第6話 召還(後編)
4
その後辺境騎士団の騎士たちが訪ねて来て、あいさつを交わした。
結局大きな部屋に移って一晩中飲みながら語り合うことになった。
バルドとカーズがマヌーノの女王に会いに行ったと知ると、一同はあぜんとした。
「ご、ご無事でお帰りになったということは、まさかたったお二人で、マヌーノの女王を倒されたのか!」
と訊く者がいた。
それを聞いたバルドは、辺境騎士団の騎士たちとの認識の違いを知った。
もとより、騎士というものは戦いをなりわいとする者である。
戦いでは、場合によって敵と味方が入れ替わる。
昨日敵として戦った騎士と今日は肩を並べて戦うこともある。
今日助け合った騎士と明日殺し合うこともある。
だから、味方を殺した相手であっても、その戦が終われば憎しみは捨てなくてはならない。
少なくともそのような態度を取ることを騎士道は求める。
戦争が終わったあとに、味方を殺した敵を探し出して殺したりはしないのだ。
そのような戦いには名誉はない。
ただし、相手の戦いかたに卑怯な点や不必要な残酷さがあったときは別だ。
そのような振る舞いをした相手は〈敵〉であると公言するに値する。
〈敵〉であると公言した相手には、機会があれば名誉ある決闘を申し込むことが可能だ。
この点、辺境騎士団の騎士たちも同じだろうとバルドは思っていた。
だがむしろこの場合バルドの考え方のほうが普通ではない。
つまりマヌーノという異形の存在に対して、騎士が騎士をみるようなまなざしを向けるバルドが異常なのである。
バルドもそのことに気付いたので、いや、わしは復讐に行ったのではない、マヌーノがあのような襲撃をしたわけを確かめに行ったのじゃ、と説明した。
そして、女王との会談の大意を伝えた。
あの魔獣の大侵攻は確かにマヌーノの女王の指揮下に行われたが、それは女王の意志ではなく、別の者に強制されたからであること。
今後二度とマヌーノが魔獣を率いて人を襲うことはないという言質を得たこと。
そもそも魔獣の準備には長い時間がかかるらしいこと、などである。
マヌーノの女王を心のいましめから解放したことは言わなかった。
先代ゼンダッタから教えられた古代の魔剣の真実は、みだりに話すべきではないからである。
また、女王を強制した者のことや、不思議な力で人間を操りシンカイの侵攻を手助けしている者についても話さなかった。
あまりに不確かな情報だからである。
だが辺境騎士団の騎士たちには、それでじゅうぶんだった。
バルドが命懸けで大樹海に赴きマヌーノの女王に会い、もはやマヌーノが魔獣を使役して人間を襲うことはない、と約束させてきたというそれだけで。
犠牲は無駄ではなかった。
あの悲惨な防衛戦は無駄ではなかったと。
そう彼らは知ることができたのだから。
ジュルチャガもシンカイの侵攻の様子について語った。
バルドに報告するまで、自分がどこで何をしていたか、口を閉ざしていたようだ。
そちらも大いに皆の関心を集めた。
結局夜明けに眠り、昼前に出発することになった。
その出発の直前に召還状が届いた。
官吏一名と騎士二名が、わざわざ持参したのだ。
お尋ねしたいことがあるのでバルド・ローエン元大将軍は、ただちに王都に帰還し王宮にご出仕あられたい、と書いてある。
それはいいのだが、おかしなことに、文書作成者の名前はあるのに、誰が召還しているのかは書かれていない。
辺境騎士団団長代理のカレッジ・ドルビーに見せたところ、この文書作成者は重臣会議の秘書官ですが、文面はまるで査問会への呼び出し状ですね、と眉をひそめて言った。
いずれにせよ王都に帰って報告するつもりだったのだ。
バルドはカーズとジュルチャガを連れて、官吏と騎士二名とともに王都に向かった。
官吏も騎士も、明らかにバルドと話をするのを避けていた。
話し掛けても最低限の返事をするだけなのだ。
特に戦況に関する話題には、まったく答えてもらえない。
不審に思いながら旅を急いだ。
王都に着いたのは五月三十日の夜で、騎士一人が先行して到着を連絡した。
官吏は直接王宮に行くよう促したが、ジュルチャガが今夜はトード家に泊まろうようと耳打ちしてきたので、そのようにした。
トード家に着いてみると、バリ・トードはいなかった。
呼び出しを受けて王宮に出仕したのだという。
バルドは久しぶりにカムラーの料理に舌鼓を打った。
使用人たちは、まるで屋敷のあるじが帰ったかのようにバルドを迎えて喜び、世話をした。
夕食のあとジュルチャガが姿を消した。
戻って来たのは明け方で、珍しく少し興奮している様子だ。
バルドは眠っているところを起こされたが、それだけの重大事なのだろうと思った。
その通りだった。
ジュルチャガは夜の街を走り回って、極めて重大な情報を集めてきた。
「王直轄軍が、シンカイ軍に大敗したんだ。
四月十三日、カッセ北方の大平原で。
損耗率四割を超える損害を受け、中軍正将ザイフェルト・ボーエン伯爵は王陛下をかばって戦死。
敗戦は王都の民にはひた隠しにされてる」
耳を疑う知らせだ。
ジュルチャガは、不確実な部分が多いけどと断って、説明を始めた。
5
三月の始めにオーバスが陥落した。
ここにこもったシンカイ軍を撃つために、近隣の諸侯が騎士団を出した。
堅固な城なので立てこもるかと思いきや、素早く打って出てすさまじい速度で各騎士団を蹂躙。
有力騎士が何人も討ち取られてしまった。
諸侯に乞われて王は直轄軍を出した。
総指揮官はザイフェルト・ボーエン卿。
もともと上軍副将として先王の元で大いに武勲を挙げた歴戦の勇将である。
辺境騎士団の意識改革をひそかに命じられて辺境騎士団長となっていたが、バルドのあとを受けて中軍正将に任じられたのだ。
ザイフェルトは中軍の正副両軍を率いて討伐に向かった。
王家の直轄軍とは上中下の三軍であり、それぞれ正軍と副軍に分かれている。
計六軍である。
その一つ一つが、騎馬隊百、弓兵隊百、槍兵隊百、歩兵隊百から成る。
つまり中軍の正副軍を合わせても、従来の数え方では二百騎にしかならない。
騎馬だけで四百というオーバス城のシンカイ軍を討伐するにはいささか戦力が足りないように思える。
だがパルザムの王軍は、従来の騎士団とは内容が違うのだ。
一般に軍の構成最小単位は騎士である。
騎士はいうまでもなく騎馬戦力である。
その騎士が連れてくる従者たちが歩兵となる。
歩兵の実態とは、修行中の少年であったり、普段は武器を持たない平民であったりするので、練度は高くないことが多い。
経済的な理由などから荷物持ちだけを連れて参戦する騎士もいる。
開戦時の突撃をになう槍騎兵を除けば、槍は歩兵の武器である。
士分の者は槍を使うのをいやがる傾向があるから、槍兵をみたら平民と思って間違いない。
もっとも戦争慣れした屈強な農民の槍兵が主人に多大な戦利品をもたらすこともあるのだが。
戦争を始めるにあたり何人の騎士が集まるかは、有力騎士たち次第となる。
その有力騎士が声を掛けてあつまる騎士が何人の歩兵を連れてくるかは、そのときになってみないと分からない。
まして最終的に槍兵が何人で弓兵が何人になるかなど、予想のしようもない。
軍の主宰者である王や貴族は、槍を多めに持って来てほしいとか、矢をじゅうぶん用意してほしいなど注文を付けることはできるが、実際にどうなるかは有力騎士や各騎士の胸先三寸であり懐具合次第なのである。
こうした状況を、ここ数代のパルザム王は変えようとしてきた。
いや、変えた。
歩兵に鉄の盾と鉄の胸当てと鉄の兜と鋼の剣を与え、戦場を走り回れる体力を養わせた。
長く頑丈で規格の統一された槍を作り、集団戦闘の訓練を積ませた。
弓兵には、面制圧のできる射撃法を教え込み、必要に応じて馬で移動できるようにした。
これを可能としたのは一つには経済の伸長であり、人口の増加である。
そしてまた、続く戦乱により国や都市が征服されあるいは消滅し、大量の流れ騎士が生まれていたことである。
他国から流れてきた騎士やその子弟を、パルザム王は積極的に迎えた。
ただし、軍に入って最初に配属されるのは、よほどの軍歴がない限り弓兵隊か槍兵隊か歩兵隊のいずれかである。
流れ騎士たちは憤慨した。
だが背に腹は変えられない。
手柄を立ててゆけば騎馬隊に移ることもできるし、何より平時でも定期的に給金がきちんと支払われるという条件は魅力的すぎた。
彼らは平時においても軍事以外には従事しない、完全非生産者である。
これだけの人数に衣食住を与え、その装備を調えるのは非常に大きな負担だ。
だが歴代の王は、ねばり強く軍制改革を進め、騎馬隊の人数はむしろ圧縮しつつ、歩兵の人数を徐々に増やしていった。
そして軍制が調ってみると、騎士偏重の編成より維持費用がずっと低いことがはっきりした。
敵の弓を歩兵の盾が防ぎ、突進してくる騎兵を弓兵が消耗させ盾歩兵と槍歩兵が足止めする。
機動力を失った敵をこちらの騎兵が蹂躙する。
四兵科の長所を組み合わせた運用は、非常に効果が高かった。
軍制改革のかいがあって、近年のパルザム王直轄軍は負け知らずといってよい。
そしてその編成と戦闘方法は、シンカイ軍の得意とする高速機動と長柄武器を主軸にした戦法と、相性がよいはずなのである。
事実、オーバス城付近の平野の戦いでは、王軍はシンカイ軍を圧倒した。
敵の副将格の将軍を討ち取り、ブンタイ将軍を捕獲。
大打撃を受けた敵は市街区を放棄し、城に立てこもってしまったという。
6
ところがここで、ファーゴとエジテの両都市が再び蜂起した。
この二つの有力都市は、昨年反乱を起こし卑怯な手段でジュールラント率いる王軍を痛めつけた。
もう少しでジュールラント自身命を落とすところだったのであり、代わりに将軍二人が命を落とすことになった。
反乱鎮圧後、二都市はいわばはいつくばって許しを乞うた。
その二都市が再び牙をむいたのである。
しかもシンカイ軍とともに。
総兵力ははっきりとは分からない。
ファーゴとエジテの二都市だけで合わせて四百騎の戦力があるといわれる。
歩兵を合わせれば千二百人から二千人に達する兵力である。
シンカイ軍の兵力は分からないが、数百の騎馬隊がいたらしいという。
この大兵力が、津波のようにカッセの街を襲った。
防衛力に優れ、物資も豊かで、難攻の街といわれたカッセは半日で落ちた。
グリスモ城を守っていた騎士は、カッセ陥落の知らせを聞いて、一戦もせず城を捨てて逃げだした。
この知らせを聞いた王宮は、一時恐慌状態になった。
オーバスでの戦いは、パルザム側有利に傾いてはいるものの、敵はテューラやセイオンを経由して兵力や物資の補給が可能である。
そして、ファーゴ、エジテ、グリズモ、カッセがシンカイの側に吸収されたことになる。
周辺の小都市群もである。
広大な版図の北から西にかけてがごっそり削られ、しかもライドの街が敵勢力範囲に孤立した形である。
もしもライドの街も落ちるようなことがあったら、緑炎石はひとかけらも入ってこなくなる。
ジュールラント王はただちに王軍のすべてをカッセに向けた。
王自身も上軍正将としてカッセに向かった。
下軍正将であるシャンティリオンも一緒だ。
そしてまた王国北部と西部の諸侯に緊急の参戦を命じた。
ただしライドの街は除く。
ライド伯爵にはどうあってもライドの街を死守してもらわねばならない。
ザイフェルトもオーバスの囲みを解いて合流した。
カッセの東の大平原で、両軍は激突した。
シンカイ軍の兵力は、ファーゴとエジテ合わせて二百騎ほどと、シンカイ軍四百騎ほどだった。
相当の予備戦力がカッセの街に残されていると考えられる。
パルザム側の兵力は、王直轄軍が六百騎と諸侯の兵が二百騎ほどであった。
緒戦はパルザムの王軍がシンカイ軍を手堅い戦いぶりで痛めつけ、諸侯の意気も大いに上がった。
しかし実のところ、中軍とザイフェルトははなはだしく消耗していた。
なにしろ、王都から長駆してオーバスに敵軍を破り、包囲戦のただ中でカッセへの長距離移動を命じられ、休む間もなく戦っているのである。
疲れ切っているといってもよかった。
そこに物欲将軍が出てきた。
率いるのは直属二百騎であるが、とにかく物欲将軍の姿そのものがパルザム軍将兵の度肝を抜いた。
その身長は普通の人間の二倍ほどもある。
乗っているのは全身が鎧を覆ったような奇怪な姿をした巨大な獣で、鼻面から角が飛び出している。
虎が羊を蹴散らすように、物欲将軍はパルザム王軍を粉砕した。
陣形も戦術も、何の役にも立たなかった。
物欲将軍が長大な剣を振り回せば、騎士は馬ごとはね飛ばされ、歩兵は盾と鎧ごと数人まとめて肉塊に変わった。
パルザム王軍は総崩れとなり、諸侯の軍は恐慌を来して戦場から逃げ去った。
物欲将軍はまっすぐ総大将たるジュールラント王を目指した。
これをザイフェルトとシャンティリオンが精鋭少数を率いて防ぎ、王は無事脱出できたものの、ザイフェルトは死んだ。
7
ザイフェルトが、死んだ。
あの男が。
バルドは強い衝撃を受けた。
戦場では人が死ぬのだということは、骨身に染みて知っている。
だがそれでも、あれはまだ死んではいけない男であり、そうそう死ぬ男ではなかった。
この痛手がこの国にとって、ジュールラント王にとって、どれほど厳しいものであるかを、バルドは思った。
そしてまた、パルザム軍の現状に戦慄を覚えた。
それではいつ王都がシンカイ軍に襲われるかも分からない状況ではないか。
まさに国家存亡の危機といってよい。
このときに自分を呼び出して、いったい何をしようというのだろうか。
8月1日「論戦(前編)」に続く