第7話 論戦(中編)
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立ち上がって背を伸ばせば、バルドの身長は重臣や官吏たちより頭一つ高い。
そのため、まっすぐにジュールラント王の顔を見ることができた。
ジュールラント王の顔色は蒼白である。
土気色に近いといってもよい。
いつも自信に満ちあふれて快活なジュールラントがこのような顔をしているのを見て、バルドの腹に憤怒の炎が燃え上がった。
待っておれ、ジュール。
今お前を楽にしてやる。
そう心でつぶやいて、重臣たちを言葉の嵐で吹き飛ばすべく息を吸おうとしたところで、右の袖を引かれているのに気が付いた。
ジュルチャガだ。
何の合図なのだろう。
振り返ると、ジュルチャガが強いまなざしを返してきた。
そして指を折り曲げて、自分の胸に当てた。
バルドは毒気を抜かれた思いがした。
そして、このお調子者を信じてみることにした。
わが臣ジュルチャガをもってお答えいたす、とバルドが声を発したとき、居並ぶ者みなの顔に驚きが浮かんだ。
「大将軍。
本当にそれでよろしいのかな。
その者の言葉の責任は、大将軍にありますぞ」
この念押しに、バルドは、むろんにござる、ジュルチャガの言葉はわが言葉と同じと心得られよ、と返事した。
ジュルチャガは、二歩前に進み出た。
バルドより半歩前である。
ジュルチャガは一礼して頭を上げ、周りを見回した。
ずらりと重臣たちが並んでいる。
後ろには各部門の専門官や重臣の補佐たちが並んでいる。
そのすべての人が、強い視線をバルドとジュルチャガに向けている。
それは今まさに二人に襲い掛かり飲み尽くさんとする津波のごときである。
しかしジュルチャガの態度には恐れも敵意もない。
辺りを見渡すその顔には笑みさえ浮かんでいる。
一息吸って言葉を発した。
その小さな体軀からは想像もつかない、豊かで滔々たる音声だ。
「重臣のかたがたに申し上げます。
先のロードヴァン城における魔獣防衛戦では、多数の死者負傷者が出ました。
バルド大将軍閣下には、死んでいった者たちのことを思い、大けがをした者たちのことを思い、またその家族らのことを思い、深く心を痛めておられます。
先ほどのお言葉により重臣のかたがたも同じと知って、厚く感謝の念を抱いておられることでしょう。
さて。
ロードヴァン城に集結した三国の騎士は、指揮官級まで含めて、ゴリオラ皇国三十一人、ガイネリア国七十三人、パルザム辺境騎士団六十九人、アルケイオス家九人、アーゴライド家一人、トード家二人、そしてバルド将軍とその側近合わせて二名、計百八十七名でございました。
襲い来た魔獣は、耳長狼百、青豹百、シロヅノ百、オオハナ百、大岩猿百、フクロザル百、川熊二百以上であり、これにヒヨルド百以上と、マヌーノ百以上がございました。
合わせて、千を超える大群にございます」
「それがどうした。
たかが獣であろう。
亜人どもに追い立てられて襲い来たからといって、何ほどのことがあるか。
騎士だけでも二百人近くおり、さらに従騎士たちもいたのであろうが。
追い散らせぬ道理があるまい」
「はい。
おっしゃる通り、魔獣といえどたかが獣でございます。
ただ少々しぶといだけのことでございます。
倒すには普通の獣の十倍の攻撃が必要で、牙や爪には普通の獣の倍の威力があるとお考えくださいませ。
ここに一頭のシロヅノがいたとします。
魔獣ではない、普通のシロヅノでございます。
体の高さは馬と同じほどで、体重は倍ほどでしょうか。
頭にはハンマーのような角があり、直撃を受ければ命はございませんが、騎士となられるほどのおかたでしたら馬を操ってかわすことは造作もございませんでしょう。
一頭のシロヅノに対して二人の騎士様がおられれば、両方から注意を引きつつ、それぞれ十回、合わせて二十回の攻撃で倒すことができましょう。
一頭のシロヅノに対して一人の騎士様がお相手なされば、これはまったく無傷というわけにはいきませんでしょうが、お一人で二十回の攻撃を加え、倒すことができましょう。
これが魔獣のシロヅノであれば、二百回の攻撃を加えなければなりません。
いかに俊敏で体力のある騎士様でも、お一人で一頭のシロヅノの魔獣を相手取るのは無理なのです。
まして敵には耳長狼や青豹の魔獣もおりますから、シロヅノを馬の速度で翻弄しようにも、馬のほうを食い殺されてしまいます」
「ならば城壁の内にたてこもって戦えばよいではないか」
「まさに、まさに。
まさにその通りにバルド大将軍はなさったのです。
いいえ。
あの局面ではどこのどなたが指揮をお執りになってもほかの作戦はあり得ません。
ただし的確に敵の行動を読み、兵力を分散させずロードヴァン城で迎撃の態勢を調えておかなかったら、騎士団もロードヴァン城の住民も皆殺しになり、ゴリオラ、ガイネリア、パルザム三国の東部の街や村は、魔獣の餌食となったでしょう。
バルド将軍が存分にそうした働きができたのは、自由な裁量権と優れた騎士団をお預けいただいたなればこそでございます。
そして圧倒的に不利な戦局を将兵ともども耐え抜き、見事魔獣を撃退したのでございます。
それが軍制によるものであるとするならば、今の軍制をお調えくださった歴代王陛下と重臣の皆さまがたこそ、こたびの大勝利の立役者ともうせましょう」
「む、む」
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別の重臣が一歩前に出て口を開いた。
「三国の連合軍が一時的にとはいえ出来たことは、歴史書にも見えぬまれなことであり、この大英断をなし交渉をまとめきられた王陛下のお手並みには感服のほかない。
さりながら、国によってしきたりが違うのだから、一国の騎士からなる軍に比べ三国の騎士からなる軍では命令も伝わりにくく、誤解や混乱も生じやすいのは自明の理。
かりにゴリオラ、ガイネリア両国の協力など仰がず、わが国の有力騎士の協力を求めておれば、おのずと連携もうまく機能し、被害を抑えることもできたと思われるのだが、いかに」
「ははっ。
おっしゃることはまことに道理でございます。
各部隊の連携や協力は、騎士様がそのお力をじゅうぶんに発揮される上で何より大事なものかと存じます。
私めはあの地獄のような攻防戦のただ中で騎士様がたのお働きを拝見しておりましたが、各国の軍はその実力と特色をいかんなく発揮なさり、人数の倍も三倍ものお働きをなさったように思いました」
「本当にそうか。
例えばじゃな。
王妃様のご生国のことを悪くいうわけでは決してないが、ゴリオラ皇国はもともと北方の蛮人が築いた国ではないか。
わが国のように古い伝統を持つ国とは騎士の気質も異なるであろう。
かの国の騎士がわが国の騎士と同じだけの武勲を挙げたといえるかどうか。
それともまさかそのほう、わが国の騎士がかの国の騎士に劣ると申すのではあるまいな」
「恐れ入ってございます。
パルザム王国の騎士様の勇猛果敢にして知略無尽なることは、あまねく中原に知れ渡るのみか、遠く辺境におきましても周知の事実にございます。
いっぽう、ゴリオラ皇国の騎士様がたも、雄偉華麗にして進退は鮮やか。
バルド大将軍様の指揮のもと存分のご活躍ぶりでございました。
例えばゴリオラ皇国の従卒六十名でございます。
彼らは馬もなく鎧もなく剣で戦う力のない若年の者たちでございますが、北方の大森林より削り出したる良質の長弓と矢を持参いたし、手練の技にて魔獣どもに矢の雨を降らせました。
打って出ることのできない籠城戦で、初めのうち最も活躍したのはこの熟練の弓隊であったと申してよいかと思います。
三国のよい所が補い合った好例にござります」
「む。
それでは、ガイネリアはどうか。
聞くところによればバルド大将軍は、総指揮官の座を賭けてガイネリアのジョグ・ウォード将軍と一騎打ちの決闘を行ったとか。
噂に高いジョグ・ウォード将軍を一蹴した大将軍の武勇には感じ入ったが、けしからんのはジョグ・ウォード将軍。
バルド大将軍が総指揮官と決まっておるのだから、黙ってその指揮に従えばよいではないか。
それを指揮権を賭けた決闘をなど求めるは、かの国の気位の高さが災いしたとしか思えぬ。
また、指揮官同士が決闘したとあれば、配下の騎士たちのあいだにも対立し合う空気が生まれたであろう。
この点、いかに」
「ははっ。
恐れながら申し上げますが、ジョグ・ウォード将軍は辺境の出にございます。
お若いころからバルド大将軍に挑戦し続け、いわばその胸を借りて武の技と威を積んだおかたなのです。
私もかつて辺境のある村で、バルド大将軍がジョグ将軍に稽古をつけなさるその場に立ち会うたことがございます。
弟子が師匠に会えば、わが成長ぶりをお確かめくだされとばかり、しゃにむにまとわりつくのもまたごあいきょう。
バルド大将軍もそこはよくご存じで、お年を押してあえて大剣をご準備なさり、力と力の真っ向勝負でジョグ将軍を圧倒なされたのです。
そのあとに遺恨など残りようはずもございません。
たたきのめされて落馬なさったジョグ将軍は、立ち上がるやガイネリアの騎士の皆さまの前で拳を振り上げ、この戦ではわが軍の指揮はバルド・ローエン卿がお執りになる、と大声を発せられたのです。
これを見てガイネリアの騎士の皆様がたは、おお今回の総指揮官はジョグ将軍の師匠格のかたか希有の猛将よと心からご理解なさり、大いに士気を高められたのです。
ガイネリアのかたがただけではありません。
パルザム、ゴリオラ両国のかたがたも、この決闘によりジョグ将軍とバルド大将軍の武威の尋常ならざるを肌身でお感じになり、ここに三国連合軍は一つにまとまったのでございます」
「む、む。
しかし騎士のすべてがバルド大将軍に心服したとはいえまい。
ゴリオラの指揮官はファファーレン家の御曹司であったと聞く。
かの家はゴリオラでも有数の名家。
失礼ながら出自定かでなく爵位も領地もお持ちでないバルド将軍に心から従ったとは思えぬ。
また、これも失礼な言い方になるが、パルザム辺境騎士団の騎士たちにしても、戦歴も武徳も明らかでない大将軍を突然迎えて、いささかとまどいもなかったとはいえまい。
いやいや。
これは決してバルド大将軍のお人柄や采配をうんぬんしているのではない。
日頃なじんでおらぬ指揮官と騎士では、どうしてもうまくゆかぬところがあったのではないかと心配するのだ」
「ははっ。
指揮する者と指揮される者との信頼の絆を大切におぼしめされるそのご配意。
大国のご重臣とはここまで行き届いた目とお心をお持ちなのかと、ただ感激するばかりです。
されど、そのご心配はご無用にござります。
防衛戦に勝利し魔獣どもを追い返したあとのことにございます。
しばらく様子を見て、もう魔獣どもは去ってしまったと判断された時点でゴリオラ皇国の部隊は帰国なさいました。
その前にファファーレン侯爵家ご継嗣ティルゲリ伯爵アーフラバーン様は、バルド大将軍閣下の足下に剣を捧げられたのです」
「何!
まことか?」
「ははっ。
何で敬愛するご重臣様に嘘偽りを申しましょう。
それだけではございません。
かの伯爵麾下の騎士様がたも、われもわれもとあとに続き、バルド大将軍のご懿徳よわが騎士道の導きの光たれと、剣を捧げていかれたのです。
これにつきましては、それぞれのかたが自署なさった名簿が残されておりますれば、まごうかたなき事実にございます。
それだけではございません。
パルザム王国辺境騎士団の騎士様がたも、団長始め残らずバルド大将軍に剣をお捧げになったのです。
私は眼前にこの奇跡のような光景を拝見し、騎士と騎士との名誉のつながりとはこういうものかと、感涙にむせび泣いたのでございます」
「なんと。
むむっ。
むむ」
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別の重臣が一歩前に出て、こう言った。
「そのほう、ジュルチャガと申したか」
「ははっ。
さようにございます」
「ちょうどよかった。
そのほうを召し出さねばならんと思っておったのじゃ。
さて、おのおのがた。
わしはある人物から、妙な話を聞いた。
数年前、東部辺境のオーヴァのさらに東を荒らし回った、〈腐肉あさり〉のジュルチャガなる盗賊がおったと。
その者、名うての悪党で、こともあろうに騎士ばかりを狙って荒稼ぎをしておったというのじゃ。
聞けばバルド大将軍が手元に置いておる小者もジュルチャガという名とか。
もしも万一、バルド大将軍の身内がけがらわしき盗賊であったとしたら、これはどういうわけであろうか。
まあそんな馬鹿なことがあるわけはないが、幸いにも今この都には、盗賊ジュルチャガの顔を知るかたがおられるのじゃ。
ささ、こちらへ進まれよ」
出てきた人物を見て、バルドは心の臓が凍り付いたかと思った。
カルドス・コエンデラであった。
8月7日「論戦(後編)」に続く