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第三話 公開

 昨日の私はおかしかった。


 ベッドの上を転がり、エアコンをつけるか迷っていると背中に汗をかいた。そして頭の中は姫川さんのことでいっぱいだった。別に彼女のことが好きなわけじゃない、しかし嫌いなわけでもない。ただ憧れていた遠くの人。


 そんな姫川さんを私は待っている。


 址碑駅はそれなりに混雑していて、高校生らしきカップルや、少し背伸びしたおしゃれな中学生たちが私の前を素通りしていく。昔からお母さんとよく来ていたけれど、私はここまで浮いていなかったような気がする……気がしたい。

 それと姫川さんを待たせちゃいけないと思って一時間以上前についてしまった。何度も何度もスマホを確認して、それでも確認したりなくて。


【楽しみだね!:姫川】


 そう彼女から送られたメッセージ――私は幻覚を見ているんじゃないのだろうか。ほら、思い詰めて今は首が折れるほんの数秒の間みたいな。どこかでそんな小説を見たことがある。そして、その最後は……思い出そうとしたとき、誰かが私に声を掛けた。


「おーい」


 私はスマホから顔を上げる。するとそこには姫川さんの精緻な顔が鎮座していた。

 毛穴など一切見えない肌。二重瞼にぱっちりとした目。今まで遠くからでしか見ることのできなかったその顔が今私の目の前にあるなんて信じられない。


 私は姫川さんに言った。


「現実?」

「……現実だよ! 最近変じゃない?」

「あ、いや。別に大丈夫」

「そっか。ならいいんだけど」


 やっちゃった。昨日眠れなかったとか良い感じのことを言えばいいのに、どうして()、とか言っちゃうんだろう。やっぱり帰りたい。こんなことなかった方が良かった。


 しかし姫川さんは言った。

「昨日メールした通り、今日はお買い物をします!」


 可愛い。姫川さんと一緒に遊んだりしてみたかった……そんなことを思ったり。

 いいの私? ここで帰っちゃっていいの? こんな奇跡みたいなこと二度と起こらないかもしれないんだよ。奇跡が来たとき、扉を開けられる人か開けられない人か、私は……


「うん、行こう」

 と私は答えた。


 半ば彼女に引きずられるまま、ショッピングモールに向かって歩き出す。私たちの周りには、同年代だったり家族連れだったり、とにかく微妙な地方都市らしく休日にすることのない人たちがショッピングモールに向かって歩いていた。私が部屋でこもっている間にも世界は動いていたんだな。


 じりじりと太陽が照り付け、秋先の汗が背中を一滴垂れていく。


 ビクッとした私に姫川さんは笑みを浮かべた。


「どうしたの?」

「汗が垂れて」と私は言った。

「分かってる分かってる。ちょっと暑いなら脱いだらどう?」

「いや、それは。この下はちょっと恥ずかしいって言うか」


 なんで私は可愛いTシャツを持ってきてしまったのだろう。温暖化のせいでまだ暑いと思った、それに少し寒いかなって思ったからパーカーを上から着た。無難な長袖にすればいいのに。脱ぐことなんて考えてなかった、いや考えてはいたけど、いいかなって決めてしまった。


 私は姫川さんに言った。

「それはー、その」

「もしかして……」

 と姫川さんは足を止めた。


 なんでなんで? 引っぺがされるのは困るよ。猫ちゃんのTシャツ何て着てることがばれたら、クラスメイトになんて言われるか分からない。

 私はジリジリ近寄ってくる姫川さんから体を反らした。けれども限界はある、足元のベンチに足をぶつけて、それで座っちゃった。


 あぁぁ、死んじゃう。私が死んじゃう。


 思い出した、アウルクリーク橋の出来事だ。南北戦争で絞首刑に処された主人公が死ぬ寸前家族のもとに帰ることを走馬灯のように考えるっていう。結局主人公の絞首刑は処されて、ひもが抜けて失敗することなく、死んじゃった。同じように私も夢から醒めさせられるのかな。酔いはもう醒めたのかな……


 私は目をつぶった。


 すると、胸に指が触れる。私が目を開けると姫川さんが私の胸を触っていた。


「え?」

「もしかして、下は裸とかなのかなって」

「えぇ……違う。違います。私そんな痴女みたいなことしないから!」


 姫川さんってこういうとこあったんだ。いやいや、そういう問題じゃないでしょ。私、素っ裸って思われるような人間だってことでしょ!?


「違うから。ほら見て、猫でしょ猫!」


 私はむきになってパーカーのチャックを下した。猫ちゃんの顔がでかでかと正面にプリントされ、肉球が背景として使われている。めちゃくちゃ可愛いと思って二年前に買ったきりの可哀そうなTシャツ。こんな登場の仕方をするなんてあの時の私は絶対思っていなかった。

 私はパーカーのチャックを再び挙げた。これ以上姫川さんに見られたくない。


 姫川さんはデニムパンツに白シャツ。そしてその上におしゃれなカーディガン。野暮ったい私の服なんて見たらきっとバカにする。


 姫川さんは言った。


「痴女なんて……そんなこと思ってないよ」


 私は胸の前で腕を組み、体を包み込む。


「じゃあなんで私の、それを触ったの」

「分からない。でも私の中で何かが触れてほしいって言ってたから――それにしてもその猫可愛いよね。意外だなぁ、そういう可愛い系を着るような子だと思ってなかったから。フフッ」


 触れてほしい……もちろん姫川さんの言い訳なんだろうと思う。だっていきなり体に触れるとかおかしいでしょ。それに私からしてみれば昨日から話し始めたような人なんだよ。友達にもなり切っていないような関係なのに。


 私が考え始めたときには、胸を守るように組んでいた腕はつかまれ、そして引かれていた。


「謝りたいから、ショッピングモールに行こっか!」


 そう姫川さんは乾燥した声で話す。まるでさっきまでのことはすべてなかったかのように。

 でも、今の私にとってはありがたかった。もちろんさっきのことは嫌だったけど、それ以上にここで話せなくなる方が怖かった。


 私は引かれるがままベンチから立ち上がり、足を進める。そして五分もすればショッピングモールの中に私たちは立っていた。

 ゴミゴミと人が歩き回り、二階の通路から見下ろしている子供も見える。そして二階建ての天井から垂れ幕が落ち、女子たちがイケメンと言っていた俳優がエアコンの緩やかな風に揺れていた。それにしても休日に来たのはいつぶりだろう。思っていたよりも天井は低いし、地面も汚い。


 で、でも……私の隣には姫川さんが立っている。


 結局触られても私の酔いは醒めなかった。だからこの姫川さんは現実で、私の胸に唯一触れた他人。

 ――何言ってんの私。次からは絶対に拒まないと。いくら美少女である姫川さんに触られたからって許しちゃいけないことの一つや二つだってあるよ!……陰キャでも。


 私は横を歩く姫川さんに視線を向けた、どのお店に入ろうかきょろきょろと見回し、その視線が誰かとぶつかっても気にしない。こういう子がモテるのかな。元気で明るくて、それでいて――


「ねぇ、ここどう?」

「あ、えっと」

「それじゃいいよね!」

「まぁ」


 でもこういう強引なところがある。遠目で見るだけの彼女とまた違って見えるし、こんな子だったような気もしてくる。不思議。


 私は姫川さんに続いてお店に入った。


 ファストファッションのモデルになれるんじゃないかと思うほど、そういうお店のものしか買ってこなかった私にとって、姫川さんの入ったお店はまさに魔境だった。勝手が違うって言うか、一つ一つの商品が高くておしゃれで。


「あの、姫川さん?」

 ハンガーラックから服を熱心に選んでいる姫川さんは私に目を向けた。

「どうしたの? あっ、これとかいいんじゃない!?」

「いや、その……そういうことじゃなくて、姫川さんっていつもこういうお店の服を着てるの?」

 姫川さんは自分の服を見た。

「いや。まだ高校生だし、全然お金とかかないから見るだけだよ」


 何とも意外だ。おしゃれには惜しまない風だったのに。

 けれどもそっちの方がより残酷かもしれない。私と同じお店のもので、同じような服を買ってもこんなにも違ってしまう。私みたいな猫を姫川さんなら綺麗に着こなしてしまうんだろう。私のようにパーカーで隠すなんて。


「ニャー」


 パーカーの中に隠された猫が鳴いた、はず。お店の中を見ても、もちろん猫はいなかった。

 しばらくお店を回り、姫川さんのひっ付き虫のように私は彼女のお店巡りについていった。一人で選ぶより、全然楽しい。姫川さんに似合うのかなとか考えたり、逆に彼女がこれはどう!? と持ってきてくれることもあった。

 そして私たちは大きめの紙袋を互いに持ち、フードコートに座った。


 姫川さんはさっきのお詫びとしてとっておきのものを買ってくる、そう言ってどこかに消えてしまった。


 壁掛け時計を見ると、駅に着いてからもう三時間以上たってしまっていた。時間を忘れて没頭する、こんなこと久しぶり。だって十四時について十七時だよ。いつもならグダグダと時間が過ぎるのをただ待つだけなのに。


 グデーンと体を伸ばす。


 小さな痛みが腕に現れるけど、今はそれすらも嬉しかった。だってこれが現実ってことだから。原理原則、その他諸々私には理解できない。けれどもこの時間が幸福で私が望んでいた時間だったことくらいは分かる。


「お、疲れてるね~」


 と机に突っ伏している私の頭に声が掛けられる。


 私が思いっきり顔を上げると、そこにはニヤニヤした姫川さんがいた。手にはこれまたおしゃれなフラペチーノ。姫川さんがあの暗号を滑らかに伝えている姿が思い浮かぶ。


「ありがとうございます」と私はそれを受け取った。

「やっぱ、口調変だね~ 私が触った時はめちゃくちゃキレてたのに」

「それは絶対怒ります!! 私だって……」

 姫川さんは頭を下げた。ストローを咥えている私が悪者みたいに、あっさりと美しく。

「ゴメン。それは本当にごめんなさい」


 私は謝らせたいわけじゃない。ただ、なんていうかどう伝えるべきかな。


 フードコートはお昼時を逃したお客さんでバラバラに動いていた。誰も聞かないでほしい私の願いが通じたのか、私たちの周りだけ誰もいない空間が生み出される。


 私は口を開いた。

「いいです、謝ってくれたし」

「ほんとに!?」

「はい……うん、いいよ」

「ありがと~! やっぱり持つべきものは優しい友達だね!!」

「そう、だね」


 姫川さんは極太のストローに唇をつけた。リップで光沢の出た唇が、私の顔を反射させる。

 友達、友達なのかな。私にそんな記憶はないけど、友達だった記録は確かに私のスマホの中に格納されている。このままでいいと本当に私は思ってるのかな。


 私の胸は高鳴り、姫川さんに触れらた場所が異様に熱く感じた。


 しばらくして私たちはフラペチーノを飲み干し、また別のお店に向かって歩き出す。もちろん買ったものを入れた紙袋も忘れずに。


 まだ私に決断は出来なさそうだ。


◇◇◇


 フードコートのテレビ。有識者と呼ばれた大学教授が言った。


「この現象は大いに危機感を持っています。私たちの現実が書き換えられてしまうのですから。なので、世界各国は協力してその影響を受けない薬を開発中です。ですから……革命を起こさないと。もっと美しい世界に書き換え……」


 これで三回目。慣れたた付きで画面が切り替わり、テロップが流れる。

 しばらぁお待ち死ください。

 テレビ局の中に能力者がいると教授の弟子たちは確信した。


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