知らせもせず返事を捏造した男ぞ。
ヨード伯。
この嘘と裏切りしか知らぬ男のどこを卿は信じたのか。
ほかにも聞きたいことがある。
カルドスは屋敷から出ることを先王陛下が禁じられた。
卿は誰の許しを得てカルドスを屋敷から連れてきたのか。
そしてカルドスの屋敷に入ることは禁じられておったはずだが、どうやって親しくなったのか。
あとで余の元に参り、納得のゆく説明をせよ」
ヨード伯とやらは、顔を真っ赤にして口をぱくぱくするばかりだ。
ジュールラントのほうは、すっかり余裕を取り戻している。
部屋の空気が変わった。
ヨード伯はもう今の地位は保てないし、きつい処罰を覚悟しなくてはならない。
ここまで重臣たちは、狐を狩るような気分でいた。
だがいつ何時自分が狩られる側になるかもしれないのだと、今ようやく気付いたのだ。
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一人の重臣が進み出た。
「バルド大将軍は、いまおいくつかな」
「はっ。
六十一歳にございます」
「六十一歳か。
そのお年でこのようにご壮健であられるのは、見事というほかない。
老躯を押して王国のために戦い抜いてくだされたことには、われら一同深く感謝申し上げておる。
なんでもバルド大将軍は魔獣たちとの戦いの中で気を失い、二か月ちかくも昏睡状態であられたとか。
そのお年であれば、無理もない。
三国の騎士たちがバルド大将軍を敬愛していたことはよく分かったが、戦いの途中で気を失う指揮官では彼らもじゅうぶんに力を発揮することはできなかったのではないかと危惧するが、いかに」
「ははっ、ははっ。
バルド大将軍の体調までお気づかいくださるとは、なんたる広きお心。
大将軍もさぞや感激いたしておられましょう。
ところで、お聞き及びかと思いますが、城門も破られ混戦状態となってからは、バルド大将軍は剣を抜いて戦いなされました。
一人の騎士として、剣を振り続けられたのです。
剛勇なる騎士のかたがたが力尽きていく中、バルド大将軍は最後の最後まで戦い抜かれたのです。
お若い騎士のかたがたも、壮年の騎士のかたがたも、無尽蔵とも思えるバルド将軍の体力と武威に、ただただ感嘆なさるほかありませんでした。
そして最後の敵を追い払い、ロードヴァン城の危難を退けたことを確認なさってから、お倒れになったのです。
騎士のかたがたの中で最後まで立っておられたかたこそ、このバルド大将軍閣下なのです。
それはただ体力があったからできたということではなく、民を思い国を思い王陛下のことを思えばこその、体力気力の限りを振り絞ってのお働きであったのです。
だからこそ騎士様がたは、鬼神のごとき強さをみせたバルド大将軍が来る日も来る日も目覚めないことを見て、そこに騎士の理想の姿を見いだされ、剣をお捧げになったのです」
「むむう」
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それから何人もの重臣が、バルドとジュールラントの非を明らかにせんと論戦を挑んできた。
そのことごとくをジュルチャガは論破した。
つまり、ついに重臣たちは、バルドとジュールラントの落ち度を見つけることができなかったのである。
それだけではない。
重臣たちが敗戦と呼ぶものを大勝利に置き換え、重臣たちが欠点と呼ぶものが実は大きな長所であることを明らかにしてみせたのである。
ついに重臣たちは、ロードヴァン城における魔獣防衛戦が、絶望的な状況の中での奇跡的な大勝利であり、大将軍と騎士たちの勇戦は大いにたたえられるべきものであると同時に、王と王国と重臣たちにとっても名誉の戦であったと結論して査問会をしめくくった。
バルドは深く感心した。
なぜなら論戦に応じてことごとく勝利を収めながらも、ジュルチャガは重臣たちの、ひいてはその背後の大貴族たちの顔をつぶさなかったのだ。
むしろその功績をたたえたといってもよい。
見事な大論陣だった。
バルド自身が抗弁していたら、敵をたたきつぶすような物言いしかできなかったに違いない。
それでは論戦に勝てたとしても、重臣たちと対立したという事実は残ってしまう。
ジュルチャガのおかげで、バルドは最初で最後のパルザムでの将軍職を、不名誉を負うことなく引退できたのだ。
ということは、バルドを抜擢したジュールラントにも恥をかかせずに済んだということである。
それだけではない。
重臣たちの中には、ジュールラントやバルドに好意的な者もいたはずだ。
あの場での質問者たちにののしり声を返せば、その好意的な者たちをも敵に回してしまうところだった。
それを避けられたということは、やはり今後の大きな財産となる。
バルドとジュルチャガは勝利者として赤の間を出た。
カーズと合流して控室に入るなり、ジュルチャガはへなへなと床にへたり込んでしまった。
「ふわわーーー。
つーーーかーーれーーたーーーーーー」
実にだらしない姿だが、この男にはへたり込む権利がある。
と、そこに王からの呼び出しがあった。
バルドは侍従に飲み水を運ぶよう頼み、カーズとジュルチャガを控室に残して王の元に向かった。
「じい。
ロードヴァン城では、すさまじい戦いだったようだな。
よくやってくれた。
礼を言う。
苦労をかけたな。
ところで、魔獣の襲撃の最後の部分が、よく分からん。
報告書でもあいまいな書き方をしていたな」
バルドは最後に二百を超える川熊の魔獣が近づいて来たこと、それを魔剣スタボロスの力で退けたことを報告した。
「ふむ。
あの《見つけたぞ》という声は、そのときのものか。
では、見つけたというのは、その剣のことか?」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない、としかバルドには答えられなかった。
「む、む。
そのような優れた魔剣があると宣伝するのも善し悪しか。
噂が流れるのは止められないが、このことは公的にはふれないことにしよう。
幸い、魔獣との戦いに参加したわが国の騎士で、王宮とつながりのあるものはおらん。
アーゴライド家の騎士にはじいから口止めしておいてもらえるか。
じいにしかその魔剣の力を引き出すことはできないのだな?
ところで、マヌーノの女王に会いに行くと報告書にあったが、行ったのか。
会えたのか」
バルドはマヌーノの女王との会見について述べた。
ジュールラント王は、難しい顔をしてこれを聞いた。
また、バルドは、ジュルチャガに調べさせた各国の戦況についても報告した。
さすがにジュールラントもいろいろ調べてはいたが、黒い大きな馬車がトード家近くにいたことがある、との報告には眉をしかめた。
そしてバルドをねぎらってから退出させた。
ジュルチャガに礼を伝えてくれ、と付け加えて。
バルドは、カーズとジュルチャガと合流した。
そして宮殿を出ようとしたのだが、
「正妃様がお目通りをお許しくださるそうにございます」
という案内を受けた。
そういえばシェルネリア姫が輿入れしているのだった。
後宮近くの庭で、バルドはシェルネリア姫に拝謁した。
ドリアテッサもいた。
シェルネリアは、ひどくうれしそうな顔をした。
「まあ、まあ。
バルド・ローエン様。
お懐かしゅうございます。
あなたさまは、陛下とわたくしの仲を取り持ってくださったおかた。
今日までごあいさつもできませんでしたこと、おわび申し上げます。
それにしても、なんて立派なお姿。
大将軍の礼装がよくお似合いになって。
その立派なご体格でそのご衣装。
重臣のかたがたも、さぞ気圧されておしまいになったに違いありませんわ」
シェルネリアは、バルドに紅茶と菓子を振る舞い、特に政治とも軍事とも関わりない雑談を楽しんだあと、最後にこう言った。
「どうかしばらく王都におとどまりくださいね。
近々あの角砂糖が届く予定ですの。
あれをぜひバルド様に召し上がっていただきたいのですもの」
バルドは、もう早々に王都を出て辺境に戻るつもりだった。
だがこう言われたからにはもう少しだけとどまることにした。
事態は三日後に急転する。
8月10日「ワジド・エントランテ」に続く