第5話 襲撃(後編)
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「何事かっ、オズワルド!」
雷のようなリンツ伯の詰問の声が轟いた。
目線は、ギエンザラ・ペインの後ろにいる男に向けられている。
「商売というものは機会をのがしてはならぬ、というあなたさまの教えに従っているのですよ、伯爵様。
いえ、父上。
今この館には、私の命を聞く者しかおりません。
ご引退願えますかな、この世から」
のっぺりした顔つきの、にこやかな顔をした青年がそう言った。
「オズワルド殿。
父であるリンツ伯を殺せば、騎士になることはできぬ。
そうなれば、爵位を継承することもできぬ。
それに、リンツ伯の側近のかたがたは、あなたに従うだろうか。
また、川の向こうのかたたちも、あなたのことをよくは思うまい」
「これは、これは、ジュールラン様。
ご心配、痛み入ります。
もちろん、その辺りは考えておりますとも。
叙任の儀には、こちらのペイン卿がお立ち会いくださいます。
それにリンツ伯などという虚名は、どうでもよろしいのです。
私が欲しいのは、父上が肌身離さずお持ちの手文庫の鍵です。
鍵があれば、割り符を取り出せます。
そうすれば、パルザム王国との交易には何の支障もありませんからね。
ああ、辺境侯との関係ですか。
それについてはコエンデラ卿が万事お取りはからいくださいます。
口うるさい幹部たちなど、大オーヴァの魚の餌にしてやるっ!」
柔らかだった口調は次第に険を帯び、最後の言葉を言い放つときには、細い目が見開かれ口元はゆがんでいた。
オズワルドがジュールランの誘導に乗ったおかげで、賊のもくろみがはっきりした。
オズワルドは、リンツ伯の養子である。
コエンデラ家の後押しを受けて、家を乗っ取ろうとしているのだ。
当然、ここにいる者はすべて殺すつもりだ。
リンツ伯の実子や側近たちのもとにも、兵が向けられているのだろう。
これがただの商家であれば、親や兄弟を殺して家を乗っ取った者が、そのまま商売を続けることなどできない。
だが、エピバレス家は貴族であり騎士の家である。
貴族の家では、力ある者が他を押しのけて家長の座をつかむことが、ままある。
特に辺境では、力のない者には正義を語る資格がない、という風潮が強い。
それにしても父殺しは許されないが、目撃者を皆殺しにすれば、好きなように話を作れる。
コエンデラとオズワルドは、十二人の兵士を連れている。
部屋は広いが入り口は狭く、兵士たちにふさがれている。
ベランダの向こうは断崖である。
バルドの剣は、館に入るときに預けた。
リンツ伯とジュールランは、武器どころか簡単な防具もない。
絶体絶命といってよい場面だ。
だが、バルドの顔には、少しの焦りも恐怖も浮かんでいない。
すっと立って、無造作に襲撃者たちに近寄り、
赤い鴉はどうした。
と、ギエンザラに訊いた。
ギエンザラは、苦々しげな顔で、
「あんな役立たずは、放り出してやったわ!
息子も守れずに報酬だけは要求しおって。
おまけに見送りに出した手練れ二人を斬りおった。
もう顔も見とうないわ!」
と言った。
どんな〈見送り〉の仕方をしたかは訊くまでもない。
バルドは、あきれて、やれやれ底抜けの馬鹿じゃのう、とつぶやいた。
「馬鹿というのは、赤鴉のことか?
わしのことか?
いやいや、違うな。
こうして、まんまと死地に飛び込んだ貴様が、一番の馬鹿よ。
息子の仇、バルド・ローエンっ。
今、ここで死ね!」
槍を持った四人が、さっと進み出て、バルドを取り囲み、槍先を向けた。
ギエンザラとオズワルドは一歩下がった。
バルドの後ろで、リンツ伯とジュールランが立ち上がる。
ジュールランがバルドの加勢をしようと足を踏み出す。
振り返りもせずその動きを察知したバルドは、
来るなっ。
と鋭く命じた。
それは、主筋にある者への物言いではない。
師から弟子への物言いである。
「心得た。
師匠殿」
と答えたジュールランの声には、おもしろがるような響きが混じっている。
バルドは、背中のジュールランが移動する気配を感じた。
リンツ伯をかばう位置に移動したのだろう。
防具を着けていないジュールランは、今はリンツ伯を守りつつ、バルドが武器を調達するのを待つべきだ。
バルドが口にした、来るな、とはそういう意味である。
バルドは、心底あきれかえっていた。
せっかく懐に飛び込んだ大魚をみすみす川に放つとは、と。
この場に〈赤鴉〉ヴェン・ウリル一人がいれば、たとえバルドとリンツ伯とジュールランの三人が武器を持っていても、まともな戦いにすらならない。
あっという間に三人は斬り殺されてしまうだろう。
鎧と盾があれば話はまた違うが、それにしてもヴェン・ウリルの剣技は桁外れだ。
だが、この十二人は、どうか。
前列には、槍を持った兵士が四人。
後列には、剣を抜いた兵士が六人。
血走って濁った目をしている。
盗賊崩れのごろつきを雇ったのだろう。
もっとも、後列の一人はまるで素人なのか、革帽子を目深にかぶり、剣を取り落とさんばかりに震えている。
残る二人の兵士は、少しはましな兵士のようで、要所に金属板を埋め込んだ革鎧を着込み、ギエンザラを守るように立っている。
この程度の陣容でバルドやジュールランを殺せると思っているところが哀れである。
この十二人からは、何の武威も感じられない。
手に持つ槍や剣も、あまり良い品にはみえない。
〈ヴェン・ウリル〉を去らせてこの十二人を取ったとすれば、それは愚かという以外にない。
それは、宝玉を捨てて石ころを拾うようなものだ。
そもそも、ギエンザラも、息子のヨティシュも、騎士ではあるが、戦いが得意ではない。
まともな騎士を二、三人よこせばよかったものを。
「やれっ」
と命じたのは、オズワルドである。
前列には槍の兵士が四人。
バルドを取り囲んだ四人が槍を突き出す。
呼吸がばらばらである。
雑兵とはいえ、まったく同時に攻撃すれば、それなりの効果があるのだが。
バルドは、一番右の兵士と右から二番目の兵士が突き出してきた槍を左右の手ではじいて、二番目の兵士の懐に飛び込んだ。
三番目の兵士の槍は空を突き、四番目の兵士の槍は軌道を修正してバルドの左腹背に刺さった。
が、威力は弱く、革鎧に妨げられ、傷は浅い。
バルドは、二番目の兵士の槍を左手でつかみ、素早く引いて奪い取ると、石突きで二番目の兵士の胸を、ずどんと突いた。
吹き飛ぶ兵士。
一番目の兵士が槍を引き戻し、突きにくる。
バルドは、その槍を右手でつかみ、右脇に挟み込んだ。
三番目の兵士が再び槍を突き出してくる。
あえて腹の中心の鎧の厚い箇所で受ける。
左手の槍をぶうんと大回しして、二撃目を繰り出しつつあった四番目の兵士の首筋にたたき付けた。
槍は、ばきんと音を立てて折れ飛ぶ。
折れるほどの勢いで首を殴られた兵士は、悶絶した。
三番目の兵士が槍を抜こうとする。
バルドは、左手の槍の残骸を捨てておのれの腹に刺さっている槍をつかむ。
三番目の兵士は両手に力を込めて槍を引き戻そうとするが、バルドの左手がつかんだ槍はびくともしない。
バルドは、むん、と気合いを入れると、右脇に挟んだ槍を勢いよく持ち上げた。
一番目の兵士が槍ごと持ち上げられ、うわあっ、と悲鳴を上げる。
バルドの頭越しに飛ばされ、壁に頭を打ち付けて落ち、動かなくなった。
三番目の兵士の槍を、ぐっと手元に引き寄せる。
つんのめってバルドの手元に引き寄せられる兵士。
バルドは、左手で槍を握ったまま、右手で拳を作ると、三番目の兵士の左側頭部を、斜め上から殴り付けた。
三番目の兵士は、たちまち失神して倒れる。
倒れかかった兵士の腰の剣をさっと抜き取ると、そらっ、と声を掛け後方に投げる。
「おうっ」
と、なぜか楽しそうな声でジュールランが返事をした。
飛んでいった剣の柄を器用につかんだはずだが、いちいち振り向いて見ることはしない。
「おおっ!」
と声を上げたのはリンツ伯である。
後ろを見もせずに抜き身の剣を投げたバルドと、それを当たり前のように受け取ったジュールランに、驚いたのだろう。
ここまで、わずか数呼吸のあいだの出来事である。
後列の兵士たちはあぜんとして動けない。
バルドは、左手の槍をくるりと回し、金属の切っ先を襲撃者たちに向けた。
へんてつのない槍だが、バルドが持てば、それは猛獣の牙となる。
バルドは、槍を構えて狼藉者たちに対峙したまま、
オズワルドとやらは殺してよろしいかな。
と訊いた。
自分への質問だと気付いたリンツ伯は、
「うむ」
と、短く答えた。
ごくり、と喉を鳴らしたのは誰だったか。
今や、狩る者と狩られる者の立場は、完全に逆転していた。
「こ、こ、殺せ〜〜っ!」
オズワルドの命令は、まるで悲鳴のようである。
同時に、ギエンザラも、
「行け!」
と二人の護衛に命じた。
八人の兵士が剣を手にバルドに襲い掛かる。
バルドは、兵士たちの顔ほどの高さで、ぶうんっ、と槍を振り回した。
当たれば頭を吹き飛ばされかねない威力である。
兵士たちはひるんで、たたらを踏んだ。
バルドは右前方に素早く走り込んだ。
そこにはギエンザラの護衛二人がいる。
さすがにこの二人は、すぐに態勢を立て直し、バルドに斬りかかろうとした。
右側の護衛は左手に剣を持っている。
剣を振り上げたその左手首をつかみ、その体を盾にして、左側の護衛に突進した。
二人の護衛の体がぶつかり、もつれ合って倒れる。
左利きの兵士の手を放すとき、剣を奪い取った。
六人の兵士が取り囲もうとする。
右に回転して振り向きざまに、真後ろの兵士に斬りつけた。
兵士の手首は、剣を持ったまま斬り飛ばされた。
ぶうんっと左手の槍を振り回しつつ体を左に半回転させ、剣で一人の兵士の肩口に切りつけた。
剣は左肩から入って左胸の半ばまで食い込んで、折れた。
なんじゃ、なまくらじゃのう。
とバルドはぼやき声をあげた。
一人の兵士が、奇声を上げながら斬りかかってきた。
その剣が振り下ろされるより早く、バルドは半ばで折れた剣を相手の頭にたたきつけた。
元の半分の長さしかない剣は、兵士の革帽子を切り裂き、頭蓋骨に深々とめり込んだ。
剣を振り上げたままの姿勢で凍り付いたように、その兵士はゆっくり後ろに倒れていった。
寄り目になった両眼は、自分の頭から生える剣の柄をにらんでいるかのようである。
「ひ、いいいい、ひいっ」
情けない声を上げながら、オズワルドが入り口のほうに向かって逃げていく。
一人の兵士の手を引いているのは、盾にするためだろう。
バルドは、両手で槍を構えて突進した。
バルドの槍が兵士の腹を貫いた。
その背から突き出た槍の穂先は、オズワルドをも串刺しにした。
バルドは、そのまま突進し、入り口前の壁に槍を突き立てた。
どごん、と音がして、槍は二人を壁に縫い止めた。
串刺しにされた二人は、苦しげにもがいている。
その重さに耐えかねて、槍が折れた。
バルドが再び武器なしになったのを好機とみたのか、ギエンザラと二人の護衛が襲い掛かってきた。
三人並んで襲い掛かったのは上出来だのう。
しかし、惜しいかな。
くっつきすぎておるわい。
それに、三人では人数が足らん。
護衛二人は剣を振り上げている。
そのまん中で、ギエンザラは短めの剣を構えて突きの態勢を取っている。
さすがにギエンザラは騎士である。
その迫力は、ほかの雑魚とは比較にならない。
バルドは、二歩下がってから、急に前に飛びだした。
間合いを狂わされて、護衛二人の振り下ろしは遅れた。
バルドは、右足でギエンザラの手元を蹴り上げた。
左右の手で、護衛二人の剣を持つ手を押さえ、そのまま握り込んだ。
剣をはじかれたギエンザラは、体ごとバルドに衝突し、はね返されて転がった。
すさまじい握力に手の筋を破壊され、二人の護衛は剣を取り落とす。
ぼきぼきと、じゅうぶんに手首の骨を折り砕いてから、バルドは二人の護衛を吊り上げ、ぐるぐる振り回して壁にたたきつけた。
ギエンザラはと見れば、胸に剣が突き立っている。
剣は蹴り飛ばしたつもりだったが、激突したときに刺さったのかもしれない。
オズワルドの兵士たちは、戦意を失い、動きをみせない。
いや。
一人の兵士が立ち上がった。
ぶるぶると震えて結局一度も攻撃に参加していない兵士である。
立ち上がったのはよいが、剣を持っていない。
さきほど、ギエンザラの護衛に奪われたのだろう。
と、その臆病な兵士は駆け出した。
ベランダに向かって。
錯乱しているのだ。
その勢いでは、外に飛び出してしまう。
死なせるのもかわいそうだと思ったのか、ジュールランが兵士の進路をふさごうとした。
臆病な兵士は、するりとジュールランをかわした。
すれ違いざまに、ジュールランの懐からのぞいていたアイドラの手紙を抜き取って。
あっ、と思う間もなく、臆病な兵士はベランダから跳んだ。
跳んだ瞬間、振り返った顔は笑っていた。
〈腐肉あさり〉ジュルチャガである。
飛び越えるとき手すりをつかみ、うまく勢いを殺して、真下に落ちる。
リンツ伯とジュールランが、崖下をのぞき込む。
バルドも、駆け寄った。
断崖に突き出た岩を器用に伝い跳びしながら、オーヴァ川の岸辺に向かって降りていく盗賊の姿が見えた。
「おおお。
何たるやつ!
まるで猿じゃ」
とリンツ伯が言った。
信じられないものを見た驚きを声に乗せて。
それから振り返って部屋の中を見回し、昂然と立つバルドの姿を見て、
「うーむ。
それにしても、すさまじい強さじゃ。
十四人対武器なしの三人だからのう。
死を覚悟したわい」
と、感動に震える声で言った。
ジュールランは、事もなげに、
「羊が百匹集まっても、虎とは戦えないものです」
と返した。
一瞬、きょとんとしたリンツ伯は、年輪を刻んだ顔に笑みを浮かべ、
「若いころから、〈人民の騎士〉殿の剛勇は聞き及んでおった。
いつかその闘いぶりを見てみたいものだと、ずっと思っておったのじゃ。
こんな形で夢がかなうのも一興か。
よいものを見せてもらったわい。
いやあ、愉快、愉快」
と言い、豪快に笑った。
5
オズワルドは、この館は手の者で埋められているかのように話したが、実際にオズワルドに買収されていた者は、そう多くなかった。
オズワルドの死を知って、心当たりのある者は逃げだし、そうでない者は何が起きているか知らなかった。
刺客は、リンツ伯の息子たちや重臣たちにも向けられていた。
彼らのある者は陰謀の失敗を知って逃げ出し、ある者は素振りの怪しさからそれと見抜かれ捕らえられた。
結局成功した暗殺は皆無だった。
ギエンザラは、間もなく死んだ。
「二重の渦巻きとは何だ。
印形というのは、どこにある。
教えろ、バルド・ローエン。
教えろ」
と言い残して。
二重の渦巻きも、印形とやらも、バルドには何のことか分からない。
ジュールランにも分からない。
戦いの前に、ギエンザラは、アイドラから預かった物をよこせと言ったが、アイドラから預かった物などない。
ギエンザラが死んだ後始末をどうするか、三人とリンツ領の重臣で相談し、正攻法で当たることにした。
リンツ伯とジュールラン・テルシア卿およびバルド・ローエン卿が談笑中、ギエンザラ・ペインが、三人を殺すと宣言して部下とともに襲い掛かってきて、バルド・ローエンに返り討ちにされたが、この件につきカルドス・コエンデラ卿の存念を伺いたい、との書簡をリンツ伯がしたため、コエンデラ家に届けたのである。
返答が来るまで、ギエンザラの遺体は返さない、と書き添えて。
コエンデラ家にとって、リンツ伯を通じた交易は生命線に等しい。
リンツにとってコエンデラ家は、大口の顧客ではあるが、それだけである。
コエンデラ家が集積地としての機能を失えば、近隣の各領は独自の輸送を行い始めるであろう。
そうなれば、コエンデラ家の経済基盤は崩壊する。
コエンデラ家は、リンツ伯の不興を買うわけにいかない立場なのである。
「どんな言い訳をしてくるか、楽しみじゃわい」
とリンツ伯は言った。
たぶん腹の立つような返事しか来ないだろうのう、とバルドは思ったが、口にはしなかった。
ジュールランは、母からの手紙をバルドが読む前に賊に奪われてしまったことを、しきりに悔やんだが、バルドはそれほど気にしていなかった。
アイドラからの手紙を読めなかったことより、ついにアイドラに手紙を書けなかったことが、バルドには残念だった。
翌日、ジュールランは帰途についた。
「じいの元気な武人ぶりを久しぶりに見た。
よいみやげ話ができた」
とリンツ伯に言い残したそうだ。
バルドは屋台を食べ歩きする予定であったが、できなかった。
それどころか、起き上がることもできなかった。
あとさき考えず乱闘したため、腰と右肩がひどく痛んだのである。
虎も年には勝てん、ということか。
バルドは自嘲した。
5月1日「ひだまりの庭(前編)」に続く