第7話 論戦(前編)
1
バルドはジュルチャガをねぎらい、今日はもう寝ておれ、と言った。
ロードヴァン城から王都まで、ずっと自分の足で走ってきたのだ。
いくらこの男でも疲労は大きいはずだ。
それなのに夜中にこれだけの情報を集めてきた。
ひた隠しにされているという情報を。
だがジュルチャガは寝ようとはしなかった。
もりもりとあきれるばかりの食欲で朝食をたいらげ、外出の支度をした。
体中に香油を塗り、顔には白粉さえつけ、頭も油を練り込んで丁寧にしつけた。
この男は、顔も貧相だし体つきも細くて頼りなく、どこにでもいる平民にしかみえない。
ところがいざというとき、その表情はまるで変わる。
身だしなみを調え、目に力を込めれば、身分のある美青年にみえてしまう。
場面しだいで自分の見せ方をがらりと変えられる男なのだ。
迎えが来たので、カーズとジュルチャガを連れて出かけた。
すぐに大会議場なる部屋に案内されたのだが、ジュルチャガが衣服を調えると言い出して小部屋を借りた。
取り出したのは、なんと第一式礼服だった。
バルドのためにあつらえられたものである。
将軍の礼装は正式が第一種から第三種まで、略式も第一種から第三種まである。
これはそのうちもっとも格式の高い場で使う服であり、本当なら拝将礼のとき着るべきだった。
ところがバルドが大将軍に任命されたのが急すぎて間に合わず、その後王都に戻って来たときにはもう大将軍は辞任していたから、結局袖を通したこともない。
もう大将軍の座は退いたのだから、これはまずかろうと思ったが、せっかくジュルチャガが用意してくれたのだから着ることにした。
駄目だったら脱げばよいだけのことだ。
下着姿になり、式衣を着けた。
とても肌触りのよい生地だ。
左右にそれぞれひだをとってひもを結んで加減を調え、帯を巻く。
帯は幅広で上品な刺繍が施されている。
その上にひたひれを着る。
袖がたっぷりとってあり、古風な作りになっている。
へその位置辺りで飾りひもを結ぶのだが、その色が鮮やかな青になっている。
本来なら侯爵以上の貴族にしか、公の場では使えない色である。
大将軍は宮中序列では侯爵なみに扱われるのである。
バルドを着付けさせると、ジュルチャガは自分自身も手早く着替えた。
それはよいのだが、どうみても従者の服ではない。
肩当てに羽根付き帽子。
二の腕の部分の膨れ上がった付け袖。
ゆったりした胴衣を膝の上まである靴下で押さえ、豪奢なブーツには拍車の代わりに銀の飾りボタン。
どこの大商人だという風情なのだが、最後の仕上げに赤紫のサッシュを腰に巻き付けた。
止めひもやベルトにその色を使うのは伯爵以上の者にしか許されないはずである。
ちょっとジュルチャガの正気を疑ったが、まあなるようになれと腹をくくった。
カーズには着替えはないようだ。
案の定誘導の役人は二人を見て目を丸くしていたが、口に出しては何もいわず先に立って歩き出した。
何度か扉を通ったあと、部屋の向こうに巨大な扉が見えた。
その壁面は赤い。
白輝石に塗料を塗って焼いた赤輝石を使っているのだ。
赤の間。
伯爵以上の身分でなければ入れない。
大会議場というのはこの部屋のことだったのだ。
「これより先は、高位のかたのみお入りになれます。
おつきのかたは、控えの間が横にありますので、そちらでお待ちください」
と、案内人が言った。
カーズは控えの間に歩いていったが、なぜかジュルチャガはバルドに付いてくる。
案内人も扉番も、それをとがめようとしない。
あ、服のせいか。
とバルドは気付いた。
みなジュルチャガの服の色にだまされているのだ。
扉が押し開かれ、バルドとジュルチャガは中に入った。
2
ひどく大勢の人々がいる。
中に入って少し進むと、上座のほうから声を掛けた者があった。
「バルド大将軍の後ろにいる者は誰か」
声の響きは厳しい。
ジュルチャガは両手を胸の上に合わせ、膝は折らずに礼をして、
「バルド・ローエン卿の臣ジュルチャガにごさいます」
と答えた。
すると、さらに厳しい調子で、
「ここは下郎の来る所ではない。
ただちに部屋を去れ!」
とその人物は言った。
ジュルチャガは軽く会釈をして、首に掛けた金色の鎖を外して近くの官吏に渡した。
何か金色のコインのような物が付いている。
官吏はいぶかしがりながらも、それを上座の人物の所に運んだ。
「典儀官。
これは何だ」
壁際に控えていた官吏の一人が進み出て、コインを改めた。
「これはゴリオラ皇国における準貴族の証しにございます。
国に絶大な貢献をした平民に贈られるもので、これを持つ者は伯爵と同等の席次を得られます」
部屋にいた人々はびっくりしているが、バルドもびっくりした。
ジュルチャガに準貴族の身分が与えられたとは聞いていたが、そう大したものだとは思ってもいなかったのだ。
準貴族というのだから、貴族に準じるほどの身分だと思っていた。
そうではなかった。
準貴族とは〈貴族に準える〉という意味であり、何らかの事情から貴族にするわけにはいかないが、貴族にもまさる功績を上げた平民に、皇宮で上位貴族なみの席次を与える、というものだったのである。
ゴリオラ皇国の皇王は絶対権力の持ち主であるが、反面常に暗殺の危険にさらされている。
そのため、皇宮では区域ごとに足を踏み入れるのに厳しい身分条件が設けられている。
だが制度上身分は低くても、大富豪や大商人とは面談しなければならないこともある。
その方便として生み出されたのが準貴族という身分だったのだ。
皇宮で英雄譚を語らせるだけならもっとほかに便法もあったろうに、皇王はなぜかこのような特別な身分をジュルチャガに与えた。
さて、この場を取り仕切っていた重臣たちは、困惑した。
邪魔者はできるだけ排除しておきたかった。
だが他国の制度身分は尊重しなければならない。
でなければ、こちらの制度身分も他国で尊重されなくなるからである。
前もって分かっていればジュルチャガを閉め出す理屈も用意できたろうが、突然であったため、そうはいかなかった。
結局、重臣たちはジュルチャガのことは無視して自分たちの計画を進めることにしたのである。
「ではそのことはよい。
さて、バルド・ローエン卿。
跪拝されよ」
部屋の奥には三段高くなった玉座があり、ジュールラント王が座っている。
跪拝とは膝を突く礼のことで、奴隷や罪人なら両膝を突くし、騎士の礼では右膝を突く。
ただし大将軍とは王にさえもめったに跪拝をしないものだ。
するとすれば拝将礼、つまり将軍位を拝受する儀式作法においてぐらいである。
だからこのときバルドは、ああ将軍位を去るための礼なのであろうな、と納得し、遠い玉座に跪拝した。
するとひざまづいて頭を下げるバルドの前に、重臣たちが回り込んだ。
これではまるで、わしが重臣たちにひざまずいているようではないか。
バルドは怒りを覚えた。
自分のプライドのためではない。
それが大将軍の権威をおとしめ、ひいては王の権威をおとしめる行いであるからだ。
「バルド大将軍の将軍位はすでに召し上げられ、後任の大将軍が任命された。
したがって、バルド・ローエン卿はすでに大将軍ではない。
ただし、本日の会議では大将軍としての行いと判断について協議をするので、今この場でだけ仮に大将軍位に戻ったと心得られよ」
もうその職分にはないのに、その職分にある者として答えもし、その職分にある者としての批判も受けるという意味だろう。
ひどくうさんくさいものを感じずにはいられない物言いだ。
重臣たちの列の中から一人が前に出て、しゃべり始めた。
「おほん。
バルド大将軍殿。
大将軍は、大障壁の切れ目で四十年にわたり騎士たちを率いて魔獣と戦い続けた歴戦の勇士とのこと。
そのような優れた指揮官を中軍正将に得られたのは、王陛下のお徳のたまものというべきであろう。
さて、ところが先のロードヴァン城での戦いでは、魔獣を相手にわが国の辺境騎士団は、騎士六十九人のうち二十六人が死亡、三十八人が負傷した。
全体では損耗率八割五分という、恐るべき被害であったという」
バルドの胸は痛んだ。
自分がもっとうまい指揮をしていれば、損害は減らせたのだ。
その死者たちは、バルドが殺したといってよい。
そのことについて責任を取れというなら、どんな責任でも取ろうとバルドは思った。
たとえそれが命をもっての償いであったとしても。
「バルド大将軍のごとき名将をもってしてもこの壊滅的な惨敗を免れなかった。
これはわが国の軍制に、少なからぬ問題があることを示しているのではないかな」
何だ。
何の話をしている。
軍制?
バルドはとまどった。
軍の制度と対魔獣戦の被害のあいだにどんな関係があるというのか。
「かつてわが辺境騎士団は辺境侯の裁量下にあり、近隣諸侯の助言や要請を受けて自由に活躍した。
また、王直轄軍は規模も小さく、軍事については諸侯が協力し合って臨機応変の働きを現した。
今は王陛下ただお一人の指示によって動くようになった。
言うまでもなくわが歴代王陛下は英邁にして知勇に優れたおかたばかり。
その采配にいささかの誤りもあろうはずがない。
しかしロードヴァン城は遠すぎる。
指示を求め答えが返るまでに時間がかかりすぎる。
ロードヴァン城だけではない。
ここ数代の偉大なる王陛下のもと、わが国は版図を大きく広げた。
その隅々で起こる軍事に関わる問題を、すべて王お一人に押し付けてしまうごときやり方には、やはり無理があるのかもしれぬ。
軍の制度に問題があったとすれば、こたびの大敗もバルド将軍お一人の責任とはいえぬ。
大将軍のお考えをお聞かせいただけるかな」
分かった。
重臣たちの狙いが分かった。
こいつらの標的はバルドではない。
ジュールラント王その人だ。
重臣たちというのは、長年政治の世界で実績を上げてきた人々だが、その背後にはそれぞれ大貴族家がある場合が多い。
現在の軍制はここ数代の王が心血を注いで作り上げてきたものだが、大貴族たちはそれを苦々しく思っている。
王直轄軍が大きな実力を持てば、王家の大貴族家に対する立場も強くなっていくからだ。
そのうえ、王直轄軍が主体になって戦に勝っても、大貴族たちにうまみは少ない。
現にここ数年いくつもの有力都市を攻め取っているが、領有権を主張できた有力貴族はなく、ほとんどは王家直轄に近い扱いとなっている。
だから今この機会に。
直轄軍が強い痛手を受けたこの機会に。
やつらは王の落ち度をたたいて、その立場を弱め、自分たちの主張を通しやすくしようとしているのだ。
それは政治の上で王権を弱め大貴族たちの発言権を強めようとすることである。
同時にあわよくば、軍制を少しでも元に戻して大貴族たちの利権を復活させようとすることである。
玉座のジュールラントは、さぞつらかろう。
王族の中にジュールラントに好意的な者は少ない。
先王ウェンデルラントの異母弟たちは、王位をまんまとウェンデルラントに奪われたことを今でも怒り、ジュールラントを憎んでいる。
そのさらに先々代王の子や孫たちの多くも、辺境から忽然と現れたジュールラントに対して、冷たい目を向けている。
いわば孤立無援の宮廷で、重臣たちまでもがこのような振る舞いにでるとは。
自らが率いた直轄軍が大敗した直後では、さすがのジュールラントも強い態度には出られない。
王直轄の独立騎士団として最大規模である辺境騎士団も大損害を受けた直後であるから、人的資源の補充も難しい。
この国難の時に。
今にもシンカイが王都に攻め寄せてくるかもしれないこの時期に。
支え合い協力しあわねば乗り切れないこの難局にあって。
王家の足を引っ張るようなまねをするとは。
大敗したのが直轄軍だけで、大貴族たちの騎士団は健在であるからそう思うのだろうか。
シンカイの騎馬軍団に対抗できるのは王直轄軍だけだと、こやつらは理解していないのか。
こんなことをしていたら、本当に国が滅ぶぞ。
こんなときにこそ苦境にある王を支えてこその重臣ではないか。
この愚か者どもめが。
ただではおかん。
怒りを胸に、バルドは立ち上がった。
8月4日「論戦(中編)」に続く